星の光が示すもの
漆黒の海と濃紺の空。
夜にはその境目も見えない。
空には月がある。
そして海にもまた、揺らめく月があった。
ただ、空には煌く星々があって、海には船腹を打つ白く泡立つ波がある。
ちゃぷん、と暗い海原に停まっている船の腹に波がぶつかる音を聞きながら、
シラバブはじっと夜の空を見上げていた。
「何か見つけた?」
おっとりとした調子で声を掛けたのはヴィクトリア。
手にしているのは通信用の信号灯。
「何か、そうですね。いろいろと」
「そう。もうみんな寝ちゃったわよ。バブも早く休みなさいね」
「ありがとうございます」
冬の気配を帯びる夜の風は少し冷たい。
遮るもののない海の上ではなおさら。
ずっと外にいたシラバブの頬は冷え切っていたし、
外で通信の仕事をしていたヴィクトリアも冷たくなった手に息を吹きかけている。
「少し隊長とお話しをしたいのですが」
「だったら一緒に行きましょう。私も用があるのよ」
ふたりは連れ立って、隊長のギルバートがいるはずの船室に向かった。
「無理です」
即答されて、ヴィクトリアは困り顔を見せた。
南東の戦線がこじれている、そこに増援部隊を送りたいから
隊員を何名か貸してくれないかという話が来ているのだ。
「前も言いましたけど、この部隊は女性が多いので男性を抜かれると困るんです」
求められているのは、戦闘になった時に指揮をとれる存在。
となると、必然的にタンブルブルータスやランパスキャット、マキャヴィティという
戦闘能力に長けて、かつ位のある隊員を出せということになる。
タンブルブルータスがいなくなれば、船の載積や排水の管理に不安があるし
ランパスキャットかマキャヴィティが抜ければ、残った方が過労に陥る。
どう転んでも航海に相当支障をきたすのは間違いなかった。
「・・・司令部が僕らの仕事を減らすというのであれば話は別ですが。
もしくは代わりに優秀な甲板員を派遣してくれるとか」
「それはないかと」
「じゃあやっぱり無理です」
取りつく島がないギルバートの言葉。
ヴィクトリアは困り顔のまま。
援軍要請の間を取り持つ通信員の彼女には何の非も無いのだが。
「では、断りの返事をしておきます」
「いつもすみません」
「いえ、それでは失礼いたします」
近くの台に置いていた信号灯を再び手に取ると、ヴィクトリアは部屋を辞した。
残ったのは、部屋の主のギルバートとシラバブ、そして副官のカッサンドラ。
「まったく・・・司令部は何を考えているんでしょうか。
ただでさえ仕事が多いのに、応援要請とはなんのつもりなんでしょうね」
「少しお疲れでしょう?飲み物でも淹れてきます」
深いため息を吐くギルバート。
カッサンドラは微苦笑を浮かべて立ちあがった。
「バブ、手伝ってくれる?」
「はい」
連れだって部屋を出て行くカッサンドラとシラバブの背中を見送り、
ギルバートは書きかけの書類とペンを机の端に追いやった。
ぞんざいに扱われた紙がクシャリと音を立てるが気にもならない。
カッサンドラから、新参の隊員たちには警戒するようにと言われていた。
常に緊張している状態は思いのほか疲れる。
「海賊の掟、か」
呟いて、疲れたように机に突っ伏したギルバート。
その体勢で眠気に勝てるわけはない。
「・・・お休みですか?」
「そうのようね」
戻ってきたシラバブとカッサンドラは顔を見合せて苦笑した。
温かなアップルティーの注がれた白いカップが一つ、飲み手を失ってしまった。
「何か隊長に話があったのでしょう?急ぎなら起こしてもかまわないと思うけど」
どのみち、この体勢で寝てしまっていることだし、
そのうち起こさなければ疲れは抜けない上に身体も変に痛むだろう。
風邪をひくかもしれない。
カッサンドラの言葉に、シラバブはゆるりと首を横に振った。
「いいんです。カッサンドラさん、代わりに聞いていただけますか?」
「私でいいの?」
「はい。誰かに聞いてほしいというだけなので」
それなら、とカッサンドラは近くにあったイスをシラバブにすすめ、
彼女はいつも使っているイスに腰を下ろした。
随分使い込んでいるイスは、キィとか細くも甲高い悲鳴を上げる。
「最初にこう言うのもおかしいかもしれませんが、
信じていただくかどうかはカッサンドラさんにお任せします」
「・・・占星術ね?」
「はい。よく鼻で笑われます、たかだか占いだって。
でも、隊長は信じて下さいます。信じたいのだとおっしゃって下さいました」
だからこそ、シラバブはギルバートに話しに来たのだ。
カッサンドラは黙って頷いた。
占いだと馬鹿にする気は毛頭ないが、鵜呑みにすることだってできない。
知らない。だから。
占星術は知らない。知らないものは信じがたい、それだけだ。
「私たちにはそれぞれに運命を宿した宿星があります。
私だって気象や位置の観測に天文を見ますが、誰かの運命を見る時もあります。
だから、気になることがあるんです」
「何?気になるというのは、その誰かの運命?」
「はい。誰か・・・というより、隊長なんですけど」
少しだけ言いにくそうに、でも、彼女から言い出したことだ。
シラバブはちらりと突っ伏しているギルバートに目をやった。
あのままでは、起きた時に額か頬に机の木目がくっきりと刻まれることだろう。
「隊長に、何かあるということ?」
「何があるかはわかりませんが、何かありそうだということは言えます」
カッサンドラの視線が少し厳しいものになったのを感じ、
シラバブは無意識のうちに少し目を伏せていた。
責められているのではないとわかっていたが、隊長のこととなるとカッサンドラは、
彼女だけでなくギルバートと付き合いの長い者たちは時に緊張を見せる。
「・・・まだ、隊長に知らされていない重大な秘密があるような気がするんです。
秘密を知りたいのではなくて、その・・・」
「信頼されていることを確かめたいのでしょう?」
「言ってしまえばそういうことになるのでしょうね。
驕った考えかもしれませんが、もしかしたら私だって力になれるかもしれないと」
「バブ」
早口になりかけたシラバブを制したカッサンドラの瞳は、
見たこともないくらい緊張の光を帯びていた。
「どこまでわかっているの?」
懐疑、そして疑問。
日没から夜に向かう間の空の紫、カッサンドラの瞳の色。
それをまともに見るのが少しだけ怖くて、シラバブはやっぱり俯いていた。
「知りません、何も。でも、星の動きは・・・どうなのでしょう。
わからない、のです。いえ、そうじゃなくて。
不穏な影が・・・もっともっと大きなものがある気がして」
「そう」
今度はカッサンドラも目を伏せて、すっかり温くなった紅茶を嚥下する。
長い間沈黙が続いて、カタンという音にシラバブは目を上げた。
カッサンドラが白いカップを机に置いた音、その中身は綺麗になくなっていた。
「隊長を守りたいの。理由はいつか、話せると思う」
考え込んで、出てきた言葉はごく簡潔なものだった。
「カッサンドラさんにはきっと、隊長を守りたいとても大きな理由があるのでしょうね。
そして、それはきっと隊長の持っているだろう秘密と関係があると私は思っています」
「バブ、待つことは時にすごくもどかしいし、
このまま置き去りにされるかもしれないって不安になることはあると思うの。
だけど、あなたはきっと必要とされるわ」
「・・・待ちます、その時を」
シラバブとカッサンドラはようやく目を合わせた。
そして、シラバは立ち上がって空になったカップを二つ手に持った。
また一寸だけイスが鳴った。
「では、私はそろそろ休むことにします。お邪魔しました」
「お休みなさい、良い夢を」
部屋を出る直前にシラバブは振り返った。
微笑んだまま、どうしたのとカッサンドラは首を傾げる。
「カッサンドラさんも、気を付けてください」
「私?何かよくわからないけど、気をつけるわ」
「では、お休みなさい」
シラバブはニコリと笑みを浮かべて立ち去った。
向かう先は台所。カップを二つ水に浸してから眠るために。
暗い船の廊下を歩くシラバブの瞳もまた明るくはなかった。
「私が守りたいのは隊長だけじゃないのに」
小さく零れた言葉は、暗がりに吸い込まれた。
「私は、隊長を守れるならそれでいい」
シラバブが去った後の部屋で、カッサンドラはギルバートを見て呟いた。
それが、彼女が海にいる理由だから。
マンカストラップたちはグロールタイガーの部下に違いない。
先日休暇で訪れた東方司令部のアロンゾが、大方の資料をひっくり返して
数少ないグロールタイガー直下のクリューの情報を集めてくれたのだ。
何があっても守る、それだけのことだ。
ギルバートという存在を、彼の決意を。
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