覆面
ジョージは名家の出身だ。
能力主義を取る海軍組織の中に置いても、彼の一族は代々要職に就いてきた。
優れた血を引く彼もまた、例外ではなかった。
小さい頃から飛びぬけて賢かったし、何でも器用にこなしてきた。
いわゆる天才肌というやつだ。
麒麟児と言われてきた彼は、その出世スピードも前代未聞だった。
前例がない若さでトップの総司令官の地位につき、仕事ぶりはそつがない。
順風満帆とはまさしく彼の半生を言い表したような言葉だ。
しかし、そんな彼にだって悩みはある。
「総司令官、ギルバート部隊への隊員補充の件で書類がきております」
書類の山に囲まれているジョージの前に新たな書類を差し出したのは、
彼が可愛がっている連絡員のビル・ベイリー。
「ビル、こういうことは総務で片づけてもらってかまわない。
私でなくても処理に困らんだろう?暇そうなやつにやらせておいてくれ」
「はあ・・・しかし」
ビル・ベイリーはちらと執務室の様子を見る。
がらんとした部屋には補佐官の姿すらない。
昼休みなのだ。皆ここぞとばかりに仕事を置いてランチを楽しんでいるのだろう。
決算時にはパンを咥えたまま仕事をするはめにもなるのだが、
今はそれほどまでしなくても大丈夫ということのようだ。
「仕事が多すぎるんだ。領海はだんだん増えているというのに執務官は増えない。
これは理不尽なことだと思わないか?ビル」
「わたくしには何とも・・・」
言葉を濁すビル・ベイリー。
もともとジョージはデスクワーク派ではない。
何かしら気晴らしでもできれば、と思いつつ残業をして一日が終わるのだ。
「失礼いたします!」
バンっと扉が開いて元気な声が飛び込んできた。
見ずとも声の主がわかっているジョージは頭を抱えた。
「アド、入る時はまず外から声をかけろと言っているだろう?
まったく、衛兵も止めやしない」
呻くように言うジョージの前に、とことこと歩いてきたアドミータス。
実は、というかどこからどう見ても彼らは双子。
瓜二つとはこのことだ。
総司令官の弟だからという理由なのかは知らないが、
扉の外に立っている衛兵はアドミータスの闖入を咎めない。
兄がジョージ、弟がアドミータスということになっているのだが、
制服が違う今だからこそ見分けがつくが、学生時代は大混乱だった。
なぜか、現在のアドミータスの上司にあたるプラトーだけは苦もなく見分けていたが。
「兄貴、ここにサインが欲しいってプラトー隊長が言ってました」
「兄貴じゃなくて総司令官と呼ぶんだ、誰もいないからいいものの・・・」
ビル・ベイリーは聞かれてまずい「誰も」の中には含まれていないらしい。
そっくりなのは見た目だけで、中身は吃驚するくらい正反対。
アドミータスは強烈なボケキャラで、あまり頭も良くない。
武器を持たせればジョージよりも腕はいいのだが、いかんせん閉口ものの天然なのだ。
彼らの親ですら、才能は全てジョージが持って行ったのだと信じて疑っていない。
重い頭を片手で支えていたジョージだが、ふと思い立ったように辺りを見回す。
まだ誰も戻ってきてはいない。
「アド、ちょっと来い」
ジョージはビル・ベイリーを残し、アドミータスを奥の仮眠室に連れて行く。
暫くごそごそと何かの音がしていたが、すぐにふたりで出てきた。
ジョージは来ていたジャケットをアドミータスに渡し、
短パンだった彼にスペアの長パンを履かせていた。
「よし。これで誰もわからんだろう。オレンジジュースやるから、何もしなくていいぞ」
にこにこと笑顔でオレンジジュースを差し出すジョージ。
ビル・ベイリーはこっそり溜め息を吐きつつ、このやりとりを見ていた。
最初は驚いたが、今では見慣れた光景だ。
仕事にまいったジョージが、時折こうして影武者を置いては仮眠室で休息を取る。
この真実を知っているのはビル・ベイリーだけだ。
彼が咎めることはない。
こうしてアドミータスは、オレンジジュース一杯でジョージの代役を務めることになった。
しかし、もちろん仕事をできるわけはない。
グラス片手にあまりに何もしないものだから、執務室の面々は
「総司令官は忙しすぎて現実逃避なさっている」と勝手に結論付けている。
この日、昼休みから帰ってきた中尉の肩章を付けた男性軍員は
さらさらと一枚の書類を書いて、総司令官のもとに持って行った。
「総司令官、先日申していた休暇の申請書です。確認していただけますか?」
さっと差し出された一枚の紙。
ジョージなアドミータスはじっとその紙を見つめ、小首を傾げた。
「オレンジジュースをやろう。だから、またにしてくれ」
「いえ、ジュースはいいのでサインして下さいませんか?」
差し出されたグラスを、しかし完全に拒むわけにもいかなくて
男性軍員は片手でそれを受け取りつつも眉をひそめる。
「無駄よ。諦めなさい。申請書なら私が見るわ。
総司令官はお疲れなのよ、そっとしておいてあげて」
困りきった軍員に声を掛けたのは、頼りになる女性司令官のメグ。
ジョージが仕事を放棄した時には彼女が大方代理を務めるのだ。
「お願いします」
軍員は申し訳なさそうにメグに申請書を差し出す。
ジョージなアドミータスは、それを見て満足そうに目を細めた。
「参謀のマンカストラップです」
「航海士のラム・タム・タガーです」
「整備士のマンゴジェリーです」
「特殊技術員のミストフェリーズです」
整列するギルバート部隊員たちと、対面して並ぶ新参隊員。
何かひっかかりを覚えたのか、カッサンドラとランパスキャットは妙な表情だ。
「カーバとコリコが負傷のため特別休暇を認められています。
マンカストラップとマンゴジェリーが彼らの代わりを十分に務めてくれるはずです。
ミストフェリーズは、爆発物製造技術を持っているんでしたっけ?」
「はい、そうです」
ギルバートも、つい最近補充隊員について聞かされたところだった。
面接も行ったが、出航準備で大わらわの時だったせいであまりきちんと話せていない。
「外部募集で、今期初めて海軍に入ってきた方ばかりですが、
それぞれ海上での仕事は経験済みのようなので安心して仕事を任せたいと思います」
「よろしくお願いします」
礼儀正しく敬礼をするのはマンカストラップ。
試験担当者に言わせれば、彼はベテラン作戦指揮官張りの仕事はできるらしい。
カーバケッティの奇抜な作戦ばかりを遂行してきたギルバートにとって、
彼の立てる作戦はどのようなものか興味のあるところだった。
「さて、出航前の最終確認ですね。
タンブルとラム・タム・タガー、載積物の最終点検をお願いします」
「畏まりました!」
低音で二つの声がキレイにハモる。
駆けだしたタンブルブルータスに続くラム・タム・タガーがふと足を止めた。
「タガーと呼んでいただけますか?フルネームは慣れないもので」
振り返り、ニヤッと笑う。
ギルバートはきょとんと目を丸くした。
そして、苦笑を交えた柔らかな微笑みを見せる。
「そうしましょう」
穏やかな海が広がっている。
でも、船の上はにぎやかになりそうだ。
「さあ、みなさんも乗り込んで持ち場の点検をお願いします」
隊員たちが揃って敬礼をする。
新たな航海へ、ギルバートも船に掛けた梯子に手を伸ばした。
そして、一度だけ振り返る。
「迎えに来ます、皆で揃って」
新たな出会いと暫しの別れ。
ぐいっと腕に力を込めると、ギルバートの足は地を離れた。
また戻ってくる時まで、誰ひとり失わない。
密かに、でも強い想いを抱いて海へと向かう。
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