休暇
5名の軍員が失踪した。
その時の揉め事で、2名の隊員が重傷を負った。
今回起こったことの全貌は詳らかにされることなく、気に留める者もほとんどいなかった。
総司令官が突然体調を崩してまともに執務に出られないらしい。
海軍の面々にとってはこちらの方が重大だ。
「総司令次官より、司令です」
ギルバートたちの宿舎にやってきたのは、総司令官付きの連絡員ビル・ベイリー。
「休暇はおよそひと月となります。
次の任務は決まり次第改めてお伝えしますので、それまではお休みください」
「わかりました」
ビル・ベイリーは、相変わらずきびきびと働いている。
何時とも変わらず忙しそうだ。
「少尉、少しお疲れではありませんか?」
「そう見えますか・・・私は元気なことが取り柄なのですが」
微苦笑を浮かべる若き連絡員は、やはり疲労が見え隠れする。
先日から、総司令官のジョージが体調を崩して休みがちになっている。
総司令次官がある程度の仕事は代行しているが、
執務は滞り気味で、執務室の軍員らは毎日残業続きだと聞いている。
「何かすることがあるなら言って下さいね」
「ありがとうございます、ギルバート隊長。では、失礼いたします!」
敬礼をし、ビル・ベイリーは走り去って行った。
ギルバートはその姿を見送って、小さく笑った。
「大変ですね」
「連絡員は走り回るのが仕事ですからね」
ヴィクトリアが言う。
カッサンドラが療養中のいま、代わって副官を務めている。
航海日誌を整理しながら、ギルバートは先日の出来事を考えていた。
誰かに聞かれていたかもしれない。
場所が場所なだけに、充分にありうる話だ。
それだけに、ジョージが体調を崩しているのは好都合なのかもしれない。
彼の耳に入らなければ、誰に聞かれていたとて
下らない作り話と一笑に付されて終わる可能性はかなり高い。
「それにしても、ひと月も休暇があるとは思いませんでしたね」
書類をまとめながら、ヴィクトリアが言った。
ギルバートは考え事を中断して目を上げた。
「そうですね。欠員の補充ができないのかもしれません」
4名が失踪、2名が重傷では部隊は穴だらけ。
加えて、コリコパットとカーバケッティが海上実習からまだ戻っていない。
「総司令官が休みがちだと手続きが進まないのでしょうか」
「異動くらいなら総司令次官が代行できるでしょう。時期の問題じゃないですか」
「そういえば、もうすぐ異動と入隊の時期でしたね。
それを待っての休暇かもしれませんね」
海事専門学校と海軍士官学校、海軍兵学校から上がってくる新兵卒や、
外部募集で入ってくる兵などが配置される時期までおよそひと月。
昇進と異動の話も、あるならもうすぐ通知が来るはずだ。
異動願いも出していないし、特にそういった噂もきいていない。
そもそもギルバートが編成した部隊なのだし、隊長の異動はありえない。
あるとすれば兵の補充、特に男性隊員が足りていないと前々から訴えてはいる。
知り合いの隊長には頭でっかちの部隊だと笑われたこともあるくらいだ。
ただ、どうあれ異動や引き抜きでやきもきする必要はない。
なかなか終わらない航海日誌の整理を諦めて、ギルバートはぐっと伸びをした。
「ヴィク、これから医務局に行きますが一緒に行けますか?」
「はい、これだけ終わらせてご一緒します」
さくさくと事務作業を終わらせてゆくヴィクトリアを頼もしく思いつつ、
ギルバートは立ち上がって窓を開いた。
あれから5日目の朝。
開いた窓から海風が流れ込む。
今日も、いつもと変わらない穏やかな1日になるのだろうか。
「容体は相変わらず、ね」
ベッドを二つ並べた病室で、カルテを書きながらディミータは溜め息を吐いた。
5日前、気づいた時にはマンカストラップたちはいなくなっていた。
睡眠薬で眠らされていたのだ。
何があったかは、ギルバートから密かに伝えられている。
「少し休もうかしら」
ディミータは、カッサンドラとランパスキャットの治療にあたるため、
暫く医務局に泊まり込んでいた。
ふたりとも意識は取り戻したが、とても起き上がれる感じではない。
仮眠を取ろうと、ソファに毛布を運んでいたその時。
コンコンと軽いノック音が聞こえた。
確か面会を断るプレートをかけたはずだと、ディミータは眉をひそめる。
「ディミ、いますか?」
聞きなれた声が扉の外から聞こえる。
まさか居留守を決め込むわけにもいかず、
ディミータは毛布をソファに放って、扉を開きに行った。
「どうぞ、お入りください」
外にはギルバートとヴィクトリアが立っていた。
「カッサとランパスは眠っていますよ」
「そうですか。どうです?回復していますか?」
すすめられたイスに腰を下しながら、ギルバートが尋ねる。
「全快までは程遠いですけど、数日前に比べれば少し痛みもひいたようです。
最初は本当にダメだと思いましたけどね、丈夫なもんじゃないですか」
「そうですか・・・」
「幸いなのは、創傷だけで合併症などが見られないことですね」
ギルバートは眼を閉じているカッサンドラを覗き込んだ。
心なしか呼吸が早い気がする。
そう言うと、ディミータは苦笑した。
「普通の状態じゃないから仕方ないでしょう、これでも随分落ち着いてきていますよ」
「そうですね・・・ディミ、つまらない話をしてもいいでしょうか」
「ええ、いくらでも」
ディミータは、ランパスキャットが眠っているベッドの縁に腰を掛けた。
ヴィクトリアは不思議そうにギルバートの横顔を見ている。
「今僕たちは同じ国に暮らしていますが、僕の故郷では医術は呪術だったんです」
「呪術?」
声を上げたのはヴィクトリアだった。
そうですよとギルバートは微笑んだ。
「何を言い出すのかと思うかもしれませんが、嘘じゃないんです。
傷を清潔に消毒して縫い合わせることも軍に入ってから知りました。
薬もなかったんですよ、いえ、薬草の類はありましたけどね」
ギルバートの故郷はシャム国の一部でありながら
シャム国とは異なる文化を持ち続けていた。
小国を併呑しながら大きくなったシャム国には珍しい話ではない。
「病にかかったものは隔離して祈祷することで癒すのです。
怪我には傷に効くという木の葉を焼いて、傷ついた箇所に押し当てて治療するのです」
「そういう話は聞きますね。
シャム国の方が異文化を持ち込んだのですから違って当然でしょう」
「それはそうなんですが。驚きでしかなかったですね。
傷はある程度治療すれば放っておいて治るのを見てきたわけですし、
そこまで切ったり縫ったりしなくてもいいのではないかと思いましたよ」
そう言って、ギルバートはランパスキャットに視線を向けた。
うっすらと汗をかいているように見える。
「でも、いざこうしてみるとカッサやランパス、カーバやコリコなんかもそうですが、
シャム国の医療技術に救われているんだなと思うわけですよ」
「確かに、シャム国の医療技術は優れていると私も思っています。
でもそれは、必要だから発展してきたことなんです」
ディミータは、そっとランパスキャットの汗を拭ってやりながら言った。
「シャム国を作ったのは、もともとずっと西国にいた部族の集団です。
この地にやってきて何が大変だったかといえば、この地にあった病気でした。
ずっとこの地に住んでいる部族にとっては平気でもよそ者には辛かったんです」
「そうね、ずっとそこに住んでいれば免疫ができるもの」
ヴィクトリアが言うと、そういうことねとディミータが頷いた。
「だから、まず病を治す薬が必要になるでしょう?
それに、シャム国を創るためには闘う必要がありますし、当然負傷者もでます。
負傷した仲間を救うには合理的な怪我の治療法を確立しなければならなかったのです」
「戦う必要のある国だったから、医術も発展したと?」
「不要なものは根付かないのです。必要だから進歩するのです。
隊長の故郷では必要だったのは祈りだったのでしょう。
そして、身の回りにある薬草が何より早く苦痛を取り除けるものだったということです」
それもそうですねえと、ギルバートは納得したように呟いた。
「隊長、鎮痛や鎮静、催眠の効果のある薬草を知っていますか?」
「いくつかは知っていますよ。子供のころに教わりました」
「普通はね、知らないんですよ。ヴィクは知っているかしら?」
唐突に話をふられて、ヴィクトリアは少しだけ驚いたようだ。
ギルバートもヴィクトリアを振り返っている。
「私は・・・いいえ、知らないわ。薬草は使わないもの。
お医者様に診ていただいて薬を受け取っていた記憶があるわ」
ヴィクトリアは超がつくほど上流階級の良嬪で、だから医者にかかることもできたが、
多くの中流かそれ以下の家ではまず医者にはかからない。
近くに住んでいる一帯の世話係のようなお婆さんに診てもらうのが普通だ。
その皺だらけのお婆さんが薬を持っている。
それがどこで手に入るのかは誰も気にしないので誰も知らなかった。
だから、シャム国で育ってきた者たちは薬を知っていても薬草は知らない。
それで普通なのだ。
「完全にシャム国の文化で育った私たちにとっては、薬草を知る必要はないんです。
なぜ隊長は薬草を知っているのですか?」
「僕らは小さい頃から、どんな状況でも生き延びられるように訓練されるんです。
物騒で貧しい山岳地帯でしたから、生きるための知恵はいくらでも必要でした。
武術も仕込まれますし、主な薬草の効能なんかも叩き込まれました」
ギルバートが故郷を出て初めてシャム国の中心地に足を踏み入れたとき、
なんて穏やかで緩やかな空気に満ちているのだろうと面喰ったものだ。
気を抜けば山賊に襲われる、なんてことはまずないのだろう。
明日食う物にすら困るなんてこともないのだろう。
一歩間違えれば毒蛇の巣窟、などというのもありえない。
今でこそ当たり前のことが、最初はただただ驚きだったという。
「隊長」
呼びかけられて、ギルバートはハッとしたように目を上げた。
苦笑を浮かべたディミータと目が合う。
「気に病む必要なんて無いんですよ、隊長」
「気に病む、とは?」
何か見透かされたような気がして、ギルバートはぎこちなく問い返した。
ディミータはくるりと背を向けると、怪しげな色をした液体の容器を手にした。
「気にしているのでしょう?カッサやランパスの怪我のこと」
「それは・・・当然でしょう」
「どこかで思っていませんか?自分が怪我をさせてしまったのだと。
自分の所為でふたりが傷ついたのだと考えていませんか?」
再びディミータがギルバートの方を振り返った。
鋭い朱の目とかち合う前に、ギルバートは少しばかり視線をずらした。
違うと言えないのは肯定しているようなものだ、と思いつつも
やはり反論することはできない。
「これはふたりが勝手にやったことなんです。
言いすぎと思うかもしれませんが、ふたりとも言っていましたよ。
隊長は情に流されすぎるきらいがあるから気が気でないと」
「でも、まさか自分の前で大切なものを失うわけには」
「隊長。カッサやランパスが一番気にかけてるのはそのことです。
隊長の想いを守りたいから私たちはここにいるのです」
厳しい声。
状況がよく飲み込めないヴィクトリアは、ただそう思っているしかない。
とても質問を挟めるような状況でないことだけは確かだった。
ディミータは続ける。
「私たちを大切にして下さるのはとても嬉しいんです。
でも、隊長にはするべきことがあるのでしょう?
これでいいのかなどと迷う必要もなければ、気に病むこともないんです」
「ですが、心配なのはやはり当然のことで」
「心配するなとは言いませんよ。
ただ、早く治してついてこいくらいの気持ちでいてほしいんです。
ふたりとも生きているんですから、悔やむことなんてないのですよ」
生きている。
ああそうか、とギルバートは喉の奥で呟いた。
しなければならないことがある。
果たさなければならない約束がある。
自分のことなのに、誰かから言われて胸の内に確かな決意が蘇る。
「ふたりとも軍員ですから、回復力はありますよ。
それに、隊長が以前教えてくれた鎮痛効果のある薬草がよく効くんですよ」
彼にも効くんです。
そう言ってディミータはランパスキャットをちらりと見た。
「それはよかった。山で生きる知識がこんなところで役に立つとは。
それにしても怪しい色ですねえ。
ともあれ、少しでも早く元気になってもらいたいものです」
まずはお礼を言おう。
ギルバートはそう決めた。
謝ろうと思っていた、だけどそれはたぶん良い選択ではない。
「すみません」よりも「ありがとうございました」の方が良い気がする。
理由はそれだけだ。
「ちょっと前にシラバブが言っていました。
この船の隊員たちはみんなしぶとく生きる相が出ているって。
今は辛いでしょうけど、そのうちケロッとした顔で戻ってくるような気がします」
ヴィクトリアが微笑みを浮かべて言った。
同感だというようにディミータは苦笑する。
「幸い休暇も長いですし、ゆっくり待つことにしましょう。
そう、きっとすぐ戻ってくるんでしょうし」
ギルバートはそう言うと軽快に笑った。
カーバケッティとコリコパットももうすぐ戻ってくる。
今日もまた、穏やかな一日になりそうだ。
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