海と陸
「スキンブル、この資料持ってきてくれ」
ジョージは、近日勃発するだろう南東海域戦線の書類処理に忙殺されていた。
新たに派遣する部隊への指示書や、武器・食料の補給書類等々、
目を通したり指示を出したりしなければならない執務室の面々は殺気立っている。
「畏まりました」
そんな中、最近配属されたスキンブルシャンクスはかなり使える。
外部募集で入ってきた際の適性試験も満点をたたき出した頭脳の持ち主、
業務に就いても周りの執務官と遜色ない働きぶりを発揮している。
「これでよろしいでしょうか」
「ああ、ありがとう」
ものの十分ほどで、要求されたすべての資料を揃えてきたスキンブルシャンクス。
この敏腕ぶりはありがたいの一言に尽きる。
「ついでと言うには重い仕事なんだが、アチェシア国との最近の海戦について
特徴をまとめていってくれないか?」
「畏まりました」
文句一つ言わず、スキンブルシャンクスは自分の席に資料を運んで行くと
すごい集中力で言われた仕事を始めた。
本来ならば、今回の戦線に直結する大切なデータになるのだから
ジョージが直接手を付けてなんら不思議はない仕事なのだ。
任せられる部下がいるのは随分と楽なものだ。
「むしろ、参謀本部がしっかりしていれば問題ないんだが・・・」
考えていたことの一部が、溜息とともに思わず口から洩れた。
執務室の軍員たちは、聞かないふりで自分の目の前の仕事を片づけてゆく。
「夜は随分冷え込むようになりましたね」
領海南東部に現れた一隻の大型船の船室から出てきたのはひとりの女性。
普通の部隊の船よりも随分大きいその船の舳先には、位の高そうな男が立っている。
月明かりを頼りに何かを読んでいるようだ。
「隊長、こんなところで何をなさっているのです?」
「南方司令部から伝達だ。海戦が始まったらしい」
隊長、と呼ばれたその男は戦闘服姿だった。
声を掛けた女性もまた、戦闘服をまとっている。
戦場からはそれほど遠くないこの場所で、機を伺っているのだ。
「エキゾチカ、暫くは帰れない」
戦闘が始まってしまった。
援軍に向かわなくてはならない事態も予想できる。
男の目は、暗闇に見えない水平線を凝視するかのように遠くへ向けられていた。
厳しい目線が向けられているのは、まだ見ぬ戦場。
「覚悟の上ですよ。ところで、風邪を引いてもらっては困るので
そろそろ中にお入りください」
「中にいると考えごとに集中できないだろう」
にべもない言いように、エキゾチカが苦笑する。
その時、やや乱暴に船室の扉が開かれた。
「隊長!通信です!」
「エトか、どうした?」
「緊急伝達です!クレオン隊が奇襲により壊滅、援軍要請です!」
緊迫した声が飛んできた。
男の目は俄かに鋭い光を帯びる。
まるで、研がれた剣の切っ先のような煌きだとエキゾチカは思うのだ。
「わかった、クレオンは第九艦艇総部隊の先鋒だったはずだ。
中軍には慌てず退いて様子を見るように伝えてくれ」
「畏まりました!」
通信員のエトセトラは、すぐさま引っ込んで急いで伝達の準備に入る。
幾つかの中継点を経て伝達は飛ばされる。
浮足立っているだろう味方に、なるべく早く伝えなければならない。
「エキゾチカ。今回もまた血を見ることになりそうだ」
「そのようですね」
エキゾチカが応えると同時に、男はマントを翻して大股で船室に向かっていく。
「全く、戦闘となったら目の色変えるんだから」
ふっと息を吐いてエキゾチカは男を追いかけた。
責任は重大だ。
味方の軍員たちは、きっとこの男を待っている。
士官学校を出てこの方、最前線に立ち続けて准将まで上り詰めた男ヴィクター。
戦の天才が姿を現したところに、敗北という言葉は無い。
朝早い港には軍員の影もまばら。
軽い足取りで、その港に真っ先に降り立ったのはボンバルリーナ。
「久々ね、東方司令部なんていつ以来かしら」
「東で休暇なんて考えもしなかったわ」
続いて降りてきたヴィクトリアが言う。
ひんやりと冷たく濁りのない空気が気持ちよい。
暫く監察業務で海に出ずっぱりだったが、ようやく休暇と相成った。
「静かなところだな」
「朝だからじゃねえの?」
初めて東方司令部に降り立ったマンカストラップとラム・タム・タガーは
興味津々といった風に視線を巡らしている。
「お疲れ様です!」
爽やかな朝に負けない爽やかな声が届く。
次々と港に降り立っていたギルバート部隊の隊員たちは一斉に振り返った。
司令部の入口近くにあった警備室から歩いてくる男性の姿を認め、
ギルバートはさっと敬礼をした。
他の隊員たちもそれにならってぴしりと敬礼をする。
「朝早くの入港は大変だったでしょう。
すみませんね、水先案内の者が物資の艀作業にかかりきりで」
「いえ、こちらには優秀な操舵手がおりますので」
司令部の制服に身を包んだ男は、ギルバートと笑顔で言葉を交わす。
「誰?」
ミストフェリーズは、体勢を変えないまま眼だけ横に流して囁いた。
隣にいたランペルティーザも体勢は変えないまま、こそこそと答える。
「アロンゾ司令官。東方司令部司令長官のブレーンと言われているの」
「無駄に爽やかなのは彼の地なのかい?」
「そこまでは知らないわよ」
ミストフェリーズにこう言わしめたアロンゾは、なかなかに若い。
若くして中佐の地位につき、司令官として働いている能力は伊達ではない。
家柄も貴族の出身で、身のこなしもほどよく洗練されている。
「ギルバート隊長、疲れているでしょうが手続きをお願いします。
場所が変わったのでご案内します。
隊員たちは第一控室に軽食を用意させたから、そこで待っていてくれ」
「畏まりました」
代表で返事をしたのはタンブルブルータス。
ギルバートがいないときは彼が隊員たちのまとめ役になる。
「それじゃあ、また後で顔を出すからゆっくりとしいておくといい」
そう言って、アロンゾは隊員たちに背を向けた。
歩き出した彼を追うようにギルバートと副官のカッサンドラも歩き始める。
タンブルブルータスたちは控室のある方へと足を向けた。
徹夜明けの身体をのんびりと伸ばしていたランパスキャットは、
隊員たちが行ってしまったのを見届けると、棟に消えようとしているアロンゾを追った。
「おい、アロンゾ」
追い付いて、辺りを憚るように低い声で呼ぶ。
「ランパス、失礼ではない?」
大尉の位を持っているランパスキャットだが、アロンゾは中佐。
当然上官にあたるのだから、敬語を使わなければならないのだが。
しかし、やんわりと咎めたカッサンドラにアロンゾは苦笑してかまわないと言った。
「すまない、渡すものがあったな。
手近にある資料は全部ひっくり返したが、これくらいしかわからなかった。
異動の件に関してはまだもう少し手回しが必要だから待ってくれ」
何やら紙切れらしきものを手渡すアロンゾ。
ランパスキャットはそれにさっと目を通すと僅かに眉を顰めた。
「いや、助かる。手間をかけさせた。
あと、この関係で何か動きがあったらここで情報を潰してくれ。
どこに目と耳があるかわからんからな」
受け取った紙を内ポケットにしまい、ランパスキャットは早口で囁いた。
そして、カッサンドラにまた後でと言い控室へと向かう。
「すみません、うちの部下が無礼な態度をとりまして」
「いえ、こんなことでもないと兄は声をかけてくれませんから。
さあ、早く面倒な手続きを終わらせましょう」
何も気にした風はなくアロンゾは爽やかな笑みとともに言った。
久々の休暇だ。
暫くは仕事から離れ、命の洗濯を。
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