01:噂 -教会のある街の早朝-
朝の街は静かだった。
猫たちは個性的でマイペースだが穏やかだ。
仕事で余所の街をよく知るスキンブルシャンクスはそう思っている。
「長老のおかげかな」
「ディミの才能もあると思う」
いつも通り北の街に行って戻ってきたスキンブルシャンクスを、
駅で出迎えたのは山吹色の毛並みも鮮やかなマキャヴィティだった。
言わずと知れた犯罪王だが、普段は心優しい穏やかな雄猫だ。
「ディミが優れているのは認めるよ。
君がこの街で暮らしていられるんだからね、普通なら追い出されているよ」
マキャヴィティは満月になると豹変する。
奇妙なマントとマスクとシルクハットを持ち出しては暴れ回るのだ。
猫ではなく狼男の血が流れているのではないかという噂もある。
「何にしてもここはとても落ち着くよ。
北の街では妙な噂を耳にしてね、猫たちはどこか怯えていたんだ。
妙な雰囲気だったよ。何も起きていないのに噂だけが独り歩きしている」
「へえ、どんな噂?」
「彷徨える黒猫族が現れたって。魔力を使い血を好む猫たちの一団で冷徹なんだとか」
そこまで言って、スキンブルシャンクスはまじまじと隣の猫を見た。
「考えてみれば君もそうだね」
「俺は黒猫でもないし、魔力なんて持ってない」
「でも不思議な力を持ってる、何て呼ぶかの違いだと思うよ」
なるほど、とマキャヴィティは頷いた。
「それにしても、彷徨える黒猫族とは笑えるな。
黒猫の一団がウロウロしてるのか?」
「噂だと、黒いのはリーダー格の猫であとは違うらしいよ。
モノクロ団とも言われているから白黒の猫が多いのかもね」
「モノクロの猫が放浪しているのか。面白みがない、美しいとは思えないな」
朝の早い人間たちが駅に向かうのを避けて細い路地を歩きながら
スキンブルシャンクスは呆れたように溜め息を吐いた。
「あのね、美しければいいってもんじゃないよ。
それに白や黒は綺麗だよ。君とかディミみたいに鮮やかな色の方が珍しいし」
「ランペルは鮮やかな黄色にはっきりした黒の虎模様が綺麗だ。
ボンバルリーナも、黒っぽいところに赤色が混じって美しい。
こないだ来た女の子も色は地味だがそれが神秘的でもある」
「マキャの女の子好きは昔から変わらないね。
噂は近くの街まで広がっているのに、ここには何の緊張感もないんだから驚くよ。
変に緊張感が無いから落ち着くんだけどね」
湿った路地を教会の方に向かいながら、スキンブルシャンクスは微苦笑を浮かべた。
噂の猫たちは確実に南下している。
目的はわからないが、所々の街で一悶着起こしていくと言われている。
一所に落ち着くことがなく、荒くれ共の集う街を一夜にして制圧する凶暴さを持つ一方、
街の中心になっている猫たちや弱みを的確に崩す冷静さを持ち合わせているという。
圧倒的な攻撃力に加えて雷を起こす力があるだとか、
予兆を感じ取る力があるだとか、不吉で不気味な話がそこここで聞かれた。
噂はすぐそこまで来ているのに、長老がいてディミータが守るこの街は穏やかだ。
「ディミは何か掴んでいるのかな。マキャはどう思う?」
「さあ、俺はただこの街にいるだけだから。
ジェリーたちは何か掴んでいるかも。時々姿が見えなくなるし」
「時々姿を消すのはいつものことじゃないのかい?」
ジェリーロラムは女優だ。
そして、この街の猫たちには良くある話だが、裏の顔というのも持っている。
この街の秩序を構成するための役割だ。
スキンブルシャンクスにはそういった役割が無い。
裏にしても表にしても夜行列車のアイドル猫でしかない。
マキャヴィティもそうだ。
犯罪王は裏の顔でも何でも無い、何故ならばこの街の秩序には無関係だから。
彼らは街の秩序に組み込まれた無益無害の要素なのだ。
理性が飛んだ犯罪王ははた迷惑以外の何者でもないから人畜無害とも言い難いが、
街の秩序を著しく乱しているわけではないので許容範囲なのかもしれない。
「スキンブルはジェリーたちより情報に通じているな。
仲間に入れて貰えばいいのに」
「僕には鉄の脚があるからね。でも、耳にするのは真贋不確かな噂ばかり。
真偽を確かめるつもりもないし、僕にスパイは向かないよ」
「そうだな、スキンブルにそういうのは似合わない」
「僕もそう思うよ」
くすくすとスキンブルシャンクスが笑えば、マキャヴィティも口許に笑みを浮かべる。
全然違う二匹だが、何も役目を負わず客観的にも主観的にも街を見つめ、
益も害もない話に興じることを互いに楽しむことができた。
「長老はそろそろ起きていらっしゃるかな」
「いつ眠られていつ起きられるのか、ディミータにだって予測できないんじゃないか?」
「そうかもね。あれ?」
教会が道の先に見えたところでスキンブルシャンクスが立ち止まった。
視線の先には教会の白い壁。
その前には茜色の猫がいる。
「珍しいね、ディミがいる」
「この時間は大抵寝ているのにな」
その時、スキンブルシャンクスとマキャヴィティの視線に気付いたかのように
白い朝の光の中で茜色の猫がパッと振り向いたて小首を傾げた。
あまり饒舌でないディミータの挨拶代わりの仕草と言ってもいい。
声は届かないだろうから、スキンブルシャンクスは茶色の尻尾を振って見せる。
また少し首を傾げ、白い朝日の下で朱色に輝く身体を翻して猫の姿は教会の敷地に消えた。
「ディミが教会にいるんだったら長老に取り次いでもらえるかも。
マキャも一緒に行こうよ、滅多にお会いできないんだから」
「そうしよう」
錦糸のように輝く鮮やかな毛並みを纏ったスキンブルシャンクスとマキャヴィティは、
教会に続く路地を再び歩き始めた。