異世界通信
「つまりね、異なっていながら重なっている空間があるんだよ」
ミストフェリーズは、せっせと甲板作業に精を出しながら言った。
マンカストラップは首を捻っている。
想像力に掛けるこの男には理解しがたいだろう。
「並行世界ってやつか?」
「ちょっと違うかな」
空のくせに妙に重みのある木箱を積み上げつつ、
わからないかもしれないけど、と前置きをしてからミストフェリーズは話し出した。
「並行世界ってくらいだからね、それは僕らのいる領域と似た場所だろうね。
いやあ、似た場所というか一緒というべきなのかな」
説明できるもんでもないんだよねとミストフェリーズは小さく首を傾げた。
うまい言葉が見つからないのだ。
この世のものでないものを説明する為に、この世界の言葉を何万言重ねても足りない。
「つまりね、並行世界と僕らの今いるこの世界は同じもので構成されている。
辺りは空気で満ち満ちて、水や木、土に火があり僕らのような生命体がいる。
でも、僕の言う空間はちょっと違う・・・っと」
「大丈夫か?これを置けばいいんだな?」
五つほど木箱を積み上げた時点で、ミストフェリーズの背丈では
この邪魔な物体を積む作業は手に余った。
マンカストラップが軽々とそれをやってのけるのを
ミストフェリーズはやや不貞腐れて見ているしかなかった。
「いいよね、背が高いって」
「そうだろうか。まあそれはいいが、続きを話してくれ」
「うん、そうだったね。ああ、あの世とこの世ってわけでもないよ。
僕の言う空間には、こことは似て非なるものが存在するんだ。
構成が違うのさ。辺りに空気が満ち満ちているとは限らないよ」
その異世界にも水のようなものは存在するだろう。
だが、この世界の水とはきっと違う。
空気も、土や木も、たぶん似たようなものは存在しても決して同じではないのだ。
マンカストラップはますます難しい顔になった。
わかるはずはないだろう。
実際にその空間を見ることは彼にはできないのだから。
「海の精霊に会ったとか、天使を見たとかいう奴らがたまにいるだろう?
それも、そういう異空間に住む者たちが不意に見えてしまったんじゃないかな。 ここと向こうが非常に接近していて隔たりが薄い場所ってあるんだよ」
「・・・信じがたいな。だが、ミストが言うならそうなんだろう」
「そうさ。あるんだよ、そういう世界も。
そこに住んでる者を仮に精霊と呼ぶとね、その精霊はそこに飛んでる海鳥の
何倍も速くその空間を翔けることができるんだよ。彼らに任せれば安心さ」
どうしてこういう話になったのか。
そもそもは、マンカストラップがミストフェリーズに相談したのがきっかけだった。
スキンブルシャンクスに連絡を取りたいが、良い手段はないかと。
ミストフェリーズは、異世界の精霊に伝言を頼むと言い出したのだ。
「で?何を伝えるんだっけ」
「中央に戻った時に出されるお茶に催眠剤を混ぜてほしいと」
「あそっか。なんか古典的だよね、手っ取り早いけどさ」
ギルバートと直接対峙するには、隊員たちを眠らせておくのがいい。
司令部に帰ると、隊長は真っ先に帰港報告に行かなくてはならない。
その間に、隊員たちはどこかの部屋に通されて隊長の戻りを待つのだ。
その時には司令部の軍員がお茶を出してくれるのが普通だ。
「古典的だろうが、確実に策を進められる手段を選ぶしかない。
スキンブルなら睡眠薬を手に入れることくらい朝飯前だろう」
「そうだろうね、スキンブルってしたたかに何でもやってのけるから。
う~ん・・・長い伝言は無理なんだよなあ、どうするかなあ。
マンカス、周りには誰もいないかい?」
ミストフェリーズに尋ねられ、マンカストラップは慎重に辺りの気配を伺った。
天気は悪くないが、風もあって少々冷えるこの季節。
用もないのに甲板に出てくる隊員たちはほとんどいない。
船首付近でボンバルリーナが見張りに立っているが、こちらを振り返る様子はない。
「大丈夫のようだ・・・何をする」
「スキンブルに直接は伝えられないんだよ。
スキンブルは異世界と交信をすることができないからね。
心配ないよ、僕が失敗すると思うかい?」
ミストフェリーズはにやりとしてみせた。
失敗するとは思わないが、不安ではあるとマンカストラップは胸中で呟いた。
そして、ミストフェリーズは胸の前に軽く両手を構えた。
ぶつぶつと何か唱える声が聞こえ、その両手の間に何か別の空間が現れた。
はっきりした境界があるわけではない。
それでも、そこが別の空間に通じているという妙な感覚は
少々鈍いンカストラップにもはっきりと自覚された。
マンカストラップが驚きに言葉を失っている間に、
ミストフェリーズは空間の向こうとのやり取りを終えていた。
「・・・驚いた、としか言えないな」
「そうだろうね。大丈夫、ちゃんと伝言してくれるってさ。
この世界の何よりも早く伝えてくれるよ」
「だが、スキンブルに伝えられないなら誰に伝えるんだ?」
「弟だよ」
遠くに目をやり、ミストフェリーズは答えた。
同じような能力を持って生まれた弟のクアクソー。
彼ならば、異空間を通じた伝言も受け取れる。
「気づいてくれるのを待つしかないんだけどね。
きっと気付くと思うんだ、双子ってそんなものだから」
「そうか。間に合うことを祈ろう、俺たちに他の手段はないからな」
「うん、必ず思い知らせてやるよ。海賊の恐ろしさを」
陽が落ちかける赤い海の彼方。
そのどこかにいる仲間。
「さあて。これ、全部積まないといけないんだけど」
「届かないんだろう?手伝おう」
ギルバートには随分固い包囲網がある。
それを崩さなければならない、焦りは禁物だ。
本気のギルバートらがどれほど強いかはまだわからない。
だが、訓練や違法商船との小競り合いで多少の手の内は見えている。
せっせと木箱を積み上げながら、マンカストラップは笑みを噛み殺した。
もうすぐだ。
もうすぐ待ち望んだ時がやってくる。
うまくいく、そんな気がするのだ。
アイ ニ コイ タノミ ガ アル
「寂しい男見ぃつけた」
黒々とした海に、さらなる不気味さを加える大小様々な岩。
長い歳月で風化し、波に削られた荒々しい姿。
そこにちょこんと腰かけた青年は、艶やかな声の方に煌く金の瞳を向けた。
「なんだ、君か」
「なんだとは失礼ね。レディ相手にはもう少し言葉を選ばなきゃ」
「そういうのあんまり興味無いんだ、悪いけどさ」
興味はないけど美しいとは思う。
クアクソーは近づいてきた愛らしくも妖しく艶やかな女性、
グリドルボーンのために少し身体をずらして隣をあけた。
離れたところに軍の施設の明かりが見える。
それ以外の明かりは、空の月と星だけだった。
それだけだというのに、グリドルボーンの白い毛並みは
充分すぎるほど闇に浮かび上がっている。
「何をしているの?」
「兄さんからのメッセージを受け取ったところさ。
ねえ、グリドルボーン。これからおもしろくなるよ」
「そう」
楽しそうに海を眺める金の瞳。
グリドルボーンはそんな子供のような煌きが嫌いではなかった。
だから、お願があると言われてもあっさりと頷いたのだ。
「ストレスの発散ってすごく大事だとこの頃思うんだ。
海賊が陸にいたらストレスがたまる一方だからね。
海に出たい、良い機会だから」
「一度だけ手を貸すわ。うまくやってちょうだい」
「ありがとう」
妙な関係だ、というのは互いに感じていた。
クアクソーにとって、彼女は憎んでもいい相手なのに。
それなのに、こうして手を組むようなことをしている。
弱すぎて憎めないのだ、いつだったかクアクソーはそう結論付けた。
武器もない、守られてもいない。
そんな女性を憎んだところでどうしようもない。
「思い出したわ」
「何を」
突然、グリドルボーンが言うものだから
クアクソーはいぶかしがるように、彼女の読めない笑顔を見やった。
「あんたの名前。双子の弟の方でクアクソー。あってる?」
「え、うん。あってるよ」
私の記憶力もまだ捨てたものじゃないわ、などとはしゃぐ彼女の隣で
クアクソーは眉を寄せて首をかしげた。
これだから女はわからない。
いや、このグリドルボーンが変わっているのか。
「クアクソー、三日後にまたここに来て。時間も今日と同じころに」
「わかった」
「私はもう行くわ、潮風って毛が凄く傷んじゃうし。うまくいくことを祈ってて」
片眼をつぶり、グリドルボーンは一つキスを投げてよこした。
クアクソーは形だけそれに応えて苦笑を零した。
足取り軽く駆けて行くチャーミングな後ろ姿を見送る。
「いいタイミングだったよ、兄さん。軍の奴らの裏をかいてやる、楽しみだ」
海軍は海賊の残党にかまっている場合じゃないほど忙しいようだ。
グロールタイガー一味も舐められたものだ。
しかし、その方がやりやすい。
「さて、準備しなきゃ」
身軽に岩場から駆け出したクアクソーは仲間のもとに向かった。
もう一度海に出よう。
リョウカイ アイニ ユク
▲ ページトップへ