序章-秩序-

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最終更新日: 2018-11-11
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プロローグ

秩序、という言葉がある。
それ自体が実態を持つわけではないが、個々の存在が一つの集団となるために必要だ。
そんな秩序を作り上げるもの、ルールだとか集団を引っ張る者のカリスマ性だとか、
或いはルール以前に存在していたヒエラルキーだとか、
その善し悪しは置いておいて、それらが確りと存在していれば
そこから生まれた秩序に連なる者は生きやすくなる。
決まり事があるという一点に於いては、ということではあるが。

ここいらの猫たちの尊敬を一身に集める長老猫、オールドデュトロノミーを擁するこの街も
教会を中心に猫たちが秩序を持って穏やかに暮らすところだ。
悠久とも思える長い時を生きる長老猫を慕って猫たちが集まってくる。
哀しみや歓びを抱えて教会を訪れ、胸の内を語り、祈り、控えめに願いを口にした。
猫たちが長老猫に不思議な力があって願いを叶えてくれるのかと
思っているかと言えばそういうわけではない。
願いを口にするという行為そのものが大切なのであり、
胸の内にあるものを解放することで穏やかな日々を取り戻すことができる。
でも、願いを託す相手が誰でもいいのではない。
長老猫にその願いが届くと思うからこそ安心できるのだ。
オールドデュトロノミーであれば、例え特別な理由がなくてもかの長老であれば。



特別なことは起こらないのかもしれない。
それでも、長老猫には何らかの力があるのだ。
夜明け前に教会から出てきたディミータは、明るくなり始めた東の空を眺めて思う。
教会での祈りの時間を過ごした後にいつも抱く思い。

彼女は街のリーダーだ。
吊り目がちの双眸は朱色を帯びた赤褐色。
丁寧に研がれた爪、よく利く鼻、鋭敏な感覚と類い希な身体能力を持っていても、
ディミータは茜色の毛並みが美しい雌猫であった。
とは言え、彼女がリーダーになることに反対する者はいなかった。
彼女よりも年上だったり力が強かったりする猫たちはたくさんいるし、
リーダーとなるにふさわしい雄猫もいないわけではない。
それでも、資質だとか年齢だとかそういうものはここではそれほど意味を持たない。
ディミータがリーダーになることは、彼女が幼い頃から決まっていたことだ。
長老猫の祈りに立ち会う祭司の継承者として生まれ育ってきた故に。

街の猫たちは直接長老猫に会うことはほとんどなく、
それは長老猫が一日の大半を眠って過ごしていることも理由の一つだが、
彼を目の前にしてほとんどの猫たちは感極まって願いを伝えることができなくなる。
だからこそ祭司がいる。
ディミータはただ街の猫たちの想いを受け取り長老猫に託す。
オールドデュトロノミーは月明かりの仄暗い礼拝堂で、
一つ一つ街の猫たちの想いを清めてゆくのだ。
その儀式を静かに見守るのもディミータの務めだ。
この街の秩序の中心はオールドデュトロノミーと、彼に直接仕える祭司にある限り、
ディミータが街のリーダーとなることは誰にも異存はなかった。



「ディミータ」

教会の向かいに建つ家の塀の上から声がする。
反射的に顔を上げたディミータは、そこに立つ雄猫の姿を見て眉を顰めた。

「カーバじゃない、どうしたの?今夜はギルが見回っているのでしょう?」
「交代したんだ、あいつは最近仕事に身が入らないようでね」

そう言って、カーバケッティはひらりと塀から身を躍らせ危なげなく着地すると、
車一台がかろうじて通れるくらいの道を二蹴りほどで渡った。
地味な色合いの毛並みのぶち猫は、ディミータが信頼を寄せる「護り手」だ。
よく周りが見えていて物腰も柔らかく、いざという時には戦闘要員にもなり得る雄猫で、
ディミータと協力して街を見回ることもしている。
護り手は彼だけではなく、彼の下に付く形でギルバートと見習いのジェミマがいる。

「ギルは体調でも悪いの?」
「大層な病気かもしれないな。この辺りの」

カーバケッティは己の胸を示して見せた。
僅かに目を細めたディミータは、微笑みを浮かべた。

「お相手は?」
「新入りの美女だ、こないだ会っただろう?ありゃあ年上だぞ」

ニヤリとするカーバケッティはどこか嬉しそうだ。

「症状が酷くなる前に落ち着けばいいけれど。
 応援はするけど、役割はきちんと果たすように伝えておいてね」
「了解。俺も甘やかすのはやめておく」
「たまになら、いいんじゃない?ところで、報告はある?」
「いや、特にない。寝に戻るところだったんだ。
 ディミータもそうだろう?それじゃあ、良い一日を」

優雅に一つ礼をして、カーバケッティはさっと走っていった。
街灯の明かりは消え、もうすぐ夜が明ける。
ディミータは寝床のある教会の敷地に背を向けて、街中へと歩き始めた。