精霊の忘れ物 of Jellicle Banquet

ようこそ!

最終更新日: 2018-11-11
テキストサイズ 小 |中 |大 |

HOME > Gallery > Novel > 精霊の忘れ物

「どうやら迷い込んだものがいるようじゃな」

夜明け前、オールドデュトロノミーの言葉を聞いたのはシラバブだけ。

「シラバブや、迷えるものを救ってやれるかね?」
「迷えるもの、ですか?」

シラバブは少しだけ首を傾げて長老猫を見る。
オールドデュトロノミーは、日だまりのように暖かな笑顔で頷いた。

「迷えるものを元の世界に戻す手助けじゃ。どうかね?」
「はい!やってみます」


精霊の忘れ物



雨があがって、優しい色の夕暮れが訪れた。
少し冷たい風がわずかに毛並みを揺らす。
静かで少しだけ寂しい黄昏が、なぜだか心を打つのだ。

「水溜まり、好きなんですか?」

不意に声を掛けられてアロンゾは顔をあげた。
そこにいたのは幼いクリーム色の仔猫。
警戒心というものがないのだろうか、見ず知らずの猫に声を掛けるとは。

「初めまして。シラバブです」
「…初めまして。俺はアロンゾ。いいのか?俺なんかと話していても」

挨拶の仕方など、きちんと躾けられているということは保護している者がいるということ。

「えっと…シラバブだっけ?知らないやつには近づくなと教えられなかったか?」
「そういうアロンゾさんこそ、よそのテリトリーに勝手に入ってはいけないと言われていないのですか?」

無邪気な笑顔にアロンゾは返す言葉もなく、再び視線を水溜まりに落とした。

「きれいだと思わないか?」

唐突な言葉にも何がと聞くことはせずに、シラバブはアロンゾと同じように水溜まりを見る。
淡い朱と桃色が混じったような、優しい色の雲が映し出されている。
空というキャンバスを映す鏡、それもほんの一部だけ。
風が吹けば風紋にかき消される、そんなはかない雨の精の忘れ物。

「きれいです、とても」

うわべでなくて心からの感嘆。
アロンゾにはシラバブのその言葉も、その声も、きれいだと感じられるその心も、全てが清らかで愛らしかった。
碧の瞳に映される朱色が、甚だミスマッチのようでもあり、これ以上ない最高の取り合わせだとも思えた。

「ところでアロンゾさんはここで何をしているのですか?」

純粋な問いかけなのに、アロンゾは答えに窮した。
さわりと吹く風が、水溜まりの中の空を散らす。
応えの代わりに、ただ思いつくままに言葉を紡いでみる。

「水溜まりは心の鏡なんだ。
 雨には精霊が宿っていてな、その精霊が雨上がりに鏡を置いていくんだ。
 その鏡は俺達の心を映す。
 俺は今日、とても不思議な気分だ。だからこの水溜まりに映るものが不思議なものに見える」
「だからずっと見つめていたのですね」
「そういうことだ」

アロンゾは小さなため息を吐く。
朝起きたら知らないところにいたなど、誰が信じるだろう。

「さっきの話ですけど…」
「何だ?」
「一度聞いたことがあります」

シラバブがにこりと笑う。
アロンゾは唖然として可愛らしい笑顔を見た。
あれはアロンゾが勝手に思っていることで、そんなおとぎ話が存在するとは聞いたことがない。

「そんなファンタジーなのはどこのどいつだ・・・」

呆れたように呟いたアロンゾに、シラバブは楽しそうに笑う。

「アロンゾさんに似ている方ですよ。白黒のブチで背が高くて無愛想で」
「・・・無愛想とは心外だな」

苦い表情のアロンゾ。
これでもさわやかな青年だと自分では思っているのだから。
そしてやっぱりシラバブは笑う。

「だってアロンゾさんはさっきから一度も笑っていないじゃないですか」

例えば、寝て起きたら黒猫に変わっていたとして、そんな状況でシラバブはニコニコ笑っていられるのか。
アロンゾはそんな問いかけをしようとして思いとどまった。
いくら見た目の幼さに似合わずおとなびた仔猫とはいえ、状況論をふっかけてどうなるというのだ。

「・・・なんだかな、俺にもよくわからないんだけど目が覚めたらこの街にいたんだ」
「ゴミ収集車に一緒に回収されたとかではなく?」
「だったらもう帰っている」

アロンゾは静かな水溜まりを見つめる。

「俺はこの街をよく知っている。だけどここは俺のまったく知らない世界だ」

本当に不思議なことだ。
家の並びも、道の交わりも、全部がいつもと変わりないのに。
パラレルワールド、という言葉が脳裏に浮かぶ。

「困ってますか?」
「当然のように困っている」

自分が根なし草の放浪者ならどうなろうがたぶん構わない。
しかし、自分には守るべき仲間もいれば愛すべき彼女もいる。
戻りたいのだ、自分のいるべき場所に。

「アロンゾさん、困っている時は長老に会うのが一番ですよ」

考えこむアロンゾを覗き込んで、シラバブはにっこりと微笑む。
ああ、精霊がいたらきっとこんな感じなのだろうと彼は感じていた。
アロンゾはややロマンティストの気があるようだ。

「行きますか?案内しますよ」
「そうだな、頼むよ」

藁にもすがる思いというのだろうか。
違うな、と胸中でその考えを否定する。
きっと帰れるとどこかで思い続けていて、そんなわずかな希みを確かな希望に変えてくれたのがシラバブで。
長老とかいうのがきっと何かの道を示してくれるのだろう。

「日が暮れそうですね。行きましょう!」
「ぅわっ…!?」

小さな手にぐいっと引っ張られてアロンゾは思わす声をあげた。
シラバブはそのまま走り出して、腕を掴まれたアロンゾは少し不自然な格好のまま付いていくことになった。

小さな脚が軽やかに水溜まりを飛び越える。
飛び損なった大きな脚が水溜まりに波紋をつくる。
ぱしゃんと音がして、紫を帯びた空が弾けた。

日が落ちかける街の雨。
精霊の忘れ物も、今は希望と暖かな光で輝いている。


LinkIconメニューに戻る


アロンゾがロマンチストになってしまいました。
ナルシストでこそあれ、ロマンチストってのはどうも違う気がしますが。

夕焼けの頃の不思議な色合いを醸し出す空が好きです。
ちょっとばかりファンタジーっぽい話になりました。
うちのシラバブは精神年齢相当高いです。



milk_btn_pagetop.png

milk_btn_prev.png

milk_btn_next.png