約束
「総司令官は・・・どこまで知っているんでしょうか」
ふと、ギルバートが呟いた。
ジョージに限って、ジンギスとジェームスのことを知らないはずはないが。
そのことをどう捉えているかは別問題として。
何も知らないところに果たし状を突き付けてもあまり意味はない。
ギルバートが背負っている深怨の理由を知ってもらわなければならない。
そして、かつての海軍の行いを顧みてもらわなければならないのだから。
「総司令官に探りをいれようと思ったのですが、
どうも最近執務に出てきていないようで手の打ちようがないんですよね」
「そうですねえ・・・」
今度はギルバートとカーバケッティがふたりして考え込む。
ジョージの居場所すらわからないのだ、どうしようもない。
「それなんですけど」
眠そうな声に、ふたりは同時に顔を向ける。
ベッドの上に爆睡していたはずのコリコパットが座っていた。
「俺の友達を呼んであります。
総司令官付きの連絡員ビル・ベイリー少尉とも懇意にしていますので
なんらかの情報は持ってきてくれると思います」
その言葉が終るか終らないかのうちに、扉がノックされた。
「コリコ、お客さまよ。パウンシヴァルという方が下に来ているわ」
扉の向こうからヴィクトリアの声がする。
「わかった。ここへ通してあげてもらえる?」
「わかったわ」
ヴィクトリアの足音が遠ざかる。
それから暫く。
新たな足音が近づいてきて、扉の前で止まった。
「失礼いたします。コリコパットに呼ばれて参りました、パウンシヴァルです」
男にしては高い声がする。
ギルバートが伺うようにコリコパットを見ると、彼は小さく頷いた。
「どうぞ、お入りください」
「失礼します」
入ってきたのは小柄な男性軍員。
背が低いということに親近感を覚えたのか、ギルバートは笑顔で席をすすめる。
「初めまして、第一艦艇部隊隊長のギルバートです。
こちらはうちの参謀のカーバケッティです」
「初めてお目にかかります、参謀本部特殊工作局所属特殊工作員のパウンシヴァルです」
ほぼ型どおりに自己紹介を終えて、
ジェミマが新たに持ってきてくれた紅茶とクッキーで一息入れる。
「今日はわざわざありがとうございます。コリコのお友達だそうですね」
「はい。学校の同期生でした。今日はお伝えするべきと思うことがあって参りました」
パウンシヴァルは、紅茶を一口飲んで話し始めた。
「初めに私がギルバート隊長のことを知ったのは、
グロールタイガーの部下とのいざこざがあった日です」
あの日、パウンシヴァルは早番で日が暮れる頃には仕事を終えて宿舎に戻ろうとしていた。
せっかくだから海沿いを歩いて帰ろうと、気紛れに本部棟の近くを歩いていると
尋常ではない様子で走っていくジョージとぶつかりそうになったのだ。
いつも落ち着き払っているジョージが慌てていたのも気になったが、
何より護衛官が付いていなかったことが気にかかった。
少々躊躇いはあったが、結局彼はジョージの後を追うことにした。
追いついた彼が見たのは、蒼白な顔でふらふらとしている総司令官の姿だった。
医師を呼んでほしいと言われ、何事かと横目で見たのはギルバートの姿。
「総司令官が、ギルバート隊長とグロールタイガーの部下たちのやり取りを
聞いていらしたことは確かだと思います」
「総司令官が・・・?」
「総司令官はうわごとのように、ジンギスが、ギルバートがと呟いておられました。
気になったもので、昨夜コリコが戻ってきたときに聞いてみたのです」
ギルバートとジンギスはどういう関係か。
そう問いただすパウンシヴァルに、コリコパットは甚だ驚いて瞠目したという。
全くの部外者のパウンシヴァルの口から出てくるはずのない疑問だったのだ。
「それで、ギルバート隊長がここに来られた理由を聞いて、協力できればと思いました。
あの一件があって以来、総司令官はどうやらヴィクター准将の家にこもって、
昔の資料などをかなり調べておられるようです」
「体調を崩していると聞きましたが」
「そうですね。ろくに食事も食べてくれないとビル少尉がぼやいていました」
次々とパウンシヴァルが口に出す情報を、ギルバートは真剣な表情で聞いている。
その様子を、眉を寄せて見ているのはカーバケッティ。
訝しがるのは当然のことだ。
パウンシヴァルは、到底知りえない情報を知っているのだから。
ジョージが家に籠っていることも、資料を調べているというようなことも、
風の噂にも聞かなければ、総司令部の面々も知ってはいないのだ。
「悪い、パウンシヴァル。聞きたいことがある」
「そこで、え?あ、はい。何でしょうか?」
話を途中で遮られて気を悪くするでもなく、パウンシヴァルはカーバケッティを見る。
つられるように、ギルバートもカーバケッティの方を向いた。
「この情報はどこから手に入れたんだ?」
「ああ、そう言えば肝心なことを言ってませんでしたね」
パウンシヴァルは、あははと笑う。
この能天気なあたりが、コリコパットと波長の合う所以かもしれない。
「今朝がた、ヴィクター准将が戻られまして」
「准将が?」
「はい、それで尾行して聞いたんです」
カーバケッティは軽く眩暈を覚えた。
ヴィクターを尾行するなど、大胆というか怖いもの知らずというか。
小さく呻いて黙り込んだカーバケッティを見て、ギルバートが不思議そうな顔をする。
「総司令官やヴィクター准将は何か言っていましたか?」
「ごく簡単に申し上げますと、
総司令官は、ギルバート隊長の思いを受け止めたいと考えています。
ヴィクター准将は、それを全面的に支えるおつもりのようです」
そうなのか、と意外そうにギルバートは呟いた。
ジョージが自分の思いを受け止めようとしてくれるとは考えにくかったのだ。
彼の意志がどうであれ、立場上どうしても無理があることは明白なのだ。
しかも、ヴィクターが噛んでくるのは計算外だった。
その上ジョージの考えを支持するというのも意外な話だ。
あの男は、普段から深く考えないせいか軽薄な言動が目立つが、
決して軽率な行動はとらないというのは、会う機会すら滅多に無いギルバートも知っている。
何より勘が良い。
どうなるかということくらい想像がついているはずだ。
「総司令官は相当深刻に受け止めていらっしゃるようです」
「そうですか、わかりました。貴重な情報をありがとうございます」
ジョージは既に準備をし始めている。
何故かはわからないが、真剣にギルバートと向き合おうとしてくれている。
「・・・わかってもらえるでしょうか」
ギルバートは呟いた。
ただ憎しみをぶつけるだけではない。
それだけなら何も変わらない。それだけならこんなに悩まない。
それだけなら、軍に入り込む必要なんて無かった。
どこかで望んできた。
この重く暗い怨恨の根源を理解してほしいと。
「それはそうと」
口を挟むのはカーバケッティ。
どうも腑に落ちないといった表情をしている。
「協力はありがたいんだけどさ、パウンシヴァル。
何でここまでして情報提供してくれるんだ?
君には何の利益も無いし、下手すりゃ巻き込まれるんだぞ」
「ああ、それは」
パウンシヴァルは照れたような笑みを浮かべた。
「私もまだまだ若輩者ですし、こういう刺激のあることには惹かれてしまうんです。
というのは建前でして、約束があるからなんです」
「約束?何の約束ですか?」
話に入ってくるギルバート。
ちらりとコリコパットを見たパウンシヴァルは言った。
「コリコとの約束です。だよな?」
話を振られたコリコパットは、にっと笑って頷いた。
「どんな時でも助け合おうって、約束してるんです」
「そうでしたか」
誰かの一命がかかるかもしれない。
そんな重大で危険なことなのに、友情とは何と強いものか。
ギルバートは微笑みつつ感心してしまう。
「パウンシヴァル、今日は本当に助かりました。
僕らはまだ休暇でここにいますので、いつでも来て下さいね。コリコも喜びますし」
「はい、ありがとうございます」
「では、僕は少し外しますのでゆっくりして行って下さい」
そう言うと、ギルバートはカーバケッティを促して部屋を出て行こうとした。
扉付近でカーバケッティが思い出したようにパウンシヴァルの方を振り返った。
「最後に一個だけ。竜とか首飾りとかって話はあったか?」
パウンシヴァルは少し首を傾げて、そういえばと手を打った。
「おっしゃっていました。首飾りとかきゅうりがどうとか」
「きゅうり、ですか?」
呆けた顔をしたのはギルバート。
コリコパットも何だそりゃと呟いている。
「言っていたか。おそらくそれは胡瓜じゃない。十中八九、貴種流離譚と言ったのだろう」
「きしゅるうりたん?何です?」
「まあまあ、伝承文化を知る上で参考になる話です」
余計にわからなくなった。
ギルバートは緩々と頭を振ると、失礼しますと言いながら部屋を出て行った。
「ありがとう、パウンシヴァル。参考になった」
不可解な顔のパウンシヴァルとコリコパットにひらひらと手を振って
カーバケッティはギルバートの背を追った。
ふたりで海辺に出て黄昏ゆく空を見つめる。
「どうです?先ほどの話は」
「まず信頼して大丈夫でしょう」
そうですか、とギルバートは呟いた。
ただ、カーバケッティは確信していた。
ヴィクターは、あえて尾行に気づかないふりをしていただけだと。
あの男が気付かないはずはない。
真意はどこにあるのか。
どうなるのだ。
カーバケッティは問うてみた。
なるようになるか。
なるようにしかならないのか。
準備が整えば、すべての歯車がうまく噛み合うことになるのか。
そうなれば何もかもが一気に動き出す。
自分は彼を守れるだろうか。
彼は大切なものを救えるだろうか。
大切なものを救うためなら、ほんの少し卑怯になってもいいだろうか。
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