11:契約の証 -悪魔と僕(しもべ)-
よく晴れている。
風が少し強い所為か雲もほとんど無い。
ボンバルリーナはヴィクトリアとカッサンドラに街を一通り案内して回っているが、
昼を過ぎても街の猫たちとは会えていない。
「みんなお昼寝の時間かしら」
「いつもと違う雰囲気を察して出てこないのかもしれないわね」
カッサンドラが言えば、ボンバルリーナは軽く首を振った。
「むしろ好奇心丸出しで出てくるタイプね、みんな。
特にこの辺りに住んでいる子なんか好奇心の塊のようなものよ」
「子供なの?」
「そうねえ。あなたと、ヴィクトリアと同じくらいじゃないかしら。
あなた、随分落ち着いて見えるけれどすごく若そうだし」
ボンバルリーナが微笑むとヴィクトリアは少し驚いたように目を丸くした。
「そうね、私まだおとなになっていなかったわ。
ここなら同い年くらいのお友達ができるかもしれないのね」
「良かったわね、ヴィク」
少しだけ頬を染めて頷くヴィクトリアは嬉しそうに笑みを浮かべている。
生まれた頃は飼い猫で、その後ミストフェリーズと共にいるようになったヴィクトリアは
ずっと誰かの庇護下で生きてきた。
年の近い猫たちとじゃれ合って遊んだという経験もない。
いつかどこかで息を潜めなくても暮らしてゆけるようになったら、
友達を作って走り回ってみたいと彼女がかつて夢想したものだ。
それが現実になろうとしているのだから胸が高鳴るのも無理はない。
「ボンバル?誰?」
背後から突然声が掛かった。
カッサンドラとヴィクトリアはぱっと振り返って身体を強ばらせたが、
ボンバルリーナは振り向いて「ここにいたのね」と呟いた。
「ランペル、お昼寝中じゃなくて良かったわ。
仲間が増えたのよ、紹介するわ。ヴィクトリアとカッサンドラよ」
「ヴィクトリアとカッサンドラ?女神の名前なんて神秘的ね。
あ、わたしはランペルティーザ、ランペルって呼んでね」
明るいランペルティーザを前に、ヴィクトリアとカッサンドラはすぐに緊張を解いた。
黄色い虎猫の天真爛漫な雰囲気には誰もが惹かれるのだ。
「よろしくね、ランペル。カッサンドラよ、カッサかキャシーと呼ばれているわ」
「じゃあカッサにするわ。ヴィクトリアは?ヴィク?ヴィッキー?」
「ヴィクの方が慣れているからそう呼んでくれると嬉しいわ」
ランペルティーザはこくんと頷いて、まじまじとヴィクトリアを見つめた。
じっと見られることなどなかったヴィクトリアは戸惑い気味に小さく首を傾げる。
「ヴィクってすごくキレイね。真っ白なんていいなあ、それに目も!
青空を閉じ込めた水晶みたいよね。絶対月明かりとか似合いそう。
ボンバルもそう思うでしょ?」
「ええ、勿論よ」
興奮したように一気に捲し立てるランペルティーザは微笑ましい。
はにかんで目を泳がせるヴィクトリアの反応も年頃の乙女そのものだ。
「ランペル、ヴィク、貴女たち一緒に遊んでくる?
街の案内が必要ならいつでもできるし、歳が近い方がいいでしょう?」
「やった!街の案内ならわたしに任せてよ、色々教えてあげる」
「くれぐれも悪戯はしないようにね」
嬉々としてヴィクトリアを連れて行こうとするランペルティーザに
ボンバルリーナは苦笑しつつも釘を刺すのは忘れなかった。
大丈夫大丈夫と言いながらあっという間にランペルティーザは去ってゆき、
ヴィクトリアも楽しそうに付いていってしまった。
「私たちはまったりと行きましょうか、カッサ?」
「そうね、ボンバル」
お互いの呼び名を確認するように微笑みを交わし、
ボンバルリーナとカッサンドラは教会の方へと道をとった。
「聞きたいことがあるの」
カッサンドラが唐突に呟けば、ボンバルリーナは一つ頷いた。
「いいわ。この際何でも聞いてちょうだい。
その代わりと言うのもなんだけど、カッサも何でも答えてくれるとありがたいわ」
「そうね、特に隠し立てするようなことも無いつもりだしいいわよ。
それなら早速だけれど、ディミータは何者なの?
勇気と寛大さと芯の強さを感じたわ、皆の信頼も、あんなに若い女性なのに」
「この街にいればあの子の負っているものの大きさがわかるわ。
強くあるべきなんだって、自分に言い聞かせながら大きくなってきたのよ。
貴女たちのことも噂を聞いてからずっと悩んでいたわ、でもこうすると決めたの」
ボンバルリーナは知っている。
ディミータが黒猫たちを受け入れることを最後まで躊躇っていたことを。
不思議な力を恐れたのではなく、街を乱されることを懸念したのだ。
それでも彼らが望むのなら受け入れたい、ディミータはそんなふうに零した。
「貴女たちが、もしくはあの黒猫さんが望んだのでしょう?
心からの願いを聞き届けるのはディミータの役目なの、この結果も納得できるわ」
「願い事を叶える力を持っているの?」
「いいえ、そんな力はきっと誰も持っていないわ。
貴女たちはただ住む場所が欲しいのではなくて、その先に求めるものがあるでしょう?
願いはいつか叶うかもしれない、そう信じ続けられるようにディミがいるの」
そして彼女の向こうには長老猫が。
「私たちにはまだわからないことね。
でも、もう街を出て行かなくていいからたくさん時間を掛けて知ることができるわ」
カッサンドラは嬉しそうに言う。
ひとところに落ち着くことを諦めていた筈なのに、やはり心のどこかでは望んでいたのだ。
そうでなくてはこの安堵感がどこから来るのか彼女自身が説明できない。
「そうそう、時間はいっぱいあるわ。今度は私が訊いてもいい?
カッサの右目の下にある模様のことよ、生まれつきの模様じゃないでしょう?
後からそこだけ黒く塗りつぶしたように見えるけど、それは何?趣味?」
「さすがに趣味ではないわね」
クスクスと笑うカッサンドラの右目の下には、確かに漆黒の模様がある。
細長い逆三角の模様は、あの黒猫の両目の下にある模様とそっくりだ。
「これは証なの」
「証?何の?」
「ミストと、あなたの言う黒猫さんはミストフェリーズというのだけれど、
彼と取引をした証よ。タンブルの命を救って貰う代わりに私の自由を渡したの」
ボンバルリーナは願いを叶えられる者などいないと言ったが、
カッサンドラはそれができる猫を随分前から知っていた。
代償は大きくても、不可能とさえ思われる望みを叶えてくれるなら構わない、
そう言う者たちは少なくないはずだ。カッサンドラもそうだったのだから。
「タンブルって、あなたとそっくりの彼のこと?」
「ええ、双子なの。タンブルは取引していないからこの模様はないのよ。
でも、彼は私と共にいることを望んでくれたから一緒にいるの」
「自由を渡すってどういう感覚かあまり想像できないけど、
それでもずっとその一度きりの取引に縛られると言うことでしょう?」
眉を顰めるボンバルリーナにカッサンドラは頷いて見せた。
「ボンバル、私は縛られているように見える?」
「残念ながら、朝から今まで一度もそんなふうには見えなかったわ」
「そうでしょう?ミストは私の自由と引き替えと言ったけれど真意は別にあった筈よ。
それが何なのか今でもわからないけれど」
ミストフェリーズは取引の代価が欲しいのではなく、
カッサンドラの存在を欲したのだと彼女は考えている。
それは、彼女自身の持つ「力」に関係している筈だ。
マンゴジェリーを仲間にした時にそれは確信に近くなった。
黒猫が欲しがったのはマンゴジェリーに内在する何らかの「力」だった。
「ミストはね、悪魔なの。半分くらいはものの例えと思ってね。
悪魔に僕はつきものだけど、僕が望めばその拘束を抜け出すことはたやすいの。
人間もそれを知っているわ。タロットカードにも描かれているもの」
「聞き慣れない言葉ね。それにしても悪魔というのは噂だけだと思っていたわ」
「悪魔は混沌の象徴よ、ディミータが恐れる秩序の乱れを示しているわ。
だからこれからどうなるか不安が無いと言えば嘘になるわ。
でも、信じてね。私たちは本当に暮らしてゆける場所を求めていたの」
坦々と話してはいるが、カッサンドラの表情は真剣そのものだった。
「信じるわ。少なくとも、カッサの言葉とディミの決断は信じているわ」
「ありがとう」
躊躇いのないボンバルリーナの言葉に、カッサンドラの表情が和らぐ。
ヴィクトリアだけでなくカッサンドラにも親しい友達などいなかったのだ、
だから今まではタンブルブルータスの存在だけが支えだった。
これからは少し変わるのかも知れないと、カッサンドラの気持ちは少し昂ぶった。
「ボンバル」
「どうしたの?あ、そこ左に曲がって」
「こっちね。ねえ、私と友達になってくれる?」
細い路地に入り込んだところでボンバルリーナはきょとんとして立ち止まった。
数回瞬きをすると、おかしそうに声を立てて笑い始めた。
「ええ、ええ、勿論OKよ。お友達の申込みを受けたのってこれが初めてだわ。
今頃ランペルティーザも同じようなことになっているかもしれないわね」
「お友達になるのって申請無しなの?だとしたらどうしてお友達になれるの?」
「私の経験上は、いつの間にかお友達になっていたということが多いかしらね」
まだ笑っているボンバルリーナの隣で、そういうものかしらとカッサンドラは首を傾げる。
だが知らないものは知らない、答えはこれからわかることだ。
「タンブルにもお友達ができるかしら」
「ええ、大丈夫よ。私が友達になってもいいし」
「そうしてくれると私も嬉しいけれど、タンブルってけっこうシャイだから・・・」
ちらりと見た強面の雄猫が照れているところを脳裏に思い描き、
また少しボンバルリーナは笑うハメになった。