酒盛り
「戻らなくてもいいのか?」
タンブルブルータスの問いかけに、ボンバルリーナは気だるそうに首を横に振る。
「ディミはずっと医務局に泊まり込んでるし、戻ってもつまらないもの」
昼間から、船に備える武器や航海用具などの載積について
ボンバルリーナとタンブルブルータスはずっと話し合っていた。
食堂にはギルバートたちがいたので、タンブルブルータスの部屋を借りていた。
夜になって、彼と相部屋のマキャヴィティが帰ってきても
ボンバルリーナが自分の部屋に戻ることはなかった。
いや、一度だけ戻ってすぐまた帰ってきた。
その時手にしていたのが酒。
船上では強いものは禁止されているが、陸上にいるときは特に規定はない。
飲んで乱痴気騒ぎでも起こそうものなら咎められるだろうが。
「これ、うまいな」
マキャヴィティが容器を傾け、呟く。
彼はざるだと誰かが言っていたが、恐らくは本当だろう。
それなりに強い酒を平気な顔で飲み続けている。
「そういえば、俺ボンバルが前にどこの部隊にいたか知らないな」
思いだしたように言ったのはタンブルブルータス。
彼は外部募集で士官学校に入り、卒業してすぐギルバートの下についた。
たまたまギルバート軍の編成時期だったのだ。
「私は第六艦艇部隊にいたの。西にいることが多かったかしら」
「第六か。大変なんだろう?」
第六艦艇部隊は、領海いっぱいまで出て行って不法侵入の取り締まりをする。
領海といっても、特に目印などがあるわけでもない。
不法に領海を侵そうとする他国の船は多い。
もとより、国際的な法などないから不法という概念自体無いに等しいが。
そういう船は武装したものも多いから、第六部隊は戦闘要員を多く乗せている。
「西方司令部の管轄下って、地形が複雑なんだよな。
操舵手泣かせもいいところだ、船の墓場って言われてる海峡もある」
「航海士にとってもたまったものじゃないわよ。
海図を読み誤ったら座礁することもあるし、海図そのものが間違ってる時もあるし」
マキャヴィティやボンバルリーナはキャリアが長い。
様々な海域で経験を積んでいるからこそ言える意見。
「良い腕試しの場だと思えばいい」
「前向きに考えないとね」
そう言いつつ、ボンバルリーナはマキャヴィティが空けたカップに酒をつぐ。
マキャヴィティは、お返しにとボンバルリーナのカップになみなみと酒を注ぐ。
ちびちび飲んでいるタンブルブルータスにとってふたりの飲みっぷりは感心に値する。
「マキャは水先案内の免許持ってるのか?」
「いや、まだ持っていない。取得試験を受ける条件は整っているけどな」
操舵手の資格の中でも最高に近い難易度とされる水先案内免許。
相当の経験と知識が必要とされる。
長い間現場で経験を積んだマキャヴィティも、そろそろ免許を取っていい頃だ。
「そういうタンブルは?一級航海士の資格取らないの?」
航海士の資格は三階級にわかれる。
基本的には給料の差以外には大した差はないのだが、
一級となってくれば甲板を預かったり、航路の決定権を持ったりと
大きな影響力を持つようになる。
ちなみに、タンブルブルータスは二級だが甲板長をしている。
これは、ただただ漁師見習いだった彼の経験がものを言っているのだ。
「俺はまだ勉強不足だからな、無理だろう。ボンバルは?」
「私は一級航海士持っているわ。第六は一級航海士が必要だったの。
取れって言われてね、あの時だけは必死に勉強したわ」
ふっと笑ってボンバルリーナは酒をあおる。
彼女の専門は海図管理。
海図を読んで航路設定をすることはもちろん、海図作成もできる。
同じ航海士でも、タンブルブルータスの専門は載積管理。
海流や水深に合わせて、船の水を足したり抜いたりするのは重要な仕事の一つだ。
「ボンバルくらいの腕があるなら、今頃情報統括部にいてもおかしくないだろう?」
マキャヴィティが、相変わらず一定ペースで酒を飲みながら言う。
情報統括部は主に海に関する情報を集めたり周知したりしている部署だ。
海と限定せず、戦闘以外の情報はほぼそこに集まると言えるだろう。
司令部中を伝令に走る連絡員もこの部署に所属している。
「そうよ、本来なら情報統括部の海洋気象部海図管理局にいるはずだったの。
異動がたまたまこの部隊の編成時期とかぶっちゃって。
新規部隊なのに航海士が見つからないからって、ここに配属になったわけ」
「そうなのか。それは・・・とばっちりだったな」
「あら、そうでもないわ」
タンブルブルータスの言葉をあっさり否定して、ボンバルリーナは小さく笑った。
「ここはいい部隊だと思うわ。若い隊長に無茶苦茶な隊員たち。
日々刺激があっておもしろいもの」
最初は確かにとばっちりだと彼女も思っていたのだが。
いつの間にか、ここに来たことは決して悪くなかったと感じるようになっていた。
女性隊員が多くて心もとないと思ったこともあるけれど、
男性ばかりに囲まれていた時よりもずっと居心地がいい。
「タンブルは士官学校に入る前は漁師やってたんだっけ?
載積管理はそこで覚えたって言ってたかしら?」
「俺が漁師だったわけじゃなくて、俺を育ててくれた叔父さんが漁師だったんだ。
載積管理の勉強したのは、何かしら叔父さんの役に立ちたかったからだな」
「そうなの。叔父さんも嬉しがっていたでしょうね。
マキャは?この部隊に来る前はどこにいたの?」
喋る時以外はずっと飲み続けているマキャヴィティにボンバルリーナは何かと話を振る。
話の合間にも、水の代わりと言わんばかりに平然と飲んでいる。
「俺は第九艦艇部隊にいたんだ」
「最前線だったのね」
第九艦艇部隊と言えば、他国との対戦を主眼に置いた対外海戦専門部隊。
同じような役目をする部隊に、第八艦艇部隊がある。
第八と違って第九には陸戦部隊が存在しており、陸地に上がって戦うこともしばしば。
相手の領地に乗り込むことも考えての部隊編成になっている。
第八・第九の艦艇部隊は、いくつかの部隊が集まって大きな編隊の形態をとる。
操舵手などの専門職は、要求されたことを確実にやり遂げるだけの腕と、
最低限生き残るための戦闘力が必要とされる。
「俺、もとはといえば戦闘要員扱いだったんだよな。
操舵技術もそんなに高いわけじゃなかったし」
マキャヴィティが呟くように言う。
言ってみれば、操舵手としては補欠だったのだ。
ただ、海戦が続けば操舵手も負傷し時には命を落としていく。
いつしか、補欠から正規の操舵手となっていった。
「それにしても、よく第九艦艇部隊はマキャを手放したな」
「そうよね。腕も悪くないし、戦闘能力は相当高いでしょ?」
マキャヴィティは、ギルバートの操舵手増員要請に応える形で異動してきた。
隊長が嫌だと言えば部下の異動はしないという原則があるシャム猫海軍では、
有能な軍員は軍員自身が強く希望しない限り異動しないことが多いのだ。
「俺は扱いにくいらしい。何を考えているかわからないとしょっちゅう言われた」
「ふーん・・・というか、わからないも何もマキャってあまり考えてなさそうよね」
ボンバルリーナは、おもしろそうにマキャヴィティを見てくすりと笑った。
「おいおい、失礼だろう」
タンブルブルータスが慌ててフォローしようとする。
「まあ、そんなところだ」
「・・・って、お前も否定しろよ!」
せっかくフォローしようとしたのに、当事者が認めているのでは元も子もない。
「まあまあ、落ち着け」
マキャヴィティは、ようやく空になったタンブルブルータスの手許の容器に
溢れんばかりに酒を注ぎながらなだめるように言う。
「いいじゃないか。前がどうだったって。
俺たちは、今の隊長や部隊にけっこうな心地よさを感じているんだ。
それでいいんだよ」
上層も優秀と認めるギルバートの下で。
自分たちの行く末も、きっといろいろな可能性に満ち溢れている。
ボンバルリーナはかつて、王宮の踊り子になる道を歩んでいた。
不自由は無かった。
幼いころから踊りに明け暮れる日々。
踊ることは決して嫌いじゃなかった、むしろ好きといってよかった。
それでも彼女はその道から外れてしまった。
王宮の中に見え隠れするじとじととしたしがらみが厭で仕方なかったから。
そんなことは、素晴らしい踊り子になるはずだった少女が
殺伐とした軍生活に足を踏み入れる理由になどならないかもしれない。
それでも、彼女は今にけっこう満足している。
王宮で生活していた時は恵まれていたんだと感じることもできた。
だからと言ってそこには戻りたくないし戻れない。
ここが好きだ。
ボンバルリーナは何度も行きついた答えをもう一度胸に沈めた。
マキャヴィティは樵の家に生まれた。
誰も知らないような山奥の小さな村落。
両親はいなかった、育ててくれたのは母方の祖父母だった。
さびしくなんてなかった。
木を切って、加工して、離れた町に行っては食べ物を仕入れてくる。
そんな生活が厭だということは無かった。
のんびりとした生活は性に合っていたのだろう。
でも、彼は山から下りた。
海が見たかったのだ。
船を操ってみたかった。
海は広かった、視界を遮るものが何もない。
船を操る技術も手に入れて、今はそれを生活の糧としている。
いや、生活そのものにしている。
山を捨てたわけじゃない。
海に迎え入れられたのだ。
だからきっと、死ぬまで海にいるのだとマキャヴィティは漠然と思っている。
タンブルブルータスは見習い漁師だった。
突然の戦火に両親を奪われ、兄弟姉妹とは生き別れになった。
幼かった彼を引き取ってくれたのは遠縁の親戚だった。
叔父さんと呼んでいた。
感謝していたし、尊敬もしていた。
老いて行く叔父の背を見ながら、助けになればと船に乗る勉強もした。
でも、結局彼は軍に入る道を選んだ。
会いたいと願い続けた姉がそこにいたから。
叔父は反対しなかった。
いつでも戻っておいでと、獲れたての魚を捌いて食わせてくれた。
間違ったのではないか、とその時は思った。
家族を奪っていった戦というものに、自ら関わっていくなど。
しかし、彼は満ち足りている。
ここにきて良かったのだ、間違っていなかった。
叔父の墓前にはそう報告するつもりだ。
「ギルバートという男はわからないな。
いつも穏やかな表情をしているが、どこか陰りがある」
「へえ、マキャはそういうのに気付くのね。
それは私も感じてるし、実際隠し事でもあるんでしょうけどね。
言いたくないんでしょうよ、もしくは言えないとかね」
ボンバルリーナは、タンブルブルータスお手製の干したイカを摘まみながら言った。
そのタンブルブルータスは、不満そうに眉を寄せた。
「言えないって?俺たちを信用してないってわけじゃないだろう?」
「ええ。信用はしているはずよ。
大切にされてるなあって思うわよ。思うでしょう?
だからこそ、ね。私たちに重荷を背負わせたくないのよ」
「重大なことなんだろうさ」
マキャヴィティはさして気にした風もなくのんびりと呟いた。
関わってほしくないなら関わらない。
必要なら彼から声をかけてくるはずだ。
「私が首を突っ込めない問題なら、無理やりかかわろうとは思わないわ。
ディミなんかは知っていそうな気がするけどね」
「今ここが心地いいと思うのは多分隊長がいるからだ。
必要だったらおそらく背を預けてくれるだろう。それだけの付き合いはしてきた」
ボンバルリーナとマキャヴィティはそれぞれ、自分のポジションには納得しているようだ。
それでも、タンブルブルータスは複雑な気持ちのままだった。
たぶん、彼の姉はその重大な隠し事を知っているのだ。
姉は重荷を背負っているのだろうか。
「ねえ、タンブル。私たちには役割があるの。
隊長の采配一つで私たちはいつでも動けるようにしておけばいいだけ。
だから今は、この状況に身をゆだねるのがいいんじゃないかしら」
「何もしない方がいいと?」
「何かするべき時が来たときに備えて、準備だけは万端にしておくといいかもね」
力を蓄えておくのよ、とボンバルリーナは言った。
「泰然と構えておきなさいよ。貴方にはそういうのが似合うわ」
ころころと笑うボンバルリーナの横では、マキャヴィティも珍しく声を立てて笑う。
酒のせいで上機嫌なのだということにして、タンブルブルータスは密やかに笑みを浮かべた。
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