【赤】Ca
蛮勇・膂力
卵は割って使うものである。ヴィクトリアはそう認識してきた。
茹でた場合は殻を「割る」ではなく「剥く」と言うだろう。
だが、それとて中身と殻を分離させる行為という点では同じである。
ぐしゅり、と妙な音がした方に目を向けたヴィクトリアは、言うべき言葉に詰まって固まった。
ここは力を入れすぎないよう忠告すべきかもしれない、と彼女は考えている。
「マンカス」
ヴィクトリアよりも先に口を開いたのは、驚くべきことにマキャヴィティだった。
口数の少ないこの男は、まず自分から話しかけたりはしない。
「何だ?」
マンカストラップは振り返らない。
振り返れないのかもしれない。
「卵を握り潰して使うとは斬新だな」
「マキャ、それは嫌味か?」
「嫌味?そんなことに労力を使うはずがない」
本気で感心しているとしたらそれはそれでどうかとヴィクトリアは思うのだが、言葉にはしない。
「なんか期待通りねー」
ひょいとマンカストラップの横に顔を覗かせたランペルティーザは、
卵を相手にしてすら全力投球のリーダーに感心半分、呆れ半分くらいで呟く。
「よく混ぜれば大丈夫だろうか?」
「なるほど、それもいいな」
「カルシウムいっぱいね!」
マンカストラップの真剣な発言は否定されることなく受け入れられた。
そこは否定してほしいのだというヴィクトリアの願いは届きそうにない。
ここに至って、ヴィクトリアはようやく言葉を口にすることにした。
「あのね、マンカス、マキャ、ランペル。
殻って案外じゃりじゃりしていておいしくないかもしれないわ」
「それはイヤ。マンカス、じゃりじゃりしないようにしっかりすりつぶしてね」
「そうだな、そうしよう。ヴィク、忠告ありがたく受け取るぞ」
マンカストラップは爽やかに微笑んだ。
そうじゃなくて殻を取り除いて欲しい、という言葉はとうとう音にならず、
ヴィクトリアは憂愁にも似た想いを隠して曖昧に微笑んでみせた。
「いっぱいあるし、マンカスとマキャは混ぜてよ。力仕事は得意でしょ?」
「それもそうだな。よしマキャ、ここは俺たちで手分けしてやろうじゃないか」
「それはいいわね」
ランペルティーザの提案にヴィクトリアは思わず呟いていた。
これで男たちを器用さが必要ない作業に向けることができる。
「殻はよく砕いておいてね」
「勿論」
もう一つの卵を自分で割りながら、ヴィクトリアはマキャヴィティに話し掛けた。
言ってみて、彼女にはやっぱり何か間違っている気がしたわけだが
チームの仲間たちは気にするでもなく楽しんでいるようだ。
大量に盛られた粉に砂糖、バターなどが豪快に混ぜられてゆく。
「料理には大胆さが必要ね!」
「良いことを言うな、ランペル」
マンカストラップとランペルティーザの会話にマキャヴィティが頷いている。
大胆さだけで大丈夫かとヴィクトリアは憂えたが、
繊細さとは程遠い面子を見渡して小さな溜め息と共に色々なことを諦めた。
とりあえず、食べられるものであればいい。味や見た目は二の次だ。
腹を括れば怖いものなどありはしない。
兜の緒を締めたヴィクトリアは、調理台という戦場に面と向かう。
この戦、引けば負ける。
恐れを捨てた時、生きとし生ける者は勇気を手にいれる。
例えそれが、蛮勇と呼ばれたとしても。
【黄】ロマンス
終着駅はお菓子の家
「型抜きクッキーもいいけどさ、お菓子の家なんてどうかな?」
「ステキ!スキンブルってロマンがあるわね」
一も二もなく賛成したジェミマは、チームリーダーと言うべきジェリーロラムに目を向けた。
「ねえジェリー」
「そういうのも楽しそうね。ひとりではまず作らないし」
「そうよね!みんなでできるからイイんだわ」
でしょ、と今度はミストフェリーズに振るジェミマを見て
ジェリーロラムとスキンブルシャンクスは小さく笑った。
「半分くらいはお菓子の家にしましょう」
「そうだね。家の設計が必要かな?ミストに任せたら間違いないよね」
「適材だと思うわ」
かくして、ミストフェリーズはお菓子の家の設計を担当することになった。
壁が四枚、屋根は二枚。扉と煙突があればなお良いだろう。
窓やレンガはアイシング、庭の柵にはチョコレートの小枝がぴったりだ。
「すっごく楽しみね。私も組み立てるのを手伝いたいわ」
「そりゃ助かるよジェミマ。たぶん、君の方がセンスもいいし。
あ、ジェリー。クッキーは膨らみを考えた方がいいのかい?」
ジェリーロラムとスキンブルシャンクスは既に作り始めている。
呼ばれたジェリーロラムは手を止めて少し考えながら口を開いた。
「家にする分は膨らまさないようにするわ。
バターは多め、卵の白身と膨らし粉は少なめ」
「サクサクになるね。想像するだけでおいしそうだなあ」
スキンブルシャンクスが粉を半分にわけて篩いながら言う。
「スパイスは好き嫌いある?」
「ないよ」
「ジンジャーパウダーとオールスパイス使うけど、いい?」
着々とクッキーの生地ができてゆく。
隣ではジェミマがアイシングの材料を懸命に混ぜている。
「黄色と水色混ぜたら緑になる?」
「どうかな、やってみたら?」
ミストフェリーズは湯煎したチョコレートをクッキングシートに絞り出していた。
一本の長い線を引っ張って、冷えて固まったら適当な長さに折る。
木の枝に見立てるのだから、少々歪んでいてもかまいはしない。
「快調だね」
あちこちで悲鳴や溜め息が聞こえる中、この一角だけは穏やかだ。
「準備は整ったわね。あとは形を整えて焼く、それからデコレーション」
「お菓子の家には定刻通り到着予定、だね」
あともう少し。
お菓子の家に到着したら、暖かい紅茶と愛らしいクッキーが待っている。
【青】額面通り
それはきっと気疲れでしょう
熱めのお湯が入った容器をマンゴジェリーが台に置いた。
「バターは湯煎がいいだろう?タンブル任せた」
「ああ」
差し出された小さな器には乳白色ののっぺりとした塊が載っている。
タンブルブルータスはそっとそれをつついてみた。
「意外に固いな」
「まあな、気温も高くないし放っておくだけじゃ溶けないだろうよ」
「ふうん」
そこまで軟らかくないなら繊細に扱う必要もない。
容器にひっついた塊をつまみ上げたタンブルブルータスは、
さも当然の如く湯で満たされた容器の上にそれを運んだ。
湯気の熱に晒された塊は簡単に溶けて手からずるりと滑り落ちる。
「はいお約束ー!」
マンゴジェリーの絶叫が響いて、タンブルブルータスは小さく肩を跳ねさせた。
バターは驚いた拍子に爪でひっかけたのか、かろうじで湯浴みを免れていた。
「ちょっとマンゴびっくりさせないでよ」
「わりぃ、タント。バターを助けたんだから大目に見てくれ」
「貴方が大声出すなんて珍しいから驚いたわ」
タントミールが苦笑を浮かべれば、タンブルブルータスが全くだと呟いた。
「原因作ったヤツがそうと自覚してないから叫び損だよなあ」
「湯で煎じるんだろう?何が違うと言うんだ」
「バターをそのまま湯に入れたらバター湯になるだろうが。
欲しいのは溶けたバターであってバターの溶けた湯じゃない」
なるほど、とタンブルブルータスは納得したようだ。
「色々想定外だわ。面白いけど。ディミ、生姜の皮は剥けた?」
「何とかね。手こずったけど」
「でこぼこしてるものね。どこに置いてくれたの?」
マンゴジェリーの絶叫すら意に介さず、
黙々と生姜の皮を剥いていたディミータの周辺は
生姜の何とも言えない良い匂いが立ちこめている。
「これよ。ちょっと小さくなったけど」
「確かに・・・ちょっと?小さくなっているわね」
差し出された黄色いかけらには、半時前の立派な面影は微塵もない。
皮は確かに綺麗に剥がれている。
しかしながら、それは元の体積の三分の一あればいいところだ。
「慣れないし、剥いてるうちにちょっとずつ小さくなったわけよ」
「そういうこと」
ずっと生姜と格闘していたディミータにしてみればちょっとだろう。
ちょっとずつ減れば、感覚的にはやはり「ちょっと」なのだ。
その「ちょっと」が積み重なって「かなり」になったところで
結果だけを突然目にしたわけだから互いの感覚は違っていて当然だ。
タントミールはそう思うことにした。
「無駄に疲れる気がする」
小さなマンゴジェリーの呟きは、タントミールの気持ちをも見事に言い表していた。
【緑】繊維質
腹痛はとどまるところを知らず
卵白と卵黄を分けながら、カーバケッティは大きくため息を吐いた。
隣では、コリコパットが一生懸命バターを練っている。
「カーバ、これくらいか?」
「そうだな、まあそんなもんか。次は砂糖だな、塩も少し入れるか」
「塩?お菓子は甘いもんだろ」
隠し味だよと言って、カーバケッティは砂糖と僅かな塩を容器に入れた。
「ギル、粉は篩ってくれたか?」
「篩いましたよ。言われたとおりシナモンとクローブも一緒に」
ギルバートが粉の入った容器を持ってきた。
先ほどから一心不乱に粉を篩っていたギルバートは、宣言通り真剣勝負のようだ。
「卵が混ざったら粉も入れて混ぜてくれ。
一度に全部入れるとやりにくいから二回か三回に分けるといい」
「わかりました。僕も混ぜるのを手伝います」
「そうしてくれ。粉を入れると硬くなるから手が疲れてくるしな。
あ、その前に。ランパス、生姜はおろしてくれたのか?」
台の向こう側に居るランパスキャットは、
手持無沙汰なのか綿棒を転がしてそれを飽くことなく見つめている。
「おう、おろすだけおろした。どうすりゃいいんだ?」
「できれば搾っておいてほしかったんだが」
そんなことはまるで期待していない、とカーバケッティは胸の内で呟いた。
「まあいいさ。ランパス、手までいっしょにおろしたりしていないだろうな?」
「ぎりぎりおろしてはいない。ほら、こんだけありゃ充分だろう」
「ああ、それじゃあこれを搾って入れてくれ。全部入れてくれて構わない」
ランパスキャットは容器に入った生姜をつまみ上げ、
傍に置いてあった小さな容器に汁を搾った。
ギルバートと手を止めたコリコパットも続く。
そして、手の中に残った水気のない繊維を示し合わせたようにタネの中に放り込んだ。
「よし・・・って、違うだろうが!!」
思わずカーバケッティは怒鳴った。
「搾って入れろって言ったのはカーバじゃん」
「僕ら何か間違ってますか?」
不満げに口を尖らせたコリコパットときょとんとしたギルバートに言い返され、
カーバケッティはぐっと言葉に詰まった。
搾り汁を入れるのが常識として通じるのは、あくまで経験あっての話だ。
「・・・お前たちは盛大に間違っている。が、この場合俺にも落ち度がある。
取りあえず今入れたものは取り除いて、こっちの搾り汁を入れてくれ」
「おう、こっちか」
ただの繊維をさっさと取り除いて、ランパスキャットが生姜の搾り汁を入れる。
「よく考えてみれば、レモンの搾り汁も果汁の方を入れますよね」
「あそっか。レモンの皮だけ入れても仕方ないもんな」
「それもそうだ」
カーバケッティの腹がきりきりと痛んでいる間に、粉も混ぜられてタネは完成した。
予想外の言動に振り回されつつも、できたものは今のところ悪くない。
「あとは型抜きだな。型を持ってくるからタネは薄く伸ばしておいてくれ。
薄さは均一にするように。棒に粉をつけながら伸ばすとタネはひっつかない」
「わかりました。僕が引き受けます」
麺棒を手にしたギルバートは、早速タネの上を転がし始めた。
なかなか手際が良い。
それを見たカーバケッティは、少し安心して型を取りに行った。
そして戻ってくると、タネは見事にぺらぺらになっていた。
「ここまでくると見事だが・・・」
紳士の腹は、今日何度目かの痛みを訴え始めた。
【黒】ふわふわ
それは果たして何者だったか
「カッサ、ちょっと生地がゆるいみたい」
ボンバルリーナに声を掛けられて、
使い終わった容器を洗っていたカッサンドラは手を止めた。
「粉が少なかったかしらね。少し貰ってくるわ」
「ありがとう」
材料を置いてある台に小麦粉を取りに行ったカッサンドラは
そこにいたジェニエニドッツに呼び止められた。
「順調かい?」
「ええ、少し粉が少なかったみたいだけれど。
タガーが頑張ってくれて。バブに頼まれては断れないものね」
「そりゃ頼もしいことだ。あの子はあれでけっこう器用だからね」
生地作りにカッサンドラはほとんど参加していない。
作り方だけ説明して残りのメンバーに任せてみた。
質問は時折あったけれど、怖いくらい順調にことは運んでいる。
あまりに穏やかで、ハプニングなどとは無縁だ。
「私も楽しみになってきたわ」
「そうかい。ところで、ここにあった重層を持って行ったかい?」
「少しいただいたわ。洗い物をしたくて。いけなかったかしら」
「かまわないよ、洗い物のために置いてあったんだから。
それじゃあ頑張っておくれよ」
小麦粉を取って戻ったカッサンドラは、手早く生地の硬さを調整した。
「さすがカッサ、頼りになるわ」
「ありがとう。褒めたって何も出ないわよ、ボンバル。
タガー、粉が浮いちゃってるからもう少しだけ捏ねてくれる?」
「おうよ、任せとけ」
天の邪鬼はすっかり頼もしい男になっている。
ここの男はラム・タム・タガーのみだ。
力仕事は全て彼が引き受けている。
「これくらいでいいか。カッサ、これどうすんだ?」
「麺棒で延ばしてちょうだい。型を抜いて天板に並べたらあとは焼くだけよ」
「お星様もできますか?」
シラバブの目がきらきらとしている。
勿論よと頷いたカッサンドラは、抜き型を台に広げた。
「ひとまず、第一弾は星とツリーと人形にしてみましょうか。
私はオーブンを温めておくから型抜きは任せるわね」
「任せて下さい!」
オーブンが温まるころには、天板にはたくさんの星が並んでいた。
「それじゃあ焼くわね」
「どれくらいでできるの?」
「そうね、四半時くらいかしら。それまでにアイシングの準備をしましょう」
そして、シラバブとラム・タム・タガー、ボンバルリーナが準備を整え
カッサンドラが洗い物を終えた頃。
不意にオーブンが奇妙な音を立て始めた。
「何か変な音しねえか?」
「そうねえ。何かあったのかしら」
音はだんだんと大きくなってゆく。
シラバブは不思議なものをみるようにオーブンを見つめている。
「確かめる?」
ボンバルリーナはタガーに問うた。
ラム・タム・タガーは頬を引き攣らせる。
「いいや、オレ様の勘が近づくなって言ってやがる」
異音は他のチームにも届くほど大きくなっている。
何事かと周りの猫たちが注意を向け始めたその時。
大太鼓が破れたかのような爆音が炸裂した。
「な、な、何です?」
目を丸くしたシラバブがきょろきょろとしている。
タガーとボンバルリーナは空いた口が塞がっていない。
「爆発?」
カッサンドラは驚きに跳ね上がった心臓を落ち着かせながら、
勢いで開いたオーブンの扉と辺りに飛び散るふわふわの物体を見ている。
「何これ」
ボンバルリーナはふわふわとしたものを拾い上げた。
甘くスパイシーな香りが鼻腔をくすぐる。
「クッキーの残骸じゃねえか、これ」
ラム・タム・タガーも柔らかな物体に鼻を近づけて呟いた。
「不思議ですね」
「とっても不思議ね。何か間違ったのかしら」
手順を最初から思い返したカッサンドラは、ある一つの予感にぶち当たった。
おかしかったのは、粉を全部混ぜた時点で生地がゆるかったことだ。
「間違ったのは、量じゃなくて粉?」
まさかの展開である。
ボンバルリーナとシラバブが持ってきたあれは多分。
「重層、でしょうね」
とにかく新しい生地を準備しなければならない。
カッサンドラの瞳に本気の炎が灯った。