おいしい魔法
春の気配が漂い始めた穏やかな昼下がり。
とは言っても、まだまだ空気は冷たい。
ぬくぬくと毛足の長い毛布の上で、ふにゃんと伸びているのはジェミマ。
その隣で、囁くように歌を口ずさんでいるジェリーロラム。
いつもの光景だが、少々面子が足りていない。
その欠けていた面子は、頬を高潮させて塒に飛び込んできた。
「信じらんないっ!」
入り口できんきんとした声が響く。
ジェミマはトロンとした目で、ジェリーロラムは呆れの混じった目で、
同時に声の主の方に顔を向けた。
「タントって信じられないこといっぱいあるよねー」
いつものことだ、ジェミマは眠そうにぽやんと笑った。
口癖よ、とタントミールは息巻いている。
「痴話げんかの話なら聞かないわよ」
ジェリーロラムが興奮気味の親友に冷ややかに水を浴びせた。
そうそう、とジェミマが緩やかに頷きつつ毛布に頬を摺り寄せている。
「な!?誰もギルと喧嘩したなんて言ってないでしょ!?」
「でも、ギルと何かあったんでしょう?」
さらに赤くなったタントミールを面白そうに眺めるジェリーロラム。
「まあ座んなさいよ。寒いでしょ?ミルクティーにする?
そういえばさっきクッキー焼いたの、みんなでおやつにしましょ」
「わあい、おやつー」
数秒前のぐうたらぶりはどこへやら、ジェミマがガバリと身を起こした。
タントミールの興奮は、ジェリーロラムに軽くいなされやり場がなくなったようだ。
憮然としながらも、彼女は言われた通りに柔らかい布の上に腰を落ち着けた。
「準備してくるわね。暖かくしてなさいよ」
タントミールと入れ替わるように立ち上がり、部屋を後にするジェリーロラム。
「ジェリーってお姉ちゃんよね」
「ほんと、しっかりしてるわ」
そして、時折ほんの少しおばさんくさい。
それは声に出さずにおいた。
「私からしたらタントもお姉さんって感じなのよね。
すっごいスレンダーで羨ましいし、ちょっとした仕草が女らしいし、彼氏いるし」
「褒めてもなにもでないわよ」
「いいなあ・・・私だって一度でいいから彼氏と出かけたり喧嘩したりしてみたぁい」
妙に間延びした調子で、うっとりとした表情を浮かべるジェミマ。
夢と想像と空想が膨らむお年頃だ。
そんなもんかしら、とタントミールは微苦笑する。
「ジェミマだってきっと良いパートナーが見つかるわよ」
カップを三つとクッキーを盛った可愛らしい皿を持って、ジェリーロラムが戻ってきた。
ジェミマがぱっと目を輝かせ、いそいそと座りなおしている。
「待ってました!」
「待たせちゃいました」
ことん、と硬い音を立ててお皿とカップが置かれた。
市松模様だったり、渦巻き模様だったり、なかなか手が込んでいる。
おいしそうな甘い匂いと、ミルクティーの良い香り。
楽しくて幸せな時間の始まりだ。
三匹は顔を見合わせて、それから己の両の掌を合わせた。
「「「いただきます!」」」
ジェミマは砂糖をまぶしたクッキーに、
タントミールはココア色の丸いクッキーに、
ジェリーロラムは白いカップに手を伸ばす。
「おいしいっ!」
「幸せ~」
「温まるわぁ」
口々に第一声を発し、揃って花が綻ぶように笑顔になった。
控えめな甘さ、さっくりとした歯ざわり、良い香り。
目と、口と、鼻と、耳でも楽しめる至福のひと時。
「やっぱりお菓子は心の栄養ね、食べてるだけで幸せだもん。
ゼリーとかなら作れるんだけど、焼き菓子は作れないし。
クッキーとかケーキとかいいわよね。ジェリー教えてくれる?」
「ええ、私がわかるものならいくらでも。
私がわからなくてもおばさんに聞けば喜んで教えてくれるわ」
「そうね。でも、私ジェリーみたいにうまく作れる自信ないわ」
ジェミマが僅かに眉を曇らせる。
すると、タントミールが苦笑してジェミマに一枚クッキーを手渡した。
「ジェリーだって、最初からこんなに上手だったわけじゃないわ。
私、よく黒焦げの香ばしすぎるクッキーとか貰っちゃったもん」
「ちょっと、タント!」
「いいじゃない、失敗しながら上手になるっていう良いお手本が目の前にいるのよ。
それに、お菓子をおいしくするとっておきの魔法があるんだから」
ね?と、タントミールが伺い見た先で、ジェリーロラムが頷いた。
「魔法?」
「ええ、そうよ。私は小さい頃にカーバから教えてもらったんだけど。
カーバはカッサから、カッサはたぶんおばさんから」
しゃくしゃくとクッキーを食みながら、ジェミマが首をかしげる。
ジェリーロラムはにっこりと微笑んで、渦巻き模様のクッキーを手に取った。
「ジェミマはどうしてお菓子を作りたいと思ったの?」
「え?どうして、かなあ。お菓子作れるって女の子っぽくて素敵だから、かな」
かじられて欠けたクッキーを持ったまま、ジェミマは考えるようにして言った。
「とても大切な発想だと思うわ。
私だって、女の子はお菓子作りくらいできなきゃって思ったもの。
お菓子を作らなくても、魅力的な女は山ほどいるけどね」
「ディミとかボンバルみたいに?」
「あら、彼女たちがお菓子作りしないとは言ってないわよ」
あんまりしてるのを見たことはないけど、とタントミールがぼそりと呟いている。
彼女らは食べるほうが専門らしい。
ジェミマが今よりもっと無垢で無邪気な少女だった頃、
ディミータとボンバルリーナがお菓子作りをしない理由を
彼女ら自身に尋ねて返ってきた答えがそれだった。
「話が逸れたわね。とかく、きっかけはそれぞれよ。
私が一番最初に作ったのはクッキーで、その時はおばさんに教えてもらったの。
シンプルな、何の飾りも無いクッキーだったけど焼けたときは嬉しかったわ」
「わかるわぁその気持ち。ちょっと不細工でもすっごく嬉しい」
ジェリーロラムの話に相槌を打ちながら、
タントミールも初めてのお菓子作りを思い出しているのだろう。
「自分で作れたことが嬉しかったし、おばさんもたくさん褒めてくれたわ。
ガスにもあげた、ガスがすっごく喜んでくれたことが一番嬉しかったの」
手の中にある渦巻き模様のクッキーを見て、ジェリーロラムは我知らず笑みを深めた。
初めてのクッキーは、初めてにすれば上出来の味だった。
みんなおいしいと言って食べてくれたし、また作ってねとも言ってくれたものだ。
「すごく嬉しかったことをカーバに話したときだったわね。
彼、昔からお料理上手だったのよ。
その彼がね、おいしいお菓子を作る魔法を教えてくれたの」
「カーバねぇ。分かる気もするけど」
ジェミマは、紳士かフェミニストかと問われればフェミニストだろうと思われる
地味な褐色の斑猫を脳裏に思い描いた。
面倒見のいい男だ、少々ロマンチックな思考に支配されている面もある。
あのキャラクターは演じているのか自然体なのか未だに掴みきれない。
ともあれ、“魔法”という言葉を口にしても、それほどおかしくはないだろう。
「“食べてもらいたい、喜んでもらいたい誰かの笑顔を思い描いてごらん。
それだけで幸せになれるだろう?その幸せをお菓子に混ぜるんだ。
おいいしくなあれって願うことでね”って、そう教えてくれたの」
「それだけ?」
「ええ、それだけ。疑うならジェミマも試してごらんなさい」
ジェリーロラムの笑顔に嘘偽りはないと思っていても俄かには信じがたくて、
ジェミマは困ったようにタントミールに目を向けた。
「本当よ、ジェミマ。だって、そうでしょ?
誰かの喜びを想像するだけで、おいしく作ろうって努力するし工夫もする。
何度も何度も練習すればそれだけ上手にもなるじゃない」
「そういうことなのね。そっか、そうよね。
何か目標とかあった方が作りがいもあるもんね」
温かいミルクティーでほっと一息吐いて、ジェミマは二匹の姉猫たちを見やった。
「わたしもお菓子作るわ。まずはジェリーとタントに食べてもらうの。
絶対においしいって言わせて見せるわ!」
「まあ、それは楽しみね」
「ちょっと厳しく採点しちゃおうかな」
ジェリーロラムとタントミールは嬉しそうに微笑んだ。
「いくらでもどうぞ。でも、タントは間違いなくおいしいって言うわよ。
目標はバブにおいしいって言わせることよ」
「どうしてバブなの?」
「小さい子は容赦ないからよ。バブがおいしいならきっとみんなおいしいわ」
そうねえ、とジェリーロラムは苦笑を浮かべつつ頷いた。
「マンゴとランペルもけっこう素直に意見言ってくるわよ」
「ああ、そうね」
思い当たることでもあるのか、タントミールも苦笑している。
「自信ついたらランパスとかマンカスにもあげるの。
いつもありがとうって伝えたいから。
長老とおばさんと、あとカーバとかスキンブルも」
「数えていったら全員になっちゃうわよ」
「そうかも」
それでもいいわ、とジェミマは破顔して言った。
上手にお菓子を焼けるようになること。
親友においしいと言ってもらえること。
大切な仲間の笑顔に出会えること。
今から楽しみで仕方ないのだ。
「いつかジェリーとタントに追いつくから!」
「楽しみね。そうなったらおやつの時間は当番制にしなきゃね」
「それって、私もそのローテーションに入るの?」
まだ訪れない未来の話に花を咲かせる娘たち。
それでも、その未来は決して遠くはないはずだ。
もうすぐ花の季節がやってくる。
庭が、街が、大地が、良い香りに包まれる時、
どこかから甘い匂いが漂ってくるかもしれない。
その先にあるのは、明るい声と弾ける笑顔に満ちた未来だろう。
女の子が集まるとお菓子は必須!
だからってお菓子な話ばっかりって気もしますが。。
うちのカーバは器用な設定。
ジェリーロラムは何でもできる素敵な女性。
みんなの憧れるようなお姉さんであってほしいなあと。