光の中で

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最終更新日: 2018-11-11
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Munk&Jenny

壊れるものがない世界に

ちょっかいを掛けに来たよそ者を追い返し、血気盛んな若者たちを宥めて
マンカストラップはようやく帰途についた。

「お疲れ様」

閑静な住宅街の裏道を歩いていたマンカストラップは、
突然掛けられた声に驚いて立ち止まった。

「ジェニエニドッツじゃないか、こんな時間にどうしたんだ?」
「あたしだって日向ぼっこくらいするのよ。それより、大変だったわね」
「もう聞いたのか、耳が早いな」
「聞きもしないのにみんなあたしに喋っていくからね」

みんなに慕われるおばさん猫はころころと笑う。

「怪我をしているのでしょう?脚を引き摺っているように見えたけれど。
 おいで、簡単だけど手当くらいならできるから」
「ありがたい」

いつになく素直にマンカストラップはおばさん猫に従った。
ジェニエニドッツも少し驚いたようだ。
それでも、何も言わずにマンカストラップを地下の塒に招き入れる。

「随分疲れているようね。何事も一生懸命なのは良いけれど、時々は肩の力を抜かないとね」
「そうできればいいのだが」

この街の猫たちは若く、悪戯好きで血の気が多い。
毎日取っ組み合いの喧嘩は絶えないし、いくら注意してもおとなしくしていない。
マンカストラップの整った顔に刻まれた眉間の皺は消えることがない。

「あんたが背負い込まずにもっと若い子たちに色々任せてあげればいいのよ。
 ああいう子たちはね、そうして責任を感じればしっかり振る舞うものよ」
「そうかもしれないな。貴女がそう言うとそうした方がいいような気がするから不思議だ。
 何でも自分の手の届くところに無いと不安を感じてしまうのに」
「どうしてそんなに頑張るの?あ、そこに座って」

言われるままにマンカストラップは古くなって模様すらわからなくなった座布団に座る。
小さい頃から何度も訪れている場所は、幾つになっても彼に安堵をもたらした。

「これでも食べなさい。あらあら、この傷はちょっと痛いわね」
「そうなんだ、深くも大きくも無いくせに妙にひりひりする」
「無理さえしなけりゃすぐ治るけどね」

そう言いながら、ジェニエニドッツは慣れた手つきで傷を洗って手当を始めた。
普段のものぐさな雰囲気からは考えられないほどてきぱきと施される処置を横目で見ながら、
マンカストラップは昨夜食べて以来の食物を口にした。

「・・・何も失わなければいいのに、そう思ってしまう。
 俺が皆の前に立って全てを護ることができればいいのにと、そう思う。
 俺が知るこの世界が壊されてしまったら、俺はまともではいられない気がする」
「なるほど、それがそんなに頑張ってしまう理由ということね。
 あんたが頑張るのも悪くないけど、どうせならみんな巻き込んでみたらどう?」

目を上げてニコニコするおばさん猫は、おばさんと言うのが憚られるほどに若々しい。
小柄で可愛らしくて、それなのに誰よりも懐が大きくて暖かい。
マンカストラップはもう一囓り食べ物を頬張って疲れたように目を閉じた。

「ねえ、マンカストラップ。あたしもね、この世界が変わらなければいいと思うのよ。
 あたしが今のジェリーロラムくらいだった頃かしらね、その頃は街が荒れていて
 あたしを取り巻いていた世界は一度壊れてしまったわ」

乾いて長い毛足に纏わり付いていた血の塊を丁寧に落としながら
ジェニエニドッツは呟くように話し始めた。

「その頃のリーダーだって立派だったとあたしは思うわ。
 でも、彼だけでは何も護りきれなかったのよ。あたしは仔猫たちと一緒に隠れていたわ」
「貴女が、仔猫たちを守ったのか」

うっすらと目を開けてマンカストラップが訊ねると、ジェニエニドッツは小さく笑った。
そして首を横に振る。

「一緒にいただけ。でも、それで良かったと今は思っているの。
 あんたももっとみんなと一緒にいればいいのに。
 少なくとも、独りで支えている今より世界は揺るぎないものになると思うけど」
「こんな煩いのが近くにいるとみんな気が休まらないだろう?」
「何言ってるのよ、みんなあんたに相手して欲しくて騒ぐのでしょうに」

呆れたようなジェニエニドッツの言葉に、マンカストラップは驚いたように目を瞠った。
その反応におばさん猫も驚いたように手を止めた。

「何?気付いていなかったの?」
「・・・冗談だろう?」
「あんたの台詞が冗談だと思いたいわ」

大きく息を吐いて、ジェニエニドッツは少しばかり力を込めて手当を再開した。
おばさん猫の思惑通り、少々痛んだのかマンカストラップは小さく呻いた。

「何か言うことは?」
「・・・これからはもう少しみんなと協力していきます」
「よろしい」

いつもはピンと立っており大きな耳をへにょりとさせて、マンカストラップは呟くように言った。
そのまま暫く俯いていた縞猫は、その体勢のまま小さく肩を震わせ始めた。
それは次第に大きな揺れになって、その内に堪えきれず大きな声で笑い始めた。

「ああ、おかしい。俺はバカだったようだ。あいつらを叱れば叱るほど調子に乗るわけだ。
 自分で自分の首を絞めるとはまさにこのことだな。よし、明日から仕切り直しだ」
「あんまりいじめてやらないでね」
「いやいや、そんなことはしない。しっかり鍛えてやるだけだ」

マンカストラップの双眸は、かつてやんちゃだった頃の煌めきを取り戻している。
小さなおばさん猫はそれを見て静かに笑みを浮かべた。

「あんたが守りたいものはきっと、みんなが守りたいものでもあるわ。
 大切なものが失われない場所で、あたしは生きていきたい」
「俺もだ。大丈夫さ、ジェニエニドッツ。俺とみんなで守るから」

息巻くるマンカストラップの傷にジェニエニドッツが薬草を塗り込むと、
彼は息を詰めて急におとなしくなった。

「これでよし。今日はここに泊まっていいから、ちゃんと食べてしっかり寝ること。
 いい?でなきゃ今日のことは長老に報告するからね」
「そりゃもう喜んで食べて寝ますから長老には言わないで」

残っていた食べ物を口に放り込む若いリーダーを見て、ジェニエニドッツは声を立てて笑う。
望んでいたものがもうすぐ、手に入る。

生きていきたい。
天上に昇るまでは。

壊れるものがない世界に。

イメージ:Hマンカストラップ&Oジェニエニドッツ
熱いものを秘めた美形兄貴と可愛くてみんなに愛されるおばさん

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Tug&Bomb

陽にあたる瞳が泣いている

朝が来た。
白い光が流れ込んだ街はまだ眠りの中にあるように静かだった。
新聞配達の少年は夜が明ける前にこの通りを自転車で去っていき、
早起きの老夫婦が目を醒ますまではもう少し時間がある。
緩くカーブした道の脇にある何の変哲もない石造りの家々の窓はどこもぴたりと閉じられ、
小鳥の澄んださえずりと羽音が聞こえるばかりだ。

朝凪の街は木の葉さえ揺れることがない。
まるで写真であるかの如く静穏な家々の影に一匹の雌猫が佇んでいた。
まるで彫像のように整った姿形をした猫は、しかし彫像でない証拠に時折尻尾を揺らしている。
随分長い間、彼女はそうして座り込んでいた。
夜が明ける少し前から、彼女の頭上にある薄青のカーテンが掛かった窓が押し開けられるまで。
ここは街一番の早起き老夫婦が住んでいる家だ。
からりと引かれたカーテンの音と押し開けられる窓の軋む音にぴくりと耳を動かしたものの、
驚くこともなく、ただ思い出したように彼女は毛繕いを始めた。

そろそろ街が起きようとしている。
丁寧に毛繕いをしている雌猫の姿は優雅ですらあった。
街一番のプレイボーイが無意識に脚を止めるほどに。



「よう、ボンバルリーナ」

まだまだ静けさが支配する空気をあっさりとぶち壊し、
珍しい豹柄の派手な雄猫が、毛繕いにいそしむボンバルリーナのもとに駆け寄ってくる。

「良い朝ね、タガー」
「そっか?」

ちゃっかりとボンバルリーナの隣に陣取って、ラム・タム・タガーは機嫌良くファーを揺らした。

「オレのために身繕い中だった?」
「そんなところかしら」

にいっと笑う男を手慣れたようにあしらいながら、ボンバルリーナは口許に笑みを浮かべた。
その微笑みはまるで媚薬のように雄猫を痺れさせるのだ。
だがしかし、その微笑が艶めかしく妖しいものだというのではない。
強いて言えば、そう、後光が差したかのような神々しさがある。

「そう言う割にはヤツの匂いがするぜ。遊び帰りかよ。あのガキのどこがいいんだか」
「貴方とそうそう変わらないでしょうに。それとも妬いてくれるの?」
「まっさかあ」

ラム・タム・タガーは楽しげに笑った。
近くに降り立とうとしていた茶色の小鳥が驚いたように空に舞い上がっていく。

「妬かれるのも妬くのも勘弁。面倒事は嫌いでね」
「大丈夫。誰も貴方に嫉妬なんてしないわ。感心はしているでしょうけど」
「感心?」

片眉をクイと持ち上げて見せる男に、ボンバルリーナは少しだけ笑みを深めた。
ラム・タム・タガーはどこかのネジが飛んでいるか緩んでいるに違いない。
造作だけを見ていれば悪くはないが、そこまで飛び抜けて素晴らしいわけでもない。
見た目だけで言うならマンカストラップの方が断然上だ、リーダーという箔も付いている。
翻ってラム・タム・タガーときたら、天の邪鬼の厄介な男だ。
好き勝手も甚だしい。

だが、それがいい。
それに面白い男だ。
そして、意外なほど皆を喜ばせるツボを心得ている。
他の誰にも無い、彼最大の魅力はそこだ。

「貴方の突拍子もない言動にね」
「そりゃあ大層な褒められようだ」

舌打ちでもしそうな雄猫の様子にンバルリーナはクスッと笑う。
しなやかな動作で立派なファーに頬を寄せると、心地良さそうに目を細めた。

「私は貴方のことが好きよ。貴方を見ているととても楽しいもの。
 それにその声。痺れちゃうくらい素敵だと思うわ」
「・・・そりゃあ何より」

咄嗟の返しが思い浮かばなかったらしいラム・タム・タガーの動揺を感じ取り、
ボンバルリーナは満足そうに目を閉じた。

「一晩中起きていたからそろそろ眠いわ。寝床に戻らなきゃ」
「送っていこうか、とか絶対言わねえからな」
「残念ね」

軽く溜め息など吐きながら、ボンバルリーナはあっさりと男から離れて立ち上がった。
すらりとした肢体は芸術品のように美しい。
色っぽさなど感じなくとも、世の男共が放っておかないのも頷ける。
だが、誰も彼女を手に入れることはできないだろう。
それほど彼女は気高く美しい。

「じゃあね、タガー」

素早く身を寄せたボンバルリーナは、未だ座り込んでいるタガーの額に口づけると、
体重が無いかのような軽やかな足取りでカーブの向こうに姿を消した。

「・・・負けた気がする」

見えなくなった影を追うかのように、彼女が走り去った方を見つめたまま
自他共に認める天の邪鬼が呆然と呟いた。



身動ぎできずにいたラム・タム・タガーの上で、僅かに開いていた窓が大きく押し開けられた。
白髪の老紳士が葉巻を咥えて窓辺に立っている。

「おやおや、振られたのかね?」

飼われていた(飼われてやっていた、と彼は思っている)ラム・タム・タガーは、
良いのか悪いのか人間の言葉を解することができた。
敗者にとっては追い打ちに等しい言葉だ。
にこにことしている老紳士をラム・タム・タガーはキッと睨み付ける。

『うるせえ!日が悪かったんだ!』

唸り声を上げて脱兎の如く駆け出した珍妙な柄の猫を見送って老紳士は目を細めた。
何かありましたか、と老婦人の声がする。

「振られた猫が泣いていたんだ、青臭くていいねえ」

老紳士と老婦人の穏やかな笑い声が穏やかな早朝の街に零れてゆく。
通りの向こうでは赤いカーテンが開き、二つ隣の家の扉からは新聞取りに若い男性が出てきた。

いつものように、朝が来た。

イメージ:Iタガー&Tボンバルリーナ
格好良くなりきれない少年と神々しいお姉様

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Misto&Car

音もなく波もなくただささやかな朝が

教会の屋根に佇めば、朝凪の街は息を潜めているように静けさに包まれていた。
街が覚醒していない今ならば、この場所から全てを支配できそうと錯覚するほどだ。
白い光に覆われた街並みは、きっと王の到来を待っているのだ。
玉座はこの教会の屋根でいい。

「いいねえいいねえ、希望に満ちた朝の光に浮かぶ街並みってさ」

金色の双眸を楽しげに巡らせて、ミストフェリーズはくすくすと笑った。
この白い世界に夜を招き、星空を作り出す。
それが彼の密やかな夢だ。
全ての摂理を覆し、神をも恐れぬ所行だけれども。

「力が足りないんだよね。今の僕だと風ひとつ起こせない」
「お得意の回転で風は起こせるのでは?ほら、竜巻とか台風みたいに」
「馬鹿だなあ。空気が動くのは、気圧の高い所から低いところに流れるからであって
 ちょっと回転加えただけで風なんて起こらな・・・っわ!」

ぎょっとしたように振り返って、ミストフェリーズは思わず声を上げた。
誰もいないはずのそこに、地味な色合いの毛皮を纏ったぶち猫が綺麗な姿勢で立っていた。
微笑みのようなものを僅かに口の端に浮かべ、くりくりとした目はきょとんと黒猫を見ている。

「どうしたというの?」
「どうしたもこうしたも・・・いつからいたのさ」
「昨夜からここで寝ていたけれど、もしかして気付いていない?」

ミストフェリーズは小さく唸った。
気付かない筈がないのだ。
トカゲが後ろの方で這っていてもわかるのに、自分より大きな雄猫がいて気付かない筈がない。
だが、現実問題として声を掛けられるまで存在を察知できなかったのだ。

「カーバって、影薄いよね」
「気にしているのに」

むっと眉を寄せると、紳士猫の澄ましていた表情が崩れて一気に幼くなって見える。

「うん、ごめん。別に存在感が無いとか言ってないから。
 良いハンターになれるよ。君は身体が柔らかくて身体能力も高いし」
「お世辞でも嬉しいよ。狩りは得意だし」
「お世辞なんて僕は言わないよ。ちゃんと見てるんだからね。
 まあ、野郎の私生活に興味はないから見てると言ったってダンスだけどさ」
「そっか、ありがとう」

にこにこと嬉しそうに笑うカーバケッティはまるで少年のようだ。
あの独特のスパニッシュポーズを誰もが違和感無く受け入れられるくらいの紳士にはなった筈だが。

「前から思ってたんだけど、カーバって言葉遣いが独特だよね」
「違和感がある?」
「ん、ちょっと」
「ミストは正直だね。うん、喋るのがあまり好きじゃないからかもしれない」

それでも街で生きていくには差し支えがないのだ。
差し支えがないどころか、立派に彼女までいたりする。
それがあの気性の激しいディミータというのだから、知った時はミストフェリーズでもさすがに驚いた。
しかも、聞いた話によればかなり仲が良いということなのだ。
こののんびりした口調の青年と、あのディミータの何がどう合うのかは未だにわかっていない。
世の中には説明が付かない事象がたくさんあるが、その内の一つがこれだ。

「それで、ミストはなぜ風を起こしたいの?」
「や、風を起こしたいわけじゃなくてさ。よ、じゃなくて星空を作ってみたいんだ。
 突拍子も無いこと言ってるのはわかってる、忘れていいよ。むしろ忘れてほしいかも」
「突拍子無いことでも、夢があっていいと思う」

確かに、星空を作ってみたいなんてロマンチックな夢だ。
可愛く作った笑顔に乗せて語れば、ファンタジックな戯れ言に過ぎない。
言い換えれば、笑顔という仮面に簡単に隠れてしまうくらいにはミストフェリーズの力は小さい。
こいつが言うなら本当にそうなるかもしれない、そんなふうに思われるくらいには力が必要だ。
この朝凪の街に風を起こし、遠くにある海に白波を立てさせるのが朝飯前だと言えるくらいには。

「ところで、ミスト今は暇?」
「忙しくはないよ。何?」
「マネージュ教えてほしい。うまくいかない」
「踊るのはいいけど教えるのはうまくないよ、僕。いいの?」
「お手本になってくれるだけでもかまわない」

朝の光で目を煌めかせながら、カーバケッティはすぐにでも走り出しそうな気配だ。
仕方ないなあと呟いて、ミストフェリーズはもう一度白い街並みを見渡した。

「ざわめきも予兆も感じない日々なんて、つまらないよね」
「ミスト早く!」
「わかったってば。紳士はそうそう急くものじゃないよ」

それほど高くはない教会の屋根だ。
黒い身体を躊躇いなく宙に投げ出して、ミストフェリーズはまたくすくすと笑った。





Would you sit on his throne?



 ---いつの日か、必ず。

イメージ:NミストフェリーズとMカーバケッティ
美しく回転する青年奇術師と穏やかな紳士

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Mungo&Gil

木洩れ日に咲く少年

生温い微風が教会の裏手にある雑木林をすり抜けてゆく。
そこに混じる涼やかなハンドベルの音色は、教会のシスターたちの演奏のようだ。
眩しい太陽は、立派に育った無数の枝葉が遮ってくれる。
そこをすり抜けた光だけが、ゆらゆらと揺れながら地面にまだら模様を描いている。

「あちぃ」

くてりと尻尾を垂らして、低い枝にいた赤毛の猫は溜まらず呟いた。
この場所は涼しい。比較的。
今は珍しくマンゴジェリーともう一匹の雄猫しかいないのだが、
涼を求めてたくさんの猫たちがここにやってくる。
特に縄張りを意識したこともない中立地帯のようなものだろうか。

「これって気分的な問題だよなあ。どう思う?ギル」
「ん?」

うんざりしたようにマンゴジェリーが地面に視線を落とせば、
ぴたりと動きを止めて振り仰いだ三毛の青年と目が合う。
彼の体勢は、何かの型のままで固まっている。

「このクソ暑いのによく動いてられるな」
「心頭滅却すれば火もまた涼しというではないですか」
「しんとうめっかく?んだよ、それ」

盛大に眉を寄せるマンゴジェリーを暫くじっと見ていたギルバートは、
鍛錬を続けることを諦めたのかふっと身体の力を抜いた。

「ギルって、たまに難しそうなこと言うよな。ガスの受け売り?」
「まあ、そんなとこ」

夏場でも温度の変わらない木の幹に身体を寄せて、ギルバートは息を整えるように深く呼吸をしている。
鍛錬の最中は、闘志漲る身体は大きく見える。
しかし、くつろいでいる三毛猫は随分と小柄だ。
どうも気にしているらしいから、最近はマンゴジェリーもそのことは口にしない。
ひょろりと体長が伸び、日々街を縦横無尽に走り抜けて運動を欠かさないマンゴジェリーは、
しなやかな筋肉を纏った良い身体つきの雄猫に成長した。
ギルバートは鍛え過ぎなのよと、そう言ったのは相棒のランペルティーザだったか。
血筋というのも大いに関係している筈だが、生憎それの真偽は確かめようがない。
マンゴジェリーはギルバートの両親を知らないのだ。
無論、他の猫たちの親も知らない。それが普通だ。

「毎日毎日熱心だな。そのうち倒れんじゃないか?」
「限界はわかるから問題ない」
「ふうん。今度また何かの舞台出るのか?って、俺今何か気に障ること言った?」

何故かギルバートの鋭い視線に晒されて、マンゴジェリーは思わず怯んだ。

「・・・僕はアンダーだから。準備は必要だけど、出番は無い方がいい」
「それでも真面目に練習するんだな」
「当然だ」

どうもこの三毛猫は可愛げがない。
面倒見は悪くないし、他の猫たちと話しているのを見ると愛想も良いようだ。
だが、先ほどからマンゴジェリーに向ける目は何だか冷たい。
一度それが気になるとずっと気になる。
気になることは引き摺っておけないのがマンゴジェリーだ。
気に掛けておくことが面倒臭い。

「あーっと・・・なあ、ギルは俺に恨みでもあんの?」
「何だ急に。別に誰にも恨みは無い」
「でもさ、さっきから俺に冷たくない?ギルのとこからは何も盗ってないつもりだけど」
「誰の所からも何も盗るな」

どこか可愛らしい仕草で首を傾げるマンゴジェリーに、ギルバートは苦り切った表情でぴしりと言った。
常に微笑を湛えたような少年のような顔つきも、美しく伸びた長い四肢も、抜きんでた身体能力も、
ギルバートが必要としているものを全て持っている赤毛の猫は、
その恵まれた授かり物を活かそうとしたことなど無いに違いない。
優れた身体能力だけはこそ泥稼業に大いに役立っているようだが。

「僕はマンゴみたいに見た目も頭も声も良い男を見ていると無性に情けなくなるときがある。
 特に今みたいにあまり気分が乗らない時は」
「俺ってそんな良い男?誰からも言われたことないけどなあ。
 アホだとか何だとかって罵倒はよく聞くけど」
「それは普段の振る舞いに問題があるだけだ」

ギルバートは大きく溜め息を吐いて座り直した。
目の前では、相変わらず木漏れ日が絶え間なく踊っている。

「つまりギルは俺を恨んでいるのではなく羨んでいるということか」
「素直にそうだというのは癪だから言わない」
「ほぼ言ってるのと同じだけどな」

マンゴジェリーがにやりとすると、ギルバートはおかしそうに笑い始めた。
そうしていると、堅苦しさが取れてまるで少年のように見える。

「おうおう、笑ってる方が絶対可愛いぜ」
「可愛いとか言うな、気持ち悪い」

ぶるりと身体を震わせてギルバートはマンゴジェリーの褒め言葉を一蹴した。
タントミールに言われるのとは訳が違う。
言われた言葉を脳内で反芻し、ギルバートはもう一度身震いする。

「マンゴと話してると悶々としているのが馬鹿らしくなってくるな」
「楽しく生きねば」
「鬱陶しい」
「うわ、辛辣。せっかくのアドバイスなのに」

大袈裟にしょげてみせるマンゴジェリーの姿に、ギルバートは再び笑う。
必要ならば躊躇いなく自分を道化にできるところも、赤毛の泥棒猫の凄いところだ。

「ところでさあ。一つすっげえ気になるんだけど」
「何だ?」
「練習してるときだけ言葉遣い変わってるのは何で?」
「ああ、あれは」

呟くように言って、ギルバートはどこか作り物めいた笑みを浮かべる。
すいと背筋を伸ばして耳と尻尾をピンと立てれば、楽しげな少年の面影は消えた。

「僕のいる世界は上下関係が厳しいのです。
 僕のような若輩者は丁寧で失礼のない態度を取らなければなりません。
 だから劇場にいなくても、稽古の時はずっと俳優モードに切り換えているだけです」
「へえ、こりゃまた見事なもんだ。がらっと雰囲気変わるんだな。
 俳優ってすげえな。ちょっと興味湧いた。今度役付いたら見に行くわ」
「今度のお芝居はジェリーがヒロインで出ますよ」
「ふうん。でも、俺はギルの舞台が見たい。早く役取れよ」
「簡単に言うのですね。まあ、僕も焚きつけられたら簡単に燃えるタイプですし。
 次は必ず何かしら役を手に入れて見せますよ。これから立ち稽古があるのでもう行きます」

そう言って、ギルバートはぱっと立ち上がった。
晴れやかな表情だ。
まるで夏の庭にあるハイビスカスか向日葵が咲いたような。

「単純だな、ギル」
「複雑なのは性に合わない」

にっと笑って、木漏れ日の中を三毛の青年は元気よく駆け出していく。

「・・・熱いねえ。爽やかさ通り越して暑苦しいくらいだ。さあて、もうちょっと寝るか」

思い出したように吹く微風は、決して涼しくはないけれど無いよりましだ。
枝にひっかかるように身体を伸ばしたマンゴジェリーは、あっという間に寝息を立て始めた。

ハンドベルが奏でるグリーンスリーヴスの耳慣れたメロディが
熱の籠もった夏の空に溶けてゆく、そんなある晴れた真昼のこと。

イメージ:Sギルバート&Tマンゴジェリー
ストイックなカンフー青年(中身は少年)とお調子者の泥棒猫(雄)

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Vic&Deme

光の中で生きる子供

昼下がりのジャンクヤードで、ヴィクトリアは小さく溜め息を吐いて身体を起こした。
じっとりと暑く、とてもじゃないが眠れない。
辺りを見回しても、こんなところで眠っている猫たちはいない。
煮えそうな頭で、どこか涼しい場所はあったかと考える。
ひとまずは近場で午後の日の光が届きそうにないところに移動しようと物陰から出たヴィクトリアは、
そこに誰かがいることに気付いて反射的に脚を止めた。

燦々と光り降り注ぐジャンクヤードの片隅で見慣れた橙色の毛並みが動いている。
夕陽の茜色と朝日の白色に、太陽を追いかける向日葵の黄色に夜の黒色、
美しい色を全部集めた美しい雌猫だ。
時々きらりと光るのは首輪のビスだろうか。
何をしているのかとヴィクトリアは慎重に気配を絶って身を乗り出した。
彼女の、ディミータの感覚はこの辺ではピカイチだ。
僅かでも物音を立てようものならすぐに気付かれる。





ディミータはただふらりとジャンクヤードに立ち寄っただけだった。
この炎天下、ボンバルリーナを散歩に誘い出すのは憚られ、
そうかと言って昼寝をする気分でもなく涼を求めて移動していた。
馴染みのゴミ捨て場を横目に通り過ぎようとしたその時、彼女の鋭い目は不思議な物体を捉えた。
ボールを半分にしたような形で薄褐色の、何か。
ふわりと漂ってくるバターの匂い。
ということは、あれは人間の食べ物だ。
ディミータは好奇心の赴くままにその物体に鼻を近づけ、爪で突いた。

「・・・温かい」

誰に言うのでもなく、ただぽつりと呟いたディミータは
その感触が気に入ったのか熱心にパンを転がしたり突いたりし始めた。

大方、どこかで買ったばかりのパンを落としてしまったヒトが、
食べるのを諦めてゴミ捨て場に投げこんでいったのだろう。





ヴィクトリアは戸惑って固まったまま、声を掛けあぐねていた。
目の前でブリオッシュにじゃれている可愛い猫は一体何者なのだろうか。
吊り目がちの整った横顔と、雌猫にしては大柄で女性らしい体つきは確かにディミータだ。
剃刀のように鋭い感覚と、雄猫にすら張り合う負けん気の強さ、
そして確かな腕っ節はヴィクトリアが密かに憧れるところだ。

"ディミータってとても可愛いのよ"
"時々妹みたいに思えるの。頭を撫でて上げたくなるくらい"

ふと、ヴィクトリアの脳裏に誰かが言っていた言葉が浮かんだ。
ボンバルリーナだったか、ジェリーロラムだったか。
あるいはどちらもだったかもしれない。

「なるほどね」

声には出さず、喉の奥でヴィクトリアは納得したように呟いた。
ヴィクトリアの印象に残っているのは、斬り込み隊長よろしく相手に突っ込んでいくディミータの姿だ。
付き合いは短くないはずだが、普段の彼女の姿を見ることはあまりない。
まるで少女のように、ころりころりと不規則に転がる獲物を追いかけて、
思いがけず自分の方に転がってきた時には驚いたように跳び退るところを見れば、
一昨日の明け方に隣町のごろつきと一戦交えたと噂の雌猫だとは思えない。

音も立てずにふくふくと笑ったヴィクトリアだが、
何の前触れも無くディミータが振り向いたことで思わず固まった。

「・・・ヴィクトリア?」
「え、ええ。こんにちは」
「久しぶりね。前に教会で会って以来かしら?」

すっと背筋を伸ばして立つディミータは、その恵まれた体躯と美しい微笑のおかげで迫力がある。
狭い隙間に畏まったヴィクトリアは、精一杯の笑顔を浮かべて「そのようね」と答えた。

「ところでヴィク、これどう思う?」
「これって、そのブリオッシュのこと?」
「ブリオッシュ?何それ、パンじゃないの?」

ヴィクトリアは物陰から出て、眉を顰めて丸いものを突くディミータの隣に並んだ。

「パンには違いないわね。それがどうしたの?」
「これ、食べられる?」
「食べない方がいいと思うわ。私の飼い主さんだったヒトは食べさせてくれなかったもの。
 私の身体に良くないからって。でも、良い匂いよね」

バターの匂いには惹かれるものだ。
更に眉を寄せたディミータは、暫くパンを睨んでからぷいと顔を背けた。

「仕方ないわね、別のを探すわ」
「お腹空いてるの?」
「こう暑いと体力使うでしょ。お腹だって空くわよ、当然でしょう?」

夏バテとは無縁のようだ、とヴィクトリアは感心してディミータの横顔を見つめた。
あまり機嫌が良く無さそうなのは空腹の所為なのかもしれない。
ますます少女のようだ。

「私もお腹が空いたわ。ちょうどスキンブルが戻ってきているからネズミ狩り手伝わない?
 ストレス解消になるし、食料も手に入って一石二鳥よ」
「いいわね」

言うが早いか、ディミータは駆け出した。
ヴィクトリアも慌ててついてゆく。

「ディミ、暑いから日陰に入りましょう」
「いいじゃない、こっちの方が早いし。それにキラキラした太陽の光っていいものよね」

楽しげに笑みを浮かべて、ディミータが太陽の下を駆けてゆく。
その後ろを、銀の毛並みを煌めかせてヴィクトリアが追いかける。


夏に輝く少女のように、美しい雌猫が夏空の下を疾駆する。

イメージ:Aディミータ&Hヴィクトリア
図体が大きいのに子供っぽさの残る剃刀猫と笑顔の可愛い元気な白猫

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Rumpus&Cory

穴の底にいればすべてが明るい

全てが崩れ落ちたのかとさえ思ったのだ。
一瞬にして世界は暗転し、足許はふにゃふにゃと心許なく、耳鳴りもする。
こんなことになるならば、夕ご飯をたらふく食べておけば良かった。
まさか、あの路地裏のゴミ箱にあった人間の残飯が最後の晩餐になるなんて。

・・・そこまでいうのは少々大袈裟かも知れないけれど。






コリコパットは少し収まってきた耳鳴りを払ってしまいたいかのように頭を振って、
心底うんざりしたように溜め息を吐いた。

「なんでこうなるんだ」
「大丈夫、俺がいる」
「全然心強くない現状を突きつけてくれてサンキューな」

狭くて暗い世界。
傍にいるのは親友と呼んでも良い存在だ。
暗いが真の闇ではないこの場所で、その親友の目は相変わらず楽しげに煌めいている。
憂うべきこの状況を憂うことも厭うこともしていないその男はランパスキャットだ。

「何とかなるって。悲観したところで何も変わらないだろう?」
「だからって楽観的に見てもどうしようもないし」
「そういう後ろ向きな台詞はお前には似合わないなあ」

にやりと笑う白黒ぶちの雄猫を睨み付け、コリコパットは低く唸った。
悲観しても楽観しても何も始まらないのは彼もよくわかっている。
状況を考えるよりは行動に出た方が早いと思っているのは二匹とも同じだ。

「んー・・・とりあえず足場確保するか」

辺りに目をやりながら呟くランパスキャットには焦りというものがない。
これを落ち着いていると評すべきか、暢気と批判すべきかコリコパットにはわからない。
こんなでもサブリーダーだというのだからこの世はわからない。

「何で」
「うん?」
「何でランパスがサブリーダーなんだろうって、今ちょっと思った」
「今更?」

確かに今更なのだが、コリコパットは頷く。
ランパスキャットは僅かに首を傾げた。

「俺よりちょっと年が上ってだけだし、鈍くさいし、馬鹿ばっかりしてるし」

ただ、誰より立派な体躯の持ち主ではある。
あのマンカストラップよりも体格では勝っているくらいだ。
見た目の通り、腕っ節も強い。
おまけにそこそこ男前なのだ、寄ってくる雌猫も多い。
嫉妬かもしれない、とコリコパットが考えたのは一度二度のことではない。
ちなみに、コリコパットも整った顔立ちと根っからの明るさで年上の雌猫からのウケは良いのだが、
弟のような存在に見られていると彼自身が思っている間はどのようにも進展しようがない。

「ちょっとって、俺はコリコよりはけっこう上だと思うけど」
「鈍くさいのと馬鹿なのは否定しないのかよ」
「それはよく言われるから、最近そうなのかもしれないと思い始めた」

あっけらかんと返ってきた内容にコリコパットは束の間言葉を失い、大きく溜め息を吐いた。
耳鳴りはおさまったが、微かな目眩を覚えていた。

「ランパスが次期リーダーなのかと思うと泣きたくなる」
「は?俺はリーダーにはならないぞ。別にマンカスからもそんなこと言われてないし」
「だって、年齢的にもランパスが次のリーダーになったっておかしくないだろ?
 そのつもりでマンカスだって補佐につかせたんじゃないのか?」

マンカストラップが唐突にランパスキャットを補佐的な位置に就けたのは少し前のことだ。
のんびりしたところはあるが、開けっぴろげで親しみやすい性格であることは確かだ。
喧嘩の腕前だけは確かだし、敢えて苦言を呈する者もいなかった。

「むしろ、リーダーの代わりをすることは期待してないとか言われたくらいだな。
 大雑把すぎるし喧嘩っ早いからトラブルの元になるだろうとか散々言われた」
「だったら何のために?」
「守るために。武器でもいい、盾でもいい、暗闇の向こうから来る脅威から皆を守ってくれだとさ」

珍しくまじめな表情でランパスキャットは答えた。

「幸いなことに俺は勘は悪くない」
「勘の良さなら俺の方が上だけど」
「その辺はコリコと勝負するつもりはない」

誰もが一目置く勘の良さと機敏さをコリコパットは持ち合わせている。
それ故に突っ走りがちになり、マンカストラップを始め年上の猫たちに窘められることもしばしばだ。
正義感の顕れだと取ることもできる。

「リーダーにはお前がなればいいじゃないか。俺より断然資質は上とかマンカスも言ってたし」
「けど、俺はマンカスみたいに強くない。身体だって大きくならないし」
「大丈夫、俺がいる。喧嘩は任せとけ」
「さっき似たような台詞聞いたけど、喧嘩ってとこに限定するならちょっとは頼もしく聞こえる」

にっと笑ってコリコパットが言えば、ランパスキャットは不服そうに眉を寄せた。

「マンカスはよく判ってるよな、ちゃんとみんなのこと見てる。
 ランパスが時々血を見たくなるような暴力的な衝動に駆られるのだって知ってるんだ」
「かもな。何か流血沙汰起こしても、役目にかこつけて言い訳できる道を拵えてくれたわけだ」
「結局マンカスはランパスも守りたいんだよな。あーあ、すごいよなあマンカスって。
 そんなこと考えながら毎日マンゴとランペル追っかけてシラバブとタガーの面倒見てさ」

シラバブとタガーを並べるのは不自然な筈なのだが、
そこはランパスキャットからも突っ込みは入らない。
賢く愛らしいシラバブよりも、厄介で天の邪鬼なプレイボーイの方が手は掛かるくらいだ。

「マンカスもここまで来るには色々あったみたいだからな、
 こんな他愛もないトラブルなんてたいしたことないのかも知れない」
「それって、ランパスもそうだろ?喧嘩猫って二つ名まで付いてさ、何もないわけないだろ?」
「そりゃまあそこそこやらかしたのは否定しない。肉体的にも精神的にも瀕死だったこともあるし。
 でさ、死にかけながら思ったわけだ。どん底にいたら、他のものが全て輝かしく見えるってな。
 もう何も失うものも無いし、大抵のことには動じなくなるし、平気で身体も張れる」
「なるほど」

呟きながら、コリコパットは首を反らせて上を見た。
暗くそそり立つ壁の上に少しいびつな丸に切り取られた夜空がある。
さして明るくない月夜だったが、暗い穴の底にいれば仄かに明かりが灯っているようにさえ見えた。

「で?何でこうなったか心当たりは?」
「さあな。昨日昼寝の邪魔してきたから尻尾に噛みついてやったんだ、その意趣返しかな。
 しかしまあ、落とし穴なんてありきたりかつ原始的なトラップだな。
 大方あのバカの陰謀にミストが手を貸したってとこだろう」

猫がこんなに深い落とし穴を掘れるはずがない。
地面を掘るのが得意な犬でも無理だろう。

「その原始的でありきたりなトラップに見事に引っかかった上に俺まで巻き込むなんてな」
「そこはほら、一蓮托生ってヤツだろ?これくらいの高さなら上れる。
 それにミストのことだからどこかに足場作ってくれてるだろうし」
「ほんと楽観的だよな。前向きだって言い換えれば良く聞こえるだろうけど」

何度目かわからない溜め息をついて、コリコパットはランパスキャットの上で座り直した。
ちょうど白黒猫の上に落ちたのだ。狭い穴には並んで座るほどのスペースもない。
道連れにされたのだから暫く乗っかっていても文句を言われる筋合いはないと開き直ってはいたが、
あまり動かないように気を遣ってもいた。

「あ、ほらそこ。でっぱりがあるから脚掛けてみろよ。最初さえ勢い付けりゃ何とでもなる」
「そうだな。じゃあお先に」

コリコパットは身軽に穴をよじ登っていく。
さすがマジシャンが作った穴だけあって壁がしっかりしている。
感覚としては木登りをしているのと同じだ。
ほどなくして、見慣れた景色の中に飛び出すことができた。

「ランパス!上がって来いよ!」

そう言いながらコリコパットは穴を覗き込んだ。
その時既にランパスキャットは壁を登り切って外に飛び出そうとしていた。

そして---








フリダシニモドル

イメージ:Hランパスキャット&Iコリコパット
長身で男前の中身が少年の喧嘩猫と涼しい顔したお兄ちゃん

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Tanto&Rumpl

むしろそれは強くない方が良いの

一日中太陽の光が届かない土管の中は、じめじめとさえしていなければ涼しくて快適だった。
明るいジェミマの声が先ほどから聞こえていて、
その元気な少女を相手にしているジェリーロラムは偉いものだ。
うつらうつらと微睡みながら、タントミールは親友に賞賛の言葉を贈った。
それが夢であれ現実であれ、ジェリーロラム自身に届いていないことは確かだ。
ふわふわと夢うつつのタントミールが本格的に寝る体勢に入ったその時、
一陣の風と泥臭い匂いが彼女の眠気を一気に吹き飛ばした。

「疲れたぁ」
「誰!?」
「あ、タントいたんだ。ごめんね邪魔した?」

泥の匂いを漂わせる黒い影は、さほど悪びれない様子で謝罪の言葉を口にした。

「・・・ランペル?何、その匂い」
「あ、臭い?そうよね、アタシはもう麻痺しちゃっててよくわかんないんだけど」
「臭いというか、どこで泥遊びしてきたのかと思ったの。側溝にでも落ちた?」

昨日は雨が降っていた。
側溝に溜まった水が引くまではもう少しかかるだろうし、水嵩が減っても泥は暫く残る。
この辺りで盛大に泥を被るとすれば、側溝に落ちるか水辺で遊ぶかくらいだろう。

「わざとね」
「何故?」
「ちょっとミスして犬に追いかけられてね。捲くのに手間取っちゃった。
 ほんとしつこくて、匂い嗅いで追っかけてくるのよ。
 仕方ないから浅く水が残ってた側溝が見つけてそこに下りて逃げたの」

確かに、水に入れば匂いは消えるし足跡も残らない。
だが、タントミールにはその選択肢はあり得なかった。
ちょっとの雨でさえ厭なのに、水の溜まっている所に自ら飛び込むなど考えられない。

「無事で何よりだけど、また危ないことしていたのね」
「ミスさえなければ良かったんだけど、たまにはこんな時もあるわね。
 あとでマンゴ探して謝らないと。あ、マンカスには内緒にしといてね」
「言わないわよ。彼の臓腑が痙攣なんて起こしちゃマズイもの。
 でも、あんまり危ないことはしないでね。私だってランペルが怪我するのは見たくないわ」

寝ようとしていた中途半端な体勢を変えながら、タントミールは穏やかに微笑んだ。
外は明るいから、薄暗い土管の中でも表情はランペルティーザに伝わったようだ。
黄色の虎猫はちょっとだけしょげたように茶色の耳を下げた。

「性分だから仕方ないのよね。獲物は何でもいいの。人にとってはガラクタでもいい。
 どうやって狙った物を手に入れるか、考えてる時とやってみる時が本当に楽しいし」
「リーダーが聞いたら青筋立てて憤りそうね。それで、今回はどこに行ってきたの?」
「北の大きな教会がある街に。あの辺は猫が少なくて喧嘩しなくていいし、大きな家が多いから楽しいの」

タントミールはランペルティーザの言う北の大きな教会に心当たりがあった。
かつて、彼女が飼われていたころはその教会の近くに家があったのだ。
確かにあの辺りは裕福な家庭が多く、一軒一軒が家も庭も大きい。
飼い猫は多いはずだが、野良猫はほとんどいなかったはずだ。
とは言え、行って行けない距離ではないにしても気軽に脚を運ぶような場所ではない。

「そこから走って戻ってきたの?」
「そうよ。さすがにちょっと疲れたわ」
「ちょっとって。すごいわね、ランペルは。さっきも全然息上がってなかったし」
「体力と瞬発力がなければ泥棒稼業は無理だからね」

ランペルティーザは胸を張って言ってのけた。
感心して良いものか判断が付きかねて、タントミールは曖昧に微笑むにとどまった。

「暑いから動きたくないのもわかるけど、タントはもうちょっと体力付けた方がいいよ。
 ジェミマほど走り回らなくてもいいと思うけど、食欲まで落ちるともっと大変になるし」
「それ、おばさんにもジェリーにも言われたわ。身体が弱ってしまう前に何とかしなさいって。
 ランペルなんか四六時中動き回っているものね。私ももう少し体力付けて強くならないと」
「そうそう。まあ強さはそこそこでいいかな。
 だってちょっとか弱そうな女の子の方が守ってあげたくなるでしょ?
 ていうか守ってあげたくなるような女の子になりたかったなあ」

何を夢見ているのか、うっとりとしているランペルティーザをタントミールは不思議そうに見やった。

「ランペルって守ってあげたくなるくらい可愛いわよ。少なくとも私はそう思うわ」
「そう?でも、何か理想と違うのよね。タントを守るギルみたいになってとまでは言わないけど、
 "俺の背に隠れていろ!"くらいの気迫で守られるとときめくよねー」
「ギルは一生懸命なのが素敵なところなのよ。マンゴはいざと言う時に頼れそうだからいいじゃない。
 それに、お互いに対等っぽくていいじゃない」
「タントはギルのこと話すとき幸せそうよね。対等というと良い響きなんだけど。
 背中を見てるからこそ格好いいと思う時ってあるのよね。肩を並べていたらわからないこと。
 マンカスはあれだけアタシたちのこと怒るけど、それでも背中に庇われると格好いいと思うし」

少し口を尖らして言うランペルティーザは、それでもすぐに笑みを浮かべた。

「まあいっか。ちょっと頭足りて無さそうで、でも実はすっごく切れ者で足が早くて、
 アタシと一緒に無茶してくれるマンゴがやっぱり一番好きだから」
「きっとマンゴが聞いたら泣いて喜ぶわ。そしていざという時はランペルのこと一番に守るはずよ」
「当然!」

ランペルティーザとタントミールは暗い土管の中で声を立てて笑った。
狭い管の中で、笑い声はよく反響する。

「なあに楽しそうにしてんの?って、何の匂い!?」
「ランペルじゃない。泥遊びでもしてきたの?」

笑い声につられたのか、土管を覗き込んだジェミマとジェリーロラムがそれぞれに疑問を口にした。
ランペルティーザは犬に追われて逃げたのだと説明する。

「匂うみたいだし、取りあえず洗ってくる。これだとマンゴにも変な顔されそうだし。
 それじゃあね、タント。ちゃんとご飯食べて運動しなさいよ」
「わかった」

しっかり者のランペルティーザを苦笑しながら見送ったタントミールは、
そこそこ涼しい土管から嫌々ながらも外に出て少しだけ後悔した。

「暑いわ」
「夏だし」

呟けば、ジェミマから即突っ込みが入る。

「走り回ったら暑さを忘れるかしら」
「余計に暑さを実感するわね。途中で止まらなければいいでしょうけど」

さらなる呟きに、ジェリーロラムから的確な答えが返る。

「お腹空いたわ」

昨日から何も食べていないことを思い出して、タントミールはぽつりと言った。
それを聞いたジェミマがにっこりとする。

「いっぱい食べて、寝て、夜にまた遊びましょう。今度はタントも一緒ね」
「おばさんがいつでもおいでって言っていたわ。今から行きましょう」

ジェリーロラムがタントミールを促して歩き始め、ジェミマもそれに続いた。
炎天下の街を、うまく影を探しながら歩いて行く。

たくさん食べて、たくさん遊んで、たくさん眠る。
そして明日には今日よりちょっと強い子になる。




それでもたぶん。




川縁で水に前脚を浸しながらランペルティーザは土手を行くマンゴジェリーを見ていた。

「強くない方が良いときもあるよね」

Yランペルティーザ&Oタントミール
お転婆と見せかけてしっかり者の泥棒猫(雌)とひたすら可愛い女の子

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Mac&Skimb

ここなら幸せになれると誰かが言う

早朝の駅に滑り込んだ列車からぽつぽつと下りてきた人々は、
土砂降りの雨に眉を曇らせて荷物を抱えて車内へと引き返していく。
到着してから暫くの間は、さっさと下りてしまおうとゆっくり朝食を取ろうと乗客たちの自由だ。
急ぎでない客たちは傘があっても到底役に立たなさそうな状況を見て取ると、
無理に出て行くことはせず、ほとんどの人々が列車に残っているようだった。

『スキンブル、お疲れ様。ちょっと休んでおいで』

幾人かの急ぎの客を見送って、まだ若い寝台車の車掌がスキンブルシャンクスの頭を撫でる。
茶虎の鉄道猫は、わかったとでも言うように一つ鳴いて茶色の尻尾を揺らした。

『良い子だ、外に出るんじゃないぞ。濡れるからな』
『良い子ってお前、スキンブルはお前より断然仕事ができるんだ。子供扱いは失礼だぞ』

恰幅の良いベテラン車掌が声を上げて笑うのを聞きながら、
スキンブルシャンクスは足取りも軽く駅長室の方へと駆けていく。

「元気だな」

まだお客さんが残っているから眠り込んでしまうわけにもいかないなと考えながら
2段分の段差を飛び降りたスキンブルシャンクスは、急に降ってきた声に驚いて脚を止めた。

「誰かいるのかい?」
「ここだ」

低い声がして、人気のないプラットフォームのベンチから大きな猫がひらりと下りてきた。
目を瞠るほどの立派な体躯は、その重さを全く感じさせないほど柔らかく着地する。

「無事で何より」
「うん、ありがとう」

誰だっただろうか、とスキンブルシャンクスは脳内のメモリをスキャンしていく。
知っている顔だ、余所の街で行き逢う猫たちに比べれば見る回数は圧倒的に多い。
それなのに、名前を聞いた記憶がないのだ。

「来てくれて嬉しいよ、紅茶でもどうだい?」
「いや、人間の飲み物は口に合わないから遠慮する」
「そう?残念だな。ところで、暫く話し相手になってくれないかな。
 お客さんの見送りをしないといけないんだけど、このままぼうっとしていると寝ちゃいそうだからさ」

スキンブルシャンクスは爽やかに微笑んだ。
これは営業スマイルなどではない。彼が持って生まれたものだ。
大きな雄猫は、僅かに目を細めて小さく頷いた。

「良かった、それならもうちょっと向こうに行こう。ここは雨が入ってきそうだからね。
 そう言えば濡れてないみたいだけど、ずっと駅にいたの?」
「昨夜から天気が怪しかったから退避していた。そしたらこの土砂降りだ」

雨の勢いは止まるところを知らず、街を温い水で覆っている。
低い雨雲は濃い鼠色で、まだまだ止みそうにない。

「数時間前までは雷も鳴っていた。列車が止まらなくて良かったな」
「へえ、そうだったんだ。本当に、列車が無事にここまで来られて良かったよ」

スキンブルシャンクスは、雄猫を駅長室の近くにあるベンチに連れて行った。
近くには列車待ちをしている客も、列車から降りてくる人を待っている客もいない。
静かな分、建物を叩く雨の音は妙に耳に付いた。

「暑いね」

身軽にベンチに飛び上がりながらスキンブルシャンクスは呟くように言う。

「その小さいなりでなかなかのジャンプ力だ。
 さほど肉体派には見えないが筋肉も綺麗に付いている」

鉄道猫の言葉には応じず、大きな黄色の猫は綺麗な弧を描いてベンチに飛び乗った。
潜在的な身体能力の凄さを垣間見せる雄猫に、スキンブルシャンクスは苦笑を向けた。

「毎日揺れる列車でふんばりつつ、ネズミ追い回して荷物運んでいるからね」
「なるほど。案外ベテランというわけか。近くで見るとさほど若いというわけでもなさそうだし」
「君ってさり気なく失礼だね。まあね、実際そんなに若くもないよ」

ふっと息を吐いて、スキンブルシャンクスはベンチに腰を下ろした。
黄色の大きな猫はゆったりとそこに座る。

「若い頃から乗っていたのか?」
「うんと小さい頃からね」
「どこか余所の街へ行こうとは、思わなかったのか」
「え?」
「この街は住みやすいか?居心地がいいか?戯れられる仲間がいるのか?」

どこかを見つめたまま問う雄猫をちらりと見て、スキンブルシャンクスは小さく首を傾げた。
少しばかり逡巡して、ゆるりと笑みを口の端に浮かべる。

「他の街にも話をする友達はいるよ。終着駅には眠る場所だってある。
 でも、列車はいつもここから出発してここに戻ってくる。余所に行く理由は無いよ。
 ここが良いんだ、ここが特別なんだって僕の中でいつも誰かが囁くんだ」
「そうか」
「君もそうじゃないの?いつもここの街に戻って来るでしょ?
 理由は僕とは違うだろうけれど、何かが君を引き止めているんだろ思うんだ。
 この感覚って、街を離れないみんなにはわからないだろうけどね」

にこにことする鉄道猫の横で、黄色の猫は幽かに笑みを見せた。

「お帰りって迎えてくれる場所があるっていいよね。
 お帰りスキンブルってね、みんな言ってくれるのが嬉しいんだ。
 君も言って貰ってる?お帰り・・・えーと、名前は?」
「名前?好きに呼べばいい」
「好きにって言ったって・・・」

僅かばかり眉を顰めてスキンブルシャンクスは黄色い猫を見上げた。
街で一番大きなランパスキャットと比べても勝るとも劣らない体格の持ち主だ。
小柄なスキンブルシャンクスでは、自然と仰ぎ見ることになる。

「名前が無いなんて不便だと思うけど」
「名はある。だが、呼び名など周りが識別するために付ける記号のようなものだ。
 だったら何でもいい。好きに呼べばいい」
「別に強要はしないけどさ。僕には教えてくれないのかと思うとちょっと寂しいよね」
「誰に教えたこともない。でも、たぶんお前も俺の名は知っている。俺は案外有名でね。
 ただ、それは本当の俺の名前じゃない」

黄色の猫は血のように赤い双眸をゆるりと閉ざした。

「君の本当の名前は、まだ誰にも言っていない?」
「ああ、言わないね。お前だって言わないだろう?
 自分の名について瞑想し、天上に昇る日について夢想する。
 猫ってのは暇な生き物だな。」
「でも、悪くないでしょ」

くすくすと笑って、スキンブルシャンクスはそのガラスのような青い目で駅舎の屋根を見上げた。
屋根を越えて空の向こうのまだ見ぬ世界に思いを馳せる。
猫の心は、その名を想う。

「鉄道猫、寝るなよ」
「ね、寝てないよ。ちゃんと目だって開けてるし」
「目を開けたまま寝るヤツだっている。正にお前のようにワーカホリックのヤツに多い」
「大丈夫だよ、寝ないよ。でも」

寝たら起こして、とスキンブルシャンクスは呟くように言って悪戯っぽく舌を出した。
片目を開けてそれを見ていた黄色の猫は、鼻を鳴らして再び目を閉じた。

「甘えるな」
「えー、冷たいなあ」

口を尖らしている鉄道猫を、薄めを開けてそっと盗み見た後、
マキャヴィティは密かに笑って視界を閉ざした。
名前など記号に過ぎなくて、そしてその名前は決して好きではないけれども。
その名を呼んで彼をこの街にとどめる者がある。

その声はいつも言うのだ。
きっとここにお前の幸せがあるのだと。

街を離れてもその声は聞こえ続ける。
いや、街を離れるからこそ聞こえ続けるのだ。





「まだ行かなくて良いのか」
「まだ、いいよ」

この街は心地よい。

そして夢想するのだ。
長老猫に、その名を呼ばれ次の命を生きるその時を。





雨はまだ、止まない。

イメージ:Rスキンブルシャンクス&Aマキャヴィティ
ノリのいいちょっとおじさん鉄道猫と長身痩躯の犯罪王

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お題提供:spiritus