あの日
6 出会いと別れ
穏やかな夜だ。
うまく焦点の合わない目で遠くを眺めながら、ギルバートはふとそう思った。
そして、これが最後の夜であろうと。
夕刻、様子を見に船室に戻るとディミータもぐったりと床に伏していた。
もう起き上がることも難しいだろう。
ギルバート自身、まだ動けることが不思議だとすら思っている。
これを、気力と言わずして何と言えようか。
隣にいるコリコパットも時折ふらついているが、まだ立っていた。
暗い海の向こうに向けて、ひたすら信号を送り続ける。
半分に掛けた月が二重写しに見えている。
その下で、つうっと星が流れた気がした。
空を滑った星が、海の上でちかちかと煌めいている。
「ギルバートさん!」
唐突にコリコパットが声を上げた。
「船だ、船です!気づいてくれたみたいだ!」
コリコパットは、ちかりちかりと瞬く光の方指し示す。
ギルバートは緩慢に瞬きを繰り返すが、その視界は霞がかったまま。
「生憎と・・・僕にはわからないのですが」
「大丈夫、もう助かります。生きて、帰れます」
少し元気を取り戻したコリコパットの声に励まされ、ギルバートは信号を繰り返す。
「応えてくれていますよ。こちらに向かってきています」
「そうですか。あと、少しですね」
「どこの船だ?何かあったのか?」
半時ほどして、声が届く距離まで近づいてきた船はかなり大型だった。
その大型船の甲板から男の声がする。
「第一、フェンリル部隊です。海賊の襲来で動けなくなっています」
ギルバートは、精一杯の声で答えた。
腹に力は入らない。
それでもまだ、なんとか音にはなった。
「よしわかった、すぐにそちらに行く。おい、梯子を渡せ!すぐに救出だ!」
指示を出す声がして、すぐに何名もの隊員が梯子を渡して船を移ってきた。
「甲板はふたりか?他の者はどこにいる」
「すぐ下に4名。あとは・・・わかりません」
答えたギルバートの身体から不意に力が抜ける。
白衣を着ていた男性が慌ててその身体を支えた。
「船室に4名だ!急いで救出だ!他に生存者がいないかもすぐに確かめろ!
それで、と。この子は気を失っただけのようだな、すぐに向こうに連れて行こう」
「よし。そら、君も行こう」
軍医と思われる別の男がコリコパットをひょいと抱え上げた。
急げ急げと指示が飛ぶ中、ギルバートとコリコパットは大型船へと移された。
幾日かぶりの白い布団はとても柔らかい。
何かの薬を与えられている間に、コリコパットはゆるりと隣のベッドに目をやった。
そこにはギルバートが寝かされている。
血と雨と波しぶきが沁み込んだ服は、ただの襤褸切れのようだ。
そして、過酷な状況を切り抜けた小柄な身体もまた襤褸のように布団に投げ出されている。
「君は学生かい?」
不意に耳触りのよい声がして、コリコパットはそちらに視線を巡らせた。
ベッドの横に立っているのは、先ほど甲板で指揮を執っていた壮年の男性。
白衣を着ているから位はよくわからないが、それ相応の地位を持っているはずだ。
「船室にいた4名は既にこちらの船に移した。衰弱が激しくてね、少々危険な状態だ。
だが安心していいぞ、この船は医師も設備も立派だから。
それから、残念だが他に生存者は確認できなかった」
「そう、ですか」
恐らくそうだろうと、わかってはいたこと。
それでもやはり、胸は痛んだ。
「ああ、まだ名乗っていなかったな。
私はバーネットだ、この第七艦艇部隊の隊長だ」
「貴方、が?」
学生のコリコパットですらその名を知っている、バーネット少将。
有能な軍医と多くの衛生兵を率い、病院船と呼ばれる大型船を指揮する男。
戦場で傷ついた兵たちを救う特殊部隊の隊長。
「補給で南方司令部に立ち寄ろうと思っていたんだ。ところで君、名前は?」
「コリコパットです。整備士を目指す練習生です」
「そうか、君だったんだな。あの船、もう沈んでもおかしくなかっただろうに。
かなり的確な処置をしてある、腕のいい整備士が生き残っていたんだろうってな、
うちの整備士が言っていた。コリコパット、君の腕前は現役整備士顔負けのようだ」
暖かな笑みを浮かべてバーネットは言った。
その時、扉の向こうから準備ができましたと声が聞こえた。
わかったと返事をして、バーネットは少し眉尻を下げた。
「今から君たちがいた船を沈める。損傷が激しくて動かすことができないんだ。
遺体は回収したが、他の物は何も持ってくる余裕が無かった」
「仕方ないことです。ただ、最後に船を見ておきたいのですがいいですか?」
「それはかまわんよ。立てるかい?」
「大丈夫です」
少しふらつきながら、それでも己の足でコリコパットは甲板に立った。
暗い海。月明かりにぽつんと浮かびあがる自分たちのいた船は、想像以上に傷ついていた。
満身創痍でいつ崩壊してもおかしくない中、それでも自分たちを守ってくれた船。
「ありがとう。俺、最高の整備士になってみせる」
守られてばかりだった自分がたった一つ守ったもの。
それが今、海の中に消えようとしている。
「大丈夫かい?」
「大丈夫かどうかもわからないんです。何だか現実感がなくて。
でもたぶん、俺はまた船に乗ります。胸張って船を守るって言えるようになりたいんです」
学生のコリコパットを迎え入れ、見守ってくれた仲間たち。
今ここで弱い自分を悔いて船を下りるより、立派な整備士になることが彼らへの弔いになる。
何よりの弔いになる。そう思う。
「惨いことだな。こういうことも、海で戦い、海で生きる中ではありうるということか。
亡くなった者たちが安らげるよう、君たちは精一杯生きることだ」
「はい。隊長たちの魂は、海の神様が安らかなところへと導いてくれるって俺は信じてます」
乗り手を失い、ただの空ろとなった船を見つめてコリコパットは呟いた。
ありがとう、それからごめん。一緒に帰ることはできない。
宿るべき身体を持たない仲間らの魂がまだ船の中にいる気がした。
胸の中で感謝と謝罪を告げると、頬を一筋涙が伝った。
「さあ、部屋に戻ろう。君は休まなくちゃいけない」
バーネットの温かな手に促され、コリコパットは小さく頷いた。
酷く疲れていた。
海は生きとし生ける者を豊かにしてくれる母のような存在なんだよ。
懐かしい声が耳の奥に蘇る。
幼いころ、孤児院の先生が話してくれた大好きな海のこと。
海は恵みを齎してくれる。
海は命を育み守ってくれる。
心地よい響きに、威勢の良い声が重なって聞こえてくる。
コリコパットを弟のように可愛がってくれた先輩整備士たちの明るい声だ。
海は怖いんだぜ。
こんなでっかいもんに比べりゃ俺たちなんてちっぽけだよなあ。
だからさ、俺たちは自分たちを守るためにこの船が必要なんだ。
この船を守るために俺たち整備士が必要ってわけ。
俺たちって重要だろ?
その整備士の先輩隊員が、隊長が、仲間らが、遠くで手を振っている気がした。
一緒に行こうと言っているのだろうか。
彼らの前を歩いているのはきっと、海の神なのだろう。
神の先導があるなら大丈夫、海原にいても迷いはしない。
船は家であり、戦場でもある。
海は揺り籠であり、墓場でもある。
墓守になりはしない。
誰にも負けない船守になると決めた。
だから。
永遠の眠りに就いて安らごうとする仲間らに手を振り返す。
さようなら、まだそっちには行かない。
柔らかな布団に包まれて、コリコパットは深い眠りに落ちて行った。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。
色々練り直したい部分はありますが、いったんこれでアップします。
うまく視点が固定できていなくて読みにくいですね、すみません。
最後は完全にコリコパットのお話になりました。
本来、この続きを書くべきなんですが。
ギルバートが部隊を編成し、生き残ったみんながギルバート部隊に入るまで。
例によって、ギルバートの口説き文句がさく裂するわけです。
まあ、本編でちょいちょい出てくるからよいでしょう。
隊長の名前ですが、フェンリルは妖怪だったかその辺りの名前です。
普通こんな名前つけないですね。某ゲームの組織名とかぶって吃驚。
しかし、見事に6名しか出てきません。
しかもカーバはほとんど寝てる。
カッサも台詞が少ない。
適当に書いているようですが、いつ誰が起きていて誰が寝ているとか
そういった大まかな時系列は考えてあります。
にも係わらず、ディミータはほぼ起きているときしか描写されていませんね。
そしてタイトル。
どうしてこれほどセンスのないタイトルなのかと言いますと、
そもそもこれは2章の途中に入っていた筈の話なんですね。
で、2章ではこの航海をさして「あの日」という言葉が何回か出てきます。
ん?出てきていた?ひとまず、プロット段階では何度も出てきたんですね。
なわけで、わかりやすく『あの日』としました。
小話ごとに小見出しは付けてあるのでいいかなと。
ところがどっこい。パン屑リストには「あの日1~6」で表示されるという。
何にしても、あとがきで書くような内容ではないですね。
読んでいただいてありがとうございます。