道 - 過去の連鎖
勝鬨が響き渡る。
雄々しい竜の文様が描かれた旗が翻っている。
しかし、その中心にあるべき者はそこにいなかった。
「何故涙なさいますか」
海を見下ろす高台の上。
海に突き出した嘴のような岩の先に立っていた男は
隣にやってきた華奢な男の方を向いた。
「貴方様のおかげで我々は勝利を得たのでございます、ジェムズ将軍。
長い戦闘もようやく終わろうというもの、皆喜んでおります」
「終わるのだろうか。私にはそうは思えん」
ジェムズ ――― 正史にはジェームスと記されたその将は
遠く黄昏の海を眺めてぽつりと呟いた。
「ジンギスは深手を負うたと聞いたが」
「はい、斥候がそう申しております。今日明日の命でありましょう」
「そうか。助かる見込みはないのだな」
ジェームスの頬に、また一筋の涙が伝う。
「将軍・・・」
「何も言うなサラク。皆の前に戻れば、私は英雄の顔をしなくてはならないのであろう。
このような卑劣な策を褒められたのでは心苦しい」
「卑劣とおっしゃいますか。私はそうは思いません。
敵の弱みに付け入るは優れた策にございましょう。
此度も貴方様の集められた情報と機知がなければまだまだ戦は続いておりました」
サラクと呼ばれた男は、淡々と言った。
「戦が長引けば我らの犠牲は増える一方でございます」
「その通りだ。だから私はこの戦を終わらせねばならなかったのだ。
しかし私はこの勝利に酔うことはできん」
「どうしてでしょうか」
サラク、本名をサラクゥエルという男は怪訝な顔をした。
「見たであろう。倒れたジンギスを囲んだ者たちの目を。
哀しみと怒りと恨みに満ちたあの目が脳裏に焼き付いて離れないのだ。
彼らはおそらくシャム国に従順にはなるまい」
「しかし、ジンギスを失った彼の国にはもう力はなかろうと思われます。
少々抵抗したところでシャム国は揺らぎませぬ」
「そうだろうか。いつか彼らはあの怒りを爆発させると私は思う。
元々体術に優れ、航海術もよく知る者たちであろう。
いつまたジンギスのような者が生まれ出ないとも限らない」
負けた者たちを全員処分するという手もあるのだ。
しかし、それではあまりにも残酷だ。
ジンギスに連なる者たちは徹底的に処分するという話だが、
部族そのものを潰すほどの虐殺はしないことになっている。
殲滅する方がいいとの声はまだまだ根強いが。
「後世にジンギスのような者が現れましたら、
その時は将軍のような聡明な指導者がシャム国を率いていくことでしょう。
この世にジンギスとジェムズ将軍が共に生まれ出でたのは偶然ではありませんでしょう」
「必然と謂うのか」
ジェームスはサラクゥエルに問いかけた。
サラクゥエルは指揮官だった。
華奢な身体つきからは想像もできないが、シャム国海軍随一の剣の使い手なのだ。
ジェームスの立てる作戦を実際に指揮するのはこの男だ。
「我らが勝利したということは、この世界から一つの国が消えたことになります。
これは、流れる時の中で一つの国が作ってきた道が潰えるということです」
「道なあ。我々が生活を営む中で残してきたものを道と呼ぶということか」
「はい。わたくし共が認識できるのは今この瞬間だけですが、
確実に存在したはずのものを過去と呼び、過去の出来事の連鎖を道と見ることができましょう」
ジェームスはちらと指揮官に目をやり、小さな笑みを零した。
「珍しく難しいことを言う」
「何時も呆けているばかりではございません。
その道が、我らが辿ってきた道とジンギスらが辿ってきた道がぶつかったのでしょう」
ジンギスが率いた国。
ジェームスが率いた国。
二つの国の命運を分けるような出会い。
それは、二つの国の進んだ道が交わったときに起こったこと。
サラクゥエルはそう言う。
「将軍がこの国を率い、ジンギスがかの国を率いたからこそ道は交わったのです。
ジンギスが作り上げて来た道を継ぐ者がいるのだとしたら、
将軍が作ってきたこの道を継ぐ者がいてもおかしいということにはなりますまい」
「おもしろい理屈だ」
うっすらと笑みを浮かべたまま、ジェームスは呟くように言った。
風に弄ばれるマントを煩そうに払いながら、指揮官は続ける。
「道は並んで進まぬ限り、いつかまた交わる時がくるのです。
何百年も後世のことはわたくし共にはわからぬことでございましょう。
しかし、その後世にも今と同じような出会いがあっておかしくはないはずです」
「なるほど。だったら私は後世に期待しようではないか。
この戦で私はあちらの国を、もう併吞しては国とも呼べぬが・・・
あの者たちを恨みの深淵へとつき落してしまったのだ。
いつか、その恨みを浄化してくれる者が現れるやもしれん」
それでも、とジンギスは呟いた。
水平線が燃える溶岩のような朱に染まっている。
「私はそれでも、ジンギスを慕う者たちと理解し合いたいと思っている。
いや、理解し合わなければならないのだ。
どんな小さな恨みだってそのままにしておけば脅威になるかもしれないからな」
「それだけでございましょうか?」
「どういうことだ」
ジェームスはゆるりとサラクゥエルを見る。
その華奢な男は海を見たまま、僅かに笑みを浮かべた。
「将軍は随分ジンギスという男に入れ込んでいらっしゃるようですから。
将軍とジンギスはお互いに認め合っていたようにも見えました」
「ああ、そうだな。一度ゆっくり語り合いたかった。
だが、私はシャム国の将軍だ。私情は挟めない。選択肢は無かったのだ」
ジンギスを葬り、彼の国を支配下に置く。
生かしておくという選択はできなかった。
「後悔はしていないさ。だが、哀しんではいるし恐れてもいる。
感傷に浸るくらいは許してもらえるのだろう?」
「そうですね。わたくしの前であればいくらでも」
サラクゥエルの静かな口調に、ジェームスはふっと笑った。
「サラク、この勝利で我が国は暫く内地の安定に力を注ぐことになる。
それから戦闘服も一新されるらしいな」
「そのようですね」
「その戦闘服には私の願いを織り込んでもらおうと思っている」
不思議そうに瞬いて、サラクゥエルは上官を見やった。
ジェームスは沈みゆく夕陽を眩しそうに見ている。
「どうなるかは出来てみてからのお楽しみだ。我が子にはその意味を伝えておこうと思う」
「わたくしには教えていただけないのですか?」
「血を継ぐ者くらいには私が何をして、何を考えていたか知っていてほしいからな。
お前にはただ、私の傍にいて力になってほしいと望んでいる」
不満か、とジェームスは訊いた。
いいえ、とサラクゥエルは考えることなく答えた。
「将軍の願いが叶うまで、喜んで同じ道を歩みましょう。
例え何度死を迎え、何度生まれ変わろうとも」
「ははは、お前は輪廻転生を信じているんだったかな」
「それくらいの想いでいるということですよ」
ジェームスがゆっくりと視線をサラクゥエルに向けた。
今は身分が違うけれど、ふたりは親友だった。
「向こうでお待ちしています」
「すまんな」
いいえ、と言ってサラクゥエルは身を翻して仲間の元へと歩いて行った。
「悔いてはいない、だが・・・哀しいな」
ジェームスの目に、もう涙はない。
ただ、その目には酷く寂しい光が浮かんでいた。
波打ち際に佇んで、ジョージは半分の月を見ていた。
祖父が逝ってしまった。
ジョージに対しては厳しかったが、聡明で皆に慕われた将軍だった。
「兄貴」
聞きなれた声がする。
ジョージが振り返ると、そこには双子の弟アドミータスの姿があった。
「アド、大丈夫なのか?」
「うん。俺は大丈夫。兄貴は?」
「私だって・・・だが、やはり寂しいものだな」
アドミータスは祖父を慕い、祖父もアドミータスを可愛がっていた。
その祖父はジョージには特別厳しかった。
「厳しいおじい様だった。一度も甘えることができないまま逝ってしまわれた」
「じっちゃんは兄貴に期待してたんだ。いつか兄貴は海軍を背負って立つはずだって」
ジョージは祖父の顔を思い浮かべた。
いつも優しく微笑んでいる祖父だったが、己に笑みが向けられた記憶はほとんどない。
「私はまだ学生だ、この大きな海軍という組織を背負って立つなど考えもつかない」
ふっと息をついて、ジョージはまた月を眺めた。
暗い海の上に浮かぶ白い半月。
オムレツのようだと、ぼんやりと思う。
「兄貴はじゃないとだめなんだ」
「なぜ」
怪訝な顔をして振り返ったジョージは、
いつになく真剣な面差しのアドミータスの目を見た。
「じっちゃんが言ってた、ようやくその時がめぐって来ているんだって。
ジェームスが希ったその時が来るんだって。
兄貴は一番上にいなきゃならない、兄貴にしか叶えられない」
「よくわからんぞ。なぜ唐突にジェームスの名が出てくるんだ。
ジェームスが何を願ったのか知らんが、私でなければならない意味があるのか?」
「聞いているだろう?知らないってのは嘘だ」
アドミータスからふいと顔を背けたジョージは、目線を砂地に落とした。
「例えその願いがわかるとして・・・私がそれを叶えるというのか?
ジェームスが死んでから一体どれくらい月日が流れたと思っている。
その間、海軍を背負ってきた者たちが叶えられなかったのだぞ」
「兄貴が!兄貴がジェームスの血を継ぎ、その意思を継ぐ存在だから。
友達だっているし、兄貴は頭も良い」
「友達、か」
大将軍ジェームスの隣にはいつも名将サラクゥエルがいたという。
ジョージは、能天気な親友の顔を思い描いた。
華奢で大馬鹿だけど、まだ学生のその男に剣術で敵う者はまずいない。
「竜を」
「ん?」
アドミータスの言葉はいつだって唐突だ。
「近づいてくる竜を見落とすなって、じっちゃんが言ってたな。
兄貴に一応伝えとこうかなと思ってさ」
「竜?旗に使っている、あの竜のことか?
竜は死の象徴で、その容貌が恐れられているから絵柄に採用したと聞いている」
「うん、それは俺も聞いてる。でも、たぶんそれだけじゃないんだ。
竜が信仰の対象になっていてどうとかって」
よくわからない。
よくわからなかったが、ジョージはとにかく頷いておいた。
そして、黒い海に白く泡立っている波の方に視線を巡らした。
「ジェームスの願いに、竜か。謎かけのようだ」
「うん。あと、一つだけ心に留めておけって言われたことがあったんだ」
「何だ?」
生まれては飲み込まれる波を見つめたまま、ジョージは訊いた。
「我々が信じていることを、全ての者が信じていると思うな。
我々が知らないことはたくさんある、まずは知ろうとしなければいけない。
そう言ってた。いつも・・・言ってた」
「そうか」
至極当たり前のことだ。
それなのに、ともすれば忘れてしまうことでもある。
「心に留めておこう」
祖父の言葉を胸に沈め、ジョージは静かに呟いた。
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