Jellicle Battle
疾きこと風の如く
階下を見るランペルティーザの目はきょろきょろと忙しないようだが、
それでいて本職は泥棒である彼女の視線は的確に情報を捉えている。
フラッグは一本、カウチの前に置かれているローテーブルに立てられていた。
頑丈な天然木の一枚板にどうやって挿したのかと訝ったのも束の間、
鋭い目はフラッグの刺さっている部分が黒く変色して朽ちているのをすぐに見抜いた。
もともと洞があったのかもしれない、他の部分より柔らかいようだ。
「・・・こっちが小さい」
ぽつりと零れたランペルティーザの呟きを、隣に立っていたジェミマの耳は確りと聴いていた。
彼女は内心途方に暮れていた。
生粋の野良猫であるジェミマは、身体能力も反射神経も十分に持ち合わせている。
厳しい世界を生き残ってきたからこそ、そこに自信はあった。
同時に、より強い者こそが争いに勝ち生き残ってゆく現実もよく理解していた。
ランペルティーザの速さも、マンカストラップの強さにも決してかないはしないのだ。
となれば、ジェミマが拠り所にするのはより長い時を生き抜いてきた賢者の知恵だ。
そう、ジェニエニドッツ。
小さくていい、手の届くところに全力で挑むことが大切だ。
ジェミマが目をあげると、マンカストラップは早々に階段の前に移動していた。
「おう、マンカス。余裕だな」
「問題はない、全力で行く」
タガーの言葉を受け流し、マンカストラップはくるりとふり返った。
顔を上げたランペルティーザと、そして移動しようとしていたジェミマと、視線がぶつかる。
「良い眼だ」
闘う者の眼。
覚悟の宿る双眸。
悪戯に煌めくランペルティーザのチョコレートブラウンの瞳と明るく潤むジェミマのモカブラウンの瞳。
どちらの少女も大きな褐色の眼を持っている。
成長途中の彼女らの持つ輝きを如実に映し出す柔らかなブラウンは皆に愛されている。
彼女らに請われるなら、お菓子の一つや二つ渡したってマンカストラップは構わないのだ。
でも、これは勝負だ。
勝つか、負けるか。
「手は抜かないぞ」
マンカストラップは口許を片方だけ僅かに吊り上げて言った。
「当然」「必要ないわ」
ランペルティーザはにやりとして、ジェミマはむっとしたように即答する。
わくわくとした様子のランペルティーザは、どこか相棒のマンゴジェリーに似ている。
危険を顧みない無鉄砲さと優れた危機察知能力を同時に持ち合わせる彼女は、
その年齢以上に子供っぽく見えるにも係わらず時折ハッとするほど鋭い言動を見せた。
彼女と共に生きていたマンゴジェリーがそうであるように。
一方のジェミマは、泥棒猫の片割れとは違って年齢以上におとなびて見える。
それは彼女が女性として美しくなり始めたからかもしれない。
ジェニエニドッツに、ジェリーロラムに、そしてタントミールに、
たくさん愛情を注がれ女性らしい振る舞いを教わってきたのだ。
最近ジェミマが色気づいて困ると喧嘩猫が嘆息していたのはつい先日のことだ。
「もう作戦は決まったのか?」
「いらない」
ランペルティーザは茶色の目をすうっと細める。
「臨機応変出たとこ勝負。どう?」
「あたしは」
ジェミマは茶目っ気たっぷりにウィンクしてみせる。
「一所懸命。これにつきるわ」
それぞれに、らしい答えだ。
頷いたマンカストラップは、再び階段に向き直った。
「おう、勝った奴は俺がデートしてやるぜ」
「ウソ!?」「勝つ!」
コース取りを確認しているマンカストラップの背後で、お調子者の声がする。
リーダー猫はそんなものに動じることなく作業に集中している。
ランペルティーザとジェミマは俄然テンションが上がったようだ。
「ちょっと、何で敵に塩を送るようなことするのさ!?」
「いいじゃねえか、頑張ってる娘さんに褒美くらいあったって」
タガーとミストフェリーズの口げんかは今に始まったことではなく、
まるでそんなもの存在しないかのごとくランパスキャットが口を開いた。
「よし、スタンバイしろ」
マンカストラップがことを進めるのでなければ、二番手のランパスキャットがその役目だ。
白黒のぶち猫はだるそうに壁に寄りかかったまま、
ランペルティーザとジェミマが所定の位置に付いたのを薄目を開けて確認した。
「バストファさん、お願いします」
「オーケーオーケー。では。On your mark...Get set!」
全員が体勢を低くして構える。
「Go!」
ランペルティーザは滑り出すように、ジェミマは跳ねるように、それぞれ絶好のスタートを切った。
これ以上ない好スタートだ。
だが、その少女たちの間で弾丸のように飛び出した猫がいた。
そう、マンカストラップだ。
早っと誰かの呟きが聞こえる。
その時彼は既に踊り場に前脚で着地して後足で床を蹴り上げながら90度左に向きを変え、
目の前に迫った壁に両前脚を着いて全身を捻ると両後ろ脚で壁を蹴って再び階段に降り立った。
華麗なステップで一階までは残すところあと五段。
太く立派な脚が階段を蹴り、一気に彼の身体を一階の床へと運ぶ。
「すごーい」
シラバブが無邪気に歓声を上げる。
「マジで容赦ねえな、アイツ」
「マンカスは冗談は言わないからね」
真面目すぎてユーモアのセンスに欠けるということでもある。
そんな冗談を言えないシルバータビーのリーダー猫はローテーブルには目もくれず、
ダイニングの方をざっと見回すと倒れたダイニングチェアに向けて加速した。
大きい方のフラッグが立てかけてある。
これはもう間違いなく彼のものだった。
がっちりした手がフラッグに伸びる。
これを獲れば彼は勝者だ。
そして勝者への褒美は---
爪が触れるその一寸前、突然マンカストラップは肩を震わせて動きを止めた。
彼の脳裏に浮かぶのは、かの厄介な派手猫のウィンク&投げキッス。
そして、その背後にはジェミマの影が迫っていた。
速さと力強さを見せつけられたランペルティーザは、
持ち前の身軽さを活かして踊り場付近でジェミマを引き離した。
マンカストラップが左に曲がったのを目の端に捉えて、小柄な階段を一気に駆け下りると右に曲がる。
小さい方のフラッグがローテーブルのところにあるのはわかっているのだ。
躊躇う必要はない。
例え大きい方のフラッグが取れなくてタガーとデートができなくても、それはそれだ。
そこここにあるヒトの生活の残骸を目にも止まらぬスピードでよけて、
背の低いカウチは一気に飛び越えると目の前にローテーブルがあった。
「獲ったわ!」
はっしとフラッグをつかみ取り、ランペルティーザは高らかに言った。
「よっし、よくやったランペル!」
階上からカーバケッティが声を掛ける。
少ない点数でも堅実に積み上げることが大切だ。
チャンスは元手になるものがあってこそ生まれてくる。
ジェミマは階段を下って反射的に左に折れていた。
目の前にいたランペルティーザが右に行ったから、ただそれだけの理由だ。
先にマンカストラップが左に行っているはずだが、瞬間的にどちらが最良かなど判断できない。
彼女はまだまだ経験の少ない少女なのだ。
左に向いた瞬間、当然ジェミマの目にはサバトラ模様の毛並みが目に入った。
その手は既にフラッグに伸ばされている。
「?」
全力で走りながらジェミマは不思議な感覚に陥っていた。
マンカストラップが動かないのだ。
伸ばしかけた手は不自然にそこで止まっている。
まるで彼だけが時を止められたかのように。
どうなっているのかはわからない、でもこれはチャンスなのだと彼女は悟った。
床を蹴る脚に力を込めて、一気にフラッグとの距離を詰める。
あと少し。
ジェミマは距離を測ってフラッグに飛びかかった。
獲った、という高い声がマンカストラップの意識を引き戻した。
獲物を前にした本能で、あと少し足りていなかった距離を縮めてマンカストラップはフラッグを掴んだ。
次の瞬間、勢いよく飛んできたジェミマが悲鳴を上げてローテーブルの向こうに突っ込んで行く。
だが、今のマンカストラップにジェミマを労っている余裕はなかった。
手の中にある大きい方のフラッグを見つめる目は見開かれている。
「・・・獲った、のか」
呟いた声は掠れていた。
「何の音?どうしたの?」
「おーい、マンカスどうしたんだよ」
上からは見えない位置にいるマンカストラップとジェミマに向けて猫たちが声を掛けてくる。
「負けたー!」
ふるふると頭を振ってジェミマが口惜しそうに叫ぶ。
階上の猫たちはそれぞれに歓声を上げたりジェミマを励ましたりする。
「第二バトル終了!」
バストファジョーンズの声は相変わらずよく響く。
「結果はマンカストラップに2ポイント!ランペルティーザに1ポイント!」
結果が告げられた瞬間、マンカストラップはフラッグを放り出して
素晴らしい勢いで二階へと駆け上がり、目に入った派手な猫の首元を締め上げるように掴んだ。
ラム・タム・タガーの喉からは潰れたような変な声が漏れた。
「タガー!」
「な、何だよ?」
「デートの話だが、俺は世界が滅んでも貴様とデートなぞせんからな!」
「はあ!?」
声を上げたのはタガーだけではなかったようだ。
「誰がテメエとデートなんぞするか!褒美っつったのはランペルとジェミマのことだっつーの。
ふざけんな、これでテメエが勝ったんじゃなかったらぶっ飛ばしてるぞ!」
「それを聞いて心底安心したぞ」
あっさりとタガーを解放し、マンカストラップは晴れ晴れとした笑顔を見せた。
「めでたく2ポイント取れたことだし、これで振り出しだな」
「そうね。全チーム2ポイントで並んだわ。ありがとうマンカストラップ」
お疲れ様、とカッサンドラが微笑む。
「さて、早速次だな」
己の勝負が終われば、マンカストラップは再び役目を果たすためにリーダー猫になる。
「何となく次が勝負所になりそうな気がする」
のんびりと寝転がっているおばさん猫をひょいと飛び越えて、前に出てきたのはコリコパット。
「そりゃあ責任重大。俺には向かねえな」
飄々とそんなことを言ってのけるのはマンゴジェリー。
「そう難しく考えることはない。ただ、戦うのみ」
大きな身体をゆらりと持ち上げて、マキャヴィティが低く呟く。
「なるほど、軽量級、中量級、重量級が揃ったわけだね。おもしろそうだ」
クスクスと笑うスキンブルシャンクスはすっかりくつろいでこのゲームを楽しんでいるようだ。
「すばしっこさなら勝てると思う」
「オレは速さなら負けないな」
「重みがある方が一度エンジンが掛かると強いぞ」
三匹の雄猫の間で火花が散る。
三者三様の戦法が、このゲームの行方を握る。
かもしれない。
最初から勝負が見えてそうな試合で予想通りの結末。
という感じでしょうか。
マンカスがあっさり勝つのもどうかと思っていたら
なんかぐだぐだと勝負前の部分が長くなりました;
さて次。次か。。。