暖かな場所
暖かな場所
うらうらとした昼下がり、マンゴジェリーは町はずれの劇場近くにいた。
近いうちに、この辺の家で一働きしようと下見に来た帰り道。
穏やかな風の中に知った声が混じって聞こえて来た。
「じいさん、ご機嫌のようだな。ジェリーでもいんのかね」
伸び始めた柔らかな草をひょいと飛び越え、ほころび始めた小さな花々の間をするりと通り抜けた先には
仄かに赤くなった顔の老い猫と、朗らかに微笑む女性がいた。
「およ、珍しい組み合わせじゃん。酒なら混ぜてくれよ」
「あら、マンゴじゃない。こんな所でどうしたの?」
姿を現すや座に入り込んだマンゴジェリーに驚くでもなく、カッサンドラは薄い桃色の杯を彼に手渡した。
「どうせロクなことはしちゃいないだろうよ」
「ひっでえな、ガス。俺がただのロクでないみたいじゃん」
「違うのか?昔っから手癖の悪い奴だったぜ」
老い猫はほろ酔い加減なのか饒舌だった。
カッサンドラがマンゴジェリーの杯に酒を注ぐ。
「うまそうな酒だな。ん、いい匂いがする」
「お前なんぞにはもったいねえ良い酒だ」
「ありがたく頂戴するぜ」
マンゴジェリーはぐいと杯を呷って一気に酒を飲み干した。
「相変わらず豪快ね。見ていて気持ちが良いくらい」
「そこまで一気にいっちまったら美味いも不味いもねえな」
満足そうに杯を置くマンゴジェリーを横目に、
老い猫は舐めるように酒を飲んでいる。
「俺だって美味い酒くらいわかるさ。酒は好きだしな」
「一丁前に酒がわかるだ?ふん、可笑しくて腹が捩れるわ」
老い猫の悪態に気を悪くした様子もなく、
マンゴジェリーもカッサンドラも苦笑を浮かべた。
「ガスの前じゃあ俺は一生一丁前にゃなれねえな」
「そうかもしれないわね」
アスパラガスにとってはマンゴジェリーはいつまでたっても手癖と口の悪いガキでしかないのだろう。
そういう位置も悪くはない、むしろ甘えることすら許されそうなこの位置がマンゴジェリーは嫌いじゃない。
それは、カッサンドラとて同じなのかもしれない。
だから、こうして老い猫の隣で愚痴のような話に耳を傾けるのだ。
「少し風が出て来たわね。ガス、寒くない?」
「いいや、カッサンドラ」
アスパラガスは緩く首を振って酒瓶を手に取った。
「暖かだ。ここは暖かいじゃないか、なあ」
そして多分、この老い猫にとってもこの関係は心地よいに違いないのだ。
月桂樹の冠
月桂樹の冠
「見事だね。君たちが揃って踊るこの調和をみだりに崩せないよ」
心底感心して、ミストフェリーズは興奮気味に言った。
「僕の入り込む余地なんて無いんじゃないかな、困ったもんだ」
「何を言ってるの?貴方が振り付けたんじゃない、早く合わせましょうよ」
軽く振りを確認しながらタントミールが振り返りもせず言う。
「ここに溶け込んでこそ天才児の呼び名にふわさしいと言うものだわ」
小さくステップを踏みながらヴィクトリアも続いた。
「手厳しいなあ。ま、僕らが揃ったからには月桂冠は間違いなく戴きだ」
今度の満月にはダンスパーティが行われる。
少し趣向を変えようということで、グループにわかれて技を競うことになった。
ダンスの種類は何だってかまわない。
組み合わせは運を天に任せたくじ引きで決まった。
「勝ったグループには月桂冠が贈られます、ですって。嬉しいものかしら」
「目的はダンスを楽しむことよ、ヴィク。景品はおまけでしかないわ」
「それもそうね。ベイリーフならお料理に使えるし」
ヴィクトリアとタントミールは顔を見合わせて楽しそうに笑うと、半分の月の下で軽やかに跳躍し、しなやかに舞い踊る。
「ダンスはこんなに神秘的なのになあ」
喋っていることはあまりに普通で、神秘性なんて欠片もありはしない。
ミストフェリーズは微苦笑を浮かべた。
「まあいいや。月桂樹が手に入ったらおいしいものでも食べさせてもらおう」
一つ楽しみができた。
月下に舞う神秘のバレリーナたちを金色の目に映した黒い踊り子は、
己が立つ場所を見極めながら来るべき勝利の舞を思い描いてゆく。
美しく、大いに楽しみながら、月桂樹の冠を手にするための舞を。
野に咲くヒナギク
野に咲くヒナギク
自分たちを見たディミータが瞠目したのは致し方ない。
コリコパットは思う。
もっとも、彼女を驚かせたのは自分ではなく隣に立っている無愛想な男だが。
「やあディミ、これから出かけるの?」
「い、いいえ。帰るところよ。コリコは?タンブルと・・・何してるの?」
「何してるってわけでもなくて、たまたまそこで会ったんだよ」
つい先ほど、コリコパットがタンブルブルータスに鉢合わせしたその時、
この強面の男は既にその手に愛らしい花を持っていた。
似合わなさ過ぎて二度見したくらいだ。
無論、彼が花を愛でたいから摘んだなんてことはなく
理由の如何はどうあれ彼女はのプレゼントであることは間違いないだろう。
「珍しい組み合わせね。タンブルのそれはヒナギクかしら?」
「ん、そうなのか?名前は知らんが」
タンブルブルータスはあくまで表情を変えずに言った。
ちょっとは愛想よくしたらいいのに。
コリコパットは喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「良い花ね。人の庭に植わっているものよりずっと美しく見えるわ」
ディミータは綺麗に微笑んだ。
素直に綺麗だとコリコパットは思う。
手入れされた庭に咲いたヒナギクも可憐で綺麗だけれど、
野に咲くヒナギクは強さに溢れてより活き活きとした美しさを持っている。
それにもまして、目の前の女性は強く艶やかに思えた。
「綺麗なうちに早く持って行かなきゃね、私も行くわ」
それじゃあと言ってすれ違おうとしたディミータを
タンブルブルータスが引きとめたものだからコリコパットは驚いた。
「これ、やる。美しいと思ってくれたのだろう?」
持っていた花を幾本か差し出すタンブルブルータスを前に、ディミータが再び瞠目したのは、やはり致し方ないことだ。
コリコパットはそう思う。
受け取る理由は無いが、断る理由もない。
ぴしりと固まったディミータがこの後どうしたか、放心していたコリコパットには覚えが無い。
万愚節
万愚節
でも、と呟いたシラバブは小さく首を傾げてボンバルリーナを見上げた。
「嘘はいけないと教わりましたよ」
「ええ、その通りよ」
嘘も方便だとか、そんなことはまだ知らなくていい。
ボンバルリーナは優しくシラバブの頭を撫でた。
「でもね、今日は特別。相手を傷つけない嘘なら吐いて構わないのよ」
「傷つく・・・気がするんですけど」
「優しい子ね、大丈夫よ。彼はそんなに繊細にできてないから」
にこりとされてはシラバブも言い返す言葉が見つからず、そうですかと呟くにとどまった。
ボンバルリーナは待っているのだ。
この教会にやってくるはずの男を。
夜明け頃、街はずれにある彼の塒に乗り込んだ。
勝手知ったる男の寝床にするりと入り込めば、
寝息を立てていたはずの色黒ぶちの猫は億劫そうに身体を起こした。
『寝ていたんじゃないの?』
『塒に侵入されて寝ていたんじゃ俺はもう何百回と死んでいる』
で、何の用だと愛想の欠片もなくランパスキャットは問うた。
『そうね、貴方が強いのは良いんだけど。私、喧嘩っ早いのって好きじゃないの』
『は・・・?』
「ランパスキャットさん、何か言ってましたか」
「考えておく、とか言ってたわね。困っていたわ、可愛いものね」
今日は向こう街へテリトリーの件で出かけることになっていると聞いた。
だから、遅かれ早かれこの教会には報告に来るはずなのだ。
「まだ帰ってこないんでしょうか」
「どうしてるかしらね、彼」
ボンバルリーナは出窓から外を眺めて呟いた。
「バブ、私は彼の喧嘩好きなところだって決して嫌いじゃないわ」
「じゃあ、どうして嘘を?」
「彼はいつだって傷だらけでしょ?私だって、時には心配するのよ」
その報いかしら、とボンバルリーナは口許に妖艶な笑みを浮かべた。
教会の庭にひらりと降り立った白黒ぶちの男に向けて。
リズム
リズム
気が向いたからと教会に立ち寄ったことを、ギルバートはひどく後悔することになる。
長老猫に挨拶をするために奥まった部屋に立ち入って低頭した。
「ご無沙汰しております。オールドデュトロノミー、ご機嫌はいかがで・・・ん?」
「元気そうじゃな、ギルバート。良い処へ来た、一緒に歌って行かんか」
「う、歌!?一緒にって、それはまたご冗談を」
先客がいたのだ。
入ってきたときには気配を感じなかったのだが。
長老猫の隣に黄色い大柄の猫がうっそりと立っている。
「彼もなかなか良い声の持ち主でのう」
「そう、ですか。だとしたら相手が僕では役不足かと思うのですが」
「なに、一緒に歌うことが目的じゃから遠慮はいらんよ」
どうかねと訊かれ、まさか厭ですとも言えず、
さらには黄色い猫にまでじっと見られてはますます否とは口にできなくて、
ギルバートは引き攣った笑みを浮かべながら了承の返事をしてしまった。
「では、ひとまず歌ってみようか」
オールドデュトロノミーの合図に合わせて黄色い猫が歌い始める。
低いが良く通る歌声をしている。
ゆったりと旋律を歌っているところから、徐々に調が変わり始め、アップテンポでリズムが複雑になってゆく。
黄色い猫は尻尾を揺らして何とかリズムを合わせていこうとしている。
「ふうむ、もう少しだがのう。難しく考えすぎじゃ」
ほっほっと長老猫は身体を揺らして笑った。
黄色い猫は眉を寄せて脚でリズムを刻んでいる。
「どうじゃギルバート、そなたはリズム感も良かろう」
「悪くはないと思います、けど」
リズムが取れても音程が取れない、とは言えない。
周知の事実とは言え、声に出しては言い難い。
仮にも舞台俳優のはしくれだ。
「では、歌ってみてくれんか」
「は・・・はい」
なるようになれと歌う。
長老の前で歌うなど、まさかの事態に恐縮したせいかいつもに増して音程が不安定に揺らぐ。
「見事なものだ。そこまで音を外しながらリズムの嵌り具合は完璧とは」
黄色い猫は、僅かに感心したような表情を見せて言った。
「貴方の歌声と僕のリズム感があれば完璧ってことですか」
「そうだな。しかし、完璧なんてものはつまらん」
向かうところがあるから良いのだ、と黄色い猫は呟いた。
そうかもしれませんねとギルバートは頷く。
それを見た長老猫は、何も言わずに優しく目を細めた。