守護者たちの挽歌
静かに閉じられたら扉を無表情に見ていたカーバケッティは、
一つ溜め息を吐いて、隣りのテーブルで同じように扉を見つめているカッサンドラに目を向けた。
「いいのか、行かなくて」
「私は待つと決めたの」
あっさりと戻ってきた答えにそうかと頷いて、カーバケッティは手元の本に目を落とした。
この夜、ギルバートが決着をつけに行くことはわかっていた。
まさか、黙って出て行くとはカーバケッティは思っていなかったが、
戻ってこられないかもしれないギルバートの心境を慮ると、
それもある程度仕方ないと今は考えている。
「コリコは」
唐突にカッサンドラが口を開いた。
カーバケッティが目を上げると、彼女は変わらず扉を見つめていた。
「隊長は必ず戻ると言ったわ。それを信じているし、疑いたくないのよ」
「そうだな」
集中できるはずもないと悟り、カーバケッティは本を閉じて机に置いた。
「私ね、いつ死んだっていいと思っていたの。私は独りだったから」
「両親は亡くなったんだったか?」
「ええ、遺体も見つからなかったけれど。たまたま生き延びた隣家のおば様に聞いたの。
そのおば様もすぐに亡くなったわ。家族を全て失ったショックで何も食べられなくなって」
それはあまりに突然のことだった。
隣国からの襲撃を陸軍が迎え撃ち、静かな街は一瞬にして火炎地獄と化した。
学舎にいたカッサンドラは、友達らと戦場となった故郷を逃げまどい、
街のはずれにある古びた講堂に辿りついた。
「講堂に辿りついても、火傷や怪我でたくさんの命が消えていったわ。
お腹がすいて、心細くて、でも誰にもそんなこと言えないでしょう?
何もできなくて、無力な自分を呪いながらずっと隅で小さくなっていたの」
「話には聞いたことがあるが、そうか。カッサは巻き込まれていたんだな」
「そうね。父の叔父が心配して講堂にやってきた時に思わず泣きついたわ。
その大叔父が私を引き取ってくれて、私は何不自由なく育ててもらったの。
感謝しているわ。寂しくて哀しい気持ちは消えはしなかったけれど」
ようやく扉から目を離して、カッサンドラはカーバケッティの方を向いた。
「この部隊が作られる前に一度大叔父に会いに行ったのよ。
その時に言われたの。良い笑顔をするようになった、大切な者ができたのかって」
「ほう。大叔父さんは子どもでもできたと思ったんじゃないか?」
「その通りよ。大叔父には期待させちゃったみたいだけど、その時に気付いたの。
本当に守りたいもののために生きる道もあるんだって。
隊長がいてくれて、私はようやく自分の道を見つけられた」
大叔父に会いに行った時に弟のタンブルブルータスが生きていて、
彼が海軍の士官学校にいることをカッサンドラは知らされた。
部隊編成の真っ最中に齎された衝撃的な朗報だった。
気付けば、ギルバートに航海士として推薦していた。
「タンブルの件はね、隊長は気付いていた筈よ。
だけど彼は何も言わずにタンブルと会ってくれたわ」
「優しいからな、隊長は。いつだって自分より周りを守りたがる。
そうだ、ついでに俺の思い出話も聞いとくか?」
「ええ、そうね。気が紛れていいわ」
それじゃあ、と言ってカーバケッティは居住まいを正した。
「俺が王宮書誌管理官の家柄ってのは知ってたっけ?それなりに由緒正しい家だ。
職を継ぐのは長男と決まっていて、兄は優秀で健康だから家は安泰さ。
次男の俺は家を出なきゃならん、だけど少数部族の出身ってだけで職探しは難航した」
やりたいことがあったわけではない。
カーバケッティが選んだのは海軍兵という道。
「海軍は能力主義だと聞いていたし、門前払いってこともなかった。
しかしまあ、入ってみりゃあ白い目向けられてばかりだ。
口を聞く前から余所者の変わり者扱いだ。最初は愕然としたね」
「今は平気なの?」
「平気と言うか、今は半ばわざとやってるとこもあるから。
変わり者だって言われるなら、変わり者でいてやろうってとこか。
でもな、そうやって開き直るまではけっこう時間がかかったもんだ」
苦い思い出を辿りながら、カーバケッティは苦笑を浮かべた。
「俺だって傷つきやすい青年だったわけだしさ。
少数部族だからってだけで舐められるのも癪だし、気にしないふりはしていた」
「貴方が孤立を好むのは自分を守るため?」
「孤立を好む?そう見えるか?」
意外だと言わんばかりに目を丸くしたカーバケッティは、すぐに目を伏せた。
「そうかもしれないな。知らないうちに自分の周囲に壁を作っていたのかもしれない。
だけど決して好んだわけじゃない。傷つくのが厭だっただけだ」
「隊長も貴方のことを変わっていると言ったわ」
「そりゃあ仕方ない。ジンギスの話を突然振ったんだ、変な顔してたな」
大抵は穏やかに微笑んでいて、戦の時に真剣な顔を見せるくらいのギルバートが
口をぽかんと開けて言葉を失った顔を知る者など数えるほどしかいないはずだ。
「隊長はね、貴方がわざわざ冷徹な作戦ばかり持ってくることを気に掛けていたのよ。
そこまでしなくていいって言っても、いつも相手を完全に潰す作戦を考えるんだって。
おかげで僕はまたカーバの作戦を採用できないって、嘆いていたわ」
「ああ、たまりかねたのか俺は直接それを言われた。
でさ、その時の隊長がまた酷くってね。なんて言ったと思う?」
「あら、フォローしてくれたんじゃないの?」
酷いと言いながら、何とも愉快そうなカーバケッティに、カッサンドラは首を傾げて見せた。
「フォローというか。まあ、自分たちは少数部族で考え方や生活の仕方が違うから
違って見えるのは当然で、それが変わっているとは思わないって言われた」
「当然のことでしょう?」
「そう、そこまではな。問題はその後だ。
すっごい真剣な顔して、貴方が本当に変なのは服装の趣味だけです、だってさ」
一拍置いて、カッサンドラがクスクスと笑いだした。
みんな寝ているので声を抑えながら肩を震わせている。
「変わっているとかじゃないんだぞ。変って言ったんだ、酷いよな。
それでも、俺はこの隊長についていこうって改めて思った」
「貴方の服装について指摘してくれるのは隊長くらいだものね」
「別にいいだろ、ここだったら制服しか着ないしさ。いや、そういう話じゃなくてさ。
親ですら、俺のことは兄に万が一のことがあった時の代役くらいに見てたわけだから
隊長が俺のことを見ててくれてるって解って何か嬉しかったし」
ふっと息を吐いて、カーバケッティは扉に目を向けた。
つられるように、カッサンドラも再び扉に目をやる。
「帰ってこない筈がないんだ。
隊長は俺らのことが大事で仕方ないんだからな」
「まあ、すごい自惚れね。でも、外していないと思うわ」
ディミータが出て行った。
それをカーバケッティもカッサンドラも止めなかった。
それが彼女の選択で、待つことがカーバケッティとカッサンドラの選択だったのだから。
「夜明けまでには戻ってくるかしら」
カッサンドラが呟いた。
それと同時に、背後で食堂の扉が開いた。
「コリコ、寝てなかったのか」
ひょっこりと顔をのぞかせたのはコリコパットだった。
「カーバ、カッサ。隊長、戻ってきたぞ。
あ、ちょっと待った。朝までは寝かしてあげて」
勢いよく立ちあがったカーバケッティとカッサンドラを制して
コリコパットはいつものようにニッと笑った。
もう何度目になるかわからない寝がえりを打ったところで、
ランパスキャットは眠るのを諦めて上半身を起こした。
この夜を迎えるためにギルバートがここにいることは知っていた。
彼の想いを守るため、酷い怪我を負ったのはつい先頃のことだ。
しかし、それがただの口実であることは彼自身が一番わかっていた。
「俺は、あんたがここにいてくれたらそれで良かった」
本来ならば、ランパスキャットはここにいるような者ではなかった。
武術の腕は勿論、そこいらの参謀よりも戦略を練るのは上手かったし、
実践で指揮をさせれば本業の指揮官よりも巧みに戦局を読めた。
一部隊の操舵手に甘んじているのは才能の無駄だと上層部から言われている。
その一方で、さすが陸軍将の血筋だと、陰で言われていることを彼は知っていた。
父親が陸軍でも名のある将になりつつあった頃に起きた戦乱は、
父親の命だけでなく、ランパスキャットの未来も奪い去った。
カッサンドラが家族を失った戦でまた、ランパスキャットも多くを失っていた。
陸軍将になることを目指していた彼にとって、この陰口は極度のストレスでしかなかった。
「まだ、帰ってこないのか」
行ってくる。私には待てない。
そう言ってディミータが出て行ってからそれほど時間は経っていない筈だ。
待つ時間と言うのは異様に長く感じられるものだ。
息苦しささえ覚えて、ランパスキャットは部屋の窓を片側だけ押し開いた。
その瞬間、窓の外にひょっこり顔が覗いてランパスキャットは凍りついた。
「あ、起きていましたか」
窓の外にいたのはギルバートだった。
「隊長・・・なんで」
「入れていただけませんか?大丈夫ですよ、僕は貴方に夜這をかける趣味はありません」
「奇遇ですね」
ランパスキャットは、包帯の巻かれていない方の腕を掴んでギルバートを引き入れた。
「俺も隊長に夜這されて喜ぶ趣味はありません」
足許の覚束ないギルバートを寝台に座らせて、ランパスキャットは溜め息を吐いた。
「ひとまず、黙って出て行かれたことについては何も言いません」
「すみません」
「それはいいですが、隊長。ここ、二階なんですけど」
そうですね、とギルバートは微笑んだ。
「正面から入ればカーバが手ぐすねを引いて待ちかまえているでしょうし、
そうかと言って他の隊員たちの部屋に忍び込むわけにはいきませんから。
ここだとちょうど木がありますし、ランパスは眠りが浅いから気付いてくれると」
「俺だったら怒らないとでも思ってましたね?
ああ、この傷だと確実に熱が出るな。もういいから休んでください。
明日にでもしっかりカーバに怒られるといいと思いますよ」
「そうですね・・・明日くらいは普通に迎えられそうですから」
ギルバートの言葉が意味するところに気付いて、ランパスキャットは僅かに眉を顰めた。
「ここで眠るわけにいかないので部屋に戻ります。
迷惑を掛けました。明日にでも、今夜のことはきちんと話します」
目を細め、ランパスキャットはギルバートの頭にそっと手を載せた。
「よく頑張ったな、ギルバート」
「ランパス」
熱に少し潤んだ目で男を見上げ、ギルバートは少し不満そうに口を尖らせた。
「貴方はいつも僕のことを子ども扱いしますね」
「そんなことありませんよ」
さらりと否定の言葉を紡いだ男の口が緩やかに弧を描く。
それを見てギルバートは微苦笑を浮かべた。
「貴方が僕を大切にしてくれているのはわかっています。
それに貴方は随分年上ですから、僕のことがまだまだ未熟に思えるのでしょう?」
「未熟とは思いませんよ。甘いとは思いますけどね」
「貴方はいつもきついことを言う」
苦笑の色を濃くした笑みのままギルバートは立ち上がった。
「では、お邪魔しました」
部下に向かって律儀に頭を下げ、ギルバートは自分の部屋に向かった。
二つ隣の部屋の扉を押しあければ、窓の向こうに見慣れた夜の砂浜が広がっている。
熱を持ち始めた重い身体で薄い布が敷かれたベッドに腰掛け、
ギルバートは胸元にある龍の首飾りを取り出して掌に乗せた。
「終わりましたよ。もうこれ以上、苦しまなくていいんです。
僕は戻れないかもしれない。でも、僕らの血は滅びなくて済みそうです」
聞こえるはずはなくても、怨恨の淵に引きずり込まれて苦しむ同胞に報告をする。
重荷を下ろし、ギルバートは身体が求めるままに眠りに墜ちようとした。
「大丈夫ですよ」
突然、近くから声がしてギルバートは飛び起きた。
「吃驚した、驚かさないでくださいよ隊長」
「コリコ、ですか」
呟いたギルバートの身体からふにゃりと力が抜けた。
「驚かされたのは僕ですよ。いきなり入ってこないでください」
「いえ、俺はずっとここにいましたけど。気付いていなかったのですか?」
「気付いていたら声くらい掛けますよ。
それ以前に、なぜコリコが僕の部屋に居るんですか?」
「だって、隊長が帰ってきたら絶対会えるじゃないですか」
さも当然のようにコリコパットは言った。
「俺は隊長が戻ってくるってわかってました。
それで、隊長はこの先ずっとここにいてくれることもわかってます」
「そう言っていただけるのはありがたいのですが、
正直なところ、明日またここにいられる確証はありませんよ」
ジョージはそうと言わなかったが、ギルバートは間違いなく反逆者なのだ。
明日命を長らえても、次の朝日が見られる保証はどこにもない。
「大丈夫ですよ」
憂いで僅かに陰るギルバートの目を真っ直ぐに見て、コリコパットはにっと笑った。
「海の神は貴方をそう簡単には見放さない。俺にはわかります」
「コリコが言うとそんな気がするから不思議ですね」
「だって、隊長はここにいないとダメですから」
そう言うと、コリコパットは扉に手を掛けた。
「また明日ゆっくりお話を聞かせてください。
カーバたちには会っていないんでしょう?俺から伝えておきますね」
「ありがとうございます」
「礼を言わなければならないのは俺たちですよ」
振り返ったコリコパットは、ぴしっと敬礼をした。
「信じてもらうとか、大切にしてもらうとか、全然当たり前じゃないんです。
でも、隊長は当たり前のように俺たちを信じて大事にしてくれました。
ありがとうございます、隊長。戻って来てくれたのだから、また共に歩んでください」
「了解」
ギルバートが微笑みを返すと、コリコパットは部屋を出て行った。
静けさの中に、階段を下っていく音がする。
崩れるように寝台に倒れこんだギルバートは、意識を失うように眠りに落ちた。
それは、夢も見ないほどに深い深い眠りだった。
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