枷
カーバケッティとコリコパットが戻ってきたのは昨夜。
ふたり部屋が基本の宿舎で、彼らは同じ部屋に放り込まれることになった。
「カーバ、コリコ、いる?」
「おう、入っていいぞ」
扉の向こうから聞こえたジェミマの声に、反応するのはカーバケッティ。
「海上実習お疲れ様。紅茶入れたけど・・・って、あら?」
「どうしたの?ジェミマ」
ジェミマと一緒に来ていたタントミールは何事かと部屋をのぞきこむ。
「お邪魔しています」
カーバケッティと向かい合って座っているのはギルバート。
コリコパットはと言えば、ベッドの上で爆睡している。
「コリコが寝てるなら、隊長とカーバでどうぞ」
机にカップと焼き菓子の入ったバスケットを置いて、ジェミマが言う。
ふわりと柑橘系の香りが漂ってくる
「ありがとうございます。おいしそうですね」
「オレンジの皮を使った紅茶と杏を使った焼き菓子です、おいしいですよ」
ギルバートは嬉しそうに運ばれてきたものを見ている。
「ところで、タントも何か用か?」
カーバケッティは、ジェミマの後ろにいるタントミールに目を向ける。
「ええ。洗濯しようと思っていたの。でも、コリコ寝ちゃってるし。
また後で来るから洗濯物だしておいて。隊長もお願いしますね」
「了解、また後で」
カーバケッティはひらひらと手を振る。
ジェミマとタントミールは、静かに扉を閉めて出て行った。
「・・・それで、どうするんです?」
黙々と紅茶を飲み、マドレーヌを口に運ぶギルバートを見て、
ついにしびれを切らしたカーバケッティが切り出した。
「僕と総司令官とでは、武術力の差がありすぎます」
「わかっています」
「殺してしまうかもしれません」
淡泊な口調のギルバート。
そこにどのような感情が存在するのか、カーバケッティにはわかりかねた。
ただ、迷っているということだけは強烈に伝わってくる。
カーバケッティは小さく舌打ちをし、ギルバートを睨むように見た。
「隊長、俺は何度も言いましたよね?
復讐とは血で血を洗うものだし、命の奪い合いになることは至極当然です。
そして、復讐が復讐を呼ぶことも」
「・・・僕は命さえかける覚悟でここに来ました」
自分の部族の悔しさや苦しみを断ち切れるならば。
そう思えばこそ、命を捨てて復讐をする使命に疑いはなかった。
しかし。
「僕はいいんです。でも、いくら考えても僕だけで全てを負うことはできない。
故郷のみんなにまで粛清の手が及ぶのは」
「復讐が復讐を呼ぶというのはそういうことなんです。
それでも総司令官を討つ覚悟があるのなら、止めるべきではないでしょうね。
回避策は俺たちも考えますよ。だから隊長はもうそろそろ意思を固めて下さい」
ギルバートがこのまま何もせずに終わるわけがない。
終わらせてはいけないはずだ。
「謀殺とか暗殺とかいう手段も取れるのですよ、隊長。
うまくすれば隊長の故郷の皆さんに類を及ぼさずに済むかもしれません」
「卑怯な手段は使いたくありません」
「そうでしょうね。まあ、成功するとも思えませんし」
元来ジョージは参謀官なのだ。
もっと若い時は、海に出て凄腕の参謀として活躍していたのだから
少々の謀などはすぐに見破られてしまうだろう。
暗殺するにしても、総司令官だけにガードが固い。
いくら、ジョージがひとりで出歩くのが好きだったとしてもだ。
「正面から堂々と向き合いたいなら、やっぱり剣を交えることになるのでしょうね。
それで隊長が勝ったとして、隊長が処罰されたら俺も困りますし・・・」
剣術に関しては、ジョージもそこそこ腕は立つらしいのだが。
常に鍛えているギルバートとの差は埋めがたいだろう。
束の間考え込んでいたカーバケッティは、ふと何かを思いついたようにギルバートを見た。
「何です?」
「その首飾り」
「首飾り?ああ、これですか」
ギルバートは、服の内側から銀の鎖に繋がれた銀細工を引っ張り出した。
竜と蛇が絡んでいる。
故郷から出てくるときに預けられた一族の宝物だ。
「隊長は、それの由来をご存知ですよね?」
「勿論知っています」
「そうですよね。そうか、だとしたら・・・」
カーバケッティはぶつぶつと呟きながら、再び考え込む体勢に入った。
こうなれば話しかけても無駄だろう。
ギルバートは銀細工を手に載せ、ぼんやりと見つめた。
竜は海の神
蛇は海の神の遣い
これを見るたびに己の覚悟を固めてきた。
海に生きてきた証。
例え豊かではなくても、誇りを持って海に生きていた祖先たち。
誰よりもよく海を知り、
誰よりもうまく潮に乗り、
誰よりも早く風を読み、
誰よりも確かに船を導く。
小さな部族ではあったが、祖先たちは凄腕の船乗りとして信頼も厚かったと聞く。
海に生きるべきなのだ。
それは太古の昔から決まっていたこと。
故郷の者たちはそう信じて疑っていない。
ギルバートもそう信じている。
手元にある、この銀細工こそが何よりの証なのだ。
連綿と受け継がれてきた尊い血の証。
こんなにも重い恨みと哀しみを背負ってきたというのに。
一刻も早く、故郷の者たちを苦しみから救いたいと願っているのに。
今、決断の時を迎え、山の奥にいる部族の存在こそが枷になっている。
それでも自分だけではどうにもならないとわかっていた。
散らせるのは己が身だけで十分と思いながら、カーバケッティらを引きこんでしまった。
ギルバートが背負うものなど、彼らには何の関係もないというのに。
過去を清算するなどできやしないと、初めて会った日にカーバケッティは言った。
過去は既にここにはなく、少なくともこの場所ではジンギスが悪というのが歴史なのだと。
だから、ギルバートがしようとしていることは国への反旗を翻すことだし、
結果的に新たな怨嗟の萌芽になる可能性も孕んでいるのだと。
それすら覚悟の上なら協力は惜しまない、そうも言った。
そう、覚悟していた。
少なくとも、あの時は。
何かを省みるのはよそうか。
青い眼をもった故郷の者たちを思いながら、ギルバートは首飾りを握りしめた。
「ビル・ベイリー少尉、ちょっといいかしら」
呼び止める声に振り向いて、ビル・ベイリーはぴしっと敬礼をした。
「どういったご用件でしょうか、メグ司令官」
総司令官執務室に続く廊下に立っていたのは、ジョージの右腕と言われる女性司令官のメグ。
冷たいほど整った顔立ちが少しやつれて見えるのは気のせいではないだろう。
総司令官が執務に出てこないまま、仕事が溜まりにたまっているのだ。
「用件と言うより、私的なお願いなんだけど」
「かまいません、司令官のお願いでしたら例え火の中水の中」
「本当に私的なことだから内々にお願いしたいんだけど、少し調べてほしいの。
ギルバート隊長は知っているわね?その部隊のことなのよ」
メグは声を潜めて密かにビル・ベイリーの手に小さく畳んだ紙を滑り込ませる。
「報告はいつでもいいわ。手の空いたときにお願い」
「畏まりました。お任せ下さい」
「ありがとう、少尉。引き止めてごめんなさいね」
「いえ、それでは私は引き続き仕事に戻らせていただきます」
もう一度敬礼をすると、ビル・ベイリーは走り去って行った。
「気になるのよ。似ているから、気になるの」
メグは走り去って行った連絡員の背中が見えなくなるまで見送ってから、
溜まった仕事を片付けるべく執務室へと戻って行った。
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