AC-17:満月

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最終更新日: 2018-11-11
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17:満月 -備えあれども憂いばかり-

柔らかな夕陽が街を鮮やかな橙色に染めている。
教会の十字架に、家々の窓に、川面に、通り雨が拵えた水たまりに、
降り注ぐ光が反射して様々な色に煌めいていた。

「この街は本当に美しいわ。通り雨の後はなおさらね」

ジャンクヤードへと向かいながら、ヴィクトリアは感嘆の声を上げる。
半歩前を歩いていたランペルティーザは振り向いて首を傾げた。

「ヴィクは何を見ても美しいと思うの?」
「そういう訳ではないわ。でも、月ではなく太陽が照らす街並みが気に入ったの。
 誰にも警戒されずにお昼の街を歩けるなんてとても素敵ね」
「うーん・・・わたしは好きなときに好きなところに行ってるからわかんないけど、
 ヴィクがそう言うならきっと素敵なんだわ」

黄色と黒の虎猫はニッと笑うとヴィクトリアの隣に並んだ。

「わたしは勿論太陽だって良いと思うけど、やっぱり月が一番かな。
 でね、月に一番似合うのはヴィクだと思うの」
「ありがとう」
「ヴィクはいつも夜になったらミストのとこに戻っちゃうけど、
 今度一緒にお月見でもしながらお話とかダンスとかしない?
 そうだ、明日はスキンブルも戻ってくるしちょうどいいわ!」

ランペルティーザはキラキラしているものが好きだ。
ガラス細工だったり、安っぽい光を放つパールだったり、つい手に入れたくなる。
でも、それより何より今はヴィクトリアと月という組み合わせに興味があった。
美しい白猫がとてもダンスが得意だと聞いてからは尚更だ。

「そうね、ここなら気兼ねなくダンスができそうだし。
 明日は満月だもの、きっと心躍る夜になるわ」
「え?」

一瞬でランペルティーザが真顔に戻った。

「どうしたの?」

ヴィクトリアも何事かと笑みを消して目を丸くする。

「明日、満月だっけ?」
「ええ、そうね。きっと大きな月が見られるわ、近づいているのを感じるもの」
「それ、やばくない・・・?」

ランペルティーザはふと遠い目になって、ジャンクヤードの方に顔を向けた。

「マキャが暴れそうな気がする。満月の晩は大抵好き放題なんだけどね。
 今回はヤバイってわたしの勘が言ってる」
「マキャがどうしたの?もしかして、狼男みたいに満月を見ると犯罪王になるの?」
「微妙な例えだけど的を射ているとも言えるわね。
 あの狂乱振りは傍から見ると唖然とするわ、巻き込まれたらそれこそ大変よ」

いくらマキャヴィティがランペルティーザを好いているとしても、
いったん狂気のスイッチが入った犯罪王を止めることは彼女にもできない。
被害が拡散しないようにディミータたちが夜明けまで必死に立ち回るのが常だ。

「思うに、犯罪王は普段のマキャの心理状態に左右されるみたいなのよ。
 今回はヴィクやカッサみたい綺麗な女の子が街に来た後だし、
 タンブルが友達になったのもマキャにとっては大きな変化だと思うの」
「あら、お友達ができるのはいいことよ」
「良いことも悪いことも、全部影響するのよ。厄介でしょう?」

少し前にタントミールが街に来た時も酷かったものだ。
見たこともない神秘的な猫が街にやって来て、
美しい猫なら雄でも雌でも大好きだというマキャヴィティの精神を大きく揺さぶった。
彼女に非は全く無いし、マキャヴィティの嗜好も今更だ。
ただ、犯罪王が機嫌良く暴れ回るのがいただけないだけで。

「大変なことにならなきゃいいけど。明日はダンスはやめた方がいいかもね」
「そう?だったらお話だけでも聞きに来るわ。わくわくするの」
「それ言ったらスキンブルすごく喜ぶわね」

ランペルティーザとヴィクトリアは楽しげに談笑しながらジャンクヤードを目指した。




*




「通り向こうの角はダメだ、最近犬を飼い始めたんだが猫にはよく吠えるんだ」
「そう・・・その辺りに引き込むことができればみんなに被害が無くて済みそうなのに。
 でも、犯罪王が犬を引き裂いちゃったら困るものね」

夜のジャンクヤードでは、ディミータとカーバケッティが難しい顔で話し込んでいた。
満月まであと一晩という今宵、月は随分明るく輝いている。
だが、街の護り手たちの顔は暗い。

「どこに現れるかある程度わかればいいのだけど」
「そればかりは仕方ない、相手は神出鬼没の犯罪王だからな。
 素早く伝達が行き渡るよう持ち場の監視と連絡方法を徹底する方がいい」
「そうね。でも、監視はできても犯罪王を足止めできないのが痛いわ。
 犯罪王が挑発に乗ってくれれば引きつけられるかも知れないけど、
 成功する確率は半分くらいといったところね」

ディミータは溜め息を吐いた。
月に一度の大捕物だ。
そうは言っても相手は夜の法則を無視した犯罪王だ、追いかければいいわけではない。
精々被害が拡大しないようにするのが精一杯だった。

「今回はマンカストラップやランパスキャットが加勢してくれるかもしれないわ」
「ディミは奴等のこと信じるのか?ああいや、裏切るとかそういう話じゃなくて。
 何て言うか、力を貸してくれるような奴等なのか俺にはよくわからないんだ」

カーバケッティは眉を顰めて呟くように言う。
彼は街の護り手として、新入りの猫たちをそれとなく観察していた。
取り立てて怪しいこともしていないし、ほとんどの猫たちはよく馴染んでいる。
挙動不審なのはマンゴジェリーくらいだが、その理由はわからないでもない。
彼らは争い事に巻き込まれることには慣れているようだが、
だからといって日和見を決め込まないという保証はない。
さすがに、この短期間ではそこまで見極めるのは難しい。

「大丈夫。ちょっと前にマンカストラップと捕り物について話したのよ。
 その時の感触からすると、頼めば手伝ってくれるわ」
「あの、白黒ぶちの方は?シラバブとお月見デートに行きかねないぞ」
「それならシラバブは彼に任せておきましょう。
 カーバ、それより駅の方は?誰か配置できそうなの?」
「それならギルを---」

行動パターンなどというものは犯罪王にはない。
それでも、何も準備しないよりは準備している方が動きやすい。

「明日の夕方にジャンクヤードにみんなを集めるわ。
 情報伝達方法の徹底と役割の確認をするから知らせておいて」
「了解。それにしても、今回ばかりは厭な予感しかしない」
「一晩頑張れば済む話よ、次の日は寝坊してもいいから」

カーバケッティは乾いた笑いを零すと立ち上がった。

「それじゃあ、今から見回りがてら皆に知らせてくる」
「よろしくね」

ディミータは尻尾を振ってカーバケッティを送り出した。
その姿が見えなくなると、小さく溜め息を吐いて振り返る。

「聞いていたのでしょう?」
「はは、気付いていたか?」

ゴミ山の向こうから姿を現したのはマンカストラップだ。
隣にはランパスキャットもいる。

「気を悪くしなかった?カーバは慎重派なのよ。
 貴方たちを信頼するまでにはまだもう少し時間が掛かるわ」
「気にしないさ、ああいう奴がいる方が逆に安心する。
 みんなが開けっぴろげに迎えてくれるとなると警戒心がなさ過ぎて心配だろう?」

マンカストラップはディミータの隣に座って鷹揚に言った。
ランパスキャットはゴミ山のてっぺんまで駆け上ってそこに座った。

「俺も別に気にしないな、あいつ口うるさくて面倒だけど良い奴だし。
 俺とシラバブがデートだとか言い出したときは殴りたくなったけど」
「こらえてくれてありがとう」

くすっと笑ったディミータは、隣のマンカストラップと目を合わせた。

「それで、明日のことは手伝ってもらえるとありがたいわ」
「ああ、それはいくらでも。肉体労働は歓迎だ、上の奴は肉体労働以外はダメだ」
「おいマンカス!」

低いランパスキャットの唸り声に、軽快なマンカストラップの笑い声が重なる。
嵐の前の穏やかな夜だ。

「私も戻るわ。良い夜を」
「ディミータも」

身軽にゴミ山から飛び降りて、ディミータは教会に向かう。
次の長い夜をを前に、しなければならないことはたくさんある。
それを一つ一つ頭の中で整理しながら明日に備えなければならない。




*




夜明け前の空を見上げたミストフェリーズは思わず溜め息を吐いた。
朝が近づく空も街も、何もかもが青く染まっている。
雲はなく、澄んだ空気はひんやりとしていた。

「暫くは降らないかな」

この辺りの天気はよく変わるが、少なくとも日が昇りきるまでは晴れていそうだ。
西の低い空にある月に目を向けて、ミストフェリーズは無意識に笑みを浮かべた。

「今夜は満月だね」

月は素晴らしい存在だ。
満月は何にもまして凄まじい力を持っている。
日が陽なら月は陰だ。
悪魔の血を引くミストフェリーズにとって、陰性のエネルギーほど蠱惑的なものはない。
その小柄な身体に秘めた全ての力が最大限に高まる時なのだ。

「こういう夜はやっぱりダンスがいいなあ」

共に踊る相手はもちろんヴィクトリアだ。
月明かりを弾く白い毛並みの美しさは他に並ぶものも無い。
そんなことを考えながらミストフェリーズが辿り着いたのは大きな駅。
出発を待つ電車がずらりとホームに並んでいる様は壮観だ、
こんな時間にしか見られないよと鉄道猫は自慢げに語っていた。
スキンブルシャンクスはずっと街にいるわけではないが、
つい先日も仕事に行く前日までミストフェリーズをあちこち連れ回していた。
楽しそうに話し、笑う鉄道猫はとにかく明るい。
特に列車について語り出すと少年のように目を輝かせるのだ。
そんな目をして語り合う猫など今までミストフェリーズの周りにはいなかった。
それをぽつりと漏らせば、良い友達ができたのねとヴィクトリアは言った。

「あーあ、僕もすっかりスキンブルのペースに巻き込まれちゃったなあ」

ぶつぶつと呟きながら、ミストフェリーズは古風な趣の残る駅舎にするりと入り込んだ。
貨物列車用の駅に近いこのホームだけは、出発を待つ列車ではなく
つい先刻戻って来た夜行列車が一仕事を終えて休んでいる。
客も荷物も全て下ろしたのか、ホームはもう静かになっていた。
駅員がいる小さな部屋には暖かな光が灯って話し声も聞こえてくる。
ミストフェリーズはゆっくりとホームを歩いた。
気まぐれに備え付けのベンチに飛び乗り、手摺りを伝い、鎮座する列車にも触れてみる。

「お客様、危険ですよ。列車が来た時は一歩下がってお待ち下さい」
「わっ」

思わず声を上げてミストフェリーズが振り向くと、
してやったりと言わんばかりの笑顔を浮かべたスキンブルシャンクスが立っている。

「約束通り来てくれたんだね、嬉しいよミスト。
 ここまでは迷わなかった?このホームはジャンクヤードからは反対側だからね」
「一度案内してもらえれば僕は大丈夫だよ、記憶力と方向感覚には自信があるんだ。
 だからね、君から言われたこともちゃんと覚えてるよ」

ミストフェリーズは鉄道猫から街の猫に戻ったスキンブルシャンクスに向き直って、
口の端を少しだけ持ち上げてみせた。

「友達が帰ってきたらこう言うんだろう?お帰り、スキンブル」
「わお!僕の友達はなんてクレバーなんだろう!ただいま、ミスト!」

がっしりとハグをしてスキンブルシャンクスは犬のように尻尾を振った。
相変わらずの強力なハグでミストフェリーズは小さく呻いたが、
それでも口許に浮かんだ嬉しそうな笑みは消えない。

「さあ、帰ろうミスト。マキャやランペルにも会いに行かないとね。
 今日は長老に会えるかなあ。ディミもいるといいんだけど」
「ディミータは少し前から忙しそうだから会えないかも」
「そうなんだ。何かあったのかい?」

力強い挨拶の後、黒猫と茶虎猫は連れだって教会の方へと向かった。

「よくわからないよ、ディミータはまだ僕の事を警戒しているみたいだから
 あまりそういうことは打ち明けてくれないしね」
「ディミは僕らにもそういうことは言わないよ。
 トラブルには巻き込みたくないと思っているみたいなんだ」
「そうなのかい?マンカスには色々相談しているみたいなんだけどなあ。
 マンカスからちょっと聞いたところだと、満月だからどうとか」
「あー・・・そう」

ひっそりした夜明けの街を歩きながら、スキンブルシャンクスは薄青の空を仰いだ。
相変わらず雲一つ無いよい天気だ。

「思い当たる事でも?」
「まあね。前に犯罪王の話をしたことがあるんだけど、覚えているかい?」

苦笑するスキンブルシャンクスの口から出た「犯罪王」と言う単語に
ミストフェリーズは理解したかのように目を瞠った。

「マキャも普段はおとなしいんだけどね。
 月が綺麗な夜ほど犯罪王は暴れるんだ。今夜は晴れだって駅長さんが言ってたし」
「へえ。僕はまだどんなものか想像も付かないね。
 だけど、マキャヴィティの名前が遠くの街まで聞こえていることを考えると
 あまり楽観もできないのかなとは思うけど」
「手強いよ、犯罪王は。とにかく変に刺激することだけは避けないと」

下手に攻勢に出れば凄い勢いで反撃に遭うことは経験上わかっている。
できることと言えば、月が沈むまで被害が広がらないよう追いかけっこをするくらいだ。
攻撃はしなくても野放しにはしない、そんな疲れる駆け引きだ。

「それなら今夜はスキンブルの旅の話しでも聞きに行こうかな。
 ヴィクも聞きたいといっていたんだけど、どうだい?」
「わかった、昼寝して鋭気を養っておくよ。
 僕は犯罪王対策の頭数には入っていないはずだからね。少なくとも今夜は」

ミストフェリーズやヴィクトリアだけではない。
今夜の捕り物、正確にはただの追いかけっこだが、
これに参加しない猫たちは大方スキンブルシャンクスのところに集まるだろう。
ディミータがそのように仕向ける筈だ。

「楽しみだな」
「そう言って貰えると嬉しいよ。今回は腹が捩れるほど面白いことがあったしね」

朝日を弾く教会の十字架が見えてきたところで、
ミストフェリーズはいったんスキンブルシャンクスに別れを告げた。
オールドデュトロノミーが持つ清らかな力が、
ダメージにはならなくてもミストフェリーズはどこか苦手なのだ。
必要に迫られない限りは、極力近づくのを避けている。

「また後でね、スキンブル」
「うん。夜は僕のところに来てね」
「わかった。じゃあね」

そう言うと、ミストフェリーズはひらりと民家の石塀に飛び乗り
あっという間にスキンブルシャンクスの前から走り去っていった。

「あれで何年生きているかわからないくらい年を取っているなんて
 誰も信じないよね、普通」

くすくすと笑い、スキンブルシャンクスは軽く身繕いすると
教会の敷地に脚を踏み入れた。
清々しい空気に触れ、戻って来たのだと実感しながら。


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