Jellicle Battle
シーソーゲーム
踊り場から下の状況を確認しているタントミールの表情が曇っている。
ヴィクトリアも、シラバブだってそうだ。
その様子を訝しがった他の猫たちも同じように困ったような表情を浮かべていた。
「フラッグがどこにも無いわ」
「でも、さっきバストファさんは準備できたと言っていたでしょう?」
「両方とも見えないところに置いたということですか?」
戦いに挑もうとする雌猫たちは口々に言うが、言っても何も現れはしない。
「下って探すしかないわね」
タントミールはあっさりと諦めてスタート位置に向かった。
対戦相手は少女のヴィクトリアと幼子のシラバブだ。
どれほどタントミールが華奢だとは言え、成長途中の彼女らよりも身体はしっかりとできている。
まずは確実に折り返せるコースを見極め、下りきったら即左に折れてフラッグを探す。
落ち着いてフラッグを見つけることができれば勝ちはほぼ確実のはずだ。
「見つけやすいところにあるといいけれど」
ヴィクトリアは小さく首を傾げて呟いた。
今、彼女のいる黄色チームは大きく他をリードしている。
焦ることなどまるで無いのだ。
対戦するタントミールとシラバブは、スピードもパワーも恐れることはない筈だし、
秘めたる闘志ならば彼女らに劣ることは考えられない。
「頑張ります!」
シラバブの声には、緊張しつつもわくわくとした感情がにじみ出ている。
それを聞いてスキンブルシャンクスは小さな戦士に何やら耳打ちをした。
きょとんとして、それでもしっかり頷いたシラバブは階段の前に立った。
踊り場まで駆け下りて、少しスピードを緩めながら向きを変えて、また駆け下りる。
それから左側に曲がって・・・
「よし!それではスタートだ。バストファさん、お願いします」
少しざわめいていた猫たちが、マンカストラップの声でぴたりと黙る。
「よしよし、では始めよう。On your mark...Get set!」
タントミールとヴィクトリアは少し体勢を低くする。
シラバブは僅かに息を止めた。
「Go!!」
反応が早かったのはヴィクトリア。
タントミールが続く。
シラバブが小さな体で必死に追ってゆく。
「タントの折り返しが一番きれいだわ」
「無駄がないな。まあ、経験の差だろう」
ランペルティーザとマンゴジェリーが並んで分析している間に、
ロスなく折り返したタントミールが先頭に躍り出た。
少し脚を緩めたヴィクトリアが追う形になる。
シラバブがシンガリというのは変わらない。
「・・・?」
思い描いた通りに階段を下り、左に折れたタントミールは思わずスピードを落とした。
フラッグがどこにも見当たらない。
「落ち着くのよ」
焦りそうになる自分に言い聞かせ、タントミールは再びスピードを上げた。
フラッグは無いのではない、見えないのだ。
俯瞰していた位置からも見えなくて、今現在立っている場所からも見えないところ。
そこにフラッグはある。
問題があるとすれば、タントミールが空間認識を苦手としていることだろうか。
理屈はわかるが、空間の構成を想像できない。となれば。
「行くしかないでしょ!」
猛然とダイニングテーブルに突っ込んでいくタントミールの後ろで、
ヴィクトリアはいったん足を止めた。
位置を変えれば見えるものもあるかもしれないと判断し、カウンターキッチンの方に向かう。
倒れた椅子、先ほどマキャヴィティが床を抜いたときに剥がれたと思しきフローリングの板、
汚れたままのビン、テーブルクロスなのか布巾なのか判断の付かない襤褸切れ。
色々なものが散乱している。
それを避けつつ、時には踏み越えてヴィクトリアは慎重にフラッグを探した。
「えっと・・・」
遅れたシラバブは、カウンターキッチンを見て目を輝かせた。
高いところから見渡せば大体のことは見えてくるよ、というのはスキンブルシャンクスのアドバイスだ。
まだタントミールもヴィクトリアもフラッグを手にしてはいない。
状況から見て、フラッグの位置すらまだわかってはいないようだ。
シラバブは躊躇うことなく、倒れた椅子を踏み台にカウンターテーブルに飛び乗った。
「あった!」
「ここに違いないわ」
「見つけた!」
声を上げたのはほぼ同時。
いち早くフラッグに向かったのはタントミール。
それはダイニングテーブルの向こう側で、床に空いた小さな穴に挿し込まれていた。
もう一本は更にその向こう、転がったダストボックスのかげに立てかけられている。
目ざとくそれを見つけたヴィクトリアが走り出そうとする。
「ダメです!」
それに気づいたシラバブは反射的にテーブルから身を躍らせた。
ヴィクトリアにだけは点数を取られちゃマズイんだよね、そう言ったのもスキンブルシャンクスだ。
独り言のようでもあったけれど、彼がそう言うのだからヴィクトリアには負けてはいけない。
「え?」
思わず振り向いたヴィクトリアが、その時細長い板切れに乗っかっていたのは偶然だった。
その板切れの下に濁った酒瓶があったのも偶然だった。
そして、ヴィクトリアが乗っかっていた方と反対側の板切れにシラバブが着地したのも偶然だ。
偶然でないものが一つあるとすれば、むしろ必然と言えるのはシーソーの原理が働いたことだけだ。
支点には酒瓶が、作用点にはヴィクトリアが、そして力点にはシラバブが。
シラバブが描いた放物線とその速度、重力加速度と空気抵抗諸々はよくわからないとしても、
結果だけ見れば幼子がもたらした衝撃は華奢な猫一匹を弾き飛ばすには十分だったと言える。
「獲ったわ!大きい方よ!」
タントミールが声を上げる。
下の状況がよくわからないまま、二階の猫たちが盛り上がりかけたその時。
廊下に空いていた穴から白い物体が飛び出してきて、そのまま天井に吸い込まれていった。
もともと、天井板は雨漏りで欠落していた。
目を剥いて天井を見上げる猫たちの前を、今度は白い塊が落下してゆく。
「ヴィク!?」
焦った声を上げたのはミストフェリーズだった。
動体視力の優れた黒猫は、愛すべきヴィクトリアの身に起きた異変に慌てて床の穴を覗き込んだ。
ヴィクトリアも猫だ、これくらいの落下はなんてことないかもしれない。
でも、怪我でもしようものなら一大事だ。
黒猫の目が煌めいて、その手には力が急速に集まってゆく。
当のヴィクトリアはこの状況をそれなりに楽しんでいたのだが、周りはそうもいかない。
「ヴィク!」「ヴィクトリア!」
ミストフェリーズの絶叫に近い声と低く響く声が重なり、
次の瞬間ヴィクトリアはほとんど何の衝撃もなく温かな腕の中にいた。
厚い胸板、まぶしいまでのヤマブキの毛並が彼女の視界を埋め尽くしている。
「・・・マキャ?」
「無事だったか?ヴィクトリア」
「ええ、勿論。あなた、どこにいたの?」
「随分下まで落ちてしまって、今上がってきたんだ。そうしたらヴィクトリアが降ってきて驚いた」
「まあ、すごく良いタイミングね。マキャってば王子様みたい」
無邪気に言うヴィクトリアだが、その時既にシラバブが残っていたフラッグに手を掛けていた。
「獲りました!」
小さいフラッグはクリーム色の仔猫の手に収まっていた。
それを確認した太っちょの猫は、ちょび髭をいじりながら何度か頷く。
「第五バトル終了!結果はタントミールに2ポイント!シラバブに1ポイント!」
黄色チームを封じ込めた残り二チームのメンバーたちが歓声を上げる。
「ねえちょっと!あの演出必要だったの!?ねえ、必要だった!?」
「いや、俺に訊かれてもちょっと・・・」
ポイントを取り損ねた上に王子様ポジションまで浚われたミストフェリーズは
憤懣やるかたなしといった様子でマンカストラップに詰め寄っている。
「落ち着いてくださいよ、ミスト。これは純然たる勝負の結果なんですから」
盛り上がる仲間たちをよそ目に、静かに準備を始めたギルバートがクスッと笑って言う。
「ハプニングはつきものよ。大丈夫、私が勝負を決めてくるから」
ウィンクをしてみせるのはジェリーロラム。
「そう簡単にはいかんと思うが」
ゆらりと立ち上がりながらタンブルブルータスがつぶやく。
「よし、ギル、ジェリー、タンブル。スタンバイだ」
マンカストラップは黒猫から逃げるように次の対戦者たちに指示を出す。
「尻尾を巻いて逃げるなら今のうちだぞ」
タンブルブルータスの見えるか見えないかの幽かな笑みには一種の凄みがある。
「戦う前から逃げるなど、僕は考えたこともありませんよ」
ギルバートは平然と返す。
「情け無用よ」
ジェリーロラムも毅然と撥ね付ける。
戦局は重要な局面を迎えている。
どれほど優位に立とうとも、決して油断はしない。
どれほど劣勢であろうとも、決して諦めはしない。
全ては、この戦を勝ち抜くために。
途中経過はこんな感じ。
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赤:5 ポイント 黄:7 ポイント 青:3 ポイント
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挽回の兆しが見えたようにも思える。
青チーム頑張れ。
ミストフェリーズは突っ込みポジションですよね、たぶん。