願わくはこのままで
「鬱陶しいわ、雨なんて降らなきゃいいのに…」
「うーん…それはそれでまずくないか?」
毛並みが体に貼り付くような不快感は雨の日独特のものだ。
マンゴジェリーとランペルティーザは一軒家の元でごろごろとしていた。
「舞踏会、晴れるかなあ?」
ふと思い出したように呟くランペルティーザ。
舞踏会に雨が降ったなどと聞いたことはない。
「長老が晴れにしてくれんじゃねえ?」
「そうかなあ…」
マンゴジェリーの言葉は別に冗談のつもりはない。
彼らにはオールドデュトロノミーは神のような存在だ、その力という点に於いては。
「マンゴは誰と組むの?ボンバル?」
「アダージョか?まあな、リーナとは毎年踊ってるし」
「約束取り付けなくてもいいってこと?」
ランペルティーザがちらりと赤毛の相棒を見れば、彼はそりゃまあと素直に答える。
「いいなあ、決まった相棒がいて」
「ランペルも探せよ、コリコはあいてるらしいぞ」
どこから聞き入れたのかマンゴジェリーは意外に情報を持っている。
マンカスも空いてたな~、そういえばシラバブも空いてるとか言ってたっけ…
などといろんな猫たちの情報を並べていく。
「…じゃあバブでいいわ」
「いいのか?まあバブは喜ぶだろうけどさ」
相手が男でなければならないという決まりは無い。
実のところ、ランペルティーザは誰でも良かった。
マンゴジェリーと組みたいと思わなくはない、でもボンバルリーナがいる。
悔しいなんてこれっぽっちも思わないあたり執着がないのだろう。
「あ、ヴィク」
ぼおっと窓の外を眺めていたランペルティーザは親友の姿を見つけて呟いた。
何をしているのだろう、この雨の中で。
「ヴィクもよくわからんな…」
マンゴジェリーにとってもヴィクトリアはけっこう謎が多い。
おっとりしているようでそうでない、少し不思議な存在だ。
「誰かいるわ」
「へえ、雨の中でデートとは風流だねえ」
「そんなこと言ってないで!見に行きましょ!」
いきなりぐいと腕を引かれたマンゴジェリーは体勢を崩しつつも付いていく。
なぜ見に行くのかという考えはこの際どうでもいい。
ランペルティーザが行くと言うのだから行くしかない。
「…誰かいる」
「確かに」
ランペルティーザとマンゴジェリーは低木の影で息を潜めていた。
雨が冷たい。
そんな中でヴィクトリアがひとりでいるというのはおかしいだろう。
誰かと向き合っているならば、ダンスの約束をしているのかもしれない。
何にしろ雨の中というシチュエーションは良いとは言えないが。
「!」
「どうしたの?」
マンゴジェリーが何かに気づいたようにぴくりとしたのをランペルティーザは見逃さない。
そんな問いかけにもマンゴジェリーは眉をひそめただけで答えない。
「ランペル?」
突然、振り返ったヴィクトリア。
驚いたランペルティーザはマンゴジェリーを引っ張ってヴィクトリアの前に出て行く。
「ごめん、邪魔した?」
「いいえ、そろそろ帰ろうと思っていたのよ」
微笑むヴィクトリアにランペルティーザもほっとしたように笑顔を見せる。
そして、目の前に立つ見知らぬ猫を見やった。黄色くて大柄で、静かな空気を持つ雄猫。
見たところタンブルブルータスやランパスキャットと年齢が近いのかもしれない。
マンゴジェリーよりは年上だろうか。
「ヴィク、今日はうちに泊まっていくといい」
泊まっていかないかと誘おうとしたランペルティーザより先にマンゴジェリーが言った。
そうそうと頷くランペルティーザ。
「いいの?」
「うん、体も冷えてるでしょ?マンゴがおいしいスープとか作ってくれるわ」
器用なマンゴジェリーのことだ、すぐに作ってくれるに違いない。
「それじゃあお邪魔するわ」
「いいのよ。ところで彼は?」
ランペルティーザが先ほどまでヴィクトリアと話していた雄猫に目をやる。
何とも言いようの無い雰囲気で、知っている気もする。
特徴はその金色の毛並みと大柄な体躯、そして緋色の瞳。
「今度の舞踏会のパートナーよ」
「そうなんだ、優しそうね」
「ええ」
じっと見られていることに気付いたのか、その雄猫は彼女らに目を向けた。
すうっと細められる瞳。
ぶるっと体を震わせたランペルティーザはふいと視線を逸らしてしまった。
「ヴィク、行きましょう」
「ありがとう」
ランペルティーザはヴィクトリアの手を取ると住処へと引き返そうとする。
素直にそれに従って歩き出したヴィクトリアは、少し進んで振り返った。
「また会いましょう」
「ああ、また今度」
低くてあまり抑揚のない声。
それでもヴィクトリアを見送る目はとても優しい光を宿している。
「マンゴ、行くわよ」
「ああ、先に帰ってくれ」
「早く戻って来てね」
ランペルティーザの姿はほとんど見えないがよく通る声は聞こえる。
可愛らしい声だと思うのは贔屓だろうか。
「…さてと」
ランペルティーザとヴィクトリアが行ってしまったのを確認してマンゴジェリーは大柄な雄猫に向き直った。
「久しぶりだな、マキャヴィティ」
「そうか。この姿で会うのは久しぶりかもしれないな」
どこかのほほんとした感じは変わっていない。
マキャヴィティのこの姿と犯罪王の姿、同じ猫だと知るのはこの街にどれ程いるのか。
「舞踏会、ヴィクと踊るのか?」
「ああ」
「ふうん。いいとこに目を付けたな」
マンゴジェリーの知るマキャヴィティはとても控えめで滅多に姿を見せない男だった。
タンブルブルータスやカッサンドラと仲が良かったようだ。
一緒に話したり遊んだりした記憶はほとんど無い。
それが今になってヴィクトリアとは、やはり美しいものに男は弱いのか。
「一応聞いておくけど」
マンゴジェリーは鋭い光を帯びた目をマキャヴィティに向ける。
雨が激しくなってきた。
「彼女を傷つけたりはしないな?」
「そのつもりは全くない」
答えはすぐに返ってくる。
ただ、彼にそのつもりがなくても彼の中の犯罪王はどうかわからない。
「お前がマキャヴィティだとヴィクは知っているのか?」
再び質問を投げかけると、今度は少し間ができた。
小さく首を傾げる黄色いマキャヴィティ。
「知らない…と思う」
「名乗らなかったのか?」
「聞かれなかったからな」
普通名乗るだろう、というのは自分だけの常識だったかと一瞬考えたマンゴジェリー。
ヴィクトリアにしてもそうだ、普通名前は聞くだろう。
雨に打たれた所為で名前を聞くのを忘れてしまったのか。
「美しいな、彼女は」
低く呟かれた言葉にマンゴジェリーは驚いた。
犯罪王と呼ばれる男の口から、こんなにも普通の感想が出てくるとは。
「好みか?」
少し冗談めかして聞いてみれば。
マキャヴィティの口許に小さく笑みが浮かんだのは気のせいだろうか。
「嫌ではない」
「へえ…遠回しだな」
つまり好みなんだろうと、声に出しては言わない。
ヴィクトリアにはミストフェリーズがいる、なんてことはたぶん知っている。
だいたい親と子くらいの年齢差だし狙っている訳ではないだろう。
「晴れていたら良かったな…少し彼女のダンスを見たかった」
恨めしそうに雨空を仰ぐマキャヴィティ。
彼の中の犯罪王が静かにしているときだけ、彼はこうして街に出てきているのか。
あれはいつだっただろうか。
マキャヴィティがこの街を去る直前くらいだったかもしれない。
その頃マンゴジェリーはまだ幼くて、それでも覚えていた。
タンブルブルータスが必死になってマキャヴィティを押さえつけていたことを。
それを見る回数がだんだん増えていったことも。
喧嘩じゃないというのはなんとなくわかった。
そしてある日マキャヴィティはこの街から出て行った。
内側に潜む犯罪王とたった独りで戦うために。
「俺が彼女を見ている間は犯罪王も静かなもんだ。彼女は本当に美しい」
姿が見えなくなって随分立つというのに、マキャヴィティはヴィクトリアの消えた方に目を向ける。
雨に濡れた金色の毛並みに、今し方ついたばかりの街灯の光があたる。
「あんたもきれいだ」
思わず言ってから、マンゴジェリーははたと口を噤む。
今のはほとんど無意識だったか。
マキャヴィティは何が言いたいのかといわんばかりの視線をマンゴジェリーに向ける。
そして、その緋色の瞳を楽しそうに細めて口を開いた。
「お前はそうでもないな」
「はあ!?失礼なやつだな」
反射的に言い返してはみたものの、よく考えたら別にきれいと言われるような毛並みでも顔立ちでもない。
ランペルティーザが格好いいと言ってくれればそれで満足だ。
「…って、何考えてんだよ俺」
「独り言か?」
くくっと喉で笑うマキャヴィティに、いっそう体が悪いマンゴジェリー。
多少わざとらしく辺りを見回して、といっても雨で霞んで目はほとんど利かないが、再び黄色い猫に焦点をあわせる。
「次会うときもそのままのあんただったらいいんだけどな」
「俺もそうありたいと思っている」
間伐入れずに呟くマキャヴィティ。本心だろう。
ただ純粋にヴィクトリアと踊りたくて街に帰ってきたのだろう。
一次的な帰還かもしれないが。
「雨も強い、そろそろ帰ったらどうだ?相棒が待っているんだろう?」
マキャヴィティは静かに話しかける。
「あんたは帰るとこあんのか?」
どこに住んでいるのか。
遠くか、意外にも近くなのか。
「さあ…取りあえずタンブルのところに行ってみるつもりだ」
「そうか、あいつも喜ぶだろうな」
マキャヴィティが出て行ってから、タンブルブルータスは少し変わった。
その頃子供心にマンゴジェリーはそう感じていた。
「じゃあ戻るよ、あんたも早いとこ体温めろよ」
マンゴジェリーはそれだけ言うと住処に戻っていった。
マキャヴィティのことは気になったけれど、ランペルティーザたちを待たせたままにはできない。
できればこのまま穏やかに時が過ぎますように。
「このままだったらいいんだが…」
雨に打たれ、立ちつくしたままマキャヴィティは呟いた。
自分の内に潜む犯罪王とはまだ戦っている最中だった。
それでも、青い月光の下で舞うヴィクトリアがあまりにも美しくて。
戻りたいと思う気持ちに抗うことはできなかった。
「マキャ、行こう」
「風邪引くわ」
独特な響きを持つ低い声、そして柔らかいアルトの声。
わざわざ来てくれたのだろうか。
「マキャの気配がしたんだ、迎えに来たぞ」
「さあ、帰りましょう」
前身ずぶ濡れで、それでも柔らかい笑みを浮かべるタンブルブルータス。
その隣で優しい微笑みを湛えるカッサンドラ。
「ありがとう」
ほんの一時の安らぎかもしれない。
今だけの幸せかもしれない。
いつまたこの場を去ってしまわなければならないかわからない。
でも、今はそれでいい。
願わくはこのまま穏やかに舞踏会を迎えられますように。
「今日は何にしましょうか」
「カッサが作るなら何でもかまわないよ、マキャは何がいい?」
「…温かいものがいい」
マキャヴィティの言葉にカッサンドラは頷いた。
おいしいものと温もりを彼に。
並んで歩くのはいつ以来だろう。
雨だというのにこんなに嬉しいのはどうしてだろう。
願わくはこのまま。
このまま彼が穏やかに暮らしていけますように。
ランペルティーザとヴィクトリアは親友設定。
タンブルブルータスとマキャヴィティも親友設定。
マンゴジェリーは黄色い猫がマキャヴィティと知っていて、
ヴィクトリアやランペルティーザは知らないという設定。
「願わくは・・・」というフレーズですが、「願わくば」だと思っていました。
日本語というのは難しいです。