山崩れて惨事なり
山と盛られた粉を慎重に取り崩しながら、ジェミマは手にした深皿に粉を移してゆく。
舞った粉で鼻がむず痒くなるのは仕方ないこと。
ジェミマは粉の山から顔を背けて小さくくしゃみをした。
「ジェミマ、アイシングの材料はだいたい揃えたけどアラザンが何かわからないよ」
「それ、そこの銀色の」
「これかい?へえ、キレイだね」
ミストフェリーズはさらさらと、銀やパステルカラーの青や赤の粒を取り分けている。
アイシングと並んで飾り付けには欠かせない。
「あら、ミストのそれは何に使うの?」
「やあ、ヴィクじゃないか。これはデコレーションに使うんだ」
「可愛いわね、私たちもいただくわ。マキャ、粉を貰っておいてくれる?」
マキャヴィティが頷いたのを見て、ヴィクトリアは他の材料をそろえ始めた。
いくらマキャヴィティに鈍くさいところがあっても、
小麦粉を取り分ける作業くらいわけないはずだ。
「ジェミマ」
「なあに?」
既に自分たちの分を確保して行こうとしていたジェミマを呼び止めて、
マキャヴィティは粉の分量はどれくらいかと訊ねた。
「だいたいでいいなら、その入れ物に半分くらいよ」
「そうか、助かる」
銀のスプーンを手にしたマキャヴィティは、それを無造作に粉の山に突っ込んだ。
「ちょっとマキャ!そんなことしたら」
「あ」
ジェミマの制止も、時既に遅し。
間の抜けたマキャヴィティの声を合図にするかのように、雪山が雪崩を起こした。
ただ、予想に反してそれは軽い表層雪崩に止まり被害は軽微なものだった。
「あーあ、もうもうとしてるね」
少し離れて見ていたミストフェリーズとヴィクトリアは苦笑した。
舞い上がった雪ならぬ粉煙りでジェミマガまた小さくくしゃみをしている。
「もう!繊細さの欠片も無いんだから」
「すま・・・っ」
あまり表情を変えない男の顔が不意に歪んだ。
そこに惨事を予想したジェミマがそれだけは防がんとしたその時、、
白い山の向こうから長身強面の男が顔をのぞかせた。
そこに僅かばかりジェミマの注意が向いたことがいけなかった。
「マキャも調達係か?」
「来ないで!」
ジェミマの悲鳴に近い声も、盛大なくしゃみの音に掻き消されて誰にも届かない。
突然の突風で小山は7合目付近から吹き飛んで灰燼に帰した。
「わー・・・酷いねあれは」
「前面白猫背面黒猫なんて笑えないわ」
ミストフェリーズとヴィクトリアは真正面から粉を被ったタンブルブルータスに
憐みの目を向けつつ呟いた。
「すまん、タンブル。と、タント」
「タントも!?ちょっとマキャ、何してんのよ!」
白い粉の山の向こうにはタントミールも立っていたらしい。
ディミータもいたが、彼女はタンブルブルータスの後ろだったので被害は無い。
「いいのよジェミマ、マキャだって悪気があったわけじゃ無いし」
粉を払いながら言うタントミールの声は、普段よりも随分と低い。
「タント、タンブル、濡れタオル使ったら?」
「そうね。ディミ、悪いけど他の材料を先に調達しておいてくれる?
粉はおばさんに言って足して・・・替えてもらう方がいいわね」
手に付いた粉をふっと吹いたタントミールはちらりとマキャヴィティを睨んだ。
さすがに反省したのか、マキャヴィティは僅かに眉を下げた。
「もったいないから私たちのチームで全部引き取るわ。
マキャ、それ全部持っていってちょうだい」
「うむ、すまん」
さすがに全部となると相当な量だ。
しかし、マキャヴィティは重量など存在しないかのように器ごと軽々持ち上げて
自分たちのチームの調理台へと持って行く。
「さすが」
「感心している場合じゃないのよ、タンブル。早く身体拭いて手伝ってよ」
ディミータはそう言って、材料を選び始めた。
ジェミマはジェニエニドッツに事情を説明している。
「やれやれ、だね。ヴィクのとこは大変そうだね」
「色んな意味でね。幸運を祈っていてちょうだい」
「そうするよ」
ミストフェリーズは先に戻ったジェミマの後を追い、
ヴィクトリアはひとまず飾り付けに使いそうな材料だけを揃えた。
あの大量の粉を使うだけの材料を集めようと思えば
あと数回は往復しなければならないだろう。
ヴィクトリアが軽いため息を残して去った直後にやってきたのはシラバブだ。
きょろきょろと材料を見回しながら、忘れないためか分量を繰り返し呟いている。
「バブ、お砂糖わかる?」
「これですか?茶色ですね」
「そう、ブラウンシュガーね。それじゃあこの器に教えてもらった量を入れてくれる?」
シラバブは頷いて、ボンバルリーナが渡した器に砂糖を移し始めた。
一生懸命な姿を見てボンバルリーナと、そこにいたディミータはくすっと笑う。
「さてと、粉はこれかしら」
ボンバルリーナは、真っ白な粉を用意した容器に移し始めた。
小麦粉にしては白すぎることに、料理をしない彼女が気付くことはない。
「終わりました」
「ありがと、バブ。次はジンジャーとシナモンを持ってきてくれる?」
「スパイスですね!」
スパイスという響きが気に入ったのか、シラバブは嬉しそうにスパイスと繰り返している。
シラバブはよくおばさんやジェリーロラムたちと一緒にお菓子作りをするのか、
意外に材料を見分けるだけの知識がある。
幼子の様子を横目でうかがいながら、ボンバルリーナも他の材料を揃えてゆく。
「案外お菓子作りも悪くないかもしれないわね。さあ、バブ。戻りましょう」
「おいしいのができるといいですね」
存外順調に材料を揃えたボンバルリーナとシラバブは
足取りも軽く彼女らのチームの調理台へと戻っていった。
「ディミ、材料は揃った?」
入れ替わるようにタントミールとタンブルブルータスが戻ってきた。
白い粉は綺麗に拭われている。
「だいたいね。けっこう早かったじゃない」
「まあね。短毛種って冬は寒くて厭になっちゃうんだけど今回は良かったと思うわ」
「なるほどね。材料はあとは小麦粉とスパイスくらいよ」
タントミールはディミータが用意したものをざっと見て、
問題無いわねと声にせず呟いた。
「おばさんはまだ?」
「小麦粉を取りに行ってくれたんだけど」
「俺が見てこよう、粉が多いなら手伝いもいるだろうし」
タンブルブルータスがさっと身を翻して走っていった。
「なかなか紳士じゃない」
「カッサ仕込みよ、当然だわ」
タントミールとディミータは痩身の男の背を見送りながら苦笑を零す。
「さてと、それじゃあショウガとシナモンを用意しましょうか」
「生だっけ?」
「香りはすごく良くなると思うけど、暫く手に匂いが残りそうね」
立派な生姜を手にしたタントミールは、それを器に置いた。
ごとりと重厚な音がする。
「スパイスは他には?シナモンはこれ?」
「見た目はシナモンね。まさかナツメグなんて置いていないでしょうし。
あ、クローブがあるじゃない。これも持って行きましょう」
タントミールが楽しそうにスパイスを選んでいるところに、
粉の袋を抱えたタンブルブルータスとジェニエニドッツが戻ってきた。
「よっと。これをこの器にあければいいんだな?」
「慎重にやるんだよ、派手にやるとまた白くなるからね」
あまり器用ではないタンブルブルータスは苦心しながらも
無事に粉を器に盛ることに成功した。
「あとはこの小麦粉で全部揃うわね」
小麦粉を器に量りいれて、タントミールらはチームに戻る。
「そう言えば・・・」
「どうしたんだ?ディミ」
「いいえ、何でもないわ」
ディミータはふと考えたのだ。
あの時、材料を間違わないようにすることに集中していて気にしていなかったが
ボンバルリーナとシラバブは一体何の粉を持っていったのだろうかと。
小さく首を傾げたディミータとすれ違ったのはコリコパット。
その後ろにはランパスキャットとギルバートが続いている。
「一番最後みたいだな」
「最初でも最後でも材料は一緒ですよ」
「早くしないとカーバが怒るぞ」
コリコパットが砂糖を量り始めれば、ギルバートが小麦粉を器に移し、
ランパスキャットはバターやら卵やらを揃えにかかる。
それなりにチームワークは良い。
大雑把ではあるが、物の扱い方も間違ってはいない。
「大方揃ったかな」
「あとはアイシング用の材料ですね」
「卵と粉砂糖とフードカラー、あと何だった?」
言われたものを片っ端から揃えておけば、あの紳士猫もそう五月蠅くはない。
「フードカラーってこれか?色のついた粉って言ってたし」
「おばさんに訊いてみては?」
「そだな。おばさん、フードカラーってこれ?」
コリコパットが指す方を見て、ジェニエニドッツはそうだよと頷いた。
「おばさんサンキュ。これでいいってさ。あともう一つ何だっけ?」
「えっと・・・ア何とか」
揃いも揃って覚えていないのは、耳馴染みのない物だからだろう。
ギルバートがランパスキャットを見ると、彼も眉を顰めている。
「アとかザとか」
「アにザ、か。あ!」
コリコパットはぱっと顔を輝かせた。
「アザラシじゃないか?」
「ううん?そんな感じではありましたが・・・」
「まあ、そうなんだろうさ。で、どれだ?」
男たちは材料を一通り見渡したが見当がつかない。
見知らぬスパイスもたくさんあるし、そのうちのどれかかもしれない。
「おばさんに訊きますか?」
「そだな。おばさん、アザラシってどこにあるんだ?」
「アザラシ?」
ジェニエニドッツは首を傾げた。
「妙なことを訊くねえ。アザラシは海にいかないといないよ」
「え、そうなのか?カーバ!」
振り返って、コリコパットはチームの大黒柱の名を大声で呼んだ。
何だ、と不機嫌な声が返ってくる。
「海に行かないと無いんだってさ!」
「何がだよ!?」
さらに苛立ちの混じった声が返ってくるが、
コリコパットはもとより、ギルバートやランパスキャットも意に介するでもなく
仲良く声を揃えて答えた。
「「「アザラシ!」」」
直後、部屋中にカーバケッティの罵声が響き渡った。
しかし、彼に同情する者はいても諌める者がいなかったのは言うまでもない。