終わりを齎す者

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最終更新日: 2018-11-11
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終わりを齎す者

己の手が次第に赤く染まってゆくのを感じながら、ギルバートはゆっくりと顔を上げた。
見慣れた剣は砂地に突き刺さって傾いでいる。
左へと視線を巡らせれば、先と変わらずにジョージの苦痛に喘ぐ姿がある。
なお一層痛みが増したかのようにきつく眉を寄せているようではあったが、
乱れる呼吸はまだ途絶えていない。
痺れに似た痛みが広がってゆく己の腕を茫然と見つめて、
ギルバートは漸く何が起きたかを察した。
自分の腕を傷つけたのは、短い刃の棒手裏剣。
恐ろしいほど正確なコントロールとタイミングで剣の軌道を完全に変えてしまった。

鋭い刃はジョージを確実に傷付けていたのに、奪うべきものはまだジョージの身体の中にある。
命はまだ、そこにある。

「まさか、ここまできて仕留め損なうとは思わなかったな」

自嘲気味な笑みを浮かべて、ギルバートはゆらりと立ちあがった。
月明りを白々と跳ね返している剣を左の手で砂から引き抜く。
纏わり付く緋色は己のものではない。
粘性のある液体が刃を伝って滑り、音もなく地に堕ちてゆく。
そして、右の指先からも同じように赤いものが静かに滴っていた。

「何のつもりですか」

振り向いたギルバートの視線は、ひたすら冷たくそこにいる男を射抜く。
激昂するでもない。激烈な憤りを抱きながら、ただ静かにギルバートは佇んでいた。

「何の、だと?馬鹿なことを訊くな。親友が殺されかけてんだ、助けねえことがあるか」
「邪魔はしていただきたくない、ヴィクター准将」

感情など滲みもしない声が風と波の音の合間を縫って相手に届く。

「貴様の都合など関係あるか。
 あいつは宝なんだよ、貴様らにとってジンギスがそうだったようにな」
「そうでしょうね」

呟いてギルバートは僅かに赤く濡れた剣を砂に落とした。
代わりに使い慣れた木の棒を拾い上げる。

「そうでなくては釣り合わない。彼の命以外に何を持ってしても、かつての英雄の死には」
「そこまでジンギスに執心する意味が何処にある?
 奴が生きたのも死んだのももう過去のことだ」
「死んだ英雄にとらわれて生きると僕ら部族は決めた。
 誇りある海の男を貶め続けるシャム国に抗う理由を持ち続けるために」

ギルバートとヴィクターは、互いに武器を構えることなく睨み合う。

「僕らは、否、僕はもう限界だ。
 これ以上この内にある重く暗い怨恨を抱えては生きていけない」
「これだけ我慢してきてか」
「これだけ我慢したからこそ、求める安らぎが手に入らないと判った瞬間から
 歯止めなど無いに等しかった」

棒を握り締める手に更に力を入れて、それでもその激情を解き放つことはなく
ギルバートは低く言葉を押し出した。
傷ついた腕からは新たな血が滴り落ちる。

「ここまで待って判らなかったか?ジョージは貴様らの声を聞こうとしていたんだ」
「もう待てないと言った筈だ。海軍という組織が彼を拒む限り道は開けない」
「笑わせるな!」

先に大声を上げたのはヴィクターだった。
言葉とは裏腹にその目は真剣で、笑いなど欠片も存在しない。

「貴様の力だけじゃ何とかできねえと端っから判ってんじゃねえか!
 唯一貴様らに道を用意できるとしたらジョージだったはずだろうが!」
「笑わせるのは貴方だ」

ヴィクターの恫喝に全く怯まず、ギルバートは淡々と言葉を紡ぐ。

「彼は自分で言った、謝罪はできないと」
「ふん」

馬鹿野郎と呟いて、ヴィクターは起き上がる気配の無い親友に目をやった。
謝罪はできないと伝える、とジョージはヴィクターに告げていた。
ジョージ自身の想いではなく、海軍の長としてギルバートに向き合うのだとはっきり言っていた。
そんなことを言えば間違いなく殺られるぞと言ったヴィクターに、ジョージはそれでいいと答えたのだ。
黙り込んだヴィクターに向かって、ギルバートは口を開いた。

「彼は、彼自身の気持ちも伝えてくれた。それでも僕はこうすることを選んだ。
 望むものは、燻ぶる怨恨を消す術は手に入らないとわかったのだから」
「ふざけるなよ」

上げられたヴィクターの二つの目は凶悪な光を帯びている。

「貴様も部族を背負って立つ男だろうが。
ジョージがどんだけ苦しんで貴様の前に立ったか少しは判るはずだろう!」
「慮ることはできる。だがこの想いを鎮める理由にはならない!」

初めてギルバートは声を荒げた。

「背負うものの重みに潰されそうになって、自分自身の気持ちだけで動くことすら許されない、
 大切なものを守りたいと願いながら、逆に守られているのだと気付かされて、
 そんな愛すべき者たちを懐に抱え込んで僕は前を向いていなければならない。多分それは」

ギルバートは足許で苦痛に喘ぐジョージを見下ろした。

「彼だって同じだったはず。だから彼は命掛けになると知りながら僕の前に立った。
 彼は僕の痛みまで抱え込もうとした。
 それが彼の覚悟なら、僕は最大限の敬意を持ってそれに対すると決めた」
「貴様のしていることはただの憂さ晴らしじゃねえか」
「そう、貴方からすればその程度のこと」

顔を上げ、ギルバートは冷笑を浮かべた。

「彼だけが憂えてくれた。僕の求めるものを手に入れるには彼が必要だった。
 だが貴方に、誰にわからずとも僕は自分が限界にあることを知っている。
 手に入らないものを求めるよりも、同族の悲願を達成することを選んだまで」
「その悲願とやらを達しても、貴様の同族たちは制裁を免れんはずだ。
 何代も怨み続けて、恨みを晴らしてみても、その結果が部族の消滅でいいのか!」

凄みのあるヴィクターの声が辺りに響く。

「言われずとも何度も考えた!」

唐突にギルバートの声が震え、抑えの利かなくなった音が夜の空気を叩く。

「考えた結果がこれだった!救われようと滅ぼされようと、僕らはもう疲れたんだ。
 恨みを抱き続け、望みもしない殺傷を繰り返し、帰ることのできない海を望む、
 そんなふうにしか生きられない癖に、そんなふうに生きることはやめたかった!」
「ならばやめればよかっただろう!
 ここに貴様を寄こす覚悟ができるなら、やめることだってできたはずだ!」
「いや出来ない!我らは抗い続けると決めた以上、疲れ果てても抗い続ける筈だ。
 救いでなく滅びが訪れたとしても、この怨恨が終わるのならばそれで良かった。
 できることなら同族には害を及ぼしたくなかったが、故郷の者は皆、覚悟はできている」

終わらせたいと叫ぶギルバートの目は憤怒に煌めきながら、悲愴に陰っていた。
それを苦しげに見やるのはヴィクターだけではなかった。

「ギル、バート」

微かな音を聞き、はっとしたようにギルバートは目を落とした。
きつく閉じていた筈の瞼が僅かに開き、ジョージがギルバートを見上げていた。

「なぜ、この地に来て、すぐ、それを、言わなかった」
「言える筈がない。誰に言えるというのです?
 部族を救うも滅ぼすもこの身一つに掛っているなど、誰に言えると?
 本当は救いたいのに方法がわからないなんて、そんな泣き言を誰が聞いてくれるんだ」
「仲間が、いた、だろう」
「大切な仲間だ、僕の重荷を一緒に背負ってくれた。
 この上部族全ての命がかかっているなどとどうして言える!」

降ってくる声を哀しげに聞いて、ジョージはまた目を閉じた。
険しい目でその様子を見ているヴィクターは、何か言いたそうにしながら黙している。

「私は、全て、あいつに言った。ヴィクター、は・・・背を、押して、くれた。
 君の、仲間は・・・きっと気付いて、いる」
「ジョージ、もう喋るな!」

溜りかねてヴィクターが声を張り上げた。
目を閉じたまま、ジョージは口の端で僅かに笑みを刻んだ。

「チャンス、を・・・くれないか。君を、救い、たい」
「僕を?僕の故郷の者たちが救われないなら、僕だけが救われる必要はまるでない」

ギルバートの声は再び冷たい響きを帯び、ジョージの言葉を拒んだ。
それでも、満身創痍の海軍の長は微笑みを浮かべたまま言葉を続ける。

「約束を、しよう」

掠れて聞き取りにくくなった声が言う。

「約束?」
「そうだ。9割の、約束を、しよう。
 時間は、掛っても・・・私は、君らの故郷、を、必ず、救い、上げる」

不意に、何かをこらえるかのようにギルバートの表情が歪んだ。

「1割は?」
「失敗する、かも、しれない。その時は・・・滅んで、貰おう」
「貴方が!」

手にした棒で力の限りに砂地を叩き、ギルバートは声を上げた。

「貴方がそんなだから僕は貴方を殺しきれない!
 何者に邪魔されても、僕の手なら貴方の息の根を止めることくらい訳ないというのに!
 これ以上待てないと思っているというのに!」

くずおれるようにジョージの傍らに膝をつき、ギルバートは泣き出しそうな表情を浮かべた。

「僕はずっとあなたに期待していたのかもしれない。
 約束が違えられることはないと・・・信じて良いのですか」
「どの結果に、なっても、君が、望むもの、だろう?」
「そうですね。貴方は僕に嘘を吐いたことがない」

信じましょう。
そう言ったギルバートの群青の目から、雫が零れた。

「戻る、んだ。夜が明ける、前に」
「畏まりました」

いつもと変わらない無駄のない所作で立ちあがって敬礼をしたギルバートは、
砂に刺さった剣を引き抜いて鞘に納めると、振り返ることなくその場を後にした。

それを目で追っていたヴィクターは、後ろ姿が岩場の向こうに見えなくなると、
怒りを隠しもせずにジョージの傍に大股で歩み寄った。

「馬鹿野郎!こんだけぼろぼろになって喋るやつがあるか!
 ああもう、ちょっと待ってろ。おい、エキゾチカを呼んで来い!」

ヴィクターが暗がりに向かって声を掛ける。

「誰か、いるのか」
「俺の部下がその辺にいたはずだ。心配するな、あいつは何も喋ったりしない。
 じゃなくてだな、喋るなと言うのが聞こえなかったのかこの馬鹿が」
「ヴィクター」

馬鹿と何度罵られてもジョージは口を閉ざさない。
言いたいことがあるのだろうと、ヴィクターも無理には止めない。

「棒手裏剣、素晴らしい、腕だ」
「阿呆!んなこと今言う必要がどこにある!
 全く、ありゃあエキゾチカ直伝だ。だが、下手したらお前に刺さってたかもな」

いつもの軽口を叩きながらもヴィクターは深刻な表情を浮かべていた。
ジョージの怪我の程度は決して軽くない。
エキゾチカを呼んではみたものの、彼女の専門は薬だから対応できないかもしれないのだ。

「ここじゃあ落ち着かんだろうが、少し休んでいろ」
「そう、だな。ヴィクター、任せたぞ」
「ああ、わかっている」










岩場を回ったところで驚きの余り思わず立ち止まり、ギルバートはまじまじと相手の顔を見た。
風に揺れる白衣を纏い、凛と整った顔立ちの女性が目の前にいる。

「ディミ、どうしてここに」
「話は後です。手を出して下さい、止血しますから」

いつもと何ら変わらない、怖いほどに冷静で落ち着いた軍医の言葉に、
日頃の条件反射でギルバートは血を流す腕を差し出した。

「座ってください、灯りが無いと見えにくいので」

そう言うディミータの足許には小さく火が灯っていた。
岩の陰で風をあまり受けないのか、火はしっかりと燃えている。

「見ていたのですか?」
「そうですね、途中くらいからは」

包帯でギルバートの腕を締め付けながらディミータは抑揚なく言った。

「動じないのですね」
「言っておきますが、怒ってはいますからね。
 これ、結構ざっくりいってますね。帰ったら縫合しますので今は応急処置のみにします」
「・・・ありがとうございます」

ここで反論などしたら、麻酔無しで縫合処置をされそうだと本気で怯えたギルバートは
今はただおとなしくしておくことにした。
ディミータは手早く止血処理を施して、もういいわと言った。

「隊長、先に帰ってください。私にはまだ患者がいます」

道具を無造作に袋に詰めながらディミータが言った。

「怪我をしていれば誰でも貴女の患者になるわけですね」
「勿論そうですが、隊長のためにも今総司令官を失うことはできないですからね。
 そういえばカーバが起きていましたよ。表から入ったら間違いなく怒られますから」

全ての道具をまとめて立ちあがったディミータは、
それではと言って敬礼をすると海の方に向いて歩き出した。

「ご忠告ありがとうございます。頼みましたよ、ディミ」

白衣の背に声を掛け、ギルバートもまた歩き出した。
既に月は西の空にかかっている。
それでもまだ暗い夜の空に、二つの星が重なり輝いていた。





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