陣中見舞い
命を繋ぎとめるには傷はあまりに深く、
そしてまた命を繋ぎとめるだけの技術など持ち合わせてはいなかった。
そしてジンギスは。
「眠るように息を引き取った、か」
目を閉じているランパスキャットの枕元でぼそっと呟いた次の瞬間。
バシンと小気味の良い音がしてカーバケッティは床に沈んでいた。
何事かと読んでいた書物から目を離したカッサンドラの目に映ったのは、
カルテの束を手に涼しい顔で立っているディミータ。
「ここは医務局よ。縁起でもないこと言わないの」
攻撃に使ったその紙束をナイトテーブルに置きながら、彼女は冷やかに言った。
「でもさ、ランパス寝てばっかでつまんない」
不服そうなのはコリコパット。
間が悪いのか、見舞いに来てもランパスキャットはいつも眠っている。
「コリコだって、グロール戦のあと暫く意識不明だったじゃない」
そう言って、ディミータはテーブルに置いてあったリンゴをコリコパットに向けて放った。
「わっ、これは・・・?」
「暇そうだから」
答えにはなっていない。
こういう時にフォローをしてくれそうなカーバケッティは床に伸びたままだ。
「たぶん皮を剥いて切り分けろってことだと思うけど」
「よくわかっているわね。後でリーナも来ると言っていたし、ちょうど食べごろでしょ」
「俺、同じ刃物でも剣だったら得意だぜ」
コリコパット自身は小柄だが、意外にも長剣の扱いに長けている。
だから、刃渡りの短い包丁などは苦手だという理解しがたい理屈を口にする。
「苦手って言ってたらいつまでもできないの。
そこに伸びてるバカを起こして教えてもらいなさい、上手だから」
「あー、どうしよっかな」
この部隊に復帰する少し前まで海軍兵の養成学校で講師の補佐を務めていたが、
カーバケッティは調理系の授業補佐ばかり任されていた。
補佐とは言え学生に教えられるのだから腕前は確かだ。
「結構きいたかも。今朝覚えたことの二つ三つは飛んだな」
コリコパットが逡巡している間に、
呻くように呟きながらカーバケッティがのそりと身体を起こした。
「カーバ、コリコに包丁の使い方教えてあげて。
それから、あんたはちゃんと寝なさい。また夜更かししてるんでしょう?」
「あ、ばれてた?」
「さっきから生欠伸ばかりしてるじゃない」
ディミータの表情が険しくなったのを見てとり、カーバケッティは苦笑を浮かべた。
「それを言うならディミだって溜め息が多いぞ、疲れてんだろう。
ずっと医務局に缶詰めだろう?大丈夫なのか?」
「気遣ってくれるの?大丈夫よ、タントも交代してくれるし。
それに、傍にいた方が楽なのよ。変に心配しなくてもいつだって様子がわかるし」
「へえ、そりゃあ妬ける話だ。で、そこのおっさんとカッサはいつ退院できるんだ?」
カーバケッティが投げたのはごく普通の質問だが、ディミータは答えに詰まった。
いつ、とも言えない事情があった。
「あー!指切った!」
突如、コリコパットの叫び声が響く。
カーバケッティは呆れたように小さく笑った。
「剣で思いっきり切られても泣き言一つ言わないくせに」
「うるさい!じゃあカーバがやれよ」
「はあ?何だかんだ言って俺に押し付けようってんだろ?
だいたい学生の頃に調理の基礎くらい習っただろうが」
そう言いつつも、カーバケッティはコリコパットの手から包丁を取り上げ
器用にリンゴを切り分けてはウサギの耳を作っていく。
カッサンドラは言い合うふたりの男を楽しそうに眺めているが、
ディミータは眉をひそめて溜息を吐いた。
「ここは病室なんだけど」
静かにしろと注意しても仕方なかろうと、眠るランパスキャットに視線を落とした。
傷の治りの早さは感心に値するが、高熱が続いたせいか体力が回復していない。
夜間航行担当だからなのか、大抵昼間に眠って夜に目を覚ます。
しかし、この騒がしさではそのうち目を覚ましてしまうだろう。
知らず、ディミータは再び深いため息を吐く。
そんなディミータにカッサンドラが声を掛けた。
「ディミ、ボンバルが来たんじゃない?」
扉の外に気配がある。
違わず、病室に軽いノック音が響いた。
「お邪魔するわね。カッサとランパス、どう?」
ボンバルリーナが入ってくる。その後ろからマキャヴィティも続く。
「随分回復したわ。お見舞いありがとう」
ベッドの上からカッサンドラが応え、ボンバルリーナは良かったわと微笑んだ。
その時、閉じたばかりの扉が再びノックされた。
「失礼します、お見舞いに来ました」
入ってきたのはシラバブとジェミマ。
シラバブは籠いっぱいのフルーツを抱えている。
「それ、どうしたの?」
「お見舞いだそうです、アロンゾ司令官にいただきました」
「アロンゾ?彼が中央に来ているの?」
ボンバルリーナが少し嬉しそうに尋ねる。
つい先ほど来たらしいですよとシラバブは答えた。
「これもおいしそうだから食べましょう」
ジェミマは熟れていそうなフルーツを選び出した。
こちらは調理が本職だから、その包丁さばきは危なげなくかつ鮮やかだ。
「うまそうだな」
「これはけっこう珍しい物なのよ。普段軍のみんなが使う市場じゃ置いてないわ。
マキャ、水汲んで来てくれない?お茶も淹れましょう」
甘酸っぱい香りに包まれ、病室の空気が和やかになってゆく。
眠っていたランパスキャットもうっすらと目を開いた。
「皆、来ているのか?」
「ええ。騒がしいでしょう?」
「これくらいでいいさ」
ディミータは楽しそうな仲間らに目を向けた。
「そうね。この騒がしさが日常だもの。日常に戻ってこられたことを喜ばないとね」
皆が楽しそうに言葉を交わし、笑っている。
扉の向こうから覗く一対の瞳を除いては。
「アロンゾ司令官、なぜ中央に?」
つい先ほど、ギルバートは東方司令部司令官のアロンゾにつかまった。
彼は今朝がた中央に来たのだと言った。
「急な出張だと言われてさ。朝言われて昼には出発、たまったもんじゃない。
昨日は海も荒れてて最悪だったぞ」
「それは大変でしたね」
急な出張はこの世界ではそう珍しいことではないが、
用件と出張期間すら聞かされずに行って来いと言われたという。
「ジョージ総司令官から直々の呼び出しだ。驚くじゃあないか」
「もう総司令官にはお会いしたのですか?」
「まあな。だが、いつでも呼び出しに応じられるよう待機するようにと言われただけだ」
急いできたわりに、ここでのんびりティータイムを過ごせるわけだ。
ギルバートとアロンゾは、出張官舎にある喫茶室にいる。
「何か重要な用事でもあるのでしょうね」
「じゃなかったらわざわざ呼び出される意味がわからん」
ギルバートにすれば、当然ジョージの動きが気になる。
少しでも彼の動向を探っておきたい。
しかし、アロンゾはなぜ呼ばれたのか実際よくわかっていないようだった。
「中央はいいな。近場にいろんな店があって楽しめる。
さっきも果物屋で色々買い込んできたんだ、珍しいものもあったな」
「シラバブに渡していたものでしょう?
お見舞いならば、せっかくだからご自分で行けば良かったでしょうに」
「そうはいかない。俺は嫌われてるからな」
アロンゾは苦笑した。
彼の腹違いの兄がランパスキャットだ。
アロンゾは海軍にとって有数のパトロンにあたる大貴族の嫡子として育てられた。
片や妾の子だというランパスキャットとは年齢も離れているし、
一緒に遊んだ記憶もなければ言葉を交わしたことすら数えるほどだという。
「嫌っているのではなく、接し方がわからないんだと思いますよ。
ところで、部下はお連れになっていないのですか?」
「東で他国船籍との事故があってな、けっこう派手にやらかしてくれて、
その処理のために部下は置いてきた。今頃泣いてるかもしれないな」
さっきから、アロンゾの部下は姿を見せていない。
司令官ともあろうものがひとりでやってきたというのか。
「おひとりでは話し相手もいないくて寂しいのでは?」
「ひとりの方が気楽だし自由がきく、仕事も持ってきているしな」
「そうでしょうけれど」
アロンゾは中佐の地位にいるし、副官のひとりくらい連れて来るのが普通だ。
いくらアロンゾが機転のきく青年とはいえ、
不慣れな場所で一から十まで全て自分でこなすのは大変なはずだ。
「正直におっしゃったらいかがですか?彼女に逢いたいから部下はいらないと」
「おいおい、そんな不純な動機であるはずがない」
アロンゾはいつも通りの爽やかな笑みでギルバートの言葉を否定した。
その時にひくりと一瞬頬が引き攣ったのをギルバートが見逃すはずもない。
「僕たちの宿舎だったらいつ来てくださっても構いませんよ。
みんな暇してますから、司令官が来て下されば喜ぶでしょう」
「喜ぶ、かどうかはわからないが。そのうち寄らせてもらうことにしよう。
ジェニさんもいるのだろう?それに、ギルバート隊長のところは興味深いしな」
「興味深いって、何がですか?変わってると言えば女性が多いことぐらいですよ。
そりゃまあ変わった隊員はいますけどね」
変わった隊員には大方見当がついたのかアロンゾは苦笑を浮かべた。
「その変わった隊員さんにも興味はある。彼自身がどうこうではなくてな、
彼は雰囲気からして少数部族の出身だろう?それに隊長もそのようだ」
「わかりますか」
「体格と顔立ちで大方わかる。そういった研究もしているものでね。
とはいえこの国は西方の部族と現地の部族の混血がすすんでいるから
見た目で判断するのは難しい場合も多いけれどな」
そういったがどういった研究なのかギルバートにはよくわからなかったが、
アロンゾが少数部族に対して全く嫌悪感を示さなかったことには少々驚いていた。
彼ほどの大貴族としては珍しいことなのだ。
「持ってきた仕事も大したことはないし、こっちで暫く研究に没頭するかな。
司令長官も、総司令官の用とやらを果たすまでは帰って来るなとおっしゃっていたし」
「そうですか。しかし、アロンゾ司令官は東方司令部司令長官の右腕として名高いですし、
司令長官もそうそう長い間留守にされては堪えると思うのですが」
「はは、褒めても何も出んぞ。いいのさ、あの方はジョージ総司令官がお好きだから」
恋愛の方じゃないぞとアロンゾはご丁寧に一言付け足してさらに笑った。
「今の東方司令部司令長官はな、昔ジェームス将軍の腹心だったという将の末裔らしい。
ジェームス将軍が今の総司令官の直接の祖先だってことは知っているよな?」
「知っていますよ。血の巡り合わせというのは不思議なものですね」
「全くだ。記録でしか知らない時代に確かに俺たちの祖先は仲間と生きていて、
何の因縁かその血を受け継いだ者たちが今の時代に出会うというのは凄いことだと思う」
ただ感心しているらしいアロンゾに、自分もその因縁の中にいるのだとは勿論言えないが、
今ちょうどそういう巡りあわせが訪れる時なのかもしれないとギルバートは思う。
「アロンゾ司令官。受け継がれてきた血もそれに纏わる因縁も、部族も身分も
そんなもの全部を乗り越えて理解し合うことはできると思いますか?」
「ん?うーん、そうだな。それは理想だしそうなるべきなのだろうが、難しい話だろう。
俺は血のつながった兄との間にある溝すら埋められずにいるんだ。
まして、心の拠り所の違う部族同士なんてそう簡単には理解し合えないだろうな」
ギルバートは目を伏せたまま、故郷を思う。
他の部族との係わりをほとんど持たない山奥の仲間たち。
「僕は因縁とか部族とか、そういうもの故に苦しんでいる者たちがいるのだと
解ってもらおうと足掻くのは無駄ではないと思いたいのです」
「一方的に解ってもらおうなんて虫がいい話だろう?だから難しいんだ。
解り合いたいと口にするのは簡単だが、少しでもそれが実現されれば大したものだ。
それでも、俺はそれができれば良いと望んでいるのさ」
アロンゾは僅かに寂しさの混じった笑みを浮かべた。
「兄とはいつか、普通の兄弟のようになれたらとずっと思っているからな」
「例えどんなに実現が難しいとしても、この想いを諦めることだけはできないですね」
「無論。生きている限りな」
理解し合うこと。
解ってもらうこと。解ろうとすること。
それができた時にだけ、己の内にある重石を取り除き心から笑える日が来るのだと
信じているから諦めることなどできやしない。
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