幕間
「うん?寝ていたか・・・」
ぐっと伸びをして、ランパスキャットは周りをぼんやりと見回した。
彼が居眠りしていても、ギルバートは時として構わず話を進めていたりする。
しかし、それはないようだ。
数回瞬きをして、ようやく彼は異変に気づいた。
静かすぎる。
いや、明らかにおかしい。
ほとんどの隊員が机に突っ伏している。
そうじゃなければ椅子によりかかって・・・眠っているようだ。
「おい、タンブル」
隣の男を揺さぶっても目を覚ます気配がない。
皆、ちょっとやそっとでは起きそうにない。
ランパスキャットは訝しがるように眉間に皺を寄せた。
「薬か?そういや、あいつらは・・・?」
マンカストラップがいない。
彼だけじゃない、ミストフェリーズにマンゴジェリー、ラム・タム・タガーも。
――― 一年目の隊員のみなさんは報告書を総務部まで提出してください
「・・・聞いたことねえぞ、一年目の報告書なんて」
ランパスキャットは椅子を蹴って立ち上がった。
派手な音を立てて椅子が倒れたが誰も目を覚まさない。
「隊長、何で戻ってねえんだ」
低く唸りながら立てかけてあった大薙刀を引っ掴み、部屋を飛び出す。
何処だ、何処にいる。
――― 東回廊は現在修理中ですので、別の場所から回ってください
東回廊か。
間に合え。
駈け出したランパスキャットは、祈るように呟いた。
ぽたぽたと汗が落ちる。
どうしようもないくらい息も上がっていた。
ぜえぜえと肩で息をしながら、それでもギルバートは相手方の様子を窺い続ける。
「想像以上に凄いもんだな、ギルバート。
あんまり抵抗しているとそこにいる大切なお仲間が逝っちまうぜ」
余裕の笑みを浮かべ、ラム・タム・タガーが言った。
その隣、剣を弄ぶマンゴジェリーがにやりとした。
「独りで戦うってなあ大変だろうなあ、ギルバート隊長さんよ。
けど、恨むなよ。船長だって独りで戦ったんだからな」
「君らが船長を葬ったから、僕らも隊長ひとり葬るだけで済ましてあげるんだ。
船長は自ら海に飛び込んだんだろう?自害するってなら考えてもいいよ」
ミストフェリーズもくすくすと笑って言う。
ぐっとギルバートは剣を握りしめた。
「誰が、そんな愚かな真似をするものか」
「・・・そう言うだろうと思った」
低い声で呟いたのは、ギルバートの正面に立つ男。
端正な顔立ちは逆光でさっぱり見えない。
ただ、その手に握られる刃は夕日を反射して白く煌めいている。
「愚かだよ、ギルバート。ここで抵抗しても無駄だとわからないのか?
どうせ死ぬなら潔くしたらどうだ」
「ここで死ぬなどと思っていないですよ、マンカストラップ。
抵抗が無駄だとは思わないし、潔く死を受け入れるなどそれこそ愚かだ。
僕は生きなければならない、どうしても!」
「ならば抵抗すればいい。それでそこのカッサンドラの命を亡きものにして
お前はそれでいいというのだな」
迫力のある声だ。
この状況にあっては高圧的ですらある。
「僕が命を投げ出してもカッサが助かっても意味がない、彼女はきっとそう言う。
いざとなったら僕は・・・彼女を見殺しにするでしょうね」
「下劣な奴め、己の命がそれほど大事か」
「大事ですよ。これが僕と彼女の覚悟なんです」
「ふう。ビルとスキンブルは遅いな、どこかで油売ってるのか。
それとも向こうで話が弾んでいるのかな、なあメグ司令官」
潰れたペンの先を取換えながら、ジョージは斜め前の司令官に声を掛けた。
溜まった書類を捌いていた司令官のメグは手を止めて顔を上げた。
「気になるのであれば様子見に行かれてはどうです?
休憩も必要でしょう、朝からみんな机に貼りついているわけですし」
「行ってきてもいいか?よし、だったら休憩だ。
みんな切りのいいところで休憩を取ってくれ、今日も忙しいからな」
仕事から少しでも離れられるのが嬉しいのだろう。
ジョージはさっさと立ち上がると部屋を後にして控室に向かった。
後ろから衛兵が慌てて追ってゆく。
執務室のある中央棟から隣の本部棟への渡り廊下に軍員の影はない。
少し警備兵の配置を考えなければならないなと考えつつ歩いて行くジョージ。
第二控え室は今日も使われている様子がなく、扉は閉じられ空室の表示がある。
その向こうが目指す控室だ。
近づくにつれジョージは違和感を感じた。
静かすぎる。
もしかすると既に引き払ったのかもしれない。
だが、そうだとしたら隊長のギルバートが執務室に挨拶に来ていておかしくない。
そうしなければいけないわけではないが、慣例的にそうすることになっている。
彼は律儀な男だし、今までだって挨拶には来ていたから
今回に限って来ないということはないはずだとジョージは思う。
「な・・・何だこれは」
控室を覗きこんでジョージは思わず声を上げた。
隊員たちが皆ぐったりとへばっている。
椅子も一脚倒れていた。
何事ですかと衛兵も慌てて控室を覗き込んでいる。
「おい、どうしたんだ!?」
一番扉の近くにいた白衣姿の女性隊員を揺すったが返事はない。
「眠っているのか?」
「そのようですね。おそらくこの部屋にいる隊員たちは皆」
ついてきていたふたりの衛兵が他の隊員たちに声を掛けているが誰も起きはしない。
「ここまで深い眠りは何かの薬品を使ったと考えるべきでしょう」
「そうか」
ジョージは上の空で呟いた。
ギルバートがいない。
ビル・ベイリーとスキンブルシャンクスも。
それに、カップの数に対して隊員の数が少なすぎる。
「君、医務局に行って医師を連れてきてくれ。
いつかは目が覚めるだろうがこのままにはしておけまい。
君はビル・ベイリーを探してきてくれ」
「しかし総司令官」
「私はここにいる、早くしろ」
ふたりの衛兵は束の間躊躇って、
しかし総司令官の命令には逆らえずに部屋を走り出ていった。
その後姿が見えなくなると、ジョージは自分が剣を帯びていることを確認して
控室を出て真っ直ぐに外に向けて走り出していた。
東の回廊。
あそこなら使うものはまずいない。
だれの目にも付きにくいのなら、きっとそこに違いない。
本当に警備兵が少ない。
外に出ても、ジョージがすれ違った軍員はたったひとりだけだった。
――― 何かあってからじゃあ遅いんだ
ヴィクターの言葉が脳裏に蘇る。
後手に回ってはいけなかった。
今は何も起こっていないことを祈ることしかできない。
ぎいん、と金属がぶつかる音が響いた。
握力はとおに落ちていた。
手から弾かれた剣が操り手を失ってくるくると回りながら宙を舞う。
ギルバートは咄嗟にスペアの剣を抜こうと柄に手を掛けた。
その瞬間、喉元に白銀の刃を突き付けられ動きが止まる。
視界の端で、己の剣が砂地に突き刺さるのが見えた。
「終わりだギルバート。随分頑張ったじゃないか」
目の前に立っているのはやはりマンカストラップ。
荒く息を吐くギルバートとは対照的に、マンカストラップは未だ息を乱していない。
片足が悪いというのに、そうは思わせない猛者ぶりだ。
ギルバートが想像していた以上に強い。
「お前は俺たちをグロールタイガーの手下と知っていながら何もしなかった。
その甘さが命取りだ。これで俺たちの目的は果たされる」
剣が振り上げられる。
それが振り下ろされれば・・・ギルバートはにやりとした。
「マンカス!」
ミストフェリーズが叫ぶ。
今度はマンカストラップの動きがぴたりと止まった。
「剣を下ろせ。そいつの傍から離れろ」
低く重い声。
落日を浴びて不気味に光る刃。
マンカストラップはスイと後ろに目をやって、ゆっくりと剣を下ろした。
「ランパスか。とんだ邪魔が入ったな」
マンゴジェリーが呟いた。
ランパスキャットはマンカストラップの首に刃を突き付けたまま
じりじりとギルバートの傍まで移動した。
「おい、カッサンドラの手当をしてやれ。あのままじゃまずいだろう。
俺がしばらく粘るからお前は少しでも身体休めるんだ。
あと、何とか解決策考えろ。こいつら全員倒すってのは無しだが」
「でも、ランパス」
「息上がってんじゃねえか。今のお前に何ができるんだ。
ちょっと冷静になってどうするか考えろと言っている。
少しなら時間も稼げるがそう長くはもたん、いいな」
有無を言わせないランパスキャットの語調に少々気圧されたこともあり、
ギルバートは小さく頷いてカッサンドラの傍に屈みこむ。
それを見ていたスキンブルシャンクスは不愉快そうに口を開いた。
「君さ、何で眠っていてくれないのかな?
せっかくいい薬手に入れたのに。お茶飲んでなかったっけ?」
「やっぱり薬使ったのか、用意周到なことだ。
だが俺には効かない、残念だったな。お茶はうまかったぞ」
「効かない?ふうん、妙な体質してるんだ」
今回ばかりはこの変な体質が役に立ったよと、ランパスキャットは吐き捨てるように言った。
マンカストラップはいまいましそうに剣を構えなおした。
「とんだ邪魔が入ったもんだ」
「ギルバートに辿り着きたかったら俺を倒すんだな」
グロールタイガー直下の海賊たちは憤りと苛立ちの混じった眼で
薙刀を構える長身の男を睨みつける。
ざわりと海が鳴った。
夕凪が終わったのか。
赤い夕陽が海を染めている。
灼熱の溶岩のような、鮮やかな橙色に。
守れるか。
救えるか。
「お前の手の内はわかっているぞ、ランパス」
「どうだろうな」
手練の猛者どもの口元に薄い笑みが浮かぶ。
獰猛で鋭い眼がかすかな隙を狙う。
刃が跳ね返す陽の光がゆらりと揺れた。
それが再開の合図。
誰もいない回廊に再び金属のぶつかる音が響き渡る。
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