20:総力戦 -葬送するもの-
ぱっと明るくなった窓の外を見て、ジェミマは首を傾げた。
「雷かなあ」
その割には雨も降っていなければ雷雲も見当たらない。
窓枠に取り付いて目を凝らすジェミマに、背後から穏やかな声が掛かった。
「ジェミマ。落ちると危ないよ」
「下ります下ります。お気遣いありがとうございます」
慌てて床に下りたジェミマは、振り返って僅かに瞠目した。
声の主はこの教会に住む長老猫。
皆は敬意を込めてオールドデュトロノミーと呼ぶ。
「長老、どうしたのですか?」
日がな一日座り込んで微睡んでいる長老猫が立ち上がっている。
奇妙な光が見える前にはいつものように座り込んでいたのだが。
舞踏会を除き、ディミータ以外の猫たちが座り込んでいない長老猫を見ることは稀だ。
だからこそジェミマは驚いたのだ。
「出掛けなければならない。ジェミマ、共に行くかね?」
「も、勿論です!」
今夜のジェミマの役目は長老の傍にいることだ。
傍にいたからと言ってどうということもないが、何かあれば連絡に走ることはできる。
「儂はちょっとジェニエニドッツに会いにゆかねばならない。
ジェミマはジャンクヤードに向かって様子を見てきてくれまいか?」
「ジャンクヤードですか?」
「そう、ジャンクヤード。途中までは一緒に行こう」
長い毛並みの向こうで長老猫が微笑むのを感じ、ジェミマは思い切りよく頷いた。
*
光は強烈だった。
一瞬辺りが昼間になったかのように。
ディミータたちはジャンクヤードの手前にいたが、思わず目を閉じ脚を止めた。
白い光は強かったが、ふわりと緩やかな風が吹いただけで衝撃は無い。
何かが爆発したというわけでは無さそうだった。
「今のは何?」
すぐに体勢を立て直したディミータはジャンクヤードに目を向ける。
しかし、他の猫たちはそうもいかない。
「あー・・・まだ目の前がちらつく」
「何なのこれ、雷とは思えないわ」
カーバケッティは目を閉じて頭を振っている。
ジェリーロラムも忙しなく目を瞬いている。
「見ろ、ミストの作った闇が消えた」
少し眉を顰めながらマンカストラップはディミータの隣に並んで言った。
「今の光で消し飛んだのかしら」
「だとするととんでもない力だな。ミストの術はちょっとやそっとでは破れない」
「行きましょう」
ぱっと走り出すディミータにマンカストラップがすぐさまついて行き、
カーバケッティとジェリーロラムはふらふらとその後を追った。
「あーあ、また消されちゃったよ。相当やっかいだね。でも、怖くはない。
所詮君ができるのは僕の力と君の力を相殺させることくらいだし。
それに、制御もできていない。ただの闇払いにそこまで強力なスペルは要らないよ」
ミストフェリーズは、ランパスキャットの腕の中から睨み付けてくる仔猫に微笑んだ。
経験を積んだ能力者なら、どれくらいの力を使えば相手と戦えるかわかるものだ。
無闇に力を使えばすぐに燃料切れになってしまう。
「今のは暗幕のようなものだから、ちょっと明かりを灯すだけで充分だったんだ。
ほら、君が加減を間違うからランパスもそこの犯罪王も目が見えてないみたいだ」
「だいじょうぶですよ、一時的なものですから。
それに、何ごともれんしゅうあるのみだとジェリーロラムさんにおそわりました。
さいしょからぜんぶ上手にできなくてもいいって」
「冷静な子どもだね。ちっとも可愛くない」
溜め息を吐くミストフェリーズの背後でヴィクトリアが小さく笑った。
この状況で恐れおののくこともなく、見た目の繊細さに反して肝が据わっている。
「まあいいよ。別に暗幕を掛けなくてもどうにでもできるんだ。
暗闇で覆っておいた方が雰囲気も出るし周りに影響しなくていいんだけど。
さてと、長引くのは面倒だからこれで最後にしよう」
そう言いながら、ミストフェリーズはちらりとジャンクヤードの入り口に目を向けた。
いくつかの影が向かってくる。
その正体はすぐに知れた。
「ディミータか。マンカスにカーバケッティとジェリーロラムも」
「ミスト、マンカスたちまで巻き込んでしまうわ」
「そんなことはしないよ、ヴィク。自ら巻き込まれに来ない限りはね」
既に止めることはできないと悟っていても、ヴィクトリアは諫めるのをやめない。
そしてやはり、ミストフェリーズは止まらない。
余裕の笑みさえ浮かべてやってきた猫たちを見ている。
「ミストフェリーズ」
うち捨てられたオーブンの傍にいるミストフェリーズに、
躊躇することなく歩み寄ってくるのはディミータ。
さかんに頭を振っている犯罪王と、
シラバブをホールドしたまま呻いているランパスキャットにちらりと目をやって、
茜色のリーダーは特に表情を変えないまま黒猫に向き合った。
「一体何があったの?」
「簡単に言うと、そこの犯罪王がヴィクを欲しがって僕が断った。
力尽くと言うから対抗したまでだよ。そうしたら思いがけない割り込みがあってね。
あのシラバブの力は見事だね、未熟だけど僕の暗闇を吹き飛ばしたんだから」
「・・・シラバブの力?要するに、犯罪王があなたを挑発したのね?
それであなたが力を使って、それを止めようとしたのがバブだったということ?」
ディミータは眉を曇らせてジェリーロラムの方を振り返った。
そのジェリーロラムも困惑したような表情を浮かべている。
「バブは光を司る天使の血を引いているらしいのよ。
誰が父親で母親なのか私も知らないし、この話も長老がおっしゃっていただけ。
ただ、いつか力に目覚める可能性があるとは聞いていたわ」
「何の力?」
「悪しき呪いを浄化し葬送する力と聞いているわ」
何者をも言祝ぎ美しい光に変えて、安らぎの場所へと送り出す。
ゆえに光を司る者と呼ばれる。
「そういう意味では特別な時以外に力を解放することはほとんど無いらしいわ」
「物語の最後に登場して、天国だか光の国だかに送り出してくれる感じか?」
カーバケッティが訊ねたが、ジェリーロラムは否定も肯定もしない。
シラバブに何らかの力があると言うこと以外は誰にも確かなことはわからないのだ。
「とにかく、僕とシラバブの力の相性は良いんだか悪いんだかわからないけど、
相殺しちゃうんだよ。光と闇は対極かつ背中合わせの存在だからね」
「だったら、もうこんな茶番は止した方がいいわ。
犯罪王は私たちに任せればあなたは予定通りスキンブルのところに行けるでしょう?」
「君たちだって犯罪王には手を焼いているじゃないか。
僕の力ならアイツをこの世界から追い出せる、闇へと葬送するのさ」
ミストフェリーズは冷たい笑みを浮かべ、一歩も退かないと態度で主張する。
「犯罪王は確かに脅威よ。でも、マキャヴィティは私たちの仲間なの。
彼だって犯罪王の暴挙を恐れているわ、自分の狂気が誰かを傷つけることをね。
マキャはこの街で穏やかに暮らすことを願っているわ、だから追放はしない」
「ディミータ、君はよくできたリーダーだよ。
僕が今まで見てきた数多のリーダーたちと比べても素敵だよ、信念があるしね。
でも、いくら君が止めても無駄だよ。これだけは譲れないんだ」
「わかったわ。でも、ちょっと待って」
ディミータはただ冷静に黒猫に待つように告げると、マンカストラップに目を向けた。
「詳しい事情はわからないけれど、犯罪王がとてもまずいやり方で挑発したようね。
ミストフェリーズはああ言っているけれど、防ぐ手立てはないの?」
「ミストの怒りは一線を越えると、怒りのエネルギーを解放しないと収まらない。
一番手っ取り早いのは力を使わせてエネルギーを放出させることだが、
受け身だと確実にあの犯罪王というかマキャヴィティはあの世行きだな」
「それは困るのよ、だってマキャの願いはまだ叶っていないもの」
厳しい表情で暫し逡巡したディミータはシラバブに視線を向けた。
仔猫は、目をこすっているランパスキャットに心配そうに声を掛けている。
「バブなら対抗できるのかしら」
「厳しいと思うわ」
聞こえて来た声にハッとしてディミータはふり向いた。
カッサンドラが立っている。
タンブルブルータスも一緒だ。
スキンブルシャンクスとランペルティーザ、タントミールもその後ろにいる。
「スキンブル、何しに来たの?」
安全を考えて、スキンブルシャンクスのところに皆を集めたのだ。
ディミータが問い質すのも無理はない。
「ミストが来ないなあと思っているとろに、
ジャンクヤードの方が不穏な感じだったし、カッサがミストの仕業と言うから。
友達としては様子を見に行きたくなるものだよね」
「みんな引き連れてくることなかったと思うけど」
「カッサとタンブルは行くと言うし、僕は勿論行くわけだから、
それならランペルとタントだけ置いていくのも変でしょ?」
確かに一理あるが、それならスキンブルシャンクスが来る必要は無かった。
ディミータはそう思ったが口には出さなかった。
言ったところで既に皆集まってしまっている。
「わかったわ。ところでカッサ、さっきバブでは厳しいと思うと言っていたのはなぜ?」
「単純にスペックと経験の違いよ。
さっきの光を見たけれど、シラバブはうまく力を制御仕切れていないわ。
持っているエネルギーは無尽蔵では無いから、無駄な放出を続けると長くは持たない。
ミストは完全に己の力を理解しているし、それに加えて尋常ではないスペックなの」
個々が生まれ持つ力の最大値など大して変わらない。
どのようにして力を最大まで引き出せるかは、才能もあるが経験に拠る所も大きい。
能力の最大値を上げる方法は色々あるが、例えば他者の力を吸収する方法がある。
「ミストの力が私たちの内で飛び抜けて大きいのは、元々の資質もあるけれど、
彼に私たちの能力を委譲した所為でもあるわ。ある目的のためにね。
だから、ミストの力は能力を持てあましているシラバブとは桁違いなのよ」
「その力の委譲ってやつをバブにも適用できないのか?」
カーバケッティが訊ねるが、カッサンドラは眉を寄せて首を傾げた。
「私では方法がわからないし、第一貴方たちは特殊な力を持ち合わせていないでしょう?」
「まあ、そりゃそうだよな。うーん・・・万事休すってわけにもいかないし」
考え込むディミータらの視界の端に、新たな訪問者の影が映る。
これ以上、危険かもしれない場所に仲間たちを置きたくはないディミータは
誰が来たのかとジャンクヤードの入り口に顔を向けた。
走ってくるの月明かりにも鮮やかな三毛の少女。
「ジェミマ、ここは」
「ディミ!長老からの伝言よ」
長老から、という言葉に街に昔から住む猫たちは無意識に姿勢を正した。
「“必要な力はこの世界が持っている”と仰っていたわ」
「必要な力はこの世界が持っている?どういうことかしら・・・」
首を傾げる猫たちの中で、ジェリーロラムはふと思い立ったように小さく声を上げた。
「どうしたの?ジェリー」
「あのね、世界は全てバランスを取りながら成り立っているの。
大きな力に対してはそれを無効化するだけの力が必ず働かなければならない。
溜まったエネルギーはいつか放出され、歪められたものはいつか元に戻る」
「そうね」
「だからね、この世界が持つそんな力を分けて貰えばいいのよ」
「なるほど。それいはどうすればいいの?」
わかったようなわからないような話でも、今のディミータたちに選択肢は他にない。
やってみてダメならまた考えるしかない。
今はヴィクトリアと談笑しているミストフェリーズの辛抱が持てばの話だが。
「よくわからないけど、舞台ではよく儀式をするわね」
「おいおい、舞台の中のことを現実に持ち出すのか?」
「あのねマンカス、あのミストたシラバブの力だけで既に充分現実離れしているの。
だいたい、舞台のもとになった話だって創作だけどただの空想じゃないわ。
どこかで実際に行われていた儀式が元になっているの、意味があるんだわ」
そう言いながら、ジェリーロラムは落ちていたステンレスのスプーンを拾ってきて
地面に何やら模様を描き始めた。
「俗に言う魔方陣というやつだね」
興味深そうに眺めているスキンブルシャンクスが呟いた。
彼の知識の幅はとにかく広い。
「これでよし。あとは役者がいるわね。私と、あとタントとジェミマ。
よく舞台の話を聞いてくれるから例の祝詞覚えているでしょう?
それからスキンブルも、アドリブ上手そうだから」
「ええっ!?ちょっと待ってよ、僕の本業は接客と鉄道乗務だよ」
「大丈夫、スキンブルなら問題無いわ。アイテムはその懐の懐中時計でいいから。
そこに立って、陣の北側にあたるところよ。ジェミマは東、タントは西ね」
ディミータたちだけではなく、ミストフェリーズも何ごとかと注意を向けた。
犯罪王も耳だけは立てている。
シラバブも、ランパスキャットに促されてジェリーロラムの方に目を向ける。
皆が注意を向ける先では、スプーンを持ったままのジェリーロラムと、
尖った木の枝を手にしたジェミマ、縁の欠けたガラス瓶を手にしたタントミール、
そして戸惑った表情のスキンブルシャンクスが描かれた魔法陣の中に立っている。
「できると信じること、これしかないわ。
私の持っているスプーンは魔法の杖、ジェミマの木の枝は剣よ。
タントが持っているのは聖なる盃、スキンブルのは黄金のペンタグラムね」
「見立てというやつね。何だかわくわくする」
「私も」
説明するジェリーロラムに、ジェミマとタントミールは乗り気だ。
スキンブルシャンクスは未だに己の役割を理解してはいないが、ひとまず開き直った。
この世界、なるようになるのだ。
「あ、重要なことを忘れていたわ。バブ、ちょっと来て」
「なんですか?」
ジェリーロラムに呼ばれたシラバブが走り寄ってくる。
「この円の真ん中に立って。これからあなたに渡すものがあるの」
「ジェリー待って、その前に」
ディミータがジェリーロラムを制して、シラバブの前に屈んだ。
幼子の曇り無い目にしっかり己の目を合わせて、ディミータは言った。
「バブ。ミストフェリーズがさっきみたいに大きな力を使おうとしているの。
その力はマキャを傷つけるかもしれない。
私たちにはそれを防ぐだけの力は無いの、でも、バブにはそれがあるわ」
「わたしがマキャヴィティさんをお守りすればいいのですね?」
「そうしてくれるととても嬉しいわ。ごめんなさい、こんなことを任せちゃって。
それでね、そのためにはバブも大きな力が必要なの。
今からジェリーがバブのために力を集めるから、受け取ってくれる?」
滅多に見られないディミータのとても優しい表情を見て、シラバブは力強く頷いた。
幼くても頼られるのは嬉しいことだ。
「ありがとう、バブ。あなたに祝福がありますように」
ディミータはそっとシラバブの額にキスをした。
「さあ、バブ。そろそろ黒猫さんが焦れてきているみたいだから急ぎましょう。
そこに立ってくれる?そして、私たちを信じて」
「はい」
月はもう間もなく真南にかかろうかという頃。
ジェリーロラムの凛とした声が、鎮まったジャンクヤードに響く。
「汝、畏(かしこ)きもの
畏(おそ)ろしき力に拠りて御霊(みたま)を葬送するもの
汝、善悪を持たぬもの
汝、雌雄に分かれぬもの
汝、天地を恐れぬもの
汝、火水を操るもの
我、汝を訪うもの
汝、我の声を聞け」
ジェミマが木の枝をかざす。
「汝、夜明けに風を招きたまうもの
馨(かぐわ)しき風を差し招きたまえ」
ジェリーロラムがスプーンを構える。
「汝、昼に火を招きたまうもの
猛き炎を差し招きたまえ」
タントミールがガラスの瓶を差し出す。
「汝、夕暮れに水を招きたまうもの
旨き水を差し招きたまえ」
スキンブルシャンクスは懐中時計を差し伸べた。
「汝、夜に地(つち)を招きたまうもの
地の万物を差し招きたまえ」
円の真ん中に立つシラバブは、何かの鼓動を聞いた気がした。
その鼓動は己を取り巻く空気の中からか、踏みしめる地の中からか、
はたまた自身の中から聞こえるのか、不思議な響きを持っている。
何かに促されるかのようにシラバブはその鼓動の源を掻き抱こうとした。
「汝ら、万物をして御霊を受け入れるもの
我ら、地を歩み天を敬うものに従いたまえ」