出発

ようこそ!

最終更新日: 2018-11-11
テキストサイズ 小 |中 |大 |

HOME > Gallery > Navy > Navy_sec3 > 出発

出発

満月の次の夜
月が南に掛る時分
嘴岩にて待つ



十六夜。
月は明るい。
手にした書簡に目を落とす。
隊員たちが寝静まり、宿舎は暗いが月明かりが充分すぎるほど窓から差し込んでいる。

何度も何度も繰り返し見つめたその文書。
受け取った書簡の暗号を解き明かし、現れたのは簡潔なメッセージ。
その文面が示す時まであと一刻。

ギルバートは、書簡を畳んで服の内に仕舞い込んだ。
使いこんで手によく馴染む木の棒を空いた手に握る。

音を立てずに部屋を抜け、宿舎の外の砂地に立った。
不思議と高揚感はなかった。
躊躇いもない。
ただほんの少し、腰に佩いた剣が重く感じられる。

十歩ほど進んでギルバートはふと足を止めた。
暗い海に呼ばれた気がした。

「隊長」

しかし彼を呼ぶ声は、海と反対の方から聞こえてくる。
ギルバートが振り向くと、闇にまぎれた小柄な影が立っていた。

「いつ、お戻りですか?」

カッサンドラは知っている。
今からギルバートがどこに向かうのか。
何をしようとしているのか。

「一つだけ、聞いていただけますか」
「どうぞ」

黙って出て来た。
今まで付いてきてくれた隊員たちには何も告げずに。
それでも見送りに来てくれたというのなら、その言葉を受け止めるのは礼儀。
ギルバートは無意識に背筋を伸ばして、暗がりの向こうを見つめた。

「この先何があるか、推し量るつもりはありません。
 信じて待っています。戻ってこられるまで待っています」
「まるで愛の言葉を囁かれているようですね。よく覚えておきましょう。
 死を覚悟したはずなのに、僕は今ほんの少し死ぬのが惜しいと思っています」

静かな夜に声はよく響いた。

「カッサ。貴方達は僕との約束をよく守ってくれました。
 僕はそれに報いなければなりません。
 その最後の形が、貴方達の望む形と違ってしまうとしても」
「隊長がその胸に秘めた想いを遂げることは私たちの望みでした」
「信じて待ってくれるのでしょう?
 朝まではけっこう時間があります。ゆっくり寝て休んでください。
 訪れる朝はきっと、昨日と変わらないと信じて良い夢を見て下さい」

そう言って、ギルバートはカッサンドラに背を向ける。
約束の時が刻々と迫っている。

「隊長」

歩き始めたギルバートの背に、いつもの凛々しい声が届く。

「お気をつけて」

いつも通りの言葉。
いつもと違うのは、戻る時間を告げないこと。
強く木の棒を握りしめ、目を上げれば約束の場所が月夜に黒い影となって浮かんでいる。

引き返せないのではない。
引き返さないと決めた。
それでも。

歩みは止めないまま、ギルバートは後ろに残してきた仲間と
もっとずっと遠くにある故郷の同胞に想いを馳せた。

使命を、約束を果たす時が来たのだ。
命だけならいつでも奪えるのかもしれない。
欲しいのはそんなものではない。
それでも、一番欲しいものを手に入れる方法はまだわからない。










ひょうひょうと耳元を掠める夜の風。
聞こえてくる海のざわめき。

ジョージは嘴の形をした岩の先端に立って月を睨むように見つめていた。
眼下には穏やかな夜の海が広がっている。
夜。紺碧に染まってさえここの海は美しい。

「ジェームス将軍。貴方もここに立ったのだろうか」

荒々しい海と容赦のない風に、削がれ砕かれながら岩はずっとここにある。
岩はずっと見て来たのだ。
静かな紺碧の海も、荒れ狂う嵐の海も、移りゆく海の支配者も、戦もそこに散った命も。
美しい領海を見渡すことができるこの位置は、海軍の長によく似合う。

「貴方はこうなることを知っていたのではないだろうか。
 そうならば、末裔の私の決断を愚かだと言ったりはしないでほしい」

自分がいるべき所に帰ることはできないかもしれない。
それでも、立ち止まることはできない。
何かに突き動かされるようにこの時を迎えた。

この決断を後悔はしていない。
青年の覚悟を、命をかけて受け止めると決めたその決断を。

なぜ今、自分が過去を清算せねばならないのかと問うたこともあった。
しかし、そうではないのだ。
これは自分自身が望んだこと。
海を統べる者として、小さくても根の深い苦しみの声に耳を傾けた末の選択。

「正しいか正しくないかが問題ではないと貴方なら言ってくれるか」

するべきことがある。したいことがある。
守るべきものもある。守りたいものがある。

だから。
帰らなければならない。帰りたい。
自分がいるべき場所に。
もしも帰ることができるなら、この復讐劇に終止符を打てるかもしれない。

解りたいと願った。
解り合えるはずのない、「異なる者たち」と解り合いたいと。
この国の礎となるために。

「私にしかできないこともあろう」



月が時と共に高くなってゆく。
もう間もなく、月は今宵一番高い処に辿りつく。

絶え間なく聞こえる風の中に異なる音が聞こえ、
ジョージは愛用の剣にそっと手を掛けゆるりと振り向いた。

岩場の向こうから、月明りの中に小柄な影が現れた。
静かで確りとした足取りで一歩一歩近づいてくる。
よく見知った青年は、表情がはっきりわかるところで立ち止まり、
真正面からジョージの目を見据えている。
堂々とした佇まいは美しくさえあった。

群青の瞳はただ静かで、手にした得物を構えることもしていない。
殺気もない。

お互い迷いなど無いのだ。
月は南の空に掛った。

始まりが訪れる。
終わりをもたらすために。



剣の柄から手を放し、ジョージは一歩進み出た。

「少し話をしよう」






▲ ページトップへ

milk_btn_prev.png

milk_btn_next.png