一つの選択
扉が軋む音に続いて、ガンガンという乱暴な足音。
ビル・ベイリーでないことは確かだ。
ジョージは体を起こし、ベッドの傍に立てかけてある剣に手を伸ばした。
「おう、ジョージ!起きてっか?」
大きな声とともに、部屋の扉が勢いよく開かれる。
「ヴィクター?」
「なんだお前、えらくやつれてんじゃねえか」
ずかずかと入ってくるヴィクターに、ジョージは目を丸くする。
彼はつい数週間前に出て行ったはずだ。
「ヴィクター、服は着替えてこいと・・・」
「うっせえ!ここは俺の家だっつーの。文句あるか?」
ヴィクターはベッドの近くにあったイスを引き寄せてどかりと腰を下ろす。
「ビルから連絡があった。帰ってこいってな。
何があったんだ?話せるなら話してみろよ」
「そうか、ビルが・・・かなり心配させているみたいだな」
呟くジョージの様子にヴィクターは眉を顰めた。
普段の彼ならば、心配させていることくらいすぐに気付くはずなのに。
「一週間ほど前だろうか。ちょっとした揉め事があって・・・」
ジョージはぽつぽつと語りだした。
グロールタイガーの手下たちが入り込んでいたことや、
ギルバートがジンギスの嫡流だったことを。
「偶然目居合わせてしまったのだが、それ以来どうしたものかと考え込んでしまってな」
「そうか」
ずっと黙って話を聞いていたヴィクターが呟く。
グロールタイガーの部下が紛れ込んでいたことはただの前兆で、
もっと込み入った事態になりつつあるのかもしれないと思いながら。
「それで、お前はどうしたいんだ?」
「私は・・・」
ヴィクターの視線から逃れるように、ジョージは目を伏せた。
簡単に答えが出るはずもない。
「・・・わからない」
沈黙を挟み、ようやく押し出した一言。
案の定、ヴィクターはどういうことだと声を荒げる。
「ここ最近ずっと閉じこもって何も考えなかったっていうのか!?」
「考えているさ、ずっと考えていたから頭が腐ってしまいそうだ」
暗く沈む友の声を聞きつつ、ヴィクターは何気なく周りに目をやった。
見知らぬ資料があちこちに積んである。
見るからに古そうなものもあれば、見慣れない字体のものもある。
「ったく。よくわかんねえから聞くけど、お前はギルバートの首飾りを見たんだろう?
それで何だってギルバートの奴がお前の命狙うことになるんだ?
そもそも、その首飾りは一体何なんだ」
「貴種流離譚だ」
「は?きゅうり?」
ヴィクターは怪訝な顔で聞き返した。
「違う、貴種流離譚だ。まあ、貴種流離譚の派生形とでもいおうか。
説話の典型的な表現の動機だな」
「お前、そんな説明を俺が理解できるとでも思ってんのか」
「いや、思っていない」
てめえ、とヴィクターは低く呟く。
気付かなかったのか、無視したのか、ジョージは淡々と続けた。
「やんごとなき身分の方が流浪し艱難辛苦の旅をするといったような感じかな。
とすると、やはりちょっと違うのか・・・」
「ぶつぶつ言ってねえで俺にわかるように言え」
「ギルバートの首飾りだが、私は前に一度見たことがある。
彼が隊長に就任する際に私と接見したが、その時だったと思う。
あの時は確か、父の忘れ形見だとか言っていたような気がする」
あの時、ギルバートは隠すようにしてその首飾りをさっと服の下にしまった。
大切なものなのだろうと別段気にも留めなかったが、
あまり見られたくないものだったのかもしれない。
ちらりと見ただけだったが、その奇抜なデザインはかなり印象的なものだった。
とはいえ、先日たまたま目にするまでは忘れ去っていた。
「以前見た時は、ナァガ信仰のある地域の出身かと思っただけだったんだが」
「なーが信仰だ?なんだそりゃあ」
「龍だ、龍を守り神として信仰する文化をナァガ信仰と言っている。
確かにギルバートの祖先らの国はナァガ信仰を持っていた。
だが、あの首飾りの持つ意味はそれだけじゃないようだ」
ジョージは手を伸ばして、積み上がった資料の一番上のものを掴んだ。
「これに書いてある」
「ふうん」
ヴィクターは、その本を渡されるままに手にした。
何かを挟み込んである箇所を開いてみると、やはり文字ばかりだ。
「読めるかよ」
「読めるだろう」
「読めねえよ、わかってんだろ」
それでも、一応文章に目を落としているヴィクターにジョージは言った。
「それは、まだシャム国に制圧される前のユエナン国の古記録だ。
資料信憑性という点ではあまり高く評価されていないが、そこに気になる記述がある」
ユエナン国は、現在のシャムと同じようにやはり王制が敷かれていた。
ある時、正室が男御子を生んだ。
その御子は、海のような青い眼を持っていという。
青い眼の男御子を王宮の傍に置くのは凶事の兆しだとの言い伝えがあり、
わずかの従者と乳母が御子を連れて王宮を去り、小さな漁村に住み着いた。
「これが、ギルバートやジンギスの部族の始まりと思われる」
「思われる、か」
「まあな、資料や口伝承の類もほとんど無いから確証はない」
御子が王宮を去る時、王は悲しみ我が子の行く末を案じたという。
そして、王宮に伝わる宝物の中から首飾りを持ってきて御子に掛けた。
「しろがねの竜は決意と勇気の証。
大きな決断とその実行の時には身につけて、竜神の加護を受けるとよい。
そんな風に言ったそうだ」
「へえ。そりゃまた伝説の類じゃねえのか」
「私もそう思った。だが、ギルバートは実際にその首飾りを持っていた。
普通ならああいうものは持ち出してはいけないはずだ、重要な宝だからな。
しかし、それを持っているということは・・・何らかの大きな決意の証拠だ」
高貴な生まれなのに、貧しい土地で今日明日の食べるものにすら困りながら生きた御子。
その御子が祖先だと言い伝えられているギルバートらの部族。
その末裔、ギルバートが決意の証を身につけて敵地に乗り込んできたのだ。
その伝説のような話が本当かどうかはわからない。
だが、ギルバートが部族を背負ってここにいることはまぎれもない事実なのだ。
「ジンギスが大きな戦の時に竜の首飾りをしていたという話を聞いたことがある」
「それはいいけどな、ジョージ。
それがさっきのきゅうり何とかってやつなのか?」
「うーん・・・貴種流離譚というのは、身分を低く見られる職に就いている者が
自分たちの来歴を高貴なものに求めることで作られる場合が多い。
海賊なども落ちぶれた者たちという印象が強いからな、
それを見返すために作られた話という可能性はある」
それにしてはできすぎだとジョージは呟いた。
ヴィクターは手にしていた本を、粗雑に元の位置に戻した。
「俺から見りゃあ歴史とかってのは全部出来すぎに思えるぞ。
小難しいこと言ってるけどよ、つまり、ギルバートたちの部族が
自分たちには王家に連なる血が流れていると考えているってことなんだろう?」
「そんな感じだろうな。
ジンギスを貶めるということは王家に繋がる血筋まで貶めるということになる。
今は王家自体もう無いとは言え、部族にとっては屈辱以外の何物でもないだろうさ」
そう言って、ジョージは深く息を吐いた。
辺りに散乱する資料を見渡してから、ヴィクターは親友に目を向けた。
「言っちまえば、たかが弱小部族の遠吠えだろう?
お前がここまでして何かしようとしている意図がわからん」
「私がジェームスの血を引いているからだろうな。
馬鹿らしいと思ってくれていい。傲慢と思われようが構わない。
しかし、ギルバートの苦しみを受け止められるのは私だけだと思う」
「だったらそうすればいい」
すっぱりと言い切られた言葉を受け、ジョージは軽く瞠目した。
「んだよ、その変な顔は」
「いや。随分あっさり言うもんだなと」
「俺はまどろっこしいのが嫌いなんだ。
お前のことだからどうせ、自分のしたいようにしようにも立場もあるし云々とか
わっけわかんねえこと山ほど考えてたんだろう?」
反駁の余地もなく、ジョージはただ微苦笑を浮かべた。
「どうしたって、いつかギルバートはお前の前に立ちふさがることになるぞ。
自分にしかできないと思うなら、足掻いてでも何とかしてみろよ」
「私には・・・ギルバートの命がけの想いに応えられるだけの準備が無い」
「ああ?準備だ?んなもん、あいつが命がけでここに居るってこと解ってりゃ充分だ。
こんだけ勉強もしたし、何が足りないって言うんだ?
お前の覚悟か?殺されるかもしれねえから怖いってのか?」
ぴくりとジョージの肩が震える。
それを見てとり、ヴィクターはすいと目を細めた。
「知っているだろう、海賊の掟を」
「海賊?同害報復ってやつか?」
「そう、ジンギスは海賊だったからな。
だとすれば、私の命が断たれることでこの復讐劇は終わることになる。
真っ向からぶつかれば否応なくそうなってしまうだろう」
「そりゃお前、何の解決にもならんぞ。
お前を殺しちまったら、今度こそギルバートたちの部族は息の根を止められる」
例えギルバートがこの復讐に成功したとしても、彼は海軍を敵に回すことになる。
言うことを聞かない少数部族など、問答無用で根絶やしにされるのは目に見えている。
どちらかが完全に潰えるしか、復讐の連鎖を終える術はない。
いや、連鎖が止まればいいが、復讐の中でまた別の復讐が芽生える可能性もある。
緋く染まっていく復讐の道は、果てなく続くのだ。
「終わらせなければならない。今は・・・自信がない」
「・・・わかった。ジョージ、思うようにやってみろ」
ヴィクターの語調を穏やかにして、ジョージの肩に手を置いた。
ジョージは苦しみ続けていたのだ。
解決の糸口を探して、先の見えない暗い苦悩の深淵から這いあがれずに。
「大丈夫。お前は死なない、絶対に」
何となくその意図を理解して、ジョージは小さく笑った。
「そうしてみよう」
一つの答え。
吹っ切れたわけではない。それでも、一歩踏み出したことになるだろうか。
「すまんな、ヴィクター」
「ふん、お前はくそまじめなんだよ。ひとりで悩むのが好きだしな」
呆れたように言って、ヴィクターはまた険しい表情に戻る。
「それにしてもジョージ、えらくやせてるじゃねえか。飯くらいちゃんと食えよ」
「腹が減らないんだ。仕方あるまい」
しれっと言ってのける。
次の瞬間、ジョージはヴィクターのげんこつでベッドに沈んでいた。
「バカ野郎!ビルとかメグとか、どんだけ心配してると思ってんだ!?
お前みたいなバカにゃ実力行使しかねえな」
そう言うと、ヴィクターは入ってきたときのように騒がしく部屋を出て行った。
どすどすと出て行ったと思ったらすぐに戻ってくる。
傍らには白衣の女性が立っている。
エキゾチカ、軍医ながらヴィクターの副官を務めている。
正確には軍医ではなくて薬剤師なのだそうだ。
「エキゾチカ。ジョージのやつ、食ってないみたいだから診てやってくれ」
「畏まりました」
エキゾチカは、するすると音もたてずジョージの傍に歩み寄る。
診察の間、ジョージはどことなく青ざめてベッドの上で固まっていた。
「神経性の胃炎でしょう。軽度ですが、良いお薬があるので飲んでください」
「あ、いや、大丈夫だ。もう平気だし食事もするし」
「医師の言うことが聞けないのですか?」
極上の笑みを浮かべるエキゾチカに、ジョージは勢いよく首を横に振る。
薬が嫌いなのだ、それを知っているヴィクターはにやにやしながら成り行きを見守っている。
「調剤しておきますから、暫くお休みください」
「ああ、そうしよう」
エキゾチカは何やら道具と材料を取り出し、何かを刻んだり混ぜたりすり潰したりしている。
出来上がった粉が、小さな包みに小分けにされて机の上に並んでゆく。
全て並べ終えて、エキゾチカはヴィクターを振り返った。
「ここに残られるのでしたら、薬を置いていきますので飲んでもらってください。
それと、今後の指示をいただけますか?みんな身動きできないので」
「おう、すまん。突発的な戦闘でもない限り暫く中央に留まるつもりだ。
次の出航前には呼ぶから好きにしておけと言っておいてくれ」
「畏まりました。では、私はこれで失礼いたします」
さっと白衣を翻して出てゆくエキゾチカに労いの言葉をかけ、
ヴィクターは静かにベッドの縁に腰を下ろした。
「エキゾチカも言ってたけどゆっくり休め。まずは元気を取り戻すことだ」
「そうだな。少し疲れた」
ジョージは目を閉じた。
信頼する友がすぐそこにいる。
安心感が、彼を眠りの世界へといざなう。
「直感信じて行動すりゃあいいんだぜ。俺が隣にいてやる」
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