AC-02:彷徨う者

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最終更新日: 2018-11-11
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02:彷徨う者 -モノクロームの世界に生きる-

夜も明けない暗い内から、小さな街のパン屋には明かりが灯る。
それを合図にしたように、ブロック塀に寝そべっていたマンゴジェリーは立ち上がった。
ゆっくりと伸びをすると、塀を伝って歩き出した。

「マンゴ、どこへ行くの?」

マンゴジェリーが立ち止まって顔を下に向けると、そこにはカッサンドラがいる。
彼女の問いかけに咎める調子はなく、いつも通りの確認のようだ。

「例の教会のある街だ、ちょっと様子見に」
「そう。だったら少し遠出になるのね」
「行くだけで丸一日かかるだろうな」

小さな教会なら至る所にある。
でも、マンゴジェリーが目指す街はただ一つだ。
今居る場所からは、どんなに天気の良い日でも見ることはできないが、
彼にはその街がどこにあるかわかるのだ。
なぜなら、その街をよく知っているから。

「わかったわ。気を付けてね」
「おう、じゃあな」

カッサンドラの見送りの言葉に軽く頷いて、マンゴジェリーは塀を歩いて行く。
パン屋から漏れた明かりに浮かぶ赤毛はすぐに暗がりの向こうに消えた。
黒と白の毛並みばかりの仲間たちの間で、文字通り異色の毛色を持つ彼は、
その希有な身体能力を活かして偵察の役割を果たしている。
ふらりと離れていったかと思うと、とある街について驚くほど正確な情報を持って帰ってくる。

「落ち着かないのね」
「何が?」

ぽつりと漏れたカッサンドラの呟きに反応したのは
パン屋の裏口に置かれた段ボールの上に座っているタンブルブルータス。
カッサンドラとは双子で、毛並みはそっくりだ。

「マンゴのことよ。いつも何か探しているみたい」
「役目だからだろう?仕事熱心なのは悪いことではない」
「そうね。今度の場所こそミストが気に入ると良いわね」

ずっと放浪を続けてきた。
そしてこれからもずっと放浪するのだ。
ミストフェリーズと仲間たちとともに。
一所に落ち着く日が来ることはないのだと双子は諦めている。
共に居ることさえできればそれ以上望むものはない。
共に生きるために黒猫に払った対価は自由。
いつの事だったか、野犬に襲われ瀕死の重傷を負ったタンブルブルータスを救うため
カッサンドラは藁にも縋る思いで奇妙な力を持っていると噂されるミストフェリーズを頼んだ。
自由な生活と引き替えにタンブルブルータスは命を取り留めた。
共に生きてゆくために双子はミストフェリーズの傍にいる。
支配されているわけではない。
それでも契約は契約だ。
破棄したいだなどと双子は考えたこともない、これから考えることもないだろう。
どこで生きるにしても歪んだ秩序の中に放り込まれるくらいなら、今のままで十分だ。

「俺たちもちょっと歩かないか?腹も空いたし」
「いいわね」

それじゃあ、とタンブルブルータスが段ボールの上で立ち上がったその時、
パン屋のゴミ箱になっているポリバケツの蓋に大柄な猫が飛び降りてきた。
屋根の上から下りてきたのか、衝撃でバケツが大きく音を立てて揺れたが
シルバータビーを纏った雄猫は全く動じない。

「カッサ、ランパスを見ていないか?」
「見ていないわ、昨夜からね」
「あいつ、また勝手に・・・」

大きく溜め息を吐いて、マンカストラップはひらりと石畳の上に下りた。
眉間に皺を寄せていても端正な顔立ちなのがわかる。
彼もまた、ミストフェリーズとに付き従い彷徨い歩く仲間だが、
ミストフェリーズが敬意を払っている節もありどこか妙な関係だった。
その理由は当事者しか知らない。
真面目で頭も良いし腕っ節も強いマンカストラップは、
ミストフェリーズの弟にあたるランパスキャットと仲が良い。
トレーニングと称してよく取っ組み合いをしている。
ランパスキャットはとにかく喧嘩に強い。
相手が猫でも犬でも負けたことは無く、その強さは異様と言えた。
だが、喧嘩猫はマンカストラップには勝てないのだ。
互角には組み合えても勝つことができない。
だからと言って、マンカストラップが無敵の強さを誇るわけではないのが不思議だが、
その理由を知るのもやはり当事者と、ミストフェリーズのみだ。

「血が騒いだんだろう。よくあることだ」

タンブルブルータスはいつものことだと気にも留めないが、
友達兼目付役のマンカストラップの渋い表情は変わらない。

「あいつの血は数日に一度お祭り騒ぎだ。派手に暴れてみろ、ここにもいられなくなる」
「それは困ったわ。マンゴが遠出すると言ってつい今し方行ったところなのに」
「・・・バカを連れ戻してくる」

がっくりと項垂れたマンカストラップだったが、低い声で呟くと
マンゴジェリーが去っていた方向と同じ方へ駆け出した。

「アテでもあるのか?」

どちらに行くか迷うこともなくマンカストラップが走り去った方を見て
タンブルブルータスは小さく首を傾げた。

「親友だし、通ずるところがあるのかもしれないわね」
「そういうもんか。それより、俺たちも飯を探しに行こう」
「そうね。一応ミストには言っておきましょう」

ミストフェリーズは小さな黒猫だ。
仔猫ではない。
双子が彼に会った時も、彼は今と同じ姿をしていた。
おそらく、そのずっと前から同じ姿をしていたのだと双子は思っている。

手脚の一部が所々白く、耳や尻尾の先と顔も白い。
何の変哲もない黒と白の猫だが、どんな猫たちも黒猫と向き合った瞬間に声を失った。
彼の双眸は向き合う者たちを戦慄させた。
右の目はオニキスのように黒く、左の目はプラチナのように白い。
ミストフェリーズは色彩を持たない猫なのだ、そして常識を越えた力を有している。
その異質さがどこに行っても受け入れられない最大の理由だった。
噂ばかりが広まって話を聞いてすらもらえないことも最近は多い。
ミストフェリーズは悪魔と猫の相の子だという話がどこからともなく聞こえて来る。
黒猫はそれを聞いて不敵な笑みを浮かべるだけで否定はしない。

その存在自体を望まれなかったのだとミストフェリーズは言う。
それでも、生きる理由があるのだと。

居場所を求めて彷徨い、悪魔の一団と恐れられ、一つの場所に止まることもできない。
マンゴジェリーが探りに行った次の街でもまた、同じことが繰り返されるのだ。
希望など無い。だから失望もしない。
いつかは双子もマンカストラップも寿命が尽きて朽ち果てる、
それまでをただ単調に生きるだけなのだ。
その先もミストフェリーズは生き続けるかも知れないと、双子は半ば確信めいた思いでいる。
噂通り彼に悪魔の血が流れているとしたら寿命は長いはずだ。

「ミスト、食べに行ってくるわ」

カッサンドラが路地に放置されて久しい錆びた自転車の影にいるはずの黒猫に声を掛ける。
ミストフェリーズは何をしていたわけでもないのか、ひょいと姿を現した。
その傍らには、かろうじて届くパン屋の光を受けて美しく夜に映える白猫がいる。

「全く、君たちは僕の護衛の筈なのに簡単に離れるんだから困ったものだよ」
「何かあったら駆けつけるから呼んでくれ」

双子の役目はミストフェリーズの護衛だ。
そういう契約になっている。
黒猫は何だかんだと理由を並べていたが、双子はてんで覚えていない。

「何かあったときのために傍にいるのが普通なんだけどな」

黒猫がやれやれというような表情を浮かべる隣で、ヴィクトリアはくすくすと笑っている。
全く危機感が無い。

「仕方ないね、契約なんて空腹の前には無意味のようだし。
 かまわないよ、たらふく食べてきたらいい」
「ありがとう。丸々太ったネズミか鳥を探すことにするわ」
「幸運を祈るよ」

ミストフェリーズひらひらと尻尾を振って双子を送り出した。
こんなことが日常茶飯事だ。
彷徨い、忌避されながら、それでも穏やかで時々騒がしい日々。
またすぐに次の場所を探して、色味のない世界を漂流するのだ。



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