嵐
嵐がやってきた。
普通なら陸に上がってやり過ごすのだが、
今回は少々遠くまで出ていた所為で戻るに戻れない。
「みなさん、集まりましたか?」
隊員たちを一つの部屋に集めたギルバート。
波はどんどん高く荒れてきている。
まずは、全員で乗り切るために対策を立てなければならない。
ギルバートは窓から外を見た。
風がきつくなってきている。
雨も激しい。
「隊長!このままでは下手すると沈みますよ!
甲板に出させて下さい!」
タンブルブルータスが我慢できないといった風に声を上げた。
「帆は下ろしたのでしょう?他に何かできますか?」
あくまで冷静にたしなめるギルバート。
落ち着きこそがこの場合は命運を分ける可能性がある。
「隊長!」
雨風と共に扉が開き、ボンバルリーナが船室に飛び込んできた。
彼女は操舵室で航路の指示にあたっていたはずだ。
「ボンバル、どうしたのです?」
「隊長、竜巻が発生しています。ぶつかるのは時間の問題かと」
「航路をずらして下さい。マキャあたりなら嵐の中の航行も経験済みでしょう」
操舵手のランパスキャットとマキャヴィティはキャリアが長い。
特にマキャヴィティは、天候不順での航海経験も豊富だ。
「それが、その・・・ちょっと操縦不能な状況でして」
「故障ですか?」
問い返すギルバートの顔が少し青ざめる。
首を傾げたのは整備士のコリコパット。
「おかしいな、これくらいの雨風じゃ故障するはずないんだけど」
「そうよ、無茶苦茶しなかったら大丈夫よ。昨日点検したもの」
さらに言うのはもうひとりの整備士ランペルティーザ。
どちらも若いが、整備技術は確か。
「とりあえず見てきます」
コリコパットが整備道具をひっつかんで飛び出していった。
ランペルティーザもそれに続く。
「・・・どうしたの?これ」
操舵室の悲惨な状況に、呆然と呟くランペルティーザ。
なんと、舵が見事に粉砕している。
「どうしたもこうしたも・・・なあ?」
「ちょっと動きが鈍いから力入れたら砕けたんだ」
ランパスキャットとマキャヴィティは、何がどうなったのかという顔だ。
それを聞いていたコリコパットがふるふると肩を震わす。
「お前らが壊したのかよ!?」
「いやだって、動かないからさ」
「この嵐で舵が重いのは当たり前だろう!?」
怒鳴っても事態は好転しないが、とりあえず叫ばなければ気が済まない。
「あんたたち、何年この仕事してるのよ!?
舵だって木でできてるの!無理な力入れたら壊れるにきまってるでしょう!?」
ランペルティーザもすごい剣幕でふたりの操舵手に詰め寄る。
その迫力に、さしものランパスキャットとマキャヴィティも後ずさる。
「ああもう、しずんだらお前らのこと恨んでやるからな」
修理道具を漁りながら毒づくコリコパット。
しかし、これではなおしようがない。
「もしかしたら・・・大丈夫かもしれません!」
じっと外を見ていたシラバブが声を上げた。
「大丈夫?竜巻とぶつからないってこと?」
「そうです。風向、風力、潮流などを考えれば、ぎりぎり直撃はないかと」
シラバブは航海天文学士だ。
気象を見るのは専門ではないが、周りの者に比べれば断然知識はある。
「信じるしかないわね。助かることを祈るしか、今はできないわ」
ジェリーロラムが言った。
ギルバートが頷く。
「接近します、構えてください!」
シラバブの声。
全員、床に伏すようにして身構える。
船体が大きく揺れ、船室の物が床を滑る。
すさまじい衝撃だ。
みしりと木が軋み、続いて何かが折れるような音がする。
「帆柱が折れたかもしれません」
この状況にありながら、ひどく冷静に言葉を口にするカーバケッティ。
床を転がりながら、ここまで落ち着いていると怖いくらいだ。
「うまくやり過ごしたようね」
強烈な揺れがおさまったところで、床に座って疲れたように呟くカッサンドラ。
床を転がされた隊員たちはあちこちをぶつけたようで、
痛いだの何だのとあちこちでうめき声が上がっている。
それから暫くして、嘘のように雲が晴れ海は穏やかさを取り戻した。
海の上にはカモメが軽やかに舞っている。
「これは酷いですね。何とかなりそうですか?」
折れた帆柱を前に、ギルバートは無駄だと思いつつも言ってみる。
「ありえない、ほんとありえない」
それは返事と言うよりほとんど喚きに近かった。
ランペルティーザが泣きそうな顔で甲板に座り込む。
「これは・・・さすがに修理できない」
コリコパットの言葉は、現実を突き付けるだけのものとなった。
「帆も張れないし、操縦もできないんじゃしかたないですね。
カッサ、ヴィク、他の部隊に連絡を取ってください」
ギルバートは自力での航行が不可能と判断した。
他の部隊に連絡できれば援助はしてもらえる。
「そうしたいのはやまやまなんですけど・・・」
珍しくカッサンドラが言葉を濁した。
ヴィクトリアも眉を顰めている。
「嵐で随分流されてしまったみたいで・・・
連絡ポイントが見当たらないし、もちろん他の部隊もいません」
「それは困りましたね」
本当に困ったものだ。
どうしたものか、ギルバートは考え込んだ。
「隊長が呼びに行けばいいんじゃないですか?」
無責任な発言をしたのはマキャヴィティ。
舵を壊した罰だと、ランパスキャットと共に帆柱の修理を命じられている。
所詮不可能なことだろうが。
「お前ら、何つくってんの?」
コリコパットが不審がって、ふたりの操舵手の手元を覗きこむ。
修理でないことだけは明らかだ。
「誰が遊べって言った?」
「まあまあ。どうせなら使えないもの直すより、使えるもん作るべきだろう」
そう言ったのはランパスキャット。
さらに、コリコパットを手招きして何かを耳打ちする。
コリコパットもやけくそなのか、それに頷いて船室に入って行った。
「何をしているの?」
ランペルティーザがマキャヴィティに問う。
「いかだ。これで助けを呼べる」
「正気?」
「この通り、正気さ」
折れた帆柱を器用に組み合わせて行くあたりもなかなか手慣れたものだ。
「さてと、下ろすか。タンブル手伝ってくれ」
男たちが力を合わせて筏を海に下ろす。
そこに、何かを抱えて戻ってきたコリコパットが作業に加わる。
「これでよし」
筏には大きめのスクリューが取り付けられている。
「何をつけたの?」
興味津々で見ているランペルティーザ。
「エンジンさ。何かに使えるかと思って積んであったんだけど」
エンジンなんてこの時代にあったのかしら。
そんな疑問をもつ必要はない。
「じゃあ、気を付けていってきてくださいね」
「へ?」
タンブルブルータスがひょいとギルバートを抱えあげて、いかだに乗せる。
「僕が行くんですか?」
「隊長がいないと船は動きませんから」
「でも、この船にも隊長は必要でしょう?」
「この船は動きませんから」
さくさくと切り捨てて、タンブルブルータスはふっと笑う。
この男、やる時はやるから任せて大丈夫かも知れない。
ギルバートは不意にそう思う。
横ではボンバルリーナとカッサンドラが海図を見ながら何やら打ち合わせ中。
マキャヴィティとランパスキャットが筏の方向を微妙に調整している。
「準備OKだ」
「それじゃあ行きましょう。しっかり掴まってて下さいね」
タンブルブルータスがギルバートに言う。
「ところでコリコ、これはどうやったら動くんだ?」
「そこに紐があるだろ。それ強く引いたら回転するはずだ」
「これか」
不安そうなギルバートと、やる気まんまんのタンブルブルータス。
その様子を見ていたマキャヴィティとランパスキャットが頷き合った。
「「GO!!」」
太い声が綺麗にハモる。
ぐいっと紐が引かれる。
爆音とともに筏が飛ぶように海上を滑りだした。
ギルバートは咄嗟に筏の縁を握りしめ、
タンブルブルータスは咄嗟に紐を握りしめた。
「タンブル!紐を放せ!」
コリコパットが叫ぶ。
しかし、それも爆音にかき消されて届かない。
「・・・まあ、いっか」
全くよくはない。
残された隊員たちは、のんびりと隊長と副隊長の帰りを待つことにした。
「・・・僕、何をしているんでしょうか」
すごいスピードで波の上を滑りながら、ギルバートは呟いた。
もっとも、そんな呟きも一瞬後には海の上に置き去りにされて
ギルバートの耳にすら届かないのだが。
ギルバートは、タンブルブルータスがひっついてきていることを、
もちろん知る余地もない。
時折、飛び魚が目元をかすめるように飛んでいくのに肝を冷やしつつ、
ただ振り落とされないように掴まっているしかない。
「これ、一体どこに向かっているんでしょう・・・って、岩!?」
目の前に忽然と姿を現したごつごつした岩の塊。
あまりに突然で避けようがない。
もっとも、先に気づいていたからと言って避けるすべなど無いが。
「ぶつか・・・っ」
反射的に目を閉じ歯を食いしばる。
しかし、思っていたような衝撃は無く、むしろふわりと浮いたような感覚。
妙な無重力感にギルバートは目を開けた。
どうやら筏ごと空中を飛んでいるようだ。
あのスクリューが、今度は空中での推進力に変わっているのかと
ぼんやりと考えてみる。
「・・・った!」
奇妙なうめき声とともに砂地に軟着陸。
目の前には見たことのあるような建物が並んでいる。
とりあえず、助かったようだ。
筏は形をとどめたまま砂にさっくりと突き刺さっている。
思いのほか丈夫に作られているようだ。
さすがにエンジンはもう動いていない。
壊れたのか。
ギルバートはぼんやりとあたりを見回した。
これからどうしようか、そう思いながら。
「おや?南方司令部管轄第一艦艇部隊ギルバート隊長では?」
長々と正式な肩書を言う声に、ギルバートは振り返った。
立っているのは、海軍総本部の制服を着た男性。
ということは、ここは海軍の中央司令部の前だ。
「あ・・・ジョージ総司令官!?」
めっぽう若い海軍の長。
名前は平凡だがその際は非凡だ。
少し離れて立っているのは、この総司令官が可愛がっているという通信員か。
確かビル・ベイリーという名前だ。
「こんなところで何をしている。職務怠慢は感心しないな」
「いえ、違うんです。ちょっと嵐にあってしまいまして・・・」
ギルバートは、竜巻に遭って立ち往生せざるを得なくなった経緯をざっと話す。
ジョージはその話を眉をひそめたまま聞いていた。
「・・・というわけなんですが、助けていただけませんか?」
「そういうことなら仕方ないが・・・」
ジョージは相変わらず苦虫を噛み潰したような表情のまま。
「むしろ、そんな薄情な部下たちなど放っておいたらどうだ?」
「それもそうですね」
あっさりと。実にあっさりと、ギルバートは返事をする。
「では行こう。筏で来たのなら疲れているだろう?」
ジョージはギルバートと連れだって、海軍本部に向かい始めた。
と、その時。
「放っておくんかい!!」
ものすごい突っ込みが入った。
何事かとギルバートとジョージが振り返る。
「あ、タンブル」
ずぶ濡れの部下を見て、ギルバートはぽつりと呟いた。
何でここにいるのだろうか。
「君は、ギルバート隊長の部下のようだがどうしてここに?
泳いでここまで来たのか?」」
ギルバートの代わりにジョージが尋ねる。
それはこういうわけだ。
筏が岩にぶつかった瞬間、タンブルブルータスは咄嗟に紐を放した。
筏は前に飛んだが、彼は衝撃で高々と舞い上がった挙句海に落ちたのだ。
岩場から陸地まではさほど遠いものでもない。
タンブルブルータスは泳いでここまでやってきたのだ。
「総司令官、やっぱり僕は戻らないといけないみたいです」
「そうだな、ここまで慕ってくれる部下がひとりでもいる限り戻るべきだ」
微妙な勘違いだが、これでギルバートたちの部隊は助かりそうだ。
一方、隊長と副隊長がいなくなったギルバート部隊は。
「隊長、大丈夫かしら」
「大丈夫じゃない?向かった方向は間違ってないもの」
やや心配そうなカッサンドラと、楽天的なボンバルリーナ。
振り落とされさえしなければ、何かと衝突さえしなければ、
海軍本部の方に向かったのは間違いないから辿り着けるはずだ。
「問題はタンブルだよな」
「あいつはしぶとそうだからきっと大丈夫だ」
コリコパットとカーバケッティものんびりと言葉を交わす。
さほど心配している様子もない。
「どこかで沈没してなきゃいいけどな」
「問題なかろう。海軍隊長が乗ってるんだぞ」
「でも、もし何かにぶつかったりしたらどうするんだ?」
甲板の手すりに体重を預け、ぽつぽつと会話するのは
こんな事態を招いたランパスキャットとマキャヴィティ。
「まあほら、そこは運を天に任せてだな・・・」
ランパスキャットがそう言ったその時、黒い物体が彼の後頭部を直撃した。
もともと身を乗り出していた体勢も手伝って、
その長身はあっさりと手すりを乗り越えて海に転落する。
「あ・・・」
間抜けた声を零し、マキャヴィティは海を見下ろす。
「反省が無いのは困りますね」
その声に振り返った彼が見たのは、フライパンをもったシラバブ。
隣にジェミマが立っているから、きっと彼女が貸したものだろう。
「浮き輪くらいあげるわ」
ジェミマが救助用に使う浮き輪を放り投げる。
「お、不幸コース一直線」
呟いたのは、様子を見ていたカーバケッティ。
ぼんやりと海から顔を覗かせているランパスキャットめがけて
浮き輪は寸分の狂いなく飛んでゆく。
がすっと鈍い音がして、飛行物体がランパスキャットを襲った。
「ランパスって石頭だから」
コリコパットが何の慰めにもならない言葉を並べる。
「あ」
お喋りがてら、一応見張りもしていたボンバルリーナが
望遠鏡を覗いたまま声を上げた。
「ランパス、鮫!」
「鮫!?」
ぼんやりしていたランパスキャットが急に覚醒する。
海に出るもの、鮫の恐ろしさは充分承知だ。
「後ろ!」
その声に振り返れば、きらりと光る刃物の歯列が案外近くにある。
「おわっ!?」
焦ったランパスキャットは、浮き輪についているロープを一気に駆け上がった。
「・・・という夢を見たんです」
しらけた空気の中、ギルバートは話を締めくくった。
ボンバルリーナやコリコパットは欠伸を噛み殺している。
カーバケッティも、白けた目で隊長を見やっている。
仮眠中に起こされたランパスキャットは、再び夢の世界。
シラバブやタンブルブルータスはややショックを受けているようだ。
夢とはいえ、自分は隊長に何と思われているのだろうかと。
さらにショックを受けていたのはディミータ。
一度も自分の名前が出てこなかったのだ。
ギルバートが学生の自分から交流があったし、長年共に働いてきたのに。
タントミールも、名前が出てこなかったショックは隠せない。
船を下りて久しいジェリーロラムの名前は出てきたのに。
「嵐、行ってしまったみたいですね」
それぞれが微妙な空気を味わっている中で、カッサンドラが言った。
船の揺れもおさまっている。
「何の被害もなく嵐をやり過ごせましたね」
ギルバートは満足そうだ。
「夢オチって・・・たち悪いよね」
「確かに。とりあえず整備に行こうぜ」
ランペルティーザとコリコパットが立ちあがって、船の点検を始めた。
大きな損傷はなさそうだが、念入りに点検しなければならない。
「綺麗な夕日ね」
「そうね。私、そろそろ夕飯の準備しなきゃ」
ヴィクトリアは窓から夕陽を眺め、ジェミマは台所に姿を消した。
同じようにぼんやりと夕陽を眺めていたマキャヴィティ。
はっとしたように真顔になった。
「おいランパス!」
寝ている相手をゆさゆさと揺さぶる。
寝起きの悪いランパスキャットはものすごく不機嫌そうに唸った。
「俺たちって昨日は夕陽を背にしてたよな!?
進路って変更してないよな!?」
「変更はしてないわよ」
ただ揺さぶられている男の代わりに、航海士のボンバルリーナが応える。
進路決定をしているのは彼女だから間違いない。
「だったらなぜ窓から夕陽が見えるんだ!?」
「それは、きっと風邪で流されたからだわ」
ヴィクトリアがほんわかと言った。
「ああっ!来い、ランパス!ボンバルも来てくれ!」
マキャヴィティがランパスキャットを引きずって、操舵室に向かう。
ボンバルリーナは苦笑しつつその後を追った。
「嵐の中を航行するのに操舵手まで呼び出す隊長がどこにいます?」
カーバケッティが毒づいた。
ギルバートはふわりとほほ笑み、ここに、と自分を指した。
頭が痛くなったカーバケッティは、溜息をついて甲板に出て行った。
「僕も風に当たってきます」
そう言って、ギルバートも甲板へと出る。
嵐が過ぎ去った穏やかな海。
朱に染まる水平線を眺めるのは気持ちがいい。
「隊長、ちょっと」
優しい風に目を細めていたギルバートに、背後から声がかかる。
「タント、どうしたのですか?」
「少し、健康管理に問題があったのではないかと思いまして」
「僕ですか?何も悪いところはないですけど」
そう言うが、タントミールは淡々とした様子で体温計を取り出し
ギルバートの口に咥えさせた。
「夢見がお悪いようなので、軽く診察いたします。
すぐ戻ってきますのでそのままでいてくださいね」
そう言うと、スレンダーな軍医はさっさと船室に引き返した。
ギルバートは仕方なく、体温計を咥えたまま再び海を見つめる。
「たいちょ・・・?」
用があって甲板に顔を出したディミータは、固まった。
黄昏ゆく海と空を眺めるギルバートの横顔は、
元々の端正な顔立ちも手伝ってなかなかに素敵なものだ。
体温計さえなければ。
「タント、気持はわかるわ」
用は後回しにしよう。
ディミータは船室に戻りながら呟いた。
嵐は過ぎ去った。
明日からまた、日常が戻ってくるだろう。
ギルバートが隊長になったばかりの頃、ジェリーが監察役で船にいました。
みんながみんな適当なことを言っているのは夢だからってことにしておいてください。
夢落ちなんてふざけんなこの野郎、とかは胸の内で呟いていただければと。。。