本音
奇遇ね、と声を掛けられてマンカストラップは肩越しに声の主を振り返った。
思わず眉間に皺がよったのを見て、相手がころころと笑った。
「相変わらずね」
「会いたくなかったよ、グリドルボーン。ここで次のターゲット探しか?」
「失礼ね。まるでいつも男を手玉に取っているみたいな言い草じゃない」
そう言いながらも、グリドルボーンは当然のようにマンカストラップの隣に座った。
ここは港町の酒場だ。
今でも一大勢力を持つ海賊船の船長であるマンカストラップは、
正体がばれようものなら大騒ぎになるので当然お忍びである。
漁師のような格好をし、金を払って酒と肴をちびちび口に運び物思いに耽っていたのだ。
呑んでいる酒も、時折口にするつまみもそれなりに良いものだが、
独りでぼんやりしている男を気に留める連中などいない。
「何故いるんだ」
「あら、私は流浪の歌姫よ。最近はこの辺りの酒場や宿を回っているの。
なかなか稼ぎがいいのよ。この辺りの殿方は気前が良いわ。お酒も美味しいし。
あなたは?なかなかご活躍と聞いているけど」
「やめてくれ、目立ちたくないんだ。君といると目に付く」
「大丈夫よ」
艶っぽい笑みを浮かべてグリドルボーンは酒の入った壺を手にとった。
どこからともなく取り出した杯に、手酌で酒を注ぎこむ。
もちろん、酒を買ったマンカストラップには一言の断りも無い。
「可哀想な独り者が歌姫に慰めてもらっているから放っといてやろうって、
ね?みんな敢えてこっちを見ないようにしているでしょう?紳士ね」
「・・・・・・それは良かったとは言いたくないな」
「私といると他の女も近寄らないわ。こういう所に来る女は特に鋭いのよ。
そんな格好でもわかるわよ、あなたがいい男だってことくらい」
マンカストラップは更に厭そうな顔をして頭を振った。
「興味が無い」
「でしょうね。でも、あなたに興味が無くても放って置いてはもらえないわ。
でも、ここに人気者の歌姫がいるだけであなたは苦手なお誘いを受けずにすむ。
そうは思わない?」
「・・・・・・酒は飲んでくれていい、食いたいものがあれば注文する」
大きな溜息を吐いて、マンカストラップは結局折れた。
かつて、グリドルボーンが船にやってきた時も口で勝てたことはなかった。
生真面目なマンカストラップに、正論の通じない相手は手に余る。
海賊の癖に正論を吐くのかと仲間に笑われることは多いが、性分だから仕方ない。
「あらぁ、嬉しいわ。優しいのね。それで、あなたはどうして辛気臭い顔しているの?」
「相変わらず無遠慮に踏み込んでくるんだな、変わりなさそうで何よりだ」
「ありがとう。積極的な女だってよく褒められるの」
色っぽく弧を描く口許は何を言われようと揺るがないのだろうと、
マンカストラップは目の前の女性の強さに今更ながら半ば呆れつつ感心した。
「君が嵌めた虎のことを思い出していた。ちょうどこれくらいの時期だったからな」
「虎、ねえ。案外感傷的じゃない」
「どうだかな。ろくでもないことばかり思い出すんだ、奴は頭がおかしい。
無作法な荒くれ者で、気分屋で大酒のみで、乱暴だし残酷だ」
「おまけに息が臭い」
グリドルボーンがそう締めくくると、マンカストラップは声を立てて笑った。
「何て顔だ。そこまで酷かったか?」
「ええ。鼻がひん曲がるかと思ったわ」
「はは、それはいい。あの男も君にしてやられてばかりってわけでは無かったのか。
まあ、君にとっては故郷を焼いた憎き相手だろうけどな。
あんな奴でも俺にとっては親代わりだったんだ。
ちょっとくらい思い出して酒を傾けたところで文句を言われることもなかろう」
ちびりと酒を飲む。
酒が美味いと聞いたからこの店にしたのだ。
情報通の仲間がいると、美味い酒と食事には事欠かない。
「良い親父さんだったの?」
「そう思うか?」
「全然。子育てなんて想像もできないわ」
信じられないと目を瞠るグリドルボーンに、そうだろうなとマンカストラップは頷いた。
年端も行かない子どもを拾って船に乗せるなど、あの男でなくてもしない。
気まぐれもいいところ、周りには狂気の沙汰と思われたことだろう。
「まあ、子どもと言っても自分のことは自分でできるようにはなっていたし、
あれこれと世話を焼いてもらったとかそういうことはなかった。
でも、思い返せば、食い物にも着る物にも冒険にも不満を覚えたことはなかった」
「その食べ物や着物は、虎の牙に掛かった哀れな庶民の物じゃないの?」
「そうかもしれない。そうじゃないかもしれない。何とでも言えばいい。
あいつは傲慢で、独裁的で、頭も悪いし口も悪い。でも、何者も恐れなかった。
強かったし決断力があった。尊敬はしない、だが凄い男だったと思う」
決して大きい声ではないけれど、マンカストラップは滔々と語った。
グロールタイガーは凄まじい海賊だったのだ、そして悪名高い男だった。
称えれば否定されるのは悪党の定め、わかっていても誰かに言わずにはいられない。
それだけ、男と共にいた時間が長かった。
「あなた、彼のことが大好きだったのね」
小皿に盛られた干した果物を弄びながら、グリドルボーンはぽつりと言った。
「大嫌いだ。我侭で手が早くて横柄で」
「よくそこまで悪口を思いつくわね」
「大嫌いで、昔から嫌いで、ずっと嫌いで、大嫌いで、
だけど、それよりも、あの男と海に出るのが大好きだった。船長が好きだった。
・・・・・・なんてな」
「よく言うわ、すっきりした顔しちゃって。それが本音なんでしょ」
結局果物ではなく酒を煽って、グリドルボーンは呆れたように言った。
「そんなのは彼女にでも聞いてもらいなさいよ」
「面白い冗談だ」
「だったら彼氏」
「さらに面白い」
「寂しい男ね、仕方ないから私が慰めてあげる。さあ、呑みなさい」
マンカストラップが手にした杯に、良い酒が惜しげもなく注がれる。
慰めてもらうにしても、自分で買った酒では興も醒めるというものだ。
釈然としないまま、マンカストラップは溢れそうな酒を口から迎えにいく。
「あの男がこの海から消えるなんてな」
「そんなものよ、当たり前にそこにいると思ってたらある日消えちゃうの。
でも、船も海賊仲間も残ったじゃない。
ならず者の寄せ集め集団なんて、頭が消えたら霧散するんだと思ってたわ」
「何故だろうな、変わったやつらが多いのかもしれない。
船も仲間も残った、だが別物だ」
「あなたのものよ。あなたが率いているんだもんの。
どう名乗ろうと、何の旗を掲げようと、自由なの。あなたのものだもの。
あなたが大嫌いで大好きな男みたいに、食いはぐれる子供を救ってやれば?」
「それなら」
思い出した、マンカストラップはきりりと眉を吊り上げる。
「まずはギルバートに会いに行く」
「倒しに行くではなくて?ジェリーから随分活躍していると聞いているわ」
「働き次第で考えるとしよう。つまらないことをしていたら木っ端にして海に沈める。
おもしろいと思ったら遊ぶ程度にしておこう」
「意外に執着するのね。もっと海賊らしく金目のものとか狙わないの?」
「そういうのは俺の役目じゃない」
呆れるグリドルボーンにマンカストラップは肩をすくめて見せた。
「お宝と冒険が大好きな仲間がいるんでね。そういうのは足りてるんだ。
今も目的地に向かってるところだ。こないだは海軍の小隊に行き会って一戦交えた。
刺激には事欠かないさ。今度は、そうだな、哀れな捨て子でも拾ってみるか」
「浚わないでよ。それにあなたが子育てなんて・・・・・・いいえ、いいわ。
あの男にもできたんだもの。たぶん誰にでもできるのね」
「そうかもしれんな。君も」
言いかけたその時、騒がしい客の間を抜けて、行商風の格好をした青年がやってきた。
海の色より明るい青の目が印象的な彼は、そう、スキンブルシャンクス。
お宝と冒険が大好きなインテリ海賊だ。
また何かしら情報を仕入れてきたのだろう。
「あれ、久しぶりだね。改めて見てもやっぱり綺麗だ」
「ありがとう、嬉しいわ」
さらりと女性を褒めたスキンブルシャンクスは、
じっとマンカストラップの顔を見つめて、それからにこりとした。
「グリドルボーンに話でも聞いてもらったのかい?いい表情になったよ」
「よくない表情だったか?」
「そりゃもう。タガーですら茶化すのを止めたくらいだし。
マンゴも、下手に声はかけられないって言ってた。
何となく理由がわかるだけにね。それで、僕が迎えにきたってわけ」
「手間をかけたな。もう戻ろう。ああそうだ、せっかくだから酒を買っていこう。
聞いていた通り、ここの酒は美味しかったからな。
グリドルボーン、壺酒を一つ奢るから持って帰るといい」
立ち上がって店主に声を掛け、余った果物は麻袋にまとめて胸元に押し込む。
「餞別代りにもらっていくわ」
「御礼だよ、君に会えて良かったと思う時が来るなんて」
「悪くなかったでしょ。ねえ、この世の中生き残ってこそよ。
あなたはあの虎男より偉いわ、だって生きているもの。
あと、さっきの話の続きは今度ね。生きなきゃダメよ。じゃあね」
グリドルボーンは投げキスを寄越すと、用意された壺を手にさっさと店を出て行った。
「あの男の懐にも、ああしてスルッと入っていったんだろうな。
センチメンタルになっていると、ああいう女性の存在はあまりに魅力的だ」
「心が弱ったら言ってよ。僕が何でも聞いてあげる」
「まあ、そうだな。考えておこう」
苦笑を零しながら、マンカストラップは持てるだけの酒を持ち、
スキンブルシャンクスは余分に金を置いてから、やはり酒を抱えて出口に向かう。
「船に帰ろう、マンカス。みんなで弔おうよ。
一人で思い出にふけるのもいいけど、みんなで飲むのも悪くないよ」
「ああ、そうだな。その前に、この酒一つだけ海に沈めたいんだ。
勝手に術中に嵌って勝手に死んで、本当に勝手な男だったが、
町で野垂れ死んでいたかもしれない俺を生かしてくれた。おかげで俺は船長だ」
グロールタイガーの存在は大きすぎた。
良くも悪くも周りを惹き付けた。
マンカストラップはそうはなれない、なりたいとも思っていない。
「色々と言ってやりたいことも、思い出したら腹立たしいこともあるけど、
それでもやっぱり凄い男だった。海の勢力図も書き換えたんだからな。
だから、今夜だけはありがとうと言おうと思う」
彼がいなくなったら劇団四季は無くなるんじゃないかと昔は思っていました。
それくらい影響力が凄かったというか、力があったというか。
今はそうは思いませんが。
今はただ、四季のミュージカルに出会って、
それを通して色んな出会いがあって、世界も広がって、
その切っ掛けをくれた彼に感謝したいと思います。