19:目覚め -悪魔と天使-
金色が宿った黒猫の双眸が煌めき、その手に光が集まってゆく。
ぱちり、ぱちり。
電気の帯が走り、音が弾ける。
「犯罪王は電気も操るんだってね。
でも、それって所詮はガラクタを使ったに過ぎない。
僕のは一味違うよ。僕が操れるのは雷だからね」
「兄貴!」
「大丈夫だよ、ランパス。君には大したダメージは無いから。
そこの趣味の悪いシルクハット仮面にはショック療法が必要だけどね」
ミストフェリーズが冷たい視線を向ける先で、
犯罪王マキャヴィティは立ち上がってシルクハットを深くかぶり直した。
そして仮面を押し上げ整える。
「なあ、その格好は本当に悪趣味だぞ」
振り返ったランパスキャットがぼそりと言う。
「機動性重視だ」
「・・・あんたの感性を疑いたくなるね。それより、逃げないとヤバイぞ」
「賢い選択とは思えないな」
嘲るように犯罪王が言えば、ランパスキャットは溜め息を吐いて首を振った。
「お喋りは終わった?ランパス、聞く耳を持たないのはただの莫迦だ。
そんな輩の盾になるだけ損だよ。さあ、どいて」
「そうそう力なんて使うもんじゃねえよ」
「最後の忠告だよ、ランパス。犯罪王殿は庇ってほしいなんて言ってないし。
そもそもの話、庇ったって無駄なんだよ。僕の力を知ってるよね?」
怒りに身を任せてしまうのは一種の快感だ。
冷静なミストフェリーズをここまで怒らせる犯罪王も大したものだが、
例えでもなく物理的に雷を落とされては普通の猫なら命に関わる。
ランパスキャットは一縷の望みを掛けてヴィクトリアに目を向けたが、
それに気付いた白猫は小さく首を振った。
ヴィクトリアで止められなければもはや誰にも止められない。
「なあ、あんたヴィクトリアにちょっかい出した?」
「美しい猫だ」
答えともつかない言葉が返る。
絶対に手を出してはいけないものがこの世にはあるのだ。
事態はまるで好転しない。
誰も巻き込まないのなら、ミストフェリーズの怒りの化身とも言える雷を
放出させてしまえばそれで済むのだが。
「もう待たないよ」
平坦な声がタイムリミットを告げた。
強烈に光が爆ぜる。
ヴィクトリアは思わずぎゅっと目を瞑り、ランパスキャットも顔を背けた。
犯罪王はマントで光を遮る。
「ブリッツシュトラール」
どでかい太鼓を打ち鳴らしたような腹の底に響く爆音。
高圧の電流と共に響き渡るそれは正しく落雷そのものだ。
ランパスキャットは咄嗟の判断で伏せた犯罪王と雷の間に立った。
馬鹿と煙は高い所が好きと言うが、猫と雷も高い所が好きだ。
いくらダメージが少ないとは言え、それなりの衝撃を受ける覚悟は必要だった。
地面に爪を食い込ませ、ランパスキャットは目を閉じた。
「シルマ・ウンバス!」
雷撃が大柄な白黒猫とマントに包まれた犯罪王を飲み込む、その刹那。
こんな場面には似つかわしくない子どもの声が響く。
ふわりとした白い光があたりを包み、放たれた雷とぶつかった。
「!?」
驚いた顔をするミストフェリーズの前で、
雷と光は互いのエネルギーを奪い合うかのように急激に威力を失い
あっという間に消えてしまった。
「・・・相殺、したのか」
ぽつりとミストフェリーズが呟く後ろで、ヴィクトリアはそっと瞼を持ち上げた。
恐る恐る見た光景は、黒猫が雷を放つ前とほとんど変わっていない。
ランパスキャットも犯罪王も、倒れてもいなければ焦げてもいない。
一つだけ違うことがあるとするならば。
「シラバブ?」
黒猫を睨み付けるようにして立っている仔猫の名を呼んだのは、
ヴィクトリアではなくランパスキャットだ。
「だいじょうぶですか?」
シラバブは振り返って翠の目を少し潤ませた。
「それ、俺が訊くべきことのような気がする」
「わたしは平気です」
「それならいい」
ランパスキャットは腑に落ちないという表情だが、
それを見ていたミストフェリーズは渋い表情で尻尾を揺らした。
「どうしたの?ミスト」
「シラバブと僕の力はどうやら相性が悪いみたいだ」
「力?力って何のこと?」
黒猫と仔猫を交互に見て首を傾げるヴィクトリアは、
目を閉じていた間に起きたことを知る筈もない。
「あの子は天使の血を引いているね、何となくそうだとは思っていたけどさ」
「でも、シラバブにはそういう力があると聞いていないわ。
ミストが少し気にしてそうだったからランペルにも聞いてみたもの」
「うーん、ランペルがそう言うならたぶんみんな知らなかったのかもね。
それか今急に力に目覚めたということも考えられる。
何故って聞いてみようか。多分“愛の力”とか言うんだよ、厄介だよね」
電気の塊を弄びながらぽつりと言うミストフェリーズを見つつ、
ヴィクトリアは困惑したように僅かに眉を曇らせた。
状況だけを切り取れば、これは修羅場と言える。
ヴィクトリア自信を巡るミストフェリーズと犯罪王マキャヴィティの衝突。
その犯罪王を護ろうとするランパスキャットはミストフェリーズの弟。
その彼に熱い想いを抱いているらしいシラバブの参戦。
そしてその仔猫は秘めていた能力を今し方開花させたらしい。
つまり、ヴィクトリアは巻き込まれただけとは言え事の発端であるにも関わらず、
その実ただの傍観者ということになる。
「ミスト、厄介事はもういいじゃない。行きましょう。
ちょっと遅れてもスキンブルはきっと待ってくれているわ」
「全く、間抜けな展開だよ。シラバブが引いている天使の血は相当濃いかもね。
あの子の傍だとランパスに微かに残してある力すら無効化されるみたいだし」
「そう言えば、シラバブが近くにいると喧嘩に負けそうになるとぼやいていたわね」
「僕も血は濃いからシラバブが近くにいるだけだと影響は受けないけどさ。
でも、これ以上やり合うのは得策じゃないね。
行こう、スキンブルの土産話の方がよっぽど楽しいし」
ミストフェリーズは宙に浮かせていた電気のボールを消して踵を返した。
爪の間から溢れていた輝きも、金色の瞳も、その光を失って元通りだ。
「尻尾を巻いて逃げると来たか」
去ろうとする黒猫の耳に届いたのは低い声。
わざわざ振り返らなくても犯罪王のものとわかる不快な響きだ。
ミストフェリーズはぴたりと脚を止めた。
「お前なあ、兄貴がそんな安っぽい挑発に乗ると思うのか?」
ランパスキャットが呆れたように言うが、犯罪王は口の端で嗤う。
「燻る火を消すのはなかなか時間がかかるものだ。貴様も喧嘩屋なら知っていよう。
これ幸いと私に向かってくるに違いない」
「馬鹿じゃねえの、あんた。狂気の沙汰だな、歯が立たねえのはわかってんのに」
「あの黒猫が暴れればここら一帯は無茶苦茶になる。それも一興だと思わんか。
そら、来たぞ。貴様の言う安っぽい挑発に早々に乗ってきたな」
マキャヴィティが喉の奥を鳴らして密かに嗤うのを聞きながら、
ランパスキャットは犯罪王を庇ったことを少し後悔した。
こんなに狂っているなら、雷の一つや二つ食らった方がよかったのかもしれない。
「シラバブ、行くぞ」
「でも、みはりしないといけないんですよ」
「そんな場合じゃねえよ。犯罪王なんざ兄貴の雷の前には無力に等しい」
「それだったらマキャヴィティさんを守らないとダメじゃないですか」
シラバブの主張にランパスキャットは溜め息を吐いた。
弱い立場の者を守るという単純な思考から来る正義感は様々な矛盾を生じる。
変に頭の良い仔猫だけに説き伏せるのは面倒だった。
あのジェリーロラムでさえ苦労するのだから。
「いいから、行くぞ。指示はディミータにもらう」
「ランパス、そんなに急いでどこへ行くつもりだい?
物事は結末まで見届けるべきだよ。さあ、葬送の儀式だ」
ランパスキャットがシラバブの首根っこを咥えて走り去る前に、
光る金の瞳を煌めかせたミストフェリーズが静かに行く手を遮った。
「ビシュヴォルト・シュヴェルツ!」
唐突に明かりが消えた。
ヴィクトリアは不安げに辺りを見回し、
ランパスキャットは反射的にシラバブを庇うように引き寄せる。
犯罪王の前に進み出たミストフェリーズの爪は、時折走る電流で青白く光った。
「ショータイムだ」
「何・・・?」
ディミータは教会近くの道にいた。
ジャンクヤード一体が暗い。
今は夜だ、当然辺りは夜の色に包まれている。
だが、夜は暗闇ではない。
それに今夜は満月だ、そうでなければ皆が街で警戒にあたる必要も無い。
「あれは何かしら」
誰が答えてくれるでもない。
ディミータは僅かの逡巡の後、ジャンクヤードに向かって駆け出した。
配置を崩すのは好ましくない。
しかし、行かなければならないとディミータの本能が告げていた。
「ディミ!」
疾駆するディミータに並びかけてきたのはカーバケッティ。
彼もまたジャンクヤードを覆う闇に気付いて向かっているところだった。
「カーバ、何かおかしいわ。犯罪王もどこにも現れていないみたい」
「変だな。さっきランペルに聞いたんだ、犯罪王は出動したって」
「出動ね」
走りながらも情報交換は忘れない。
おそらく、街で張っている猫たちは皆ジャンクヤードに向かっているだろう。
ジャンクヤードは大切な場所だ。
そこで何かが起こっているなら犯罪王など後回しでいい。
「ジャンクヤード付近を張っていたのは?」
「ランパスキャット、シラバブ付きだ」
「ただの喧嘩という雰囲気じゃないわね。犯罪王の仕業でもなさそうだし」
慣れたルートをひた走りながらもディミータは冷静に状況を見極めようとしていた。
「ミストフェリーズかもしれないわ」
東から向かってきたジェリーロラムが合流して言った。
「ミストフェリーズ?彼はスキンブルのところよ」
「でも、スキンブルの所に行くとは聞いているけど行ったことは確認していないわ。
それに彼の持つ力は闇の属性だと思うの。細かい分析はできていないけど」
「闇の属性?それってどういうもの?」
車のエンジン音が聞こえ、揃って脚を緩めたディミータたちは
狭い道ながら慎重に横切って再び駆け出した。
「詳しくはわからないわ、舞台で使う設定だから。
闇の属性だと、闇を操ることができる。光を呑んで、私たちを光から切り離すの。
現世の者は光と共に生きる、光無しでは真っ当に生きてはいけないものよ」
「話が現実離れしていてついていくのが難しいわね。
そんな凄いことができるのは、彼が言うところの悪魔的な力のせい?」
「おそらくミストフェリーズはメフィストフェレスの系譜よ。光を愛さぬ者の」
ジャンクヤードまであと数ブロックというところで、
駅の方から走ってきたらしいマンカストラップが姿を見せた。
「マンカス、あれはミストフェリーズの力なの?」
少しスピードを落としたマンカストラップに並んでディミータが問うと、
涼しい目元を険しくしてシルバータビーの猫は小さく頷いた。
「久々に理性が振り切れるような事象があったようだ。
さっき僅かだが雷の音も聞こえた。あれもミストだろう」
「ランパスキャットの姿が見えないわ。巻き込まれたのかも知れない」
「奴なら大丈夫だが、問題はシラバブだな。
アイツがうまく逃がしていればいいが、ミストの技に嵌ったら抜けられない」
マンカストラップの声が聞こえていたのか、ジェリーロラムの表情が曇る。
「早く行ってやろう、俺たちが何かできるかはわからないけど」
隣で駆けていたカーバケッティが声を掛ける。
「そうね。せめてバブが力に目覚めていてくれたら良かったのに。
やっぱりあんな小さな子を危険が予測される状況に放り込んだのは間違いだったわ」
「まあ、そうだけど。そりゃ今更言っても仕方ない。
シラバブの力とかってのが気になるけど、それは後で聞かせてくれ。
今はとりあえず急ごう」
「あれは何ですか?」
慌てたように走ってきたマンゴジェリーを、
目の前に来た瞬間に飛び出して見事捕獲に成功したギルバートは
闇が沸き上がったジャンクヤードの方に目を向けて訊ねた。
「十中八九ミストだ、何か力を使ったんだろう」
「それは良くないことなんですか?」
「状況によりけりだ。今から様子を見に行く、だから放してくれ」
いくつもの武芸を嗜むギルバートにがっちりホールドされれば、
さすがに身体が柔らかく器用なマンゴジェリーでも抜け出すことはできない。
「僕も行きます」
「いや、俺だけでいい。犯罪王が来るとマズイしな。
状況がわかったら戻る。それまではここは任せるぞ」
ギルバートとマンゴジェリーの付き合いは短い。
しかし、若い三毛の雄の責任感の強さをマンゴジェリーは感じていたし、
そんな若者が「任せる」と言われれば断らないことも知っていた。
「わかりました、早めに戻って下さいね」
案の定、ギルバートはすぐに了承した。
了解と返事をしてマンゴジェリーはすぐさま走り出した。
スピードに乗ってしまえば彼は誰より速い。
「よりによってここで力の解放とはね。はは、大いに結構だ」
マンゴジェリーの口許に笑みが浮かぶ。
ここは特別な街だ。
彼が育ったからという理由だけではない。
ここにいる猫たちが特別なのだ。
ここにいるべき猫たちしかこの街にはいない。
マンゴジェリーが戻って来たのも、ミストフェリーズがやって来たのにも意味がある。
「ディミータ」
細い路地を掛け、塀を伝い、道を渡って庭を横切る。
番犬に吠える隙も与えない速さで街を駆けてゆく。
「もうすぐだ」
さらに加速して塀から塀へと飛び移り、マンゴジェリーはジャンクヤードを目指した。
問題はどのように事を運ぶか。
その赤毛で風を切ってジャンクヤードの前に降り立った瞬間、白い光が弾けた。