高貴な血族
1 力と栄誉の宝石
スキンブルシャンクスは案内者の肩越しに部屋をちらりと見てうっすら笑みを浮かべた。
「狭いし汚いね」
「ふん、ここは船の上だ。掃除夫付きの豪邸に住んでた貴様には新鮮だろうよ」
「新鮮?」
躊躇無く部屋に脚を踏み入れながらスキンブルシャンクスは案内してくれた男の顔を覗き込んだ。
「腐敗臭しかしないよ。別に汗臭くても潮臭くても構わないけどさ、
食べ物くらいちゃんと片付けないとそのうち死者が出るね」
「バカバカしい」
「いいよ、僕が片付けるから。暫く入ってこないでよ」
足許に積み重なっているゴミか衣類か何か分からないものを脚でよけながら、
スキンブルシャンクスは部屋の隅にある通気孔らしき小さな扉まで辿り着いた。
「開けていい?」
「好きにしろ。俺は甲板にいる、気が済んだら上がってこい」
「できれば応援が欲しいなあ。さっき荷物運び手伝ってくれたマンゴジェリーはどこだい?」
「さあな。見つけたら寄越してやる」
助かるよ、というスキンブルシャンクスの言葉には答えずに、
案内役を務めていた男は右の脚を僅かに引き摺りながら甲板に続く階段を上ってゆく。
「ほんと、汚いよね。せめて寝られる場所くらい確保しなくちゃ」
そう呟くと、スキンブルシャンクスは埃まみれでここ暫く開けられた気配のない通風孔を力任せに押し開けた。
途端に部屋中に舞い散る埃の多さに彼が閉口したのは言うまでもない。
「こんなとこで寝起きして病気にならないっていうんだからここの海賊たちもなかなかだね」
必要な物かゴミかわからないものを全て部屋の外に放り出し、
酸っぱい匂いのする寝具と衣類は陽の光に当てるために甲板まで運ぶ。
使えなさそうな衣類を雑巾代わりに部屋を拭いている間に、赤毛の男がやってきて黙々と手伝い始めた。
「手際良いね」
「そりゃあどうも」
交わした会話はそれくらいで、スキンブルシャンクスと赤毛の海賊マンゴジェリーは部屋の掃除を続けた。
破れかけていたハンモックを補修し、崩壊しかけていた棚を取り除いて新しい棚を作り、
途中で部屋を覗きに来た片耳の小柄な青年海賊を捕まえて必要なものを選別してゆく。
こんな作業がそうそう短時間で終わるはずがない。
マンゴジェリーの「腹減った」という呟きが聞こえたときには、外は既に暗くなり始めていた。
「ミスト、飯は?」
「マンゴが作ってくれるんでしょ」
「俺は働いてんじゃねえか、作れるかどうか考えなくてもわかるだろうが」
マンゴジェリーに素っ気なく返されて不満そうに口をとがらした小柄な青年は、
ハタと思い出したようにスキンブルシャンクスの方を見た。
金色の目が好奇心にきらりと光る。
「君、昨日グロールタイガーに"男を上げてやる"とか言ったんだってね。
度胸あるなあ。この街の連中はみんな尻尾巻いて逃げ出したのに。
名前は?この部屋使うんだったら一緒だよ、僕はミストフェリーズ」
「僕はスキンブルシャンクス。スキンブルって呼んで」
「わかったよスキンブル。ところでご飯とか作れるの?」
ミストフェリーズは久々に増えた仲間に、それもグロールタイガーの腹心となる仲間に興味津々。
新参の青年を質問攻めにする。
マンゴジェリーはもはや蚊帳の外だったが、それとなくふたりの会話を耳に入れながら物の整理を続けていた。
そこに大きな足音が近づいてくる。
「おい、スキンブルシャンクス」
「あれ、マンカストラップじゃないか。それ持ってきてくれたの?」
「まあな。それより、まだやっているのか?」
マンカストラップと呼ばれた男は、手にしていた寝具やら衣類やらを部屋の真ん中に置いて部屋を見回した。
その口から、ほうと感心したような呟きが零れる。
「随分片付いたでしょ?君が案内してくれたときは脚の踏み場もなかったんだから」
「確かにな。ありがとうと言っておこう。来いよ、グロールタイガーが酒飲みに行くってさ。
マンゴ、ミスト、お前たちも行くぞ。タガーはどこだ?」
「武器庫じゃないの?」
マンカストラップが歩き出した後ろを追いながらミストフェリーズが答えた。
マンゴジェリーに促されたスキンブルシャンクスも小走りについて行く。
足を引き摺っている割には、マンカストラップは歩くのがかなり早いのだ。
「スキンブルいいのか?この港だとけっこうあんたの顔知られてるんだろ?」
「問題ないよ、僕は港町で暮らしてたわけじゃない。顔見知りもいないよ。
グロールタイガーが来るって噂聞いたから二日掛けてここまで来たんだ」
「ふうん。あんた船長の信奉者なのか?そうは見えねえけど」
勿論違うよ、とスキンブルシャンクスは笑った。
飄々としているマンゴジェリーは、どうしてなかなかの切れ者なのだ。
まだ会って少しの時間しか経っていないにも係わらず、
彼らは互いに相手が頭の良い男だと言うことを感じ始めている。
「僕はね、インテリ連中と一緒にいると息が詰まりそうだったんだ。
ずっと街を出たかった、海を渡って古い文献に書かれているような場所を見つける旅に出たかったんだ」
「ロマンチックだな、あんた。けどさ、だったら別に海賊にならなくってもいいんじゃねえの?
他の海賊船もそうだし、海軍も相手にしなきゃなんねえし、海が荒れたらそれこそ死ぬ思いだ」
「まあね。でもさ、旅に出るだけだと僕の頭を活かすことができないんだよ。
見ててよ、君らが今まで見たこともない大きな獲物にありつかせてあげるから」
「そりゃあ楽しみだ。どこからはったりか知らねえけど、あんたほど肝の据わった奴はそうそういねえよ」
話ながらスキンブルシャンクスが甲板に出ると、先に出ていたマンカストラップらの隣に
いやに顔立ちの整った男が胸の前をはだけただらしない格好で立っていた。
「マンゴ、彼は?」
スキンブルシャンクスの問いにマンゴジェリーが答える前に、マンカストラップが振り返って言った。
「スキンブルシャンクス、紹介しておこう。ラム・タム・タガーだ。顔だけはそこそこ良い」
「てめえ後で殴る」
「できるものならやってみるといい」
薄笑いを浮かべたマンカストラップを忌々しそうに睨んでから、
ラム・タム・タガーはスキンブルシャンクスの方に向き直った。
「船長に啖呵切った命知らずってお前のことか?どう見ても育ちの良いおぼっちゃんて感じだけど」
「間違ってないよ、ラム・タム・タガー。タガーでいいのかな?さっきそう呼ばれてたけど」
「いいぜ。お前のことはどう呼ぶんだ?長ったらしいのは却下だからな」
ふっと笑うラム・タム・タガーは確かに見目麗しいと言えた。
顔の造作はもちろん、手足も長く海の男にしては珍しく細身ながらしっかりと筋肉は付いている。
はだけられた胸元には、ターコイズブルーに近い色の宝石が無造作に嵌められた首飾り。
「僕のことはスキンブルでいいよ。ねえ、タガー」
「なんだ?」
スキンブルシャンクスの目がすうっと細くなり、口許には幽かな笑みが湛えられる。
ラム・タム・タガーは思わず一歩退いた。
その隣ではマンカストラップが何事かと眉を顰める。
「困ったなあ。僕、君を殺しちゃうかもしれない」
「随分物騒だな、あんた」
飄々とした口調はまるで物騒だなどと思っていなさそうなマンゴジェリーが言うと、
スキンブルシャンクスはそんなことないよとニコリと笑う。
「目が」
「め?」
「・・・怖いぞ」
正面に立っていたラム・タム・タガーには、
邪気のない笑顔の中でにある双眸が全く笑っていないことがわかってしまった。
「まあね。僕、あんまり冗談は言わないから」
「待て待て」
呆然とした状態から立ち直ったマンカストラップがスキンブルシャンクスの肩に手を置く。
「とりあえず話を聞こう。タガーを殺されては俺たちも少し困るというものだ」
「少し!?てめえ、言うに事欠いて少しとは何だ!」
「口が悪いね」
スキンブルシャンクスはすっと手を伸ばすと、ラム・タム・タガーの顎をくいっと持ち上げる。
突然のことになされるがままのタガーは、困惑の目をマンカストラップに向ける。
「確かに綺麗な顔だね。目の色と毛の色からすると、西域の九貴族の関係者かな。
でも、口調も身のこなしもまるで洗練されていないからタガー自身は貴族じゃないね」
「そりゃ賊生活が長いんだから洗練も何もねえだろ?」
「それは違うよ、マンゴ」
タガーから手を離して、スキンブルシャンクスは赤毛の男を振り返った。
「ちょっとした動作や目の配り方、口の利き方なんかはそうそう変わらないものだからね。
西域の九貴族は戦士の流れを汲んでいる家が多くてね、動きは機敏で注意深いんだよ」
「確かにタガーには当て嵌まらないな」
マンカストラップは納得したように呟いたが、ラム・タム・タガーは厭そうな顔をする。
流れるようなスキンブルシャンクスの言葉をきょとんとした顔で聞いていたミストフェリーズは、
その意味をある程度理解すると感心したように溜め息を吐いた。
「すごいね。顔を見ただけで出身がわかるなんて」
「全部が全部わかるわけじゃないけど。僕の見立ては当たっている?」
もう一度ラム・タム・タガーに向き直ったスキンブルシャンクスが小さく首を傾げる。
「当たりだ。オレは西域九貴族の二番手の貴族に雇われていた。これで満足か?」
「全然満足なんかじゃないよ」
笑顔で言われたタガーは頬の当たりを引きつらせる。
それを気にするでもなく、スキンブルシャンクスは再び手を伸ばした。
今度はラム・タム・タガーもその動作でさっと身を引く。
「怖がらないでいいのに」
「さっきの今で身構えない方がどうかしてると思うが」
冷静に口を挟むのはマンカストラップ。
それもそうだねとスキンブルシャンクスはマンカストラップに目を向けた。
「この船はタガーを匿っているのかい?」
「匿ってなどいない。あいつがある日突然この船で倒れていたから拾ったんだ」
「・・・それだけ?」
驚き戸惑ったような表情を浮かべるスキンブルシャンクスに、マンカストラップは訝しがるようにして眉を顰める。
「それだけだが、何かあるのか?」
「何かあるって、君たち本当に海賊なの?目の前にお宝ぶら下げて歩いてる男がいるって言うのに!」
「何のことを言っているのかは知らないが、俺たちは天下のグロールタイガー一味だ。
旨い食い物に美味い酒、とびきりのお宝には食指が動かないはずがない」
そうそう、と後ろでミストフェリーズが頷く。
マンゴジェリーはそれほど興味が無いようだが、酒は美味い方が良いなどと呟いている。
ラム・タム・タガーはどことなく青ざめて真顔のまま新しい仲間を見ていた。
「何だ、本当に知らないんだ。うまく騙し仰せたものだね」
「な・・・んの、ことだ?」
「あれ?今更惚けるの?無駄だよ、君はさっき雇われていたと言っていたからね。
もしかしてそれの価値を知らないなんて、バカなことは言わないよね?」
マンカストラップが、ミストフェリーズとマンゴジェリーが、
それと言ってスキンブルシャンクスが指し示した物に目を向ける。
ラム・タム・タガーもまた視線を落として己のはだけた胸元を見る。
「タガーの首飾りがどうかしたのか?価値があるとは初耳だ。そうなのか?タガー」
「知らねえ」
胸に淡く光る宝石を見下ろしたまま、タガーは呟くように答える。
そのまま暫く目を落としたまま固まっていたが、やがて顔を上げた。
「信じてねえな。スキンブルシャンクス、だったか?」
「ほとんど信じてないけど、ちょっとだけ信じる要素はあるよ。
だって、そんなに無造作に首飾りにしちゃうんだもん。
ハンターや九貴族の生き残りたちがこぞって探してるって言うのにさ」
「まあ、まるっきり知らねえってのは嘘だ。価値があるって話は聞いたことがある。
貴族様が血眼になって探すほどだってのは知らねえけどな」
「案外そういうものなのかな」
スキンブルシャンクスは肩をすくめた。
「話が見えないんだけど」
「とりあえずタガーの首飾りに価値がありそうだってことくらいはわかったけど」
不満げな様子のミストフェリーズと、興味があるのかないのかわからないマンゴジェリーが
説明しろとばかりにラム・タム・タガーを睨め付けている。
「俺も興味があるな。タガーが貴族に雇われていたってのも初耳だしな。
しかし、スキンブル。俺は西域九貴族は没落、いや壊滅したって聞いた記憶があるぞ」
「そうだね。筆頭家と二番手の家の間で諍いが勃発してね。
ほかの七貴族巻き込んだ大騒動というかちょっとした戦争になっちゃってさ。
見かねた王宮が横槍入れて、九貴族全部お家取りつぶしにしたっていう莫迦な話」
「で、タガーはそこで職を失ってこの船に来たってわけ?」
ミストフェリーズが訊ねると、タガーはその秀麗な顔を盛大に顰めた。
彼自身よくわかっていない上に、なぜここに辿り着いたのかすら覚えていないのだ。
答えない当事者に変わって、口を開いたのはやはりスキンブルシャンクス。
「タガーが職を失ったも何も、九貴族戦争のスイッチ入れたのがタガーだね。
自覚無いみたいだけど。ねえ、スパイさん?」
「スパイ・・・?ああ、そうか」
何かひらめいたように、マンカストラップは手を打った。
「いつだったかグランブスキンが情報屋から仕入れてきた話なんだが、
筆頭家に紛れ込んでいたスパイが家宝を盗んで逃げたらしい。
そのスパイってのが二番手の家で雇われた美青年で、盗んだ後は宝石と共に姿を眩ましたとか何とか」
「美青年ってタガーのこと?」
「今の話からするとそうじゃないのか?ここにタガーが来た時期を考えてもだいたいあっている」
滅んだ貴族の消えた家宝となれば、海賊の血が騒いでもおかしくない。
現に、グランブスキンというグロールタイガー並に荒くれ者の男は情報を仕入れている。
だが、ラム・タム・タガーを拾って船に乗せ、常に一緒にいるグロールタイガーやマンカストラップたちは
今の今までまるで気付いていなかったのだ。
「すっごいお宝なのになあ。これのために、あの栄華を誇った西域九貴族がたった十日で消滅したんだよ」
「僕はその話初めてきいたよ。貴族の間で取り合いするってことは、それを持っていることが
何らかのステータスになるってことなんだと思うけど、どういうものなんだい?」
ミストフェリーズはマンゴジェリーが凭れている欄干にひょいと腰掛けながらタガーに訊ねる。
「さあな。俺はただの雇われスパイだぞ。深く知ってる訳がねえよ」
「じゃあスキンブルは知ってる?」
「知ってるよ」
この博学の青年の頭には、ありとあらゆるお宝の情報が詰まっている。
それは現実的な物から空想上、伝説上の物に至るまで何でもござれだ。
「タガーが盗み出した宝石こそ"筆頭"を示すものなんだ。
だから、この宝石を持っている家が筆頭貴族としての力も栄誉も手に入れることになる」
「たかが石一つで力も栄誉も手に入るってなあ無理じゃねえの?」
マンゴジェリーは現実的な男だ。
その意見はもっともだといわんばかりにミストフェリーズも頷いている。
「君らみたいに、普通からはみ出して生きてきたらわからないかもしれないね。
でもさ、力ある貴族が支配している土地で、その恩恵を受けながら生活している民はにとっては、
支配者である貴族の決めたルールは絶対的な力を持つ物なのさ」
「へえ。例えば、力と栄誉の宝石を持つ家が頂点ですって言えばそうなるってことなんだな?」
「そういうことだね。しかも、この宝石には更なる言い伝えがあってね」
ラム・タム・タガーの方を見て、スキンブルシャンクスはくすっと笑った。
「何だよ」
「その宝石はね、来るべき時が来たら、かつて繁栄を極めてあるとき突然海に沈んでしまった王国の
王族の血を引く者の手に渡り、その王国に導く道を指し示すと言われているんだ」
「・・・くだらねえ」
左の手で首飾りを弄びながらタガーは呟いたが、ミストフェリーズは目をキラキラさせている。
興味があるのかただおもしろがっているだけなのかは判断がつかない。
「タガーって海に沈んだ王国の王族かもしれないんだ?」
「それいいな。海に沈んだ伝説の王国が、スパイに身をやつした末裔の手によって復活するってか」
ミストフェリーズとマンゴジェリーは腹を抱えて笑い出した。
マンカストラップも苦笑している。
すっかり莫迦にされたようでおもしろくないラム・タム・タガーはふてたように海に目を向けてしまった。
「ねえ、それ僕にくれない?そんなに興味ないんでしょ?」
「やだね。これはオレ様が命がけでかっぱらったやつだ。ほいほいやれるかってんだ」
「命がけって、それどんな感じ?僕、そういう話はすごく好きなんだよね。
どんなふうに相手の家に忍び込んでどんなふうに盗んだの?それでどうして逃げられたんだい?」
俄然スキンブルシャンクスの目が煌めきを帯びる。
彼自身は安穏な生活に身を置いてきたのだから、全身全霊を懸けて挑むスパイや盗みなどには
憧憬に似た思いを抱いていたりするのだ。
「くだらねえ話だ」
「くららないどうかは聞いてから僕が決めるからさ」
強引と言えば強引だが、子どものように武勇伝をねだる新しい仲間にタガーも少し気を良くした。
全くの無自覚とは言え、鼻持ちならない貴族たちを沈めたらしいということも悪くなかった。
そして。
あの時、宝石を手に取ったあの時、タガーは否応なしに命を懸けるハメになった。
「そうだな。ありゃあ満月の夜だったかな」
そう言うと、ラム・タム・タガーは掌が失われて久しい左手に目を落とした。