06:悪魔【diaborus】 -力を持つ者-
「拒むことはいつでもできる」
オールドデュトロノミーの静かな声が言う。
「しかし、一度拒んだものを受け入れるのは難しい。
拒んだ者と拒まれた者の間に一度できた亀裂は簡単には修復できない」
「相手が何を求めているのかわからないので簡単には判断できません。
不穏当な話が絶えず私も少し不安なのです」
ディミータはいつもの夜と同じように長老猫を訪い、
変わりないことを見届けて挨拶のみで立ち去るつもりだった。
いつもと何ら違わない彼女の行動の中に何を見て取ったのか、
オールドデュトロノミーはディミータを呼び止めて少し話そうかと言った。
確かな情報が乏しく彼女自身が意思を整理仕切れない状況で話すのは躊躇われたが、
結局ディミータは長老猫に不思議な力を持つという噂の猫たちについて打ち明けた。
「難しい判断かもしれんが、そなたのしたいようにすればよい。
皆それを受け入れる筈じゃ。誰も正解など知らんし、正解があるのかもわからんからの」
「それはそうかもしれませんが・・・長老、魔力とはどういうものなのですか?」
「魔力?そなたの言う猫たちは魔力を使うという噂なのかね?」
長い時の経過を思わせる厚い毛並みの向こうから見つめられていることに気付き、
ディミータは居住まいを直すように背筋を伸ばして小さく頷いた。
「はい、そういう噂です。これについてはほぼ確実と報告を受けています。
物を瞬時に移動させたり、光を操ったり雷を起こすという話もあります」
「ふうむ、一貫性が無いのう」
長老猫はほっほっと笑った。
笑えるくらい大したことのない問題だったのかとディミータは僅かに眉を寄せた。
「それが同じ猫の力だとすると、能力の幅が大きいと言うことじゃな。
己の意思で制御しているとすれば素晴らしい使い手であろうな」
「禍々しい物ではないのですか?」
「力そのものに良し悪しは無いと儂は思っておるよ。それをどのように使うかが問題であろう。
誰かを傷つければ悪しきもの、傷を癒せば良きものと見られる、その程度ではないかね?」
ディミータは言われたことを考えるかのように教会の磨かれた床に目を落とし、
暫く考え込んでからおもむろに顔を上げた。
「私は力を持たないのでやはり不安です。
魔力と呼ばれるくらいですから、何かしら害を含んだ力のように思えます。
もしもそんな力を持つ猫たちが来た時、皆が安全でいられるでしょうか」
「それは儂にもわからんが、ディミータ。
力を持つ者はみだりにその力を使ったりはしないものじゃ。
そなたに受け入れる意思があるのなら、怯えたり威圧したりせずにあるがままで迎えなさい」
「・・・はい」
考えれば止めどなく不安が沸き上がってくる、
それを振り切るようにディミータは長老猫の言葉を胸に沈めて頷いた。
*
なるほどね、と報告を受けた黒猫はいつものように頷いた。
今までの経験からしても、マンゴジェリーの調査は正確で信用に値する。
ただ、彼が良いと言ったから受け入れられるわけではない。
現に、ミストフェリーズたちは根無し草のように彷徨い続けている。
「君が言うように、街に力を持っている長老猫がいるなら厳しいかもね。
厭でも抑止力が働くから落ち着かないし」
「力で力を制圧するようには感じなかったけど」
「まあ、深く付き合ってるわけでもないから表面的にしかわからないしね。
雌猫がリーダーだっていうのは興味深いところではあるけど」
「あら、雌猫がボスの方がいいの?」
ミストフェリーズの隣でマンゴジェリーの話を聞いていたらしいヴィクトリアは、
毛繕いの止めて口を挟む。
「僕の主観だけど、雌猫の方が異質なものを変に怖がったり拒んだりしないし、
変化にも寛容だと思うんだよね」
「そう思うなら行ってみましょうよ。問答無用で追っ払われたりしないでしょうし。
マンゴも行きたいのでしょう?」
「あれ?そうなのかい?」
「ああ、いや、まあ・・・」
いつになく歯切れの悪いマンゴジェリーにミストフェリーズは訝しがるような目を向けるが、
ヴィクトリアはくすくすと笑って毛繕いを再開した。
「いつもより熱っぽい口調だったでしょう?
私はまた、その雌のリーダーに一目惚れしたのかと思ったわ」
「それはない、けど」
すぐに否定の言葉を口にしたものの、マンゴジェリーはヴィクトリアの鋭さに恐れ入っていた。
できるだけ感情を抑えていつも通り振る舞えた筈だったのだ。
実際、ミストフェリーズからは何の指摘も受けていない。
男女間の感情の機微には雌猫の方が鋭いのかも知れない。
特に雌猫リーダーと何かあったわけではないし、姿を見ただけで言葉も交わしていない。
それでも、マンゴジェリーにとって彼女はただの雌猫では無いのだ。
「けど何だい?いいけどね、最終的に決めるのは僕だし。
最近噂が広がりすぎてどこに行ったって門前払いなんだけど、
マンゴが調べてきてくれた街に行くのは悪くないと思う。ヴィクも乗り気だし」
「噂か、確かに広がっているかもな。
黒猫率いる悪魔に魅入られた猫たち、通称"ディアボルス"だってな」
マンゴジェリーが低い声で呟く。
色んな街に脚を運ぶマンゴジェリーは様々な噂を耳にしていた。
鼻で笑えるようなものから随分的を射たものまで実に色々だ。
ミストフィリーズはふっと溜め息を吐いた。
「ディアボルス、か。僕はその通り悪魔を演じればいいのかな?
終の棲家が欲しいだけなのにな。ずっと探しているんだ、気が遠くなるくらいま」
「ミスト!」
太い声が割り込んできた。
振り仰いだミストフェリーズの視線の先に大柄な猫が立っている。
「ああ、マンカス。ちょうど良かった」
「良かったかはわからんぞ。ランパスを連れ戻してきた」
「あー・・・うん、今度は何をしてきたか聞きたくないけど取りあえず聞くよ」
「喧嘩はしてない」
シルバータビーの猫の後ろから白黒ぶち猫が姿を現した。
マンカストラップに勝るとも劣らない大柄な体躯だが、まるで落ち着きが無い。
愛想は良いが手は早い。
そんな白黒猫を見上げながら、ミストフェリーズは彼を連れて行くべきか逡巡した。
「喧嘩じゃなければ何をしてきたんだい?」
まるで、喧嘩以外にすることがないような口ぶりだが
特にマンゴジェリーやマンカストラップからの突っ込みはない。
「散歩だって、みんな散歩くらいするだろう?
それに、仔猫を助けてやったんだ。野良犬に絡まれてたから」
「それはまあ、たぶんいいことだね。で、犬は?」
「追っ払った。尻尾巻いて逃げていった」
どうだと言わんばかりのランパスキャットに、
顔が引きつらないようにと願いながらミストフェリーズは笑みを浮かべた。
「そりゃすごいね」
「だろう?」
「だろうじゃない!」
思い切りランパスキャットの脚を踏みつけたマンカストラップが低い声で唸る。
「普通の猫は犬を追っ払ったりしない、お前はもっと自分の力を抑えろ。
噂には尾ひれが付く、ただでさえ行く先々で色々言われているんだ。
犬に勝つような猫だとわかればここにももういられないだろう?」
不満そうだが言い返せないランパスキャットと険しい表情のマンカストラップを見やり、
ミストフェリーズは苦笑を零した。
「仕方ないよ、もう終わったことだ。
マンカス、次の場所を決めた。遅かれ早かれここからは去るつもりだよ。
今日はもう休んで、ヴィクもさあ。僕はもう少しマンゴと打ち合わせするから」
「わかった。詳しい話は後で聞かせてくれ」
そう言うと、マンカストラップはランパスキャットを促してその場を離れた。
「甘いのね、弟君には」
「そういうものだよ、兄弟なんて」
「いいわね、嫌いじゃないわ」
くすっと笑ってヴィクトリアもマンカストラップたちを追うように姿を消した。
白い毛並みが視界から消えたのを確認して、ミストフェリーズは赤毛の虎猫に目を向けた。
「というわけで、その教会のある街に行くことにしたから先導は頼む。
気になるのはその長老猫だ。ただの長生きの猫じゃない、よね?」
「違うだろうな」
「時々力の相性が悪い場合があってね。ディアボルスってのは言い得て妙だよ。
僕の力は世間が言うところの悪魔的な力なんだ、変質や破壊に向いている。
逆の、簡単に言えば天使的な力とは相容れない」
難しい顔をしている黒猫を前に、マンゴジェリーは言われたことを脳内で反芻した。
しかし、わかるようでわからない。
悪魔的な力が破壊なら天使的な力は創造なのだろうかと思考を巡らせてみるが、
やはり、わかるようでわからない。
「でも、行くだろう?」
「まあね。行くよ」
マンカストラップたちにも行くと言った手前
ミストフェリーズが翻意することは無さそうが、乗り気では無さそうだ。
マンゴジェリーはもう一押ししておくことにした。
「俺の直感では、あの長老猫はそんな力がどうこうってもんじゃない。
審判者に近いと思う、天に上るか地に墜ちるかを決める賢者みたいな存在かも」
「へえ。それはおもしろいね。それで雌のリーダーがいるなんて、変わった場所だ。
僕が直接会ってみようかな。話も早いしね」
色のないミストフェリーズの目がきらりと光った。
次の場所は決まった。