接触
「敵襲だ!戦闘用意!」
陽も昇らぬ薄暗い海の上。
伝声官からタンブルブルータスの緊迫した声が響く。
隊員たちはわけもわからぬまま飛び起きて手元の剣を握る。
防具を付ける間もない。
目覚めきらぬ重い身体を引きずって甲板へと駆けだした。
「船倉には入れるな、武器と食料の在庫は少ない」
「何とかする」
まともに動けるのは、当直のタンブルブルータスと
操舵兼見張りを務めていたランパスキャットくらいだ。
ヴィクトリアも起きてはいるが、対海賊要員ではないだろう。
そう、夜明け前から海賊が襲ってきたのだ。
大きい集団ではない、せいぜい十名余りといったところだろう。
この時間帯はかなり視界が悪い。
海賊に気づいた時には、既にかなりの接近を許していた。
「ちょこまかと、鬱陶しい」
タンブルブルータスは舌打ちした。
一応剣を交えるが、どうも本気には思えない。
海賊たちが船に乗り移ってくるとほぼ同時くらいに、起きたらしい隊員たちが数名甲板に飛び出してきた。
海賊たちは、出てきた隊員たちとも切り結んでいる。
盗みではなく、そうして切り結ぶことが目的のようにさえ見える。
船倉に向かった賊も数名はいるようだが、
ランパスキャットが頑張っているから簡単には盗みを働くこともできないだろう。
「やる気がないなら帰ってほしいね。まだ眠いんだよ」
ひらりと海賊の剣を交わしながら、ミストフェリーズは毒づいた。
「僕を倒したいなら追っかけておいでよ」
挑発すらしている。
身軽に甲板を走り抜けながらミストフェリーズは木箱の裏に消えた。
小柄な海賊もそれを追う。
「ああもう、鬱陶しいわね」
「全く、レディの寝床に入ってくるなんて失礼極まりないわ」
せっかく寝ていたところを起こされて苛立つディミータと、
どうも緊張感のない台詞を吐くボンバルリーナが
背中合わせになって海賊と対峙している。
遊んでいるのか何なのか、わざわざ乗り込んできたわりには目的がわからない。
「ディミ、ボンバル、手伝わなくていい?」
ひょこっと顔を覗かせたのはランペルティーザ。
やはりどうも緊張感がない。
「大丈夫よ、上はどうなってるの?」
「甲板は男たちが頑張ってるから大丈夫。
たぶんこっちにもマンカス辺りが応援に来てくれると思うわ」
ランペルティーザがそう言い残して走り去った直後、どたどたと足音がした。
「お前らの仲間はそろそろ撤退するみたいだが。
お前らもさっさと行かないと切り捨てるぞ」
大振りの剣を構えて仁王立ちになったのはマンカストラップ。
脚を少々引きずってはいるが、戦闘員としてもかなり有能な男だ。
「切っちゃっていいんじゃない?」
「俺もそう思うがな、ディミータ。
こいつらは何も盗んじゃいないし誰も怪我させてない。
ひっ捕らえたところで罪がないんじゃあどうしようもない」
「不法侵入よ」
ディミータは相当不機嫌なようだ。
確かに、軽微なことならとらえない方がいいくらいだ。
とらえたところで、つないでおく部屋もいるし食料もいる。
「出て行くならさっさと行け」
剣を構えたまま、マンカストラップが言った。
朗々と響くいい声だ。
海賊たちは少しばかり眉をひそめたが、何も言わず走り去った。
「ディミ、ボンバル、怪我は?」
「ご覧の通り何も無し。マンカスも大丈夫そうね」
「大丈夫だ。何をしに来たのだろうな」
行けと言われてあっさり出て行く海賊とは何とも腑抜けではないか。
マンカストラップは首を捻りながらも、まあいいかと呟いた。
被害らしい被害はないのだろうからそれでいい。
甲板の方から呼び声が聞こえる。
どうやら海賊たちは全員撤退したようだ。
「被害状況は?」
「隊員の負傷、船の破損、貯蔵品等の略奪などは皆無です」
ギルバートが疲れた表情で集まった隊員たちから情報を集めている。
水平線が白く光り、夜は明けてしまった。
海賊たちは戯れに来たのではないかと思うぐらい手ごたえがなかった。
「奪われたのは私たちの睡眠時間ですよ、隊長」
憤然として言ったのはジェミマ。
寝入っていたところを起こされたのだから機嫌も悪くなるのは仕方ない。
そんな発言を窘める者もいないし、皆内心では大方同意しているのだろう。
「今から寝なおすわけにいかないですしね。
早起きした分時間が出来て得をしたと思えばいいでしょう。
朝からトレーニングをしたと考えましょう」
「前向きですねえ」
惚けた調子で言ったのはマンゴジェリー。
疲れた様子もなければ機嫌も悪くないのは彼くらいだ。
よくもまあこれだけ飄々としていられるものだ。
「隊長、気になることが」
「どうしました?ヴィク」
「今更なんですけど、今の海賊ってもしかして先日伝達のあった
例の商船を襲っていた海賊たちじゃないのでしょうか」
ギルバートは小さく首を傾げて虚空を見つめた。
そして、思いだしたようにそう言えばと呟く。
「そんな伝達がありましたね。言われてみれば特徴が似ています」
寝起きだったせいで頭が働いていなかった。
見逃したとなれば、下手すれば責任を問われかねない。
しかし、ギルバートは不敵に薄笑いを浮かべた。
「捕まえろという伝達は受けていませんね、そうでしょう?カッサ」
「ええ、そうですね・・・留意して監察業務にあたるようにと」
伝達を受けたのは通信員のカッサンドラだ。
直接捕まえろという指示ではないが、暗にそういうことのはずだ。
だが、はっきりとした通達でない以上はいくらでも言い訳はできる。
「だいたい、あれは商船を襲う海賊に留意ということだったので
僕らの船は商船でもないですから元々対象外だったのですよ」
言い訳だ。
皆そう思ったが、だからと言って諌める必要はない。
襲われた時は誰も気づかなかったのだ。
ヴィクトリアとて全てが終わった後に気づいたのだし。
「何が目的だったのかよくわかりませんが、
皆さんに怪我も無いようですし何も盗まれていないようです。
ランペル、マンゴ、念のため船の点検は念入りにお願いしますよ」
「はあい」
ランペルティーザは間延びした返事と、しゃきっとしない敬礼をした。
マンゴジェリーは無言でぴっと敬礼をする。
「さて、気持のいい目覚めとはいきませんでしたが朝食にしましょう。
ジェニさん、ジェミマ、よろしくお願いします」
「はいはい、せっかくだから気合い入れて作りましょう」
ジェニエニドッツはそう言うと、ジェミマを連れて船の中に消えていった。
「では、朝食までは皆さん剣の手入れなどしておいてください。
それから、休暇司令が出ましたので中央に向けて航路を取ります。
航路等の打ち合わせは後ほど、一先ずこの場は解散します」
ギルバートの言葉を受け、隊員たちは一斉に敬礼をする。
「タガー、ウォッチ頼む。朝日がきつすぎるんだ」
「マンゴ。点検するから手伝って!」
マキャヴィティとランペルティーザの声がする。
大欠伸をしていたラム・タム・タガーと、伸びをしていたマンゴジェリーは
それぞれに返事をして声の主の方へと向かう。
「うまくいったよ」
すれ違いざまに聞こえた声。
どこか、全然違うところを見たままで囁いたのはミストフェリーズ。
ラム・タム・タガーはにやりと笑う。
マンゴジェリーは拳を掌に打ちつけた。
そのまま海の彼方を見つめるミストフェリーズの肩を、
マンカストラップが労うようにポンと軽く叩いて船室へと入って行った。
もう、すぐそこだ。
「喜べよ、みんな」
喉の奥でミストフェリーズは呟く。
時機を逃さない、それだけでいい。
こつっと小さく硬い音がした。
ぎくりとして、恐る恐る扉の方に目を向けるが、
見張りの隊員は直立不動のままで特に気づいた様子はない。
「ふう・・・危ないな」
やれやれとスキンブルシャンクスは額の汗を拭った。
手に握っているのは茶色の小瓶。
「まあ、ちょろいもんだね」
ピッキングの腕には覚えがあった。
ダミーの小瓶も抜け目なく元の小瓶の場所に据えて。
クアクソーたちの一騒動のおかげで本部の警備も手薄だ。
目的のものはいやにあっさり手に入った。
「もうすぐ会えるね、ギルバート」
不敵に口許を歪めたスキンブルシャンクスは、
窓の外に見える暗い夜の海を見つめた。
「そう、もうすぐだ」
喜べよ、仲間たち。
喜べよ、弔われる者たち。
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