14:居場所 -ジェリクルキャッツ集まる-
真夜中の空に月は無く、人々が寝静まった街は暗かった。
猫たちが集まるジャンクヤードにも明かりは無く、光源は傍にある街灯のみだ。
打ち捨てられたゴムタイヤの前でマンカストラップとランパスキャットが
飽きもせずに組み手を続けているのをごみ山から見下ろして
ミストフェリーズはのんびりと一つ欠伸をした。
この街は安全だ。
突然攻撃を受けるようなことは無いし、どういうわけか野良犬も少ない。
ミストフェリーズが何らかの力を使わなくても皆が危険に晒されることは無かった。
ひたすらに守ってきたヴィクトリアが、同い年くらいのランペルティーザと
オーブンの上で仲良く話しているのを見ると彼の心は凪いだ。
そんなささやかな黒猫の安らぎを無遠慮に打ち壊す気配は背後から迫っていた。
「・・・悪趣味だね、後ろから近づくなんて」
「忍び寄っているわけじゃないからいいかなと思って。今度から声をかけるようにするよ」
振り返った黒猫の目の前には明るい笑顔を浮かべた猫が立っていた。
唯一の明かりである街灯の光を幽かに受けているだけなのに闇に浮かぶほど鮮やかな毛色だ。
「君、噂の鉄道猫かい?確か名前は」
「スキンブルシャンクスだよ、よろしくね。君は?」
「ミストフェリーズ。最近ここに来たんだ、よろしく」
警戒されて過ごしてきた月日が長すぎて、ミストフェリーズの態度は素っ気ない。
愛想などというものは忘れて久しかった。
それでもにこやかな青年猫は気を悪くした様子もない。
ここに座っていいかいと聞きながら、答えを待たずにミストフェリーズの隣に座った。
「ねえミストフェリーズ、この街はどう?」
「どうって、来たばかりだから何とも言えないよ」
「そう?僕は好きなんだ、この街はとても落ち着くからね」
そう言いながら、スキンブルシャンクスは尻尾を振っているランペルティーザに気付いて
茶色の尻尾を振り替えしている。
「あのランペルティーザとかいう女の子は君の友達なのかい?」
「うん、友達だよ。天真爛漫で可愛いんだ。あの白い女の子はヴィクトリアだね」
「知ってるの?」
「まだ話したことはないけどね、タンブルが教えてくれたんだ。
ミストフェリーズの彼女なんだって?すごく似合っているよね」
明るい笑顔を浮かべていた鉄道猫は、
困惑して眉を顰めているミストフェリーズの表情を見てきょとんとした。
「どうしたの?僕が何か変なこと言った?もしかして、お腹痛いの?」
「何ともないけど、タンブルがそんなこと言ったのかい?驚いたな」
「マキャとタンブルがすごく仲良しになっちゃって、今日も二匹で出掛けちゃった。
僕は寝ていたから置いてけぼりだよ。それで散歩に出たら君を見つけたんだ」
へえ、と頷きながらミストフェリーズは内心で驚いていた。
ヴィクトリアも、カッサンドラとタンブルブルータスも、もう友達を拵えたのだ。
マンカストラップはもともと誰とでも上手くやっていけるし、何より良い男だ。
ランパスキャットも口は悪いが愛想は悪くない。若い雄猫たちと一緒にいるのも見た。
「僕が淋しそうに見えたから声を掛けてくれたの?」
「そうは思わなかったけど、淋しいの?君は確か噂の黒猫一派のリーダーだよね。
仲間たちのこと見て安心しているように見えたから、
この街に来て良かったと思ってくれたのかなと思ってさっき訊ねたんだ」
「そう言うことなら、僕はここに来て良かったと思う」
ミストフェリーズは、砂まみれで取っ組み合いをしている仲間たちに目をやって
少し呆れたような笑みを浮かべた。
「もう彷徨ってその日の寝床を必死で探さなくても良いし見張りも要らない。
あとは、そうだね。ここで穏やかに生きて死ねたらそれでいいのかも」
「ささやかな望みだね」
「うーん・・・そうでもないんだよ。難しいことさ。
僕らが望みもせずに持っている力は何をするにも妨げになるんだ。
平穏に生きることも難しければ、死すら簡単には望めない」
自嘲気味な色を帯びる黒猫の口許を見て、スキンブルシャンクスは首を傾げた。
よくわからないけど、と言って鉄道猫は柔らかく微笑んだ。
「ここに来て平穏な暮らしが手に入るなら、望む死もきっと訪れるよ。
それにね、ここはジェリクルが集う街なんだ。
もしかすると、君も天上に昇って幸せな生を再び生きられるかもしれないよ」
「ジェリクル?天上に昇るって?」
「君も舞踏会に参加すればわかるよ。ジェリクルムーンの元で歌い踊るんだ。
選ばれて天上に昇ればまたジェリクルキャッツとして生まれ変われる。
天上への旅立ちはとても清らかで幸せなんだ、例え自分が選ばれなくてもね」
穏やかなスキンブルシャンクスの瞳に見つめられて、黒猫はくつくつと笑った。
「良い話だね」
「幸せに生きて死を迎えたいと願うのは誰にだって許されると僕は思うよ。
願ったっていいじゃないか、叶うかどうかは今は誰にもわからないけどね。
話してご覧よ、ディミにね。祭司はそのためにいるんだから」
「でも、ディミータは普通の猫だ。願いを叶える力なんて持っていないよ。
特別な力なんて感じられない、僕には特殊な力があって同類ならわかるからね」
ディミータは並外れて強く美しい雌猫だ。
それは確かに彼女だけが持つ特別な輝きなのかも知れないが、特殊な力ではない。
ミストフェリーズと共に生きてきた猫たちが宿す能力の方が圧倒的に上だ。
街で出会った猫ならば、マキャヴィティからそのような特殊な力を強く感じられた。
「願い事を叶えるのがディミの仕事なんて僕らは思ってないよ。
心から望むことがあるならディミは聞いてくれる、それだけだよ」
「しんどい役割だね。心身ともに強くなければとてもやっていけないよ。
何でそんな役割のために頑張れるんだろう、何の見返りも無いかもしれないのに。
僕らを受け入れることで彼女は多くの悩みを背負うことになるのに」
「それでもね」
スキンブルシャンクスは若い猫たちにするように優しく黒猫の頭を撫でた。
「それでも、できる限りのことをするんだってディミは決めたんだ。
彼女が強くいようとするのもそのためだ。誰しも弱い者にはついていかないからね。
あれ?どうしたの?」
硬直しているミストフェリーズに気付いて、鉄道猫は何事かと瞬きをする。
「あのね、スキンブルシャンクス」
「スキンブルで良いよ」
「じゃあスキンブル。君一体僕のこと幾つだと思ってるの?」
「僕より下じゃないの?」
にこりとして答えるスキンブルシャンクスの前でミストフェリーズはがっくりと項垂れた。
覚えていないほど昔から、ミストフェリーズの外見は変わっていない。
これでもう少し厳つい見た目であれば悪魔の黒猫族の頭領として恐れられただろうが、
可愛い少年にしか見えないのでは格好も付かない。
おかげで、魔力を持っていると言われながら舐められて襲撃に遭うこともしばしばだった。
「言っておくけど、君が乗っている列車のどのお客さんよりも僕は年上だよ」
「そうなんだ、凄いね。若く見えるなあ」
「そんな感想?普通驚くところだよね」
「驚いているけど、長老だってすごく長生きだからそこまで衝撃的な話ではないよ」
そんなことを言われたミストフェリーズの方がよっぽど衝撃を受けていた。
流れた末に辿り着いた場所はあまりに不思議な街だ。
「ミストフェリーズ、この街の猫たちはここにいるべくしている猫たちなんだ、きっとね。
だから君たちもそうなんだよ、何か特別の輝きを持っている猫なんだ。
ようこそ、ジェリクルキャッツの集う街へ!」
「わっ!?」
がばりと抱きつかれてミストフェリーズは思わず素っ頓狂な声を上げた。
何事かともつれ合ったまま目を上げたマンカストラップとランパスキャットは、
鉄道猫にがっちりホールドされているミストフェリーズを見て目を丸くした。
「ちょっとちょっと、息止まるって!」
ミストフェリーズは何とかスキンブルシャンクスを押し返して息を整える。
ほっそりとしているし愛嬌のある笑顔だが、どうしてなかなか鉄道猫は力が強い。
「いきなり何すんのさ!?」
「ハグは友好の証だよ」
「ハグ?あれが?何の絞め技かと思ったよ」
「ああ、ゴメンね。力加減忘れてたよ。鉄道の乗務員って意外と力仕事で鍛えられるんだ。
マキャみたいなのが相手だったら遠慮無くハグできるんだけど。
勿論、女性と子供には優しくするよ。乗務員たる者紳士でなくちゃね」
存外力持ちの茶虎猫は相変わらずにこやかに紳士論を口にした。
「さて、ハグも済んだところで君のことは何て呼べばいい?
友達の間にはニックネームがつきものだよ。僕はスキンブル、さっきも言ったけど」
「僕のもニックネームと言うほどのものじゃないけどミストがいいかな。
みんなそう呼ぶから僕も慣れているし」
「じゃあ決まりだね」
スキンブルシャンクスは嬉しそうに言うと、
唐突にミストフェリーズの手を引っ張ってゴミ山から飛び降りた。
下にいたマンカストラップはランパスキャットを蹴飛ばして素早く逃げる。
「何するのさ!?」
「遊びに行くんだよ、まずは駅に行こう。僕の列車を見せてあげる!
ミストは長生きだけど列車のことはあまり知らないだろう?さあ、早く!」
「わかったわかった」
鉄道猫の目はキラキラと輝いている。
よほど列車が好きなのだ。
「ヴィク、マンカス、ちょっと出掛けてくるよ」
「ええ、行ってらっしゃい・・・」
ヴィクトリアは呆気にとられたままゆるりと尻尾を振る。
蹴飛ばされた勢いでジャンクヤードの端っこに転がっていたランパスキャットは、
いつになく楽しげなミストフェリーズの後ろ姿を見送ってニヤリとした。
「ここ、いいところだな」
「ああ、そうだな」
マンカストラップは呟くように答え、空を仰いだ。
「ここが俺たちの居場所だったのかもしれないな。
ここにくるずっと前から、そう決まっていたような気がする。
ここには俺が生きる理由がある」
鉄道猫と黒猫の姿はもう見えない。