12:みんな友達 -教会のある街の早朝2-
何日かぶりに街に戻ってきたスキンブルシャンクスは、
全ての乗客が降りたのを見送って駅舎から出てきた。
勿論、制服は駅長室に置いてきた。
街灯が消えた街は夜明け前の青に染まって清々しい。
早朝から営業するハンバーガーショップから油の匂いが漂い、
始発電車に乗ろうとする人々がぽつぽつと姿を見せている。
「スキンブル、お帰り」
駅員用の駐車スペースに置かれた縁石の向こうから大きな猫が姿を見せる。
出迎えてくれるのは大抵がそうであるように、今朝もマキャヴィティだ。
スキンブルシャンクスは疲れも見せずに笑顔になる。
「ただいま、マキャ。今日は良い天気になりそうだよ。うん?」
のっそりと近づいてくる大柄な猫の後ろから
スキンブルシャンクスの知らない猫が付いてくる。
すっきりとした短毛の雄猫で、スキンブルシャンクスを見る目は切れ長で鋭い。
「マキャの友達?」
「ああ、ちょっと前に街に来たんだ」
「へえ」
珍しいな、とスキンブルシャンクスは声に出さずに胸の内で呟いた。
マキャヴィティが犯罪王だと知っているのかどうかはさておき、
押しても引いてもあまり反応の無いでかい猫を扱うには慣れが必要だ。
鈍そうなのに繊細で、あまり他の猫を近づけたがらないというのも厄介で、
触れられそうな距離に雄猫がいるということは親しい間柄と認めざるを得ない。
「誰とでも即お友達になれる特殊スキルを持っているという鉄道猫か?」
低く腹に響く声はマキャヴィティの後ろにいた雄猫のものだ。
あまり耳に心地よい声ではない。
「鉄道猫は僕のことだけど、特殊スキルって?」
「ここに来た時に地味な三毛ぶちがそんなことを言っていた。
カーバケッティと言っていたか」
「そうなんだ、これは褒め言葉なのかなあ。まあいいか。
じゃあ改めて、僕はスキンブルシャンクス。君は?」
誰の気持ちにもスルリと入り込む爽やかなスマイルは無敵だ。
どこまでも無愛想な雄猫すら幽かに笑みを浮かべた。
「タンブルブルータスだ、この街に住むことになった」
「そうなんだ、よろしくね。何か困ったことがあれば言ってね。
君はマキャの友達でマキャは僕の友達だから、君と僕はもう友達だしね」
「・・・そうか」
素晴らしい特殊スキルだ、とタンブルブルータスは動かない表情の裏で感心した。
いつの間にかマキャヴィティと彼は友達ということになっているし、
友達の友達は友達という明瞭で強引な論法によって彼と鉄道猫は既に友達だ。
その強引さが厭味でもなければ胡散臭さも無いのはそのキラースマイルの所為か。
誰とでも即お友達になれる特殊スキルというのは侮れない。
「えっと、タンブルって呼んでいい?僕のことはスキンブルと呼んでね」
「皆タンブルと呼ぶからそれでいい」
「じゃあタンブル、街には独りで来たのかい?遠くから?」
「いや、独りでも無いし遠くから来たのでもない。俺たちは流れ者だ」
たんたんと答える新参の雄猫の声を聞きながら、
スキンブルシャンクスはおやと思って何度か瞬いた。
集団の流れ者で、しかも色合いは黒っぽく目つきは冷たく見える。
「ねえ、マキャ」
暢気に大あくびをしている山吹色の猫の方を見ることなく、
呆然としたままスキンブルシャンクスは思いつきのままに疑問を口にした。
「もしかして、例の彷徨える黒猫族がここにやってきたの?」
「そうらしいな。前にスキンブルが言っていたとおり黒や白も美しいものだな。
タンブルは顔の造形が綺麗だし、すっきりと引き締まった身体も美しい」
「マキャ、君の感想は求めていないよ」
マキャヴィティは美しい猫を前にすると雄雌関係無く賞賛するのはいつものことだ。
タンブルブルータスは確かに街の猫たちにはいなかったタイプの猫だ、
男らしい姿に感心する気持ちはスキンブルシャンクスもわからないではない。
「ディミは知ってるの?」
「勿論」
即答したマキャヴィティはニヤリとした。
「綺麗な女の子もいる」
「そりゃあ会ってみたいよ」
「会うのはいいが手は出すなよ。特にヴィクトリア、美しい白猫だが彼女は駄目だ。
彼女はミストが殊の外大切にしているからな」
溜め息を吐くスキンブルシャンクスに、警告するようにタンブルブルータスが言う。
「ミストって?」
「ミストフェリーズ、彷徨える黒猫の頭だ。
悪い奴じゃないが箍が外れると厄介なことになる」
「例の不思議な力を持っているという黒猫かい?
会ってみたいな。マキャだって相当厄介だけど、よく知れば怖くはないからね」
変な奴が多いものだとタンブルブルータスは眉を顰めた。
不思議な力を敬遠するのは普通だし、得体の知れない者を怖がるのも普通だ。
会ってよく知りたいという猫には、少なくともタンブルブルータスは初めて会った。
「あっと、その前に僕は教会に行ってディミと長老に挨拶しないと。
マキャとタンブルはどうする?せっかくだから一緒に行こうよ」
「そうだな、タンブルたちが来た日以来ディミにも会ってないし」
マキャヴィティが行くということにタンブルブルータスも異論は無いようだ。
三匹の雄猫は揃って人のいない道を教会に向かって歩き出した。
太陽が姿を見せる前の街はひんやりとして気持ちがいい。
白み始めた東の空を小鳥がさえずりながら飛び交う姿も見える。
いつものように夜行列車の旅を語って聞かせるスキンブルシャンクスに
マキャヴィティもタンブルブルータスも相槌を打ちながら耳を傾けている。
「でね、お客さんが言うんだよ。カーライルに着いたら起こしてくれよ、スキンブル。
家族に会いに行くんだ、みんな飲んだくれだから誰も迎えに来ないかもってね。
僕はちゃんと返事もしたし責任を持って彼を起こしにも行ったんだ、仕事だからね。
お客さんはとっても喜んでくれてね、良い銘柄のスコッチを一瓶くれたんだ」
「スキンブルのお気に入りはスコッチ入りの紅茶なんだ」
マキャヴィティが時折説明を挟みつつ、話は尽きない。
あちこちを流れ歩いてきたタンブルブルータスですら知らないことばかりだ。
駅から教会まではそれなりに距離があり、歩いている内に街は朝を迎えたが
のんびり歩いていてさえ退屈はしない。
どこかの家で窓を開ける音がするが、まだ街は静かだ。
道の先に見える教会が大きくなり始め、
スキンブルシャンクスが戻ってきたという安堵の溜め息を漏らしたその時、
彼らの前に一匹の赤い猫が姿を現した。
朝の白い光に輝く茜色の毛並みはいつ見ても鮮やかで美しい。
何を思ってか、茜色の猫は凛と立って教会を見つめている。
「ディミータ?」「マンゴジェリー」
マキャヴィティとタンブルブルータスはほぼ同時に相手に呼びかけた。
どちらの声に反応したのか、佇んでいた猫は身体ごと向き直って首を傾げた。
「何だ?」
「何をしているんだ?」
何の変哲もない疑問を投げかけるタンブルブルータスの隣で
マキャヴィティは凍り付いたように動きを止め、
スキンブルシャンクスは驚いたように表情を強ばらせている。
それに気付いたタンブルブルータスは、眉を顰めて彼らに視線を送った。
「マンゴジェリー・・・だって?本当に?」
ようよう声を押し出したのはスキンブルシャンクスだった。
「本当だ」
赤い猫は固い声で答えた。
「僕はそれほどしっかりと覚えてはいない、けど君は失踪した筈だよね」
「そういうことになっているんだろうな」
知り合いか、と呟くタンブルブルータスの声は他の猫たちには届いていない。
「何故、今まで戻って来なかった」
一段と低くなったマキャヴィティの声が問いかける。
「お前が失踪した日、いなくなる筈だったディミータが戻ってきた。
何かあったんだろうと皆思ったがディミータは何も知らなかった」
「何も知らせなかったからな。俺は戻れない筈だったから知らせる必要も無かった」
「お前がただの痩せぎすの雄猫なら失踪したから仕方ないで済んだかもしれない。
でも、お前は祭司の正統で正式な継嗣だった」
マキャヴィティはマンゴジェリーよりも年上で、
幼かったスキンブルシャンクスとは違い当時のこともよく覚えていた。
誰しもが必死にマンゴジェリーを探し、戸惑うディミータを急遽祭司の後継に据え、
何とか体裁を取り繕うことで時間を掛けて落ち着きを取り戻してきたのだ。
「マキャ、これはたぶん僕らの問題じゃないよ。
正統の祭司が戻ってきたならディミや長老としっかり話し合うべきじゃないかな。
僕らじゃディミやマンゴジェリーの気持ちを推し量ることしかできないし」
「・・・そうだな」
このままでは一方的に殴りつけそうだ、マキャヴィティは大きく息を吐いた。
マンゴジェリーが突然になくなって一番辛い思いをしたのはディミータだった筈だ。
「もう、ディミには会ったのか?」
「いいや、未だだ。なかなか踏ん切りが付かなくてね」
マンゴジェリーの口調はあまりに軽いがその表情は陰っている。
それを知ってか知らずか、タンブルブルータスが割って入った。
「お前たちが何を言っているのかわからんが、ディミータはここのリーダーのことだろう?
そのディミータと入れ替わりでマンゴが失踪したということは、
ミストと取引して助けたお前の妹というのがディミータということだな?」
「まあな。そのことはこの街の誰も知らない、俺が勝手にしたことだ」
「何だかんだで妹が気になって戻ってきたわけか。
お前が熱心にこの街を勧めていた理由がようやくわかった。
せっかく会いに戻ってきたのにここで躊躇ってるのはお前らしくないな」
そうかもな、と言ってマンゴジェリーは教会を振り返った。
朝日を受けて古いステンドグラスが煌めいている。
古く小さいが、伝統もあり長く生きる長老猫のいる教会は存在感がある。
「ディミータはさっき教会から出て行った。恐らくボンバルのところだろう。
会うのはまた今度にする。タンブルたちはどうするんだ?」
「いちおう教会に行くよ。長老に会えるかも知れないし」
答えたのはスキンブルシャンクスだ。
ディミータがいてもいなくても、仕事を終えて教会に顔を出すのは彼の習慣になっている。
教会に踏み入れることで帰ってきたのだと心から実感できるのだ。
「ふうん。そんじゃあ、またな」
「あ、ちょっと待って」
素早く立ち去ろうとしたマンゴジェリーを引き止め、スキンブルシャンクスは微笑んだ。
「お帰り、マンゴジェリー。何があったとしても、ここは君のホームだよ。
僕と一緒さ、ここに戻ってくるべき場所があるし皆待っていてくれる。
一悶着あるかもしれないけど、それは忘れないでね」
「そうだといいと思っている」
皮肉っぽい笑みを僅かに浮かべ、マンゴジェリーはさっと身を翻して走ってゆく。
「良い奴だな、スキンブル」
「ありがとう。僕は気楽な立場だから何でも言えちゃうんだ」
そう言うと、スキンブルシャンクスは再び教会に向かって歩き始めた。
マキャヴィティとタンブルブルータスはその後を追う。
教会の扉が開き、煤けた銀色のじょうろを手にしたまだ若い牧師が出てきた。
間もなく、朝のミサを告げる鐘が鳴る。