書簡
一か月の休暇も、残りは一週間ほどとなった。
ギルバート部隊の隊員たちは、復帰に向けてそれぞれに体力作りをしていた。
「隊長、そろそろ休憩にしませんか?」
ギルバートを相手にしていたマキャヴィティが動きを止めて言った。
「そうですね、では今日はこれくらいにしておきましょう。ありがとうございます。」
「お疲れ様です」
このところ、マキャヴィティにはずっと鍛錬に付き合ってもらっている。
ギルバートにとっては仮想ジョージなのだが、マキャヴィティは何も知らない。
ただ相手をしてくれと言い真剣に打ち込んでくるギルバートの相手をするのは、
いくら体力のあるマキャヴィティと謂えども相当疲れるようだ。
普段なら休憩などと口にするような男ではない。
ギルバートは練習用の木の棒を武器庫の付近に転がして、水でも飲もうと宿舎へと戻った。
「どうです?マキャは」
帰ってきたギルバートに声を掛けたのは、食堂で本を読んでいたカーバケッティ。
「強いですね。とかく力が強いんです、うまくいなさないと手が痺れますし、
あの体格のわりに隙もほとんどないから試合も長引いて疲れますよ」
ふっと息を吐いて、ギルバートは椅子に腰をおろした。
マキャヴィティは背も高いし手足も長く、普通の剣を持ってすら破壊力は抜群だ。
普段はもっと長く刃の厚い剣を使っているのだから戦闘力が高いのは言うまでもない。
小柄で身軽に動き回って急所を狙うギルバートとはスタイルが全く違う。
「まあ、マキャくらいの力がないと隊長の相手はつとまりませんからね」
カーバケッティはそう言うと、手にしていた本をテーブルに置いた。
「ジョージ総司令官もけっこう大柄ですし、型は基本に忠実です。
今はデスクワークばかりですけど、実はかなり腕が立つという話も聞きます。
タンブルやランパスは自己流の型ですから、やはりマキャですね」
本の代わりにグラスを手にしてカーバケッティはのんびり水を飲んでいる。
そんな彼を見つつ、ギルバートは小さく首をかしげた。
「型の問題ならカーバが相手をしてくれてもいいでしょう?
コリコは少し小柄ですから、仮想総司令官としてはちょっと役不足ですけど。
マキャよりはカーバの方が総司令官と体格が似ていますし」
「俺は無理ですよ。戦闘要員じゃないし、弱いですから」
「戦闘要員ではないというと、マキャも特に戦闘要員として採ったわけじゃないですよ。
ひとりじゃ過労死するとランパス言ったから操舵手として採ったんです」
それはそうだ、とカーバケッティは暫し固まった。
マキャヴィティを採用した経緯だってもちろん覚えている。
戦闘部隊じゃないこの部隊に戦闘要員として採用した者はいない。
何と返そうか必死に考えるカーバケッティをよそに、ギルバートは思い出したように言う。
「そう言えば総司令官も元はといえば参謀官ですよね?
なおさらカーバと同じでしょう、明日は相手してください」
「いや、俺はちょっと・・・」
うまい断り方が見つからず、カーバケッティの返事はいつになく歯切れが悪い。
本ばかり読んでいるとはいえ、女性ばかりのこの部隊で働くカーバケッティには
それなりに体力もあれば剣の技術だってそこそこ備わっている。
しかし、無尽蔵とも思える体力を誇るギルバートの相手などとんでもない話だ。
どうしたものかとカーバケッティが視線を宙に泳がせていると、不意に呼び鈴が鳴った。
「出ます」
これ幸いと、勢いよく立ちあがったカーバケッティが扉を開いた。
そこに立っていたのは見知らぬ若い女性。
「休暇中失礼いたします。わたくし、海図制作局のエレクトラと申します。
申請されていた海図が出来上がりましたので、ボンバルリーナ少尉にお渡しください」
そう言って、エレクトラは筒状に巻かれた海図を差し出した。
カーバケッティがそれを受け取る前に、その女性軍員はもう一つ何かを取り出した。
「こちらはギルバート隊長にお渡しください」
差し出されたのは、明らかにジョージからとわかる印が押された書簡。
結局、カーバケッティは二つまとめてそれらを受け取った。
「了解、きちんと渡しておく。お疲れ様」
「では、失礼いたします!」
さっと敬礼をすると、エレクトラは身を翻して走って行った。
カーバケッティは無意識に耳に手をやった。
耳が痛くなるほどに、エレクトラとやらの声は大きかった。
おまけにせっかちな性格のようだ。
「隊長、総司令官からの書簡です。俺はボンバルにこの海図を渡してきますね」
「総司令官?あ、カーバ待って下さいよ」
呼びかけが耳に届かなかったのか、カーバケッティは奥へと姿を消した。
渡されたものは何の変哲もないただの書簡。
ギルバートは少し緊張しながらその封を切った。
「・・・任務票ですか」
脱力して呟く。
ほっとしたような、肩すかしをくらったような、妙な気分だ。
あれから時々、パウンシヴァルが情報を持ってくる。
ジョージは着々と準備を整えているらしい。
仕事時以外では常にヴィクターが傍にいて、体力作りと称して剣術を磨いてもいるらしい。
ぱらりぱらりと幾枚かある紙を捲ってざっと内容に目を通していく。
このまま任務と言うことになれば、ジョージに向き合う日は随分先になる。
それで良いような気もした。
しかし、早くこの想いぶつけたいと思う気持ちもある。
「ん?これは・・・?」
ぱっと見ただけでは内容がわからない紙が一枚。
訝しがってみたものの、別段特殊なことが書いてあるわけでもない。
意味不明では手続きもできまいと、ひとまずギルバートはそれだけ抜き取って横に置いた。
「ヴィク!いますか?」
ギルバートのよく通る声が宿舎に響く。
すぐにヴィクトリアが食堂に姿を見せた。
「お呼びですか?」
「任務票が届いたので、手続き頼めますか?」
「はい。拝見します」
ヴィクトリアは、いく種類かの書類をぱらぱらとめくっていく。
「では、後ほどお持ちいたします。そちらの書類はよろしいですか?」
「特に関係の無いもののようですのでかまいません。そちらはよろしくお願いします」
「畏まりました」
手近な椅子に腰を下ろし、ヴィクトリアは書類とにらめっこを始めた。
ギルバートはその様子を暫く眺めていたが、ふと何かに思い当たって手許の紙に視線を戻した。
「・・・懐かしい匂いがしますね」
「何かおっしゃいましたか?」
「いえ、何もありません。カッサは上ですか?」
立ち上がりながら、ギルバートは紙を服の内側にしまった。
「上で何かを調べていたと思います」
「そうですか。ではヴィク、それは明日のお昼までにお願いしますよ」
「はい」
ギルバートは食堂を出て上の階に向かった。
「総司令官、貴方は一体どれほど頭がいいのでしょうね。
それに、大した情報収集力じゃないですか。恐ろしい方です」
呻くような声がギルバートの口から漏れる。
文字の羅列は暗号文だ。
世の暗殺者たちの間で通じる暗号の一つ。
故郷で暗殺術を仕込まれて育ったギルバートも、無論それを叩きこまれている。
もう幾年も目にしていなかったが、記憶と言うのは意外に長持ちするものだ。
しかし、この手の暗号は当然複雑なルールがあって習得するには時間と根気が要る。
同年代では飛び抜けてできの良かったギルバートでさえ、何度も読み違えをしたものだ。
読むことさえ困難なのに、作成となるともっと正確さが要求される。
だから、普通なら少し勉強した程度じゃこの暗号は作成できるはずがない。
「向こうにも、この方面に明るい仲間がいるんでしょうね」
目的の部屋の扉が目に入り、ギルバートは独りごちた。
カッサンドラは暗号解釈に長けている。
通信の専門科目には暗号でのやり取りを勉強するものもあると聞いた。
「ま、それよりも」
ギルバートにこの暗号が通じると断じたことの方がさすがだと言わざるを得ない。
故郷の部族に暗殺稼業をたずきとしている者が少なからず存在し、
部族全体で暗殺者を生むための教育を施しているのだと彼は知ったのだろう。
「やはり、敵には回せませんね」
これほど厄介な男はいない。
意外にも冷静な己を感じながら、ギルバートは扉をノックした。
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