息抜き
昼下がりの喫茶室。
時間の空いた士官学生や息抜きをする軍員たちに人気のこの場所も、
授業中や勤務時間中にはここで過ごす者の影もまばらになる。
そんな中、ジョージは窓際の静かな席に陣取っていた。
「あの、総司令官」
遠慮がちにビル・ベイリーが口を開く。
上目遣いは無意識なのだろうかなどと考えながら、ジョージはカップに手を伸ばした。
「どうした。紅茶が冷めてしまうぞ」
「そ、そうですね。しかし」
「気にするなビル。仕事一辺倒ばかりがいいわけではない。
こうして休憩を挟めばその後の仕事も捗るというものだ」
つい先ほど、ジョージは執務室に連絡にきたビル・ベイリーを捕まえた。
一緒にお茶でも飲もうと、半ば強引に連れてきたのだ。
一介の連絡員であるビル・ベイリーが総司令官の誘いを断ることなどできるわけもなく、
こうして勤務中にのんびりとお茶をすることになってしまった。
ビル・ベイリーは困ったように琥珀色の液体に映る己の渋い表情と睨めっこをする。
「何かあったか?」
「あ、いえ、ぼうっとしていました」
「ビルはすぐ顔に出るからなあ。どう見たって真剣に悩んでいるようだったがまあいい。
ビルに借りていた本を返そうと思ってな。
事情があってあの部屋だとはばかりがあるからここに来たんだ」
そう言ってジョージが机に置いたのは、一冊の分厚い本。
目の前に置かれた本を見てビル・ベイリーは首を傾げた。
「もうよろしいのですか?」
「ああ、大層役に立ったぞ。こないだのビルの解説もわかりやすくて助かった。
なかなか興味深い、時間を見つけてもう少し詳しく勉強してみたいものだ」
「はあ・・・さすがですね」
それ以上に言うべき言葉が見つからず、ビル・ベイリーは本を手許に引き寄せた。
その本はありとあらゆる暗号の作成と読解について解説したシリーズ中の一冊で、
通信や暗号解読を勉強していたビル・ベイリーが士官学生の頃に使っていたものだ。
専門学校時代の下積みがあってこそ何とかこの本に書いてあることを理解できたのだが、
全くの門外漢であるはずのジョージは、ビル・ベイリーの簡単な解説のみで
この本が役立ったと言えるような使い方ができるという。
「なあに、私は参謀本部にいたんだ。暗号についての基礎知識は一応ある。
そこに多少解説を加えてもらえれば大方理解できるだろう?」
「そう、でしょうか」
そんなわけはない。
ビル・ベイリーは胸中で強く否定を叫んでいた。
ジョージの理解力は桁外れだ。
「様々な形式があろうが、基本の考え方のパターンはそれほど多くない。
要はどう応用しているかさえわかればいいんだ」
「・・・そうですね」
例えそうだとして、その基本のパターンですら飲み込めない者は少なくないことを
ずっと勉強してきたビル・ベイリーはよく知っている。
次元が違うのだ、とジョージの周りで働く執務官らはよく口にする。
それは、優秀な総司令官への僻みでも何でもない。
そうとでも考えなければ、自分たちがあまりに無能でないかと思ってしまうのだ。
「ビルは、私がなぜこのようなことを知りたがるか疑問ではないか?」
「そのような疑問を抱いたことはありません」
ビル・ベイリーの即答が意外だったのか、ジョージはおもしろそうに目を細めた。
「理由は?」
「総司令官の行動に疑問を持つのはわたくしの仕事ではありませんから」
「良からぬことを企んでいても?」
「この国の海を統べ、ひいてはこの国に生きる同胞の平穏な生活を守ることが
総司令官のお役目です。総司令官が何を考えていようとも、その先には必ず
この国の行く末を見ていると信じて疑ったことはございません」
童顔と小柄な体格のせいで少年に見えるビル・ベイリーの思いがけず強い言葉に、
ジョージは驚いたように何度か瞬いた。
「その通りだよ、ビル。私は常にこの国の行く先を見ていなければならない。
歴代の総司令官たちもそうだ。領海を広げ、海からの脅威を防いできた。
この国はもう充分大きくなった。ただ少し、急ぎすぎたと思う」
「急ぎすぎた、とは?」
「小さな国を、この強大な軍事力を背景に呑み込んできただろう?
異なる文化を吸収した場合、何らかのフォローをしなければ不満が大きくなるだけだ。
全てとは言わない。だが、少しでも理解する気持ちが必要なんだ」
冷めた紅茶を飲みほして、ジョージは自嘲の笑みを浮かべた。
綺麗ごとだとはわかっている、そんな風に。
「総司令官が必要だと思うのであれば、きっとそれはこの国に必要なのだと思います。
何をお考えになっているのか凡夫のわたくしには解りかねますが、
今歩みを緩める時だと思われるのであればわたくしは付いてゆくのみです」
「全くビルは可愛い奴だ。いつだって私のことを信じて応援してくれる。
そこの君、すまないがアップルパイを二つ持ってきてくれ」
ジョージは通りすがりのウェイターに声をかける。
只今、と返事をしたウェイターの声は裏返り気味だった。
声をかけられるまで総司令官がいるとは気付いていなかったようだ。
「あの、総司令官。さすがに可愛いというのは・・・」
「ん?見た目だけのことじゃないぞ」
「見た目も込みですか」
ビル・ベイリーは、必要以上に幼く見える己の顔を多少気にしている。
ジョージは可愛い子が好みらしいと噂に聞いたときは、
己の容姿だけで採用されたのではないかと真剣に思い悩みもした。
そんな馬鹿な話は無いわよと、総司令官付き司令官のメグは一笑に伏したが。
「なんだビル、もしかして私が可愛い子趣味だという噂でも気にしていたか?
まあ、いかついのよりは可愛い方が好みなのは確かだが」
「しかし、なぜわたくしなどを採用なさったのです?
他にも優秀な連絡員候補など大勢いらっしゃったでしょう?」
「直感ってやつさ。この子はいつか私の助けになってくれると思ったからな。
事実そうだろう?こうしてビルは私をずっと支えてくれている」
穏やかに微笑むジョージを直視できず、ビル・ベイリーは気恥ずかしさで俯いた。
「ビルは気付いていないかもしれない。だけど、私はビルにたくさん救われている。
私はけっこう選り好みするからな、執務官も全て私が選ばせてもらった」
「光栄なことと思ってよいのでしょうか」
「勿論。あ、きたきた」
焼きたてのアップルパイがテーブルに置かれる。
甘酸っぱい香りが何ともいえない。
「ここのアップルパイはうまいらしい。執務官らの評判も上々だ」
「良い香りですね」
「こういう休息も悪くないな。メグには怒られそうだが」
アップルパイを齧るジョージはこの上なく幸せそうに見える。
つい先日まで寝込んでいたとは思えぬ食いっぷりは見ていて気持ちが良いほどだ。
「うまいな。この国の気候ではリンゴが育たないらしいぞ。
できたとしても山間部のほんの一部だけだそうだ。
あとは北方の国から仕入れるらしい。北とは長らく友好的だからな」
「総司令官は何でもよくご存じですね。わたくしは市場にあることしか知りませんでした」
「立場上様々な情報が入ってくるし、情報はうまく使えば大変な武器になる。
このような交易に係わる話から、およそ役に立たなさそうなマニアックな話まで
日々多くの者と話していれば厭でも情報は蓄積されるものさ」
ジョージがその知識と巧みな弁舌を武器に、時には敵対する国の者ですら手玉にとって
この国の交易拡大と外政の安定化に貢献してきたことは誰もが知っている。
「ビル、私は不安なんだ」
「何を・・・」
あまりに突然のことにビル・ベイリーは言うべき言葉を探した。
ジョージは、先と何ら変わらず不安など微塵も感じさせない様子でパイを口に運んでいる。
「私が知らないことはこの世にまだたくさんある。
知らないというただそれだけで、誰かを苦しめることがあるということも最近知った。
知らないのは時として仕方ないことだ。だが、知らないことを言い訳にはしたくない」
ビル・ベイリーにはやはりジョージの考えていることはわからない。
最近のジョージはいつになく静かに物思いに耽っていることが多いことも、
小難しい本を開いては今まで以上に勉強している時間も増えた。
何か知らなければならないことがあったのだとビル・ベイリーは納得した。
「詳しいことは言えないが、今この国は変わるべきところまで来ていると思っている」
「よいのではないでしょうか」
「ん?よいって?」
小さく首を傾げるジョージに、ビル・ベイリーは可愛らしい笑顔を向けた。
「貴方様が旗手になろうというのであれば、きっとこの国は変わります」
「良い方向に変わると思うか」
「勿論。わたくしが国を語るなどおこがましいことこの上ありませんが、
総司令官がずっとこの国の行く末を見つめてきたことは知っています。
だからきっと、変われるのなら良い方に変わると思うのです」
ビル・ベイリーが力強く言い切ると、ジョージは楽しそうに声を立てて笑った。
「そこまで自身たっぷりに言われると心強いような気もするな。
全くの無根拠だが悪い気はしない。私が生きていれば何かを変えられるかもしれんな。
さあて、これを食べ終わったらそろそろ仕事に戻るかな」
「はい」
ジョージはご機嫌だが、ビル・ベイリーには何かが引っ掛かった。
今の会話の中で何か違和感を覚えたのだが、それが何かはわからない。
時々、こんな風にジョージは未来を語る。
だからこの休息も、そんな未来を語る一時だったはずだ。
ビル・ベイリーは己の引っ掛かりを無視して、パイに齧りついた。
そう、これはただの休息。
温かな紅茶と優しく甘酸っぱいアップルパイ。
これ以上ない、極上の休憩時間に違いない。
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